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続・怖い島・いわくつきの村
▼ページ最下部
全国に散らばる、おっかない伝承伝説が伝わる離島専用スレッド第2弾です(若干ながら村ネタもあり)。
もちろん島の奇祭や神秘の風習、島のみならずワケあり岩礁や奇岩なども含み、いかがわしいオカルトにとどまらず、
れっきとした民俗学としての側面を持ち合わせています。島ネタに関して異常に特化したソレを目指すつもりです。
……前スレが500レスに達する前に続編を立てた理由は、サイズが500KBを超過してしまい書き込めなくなったためです。
せっかく満杯になるまで文字で埋め尽くし、有終の美を飾ろうとしたのにカウンターストップとは……。いささか文章がボリューミーすぎたかも。
まあ、めげずにご要望に応え、続・怖い島と行きましょう。
ちなみに……スレ自体を保存し、あとで読む方法をお教えします。
書き込みできなくなったスレは後ろへ流れてしまい、新スレが立ち上がるたび、古いものから消えてしまいます。
そうなる前に貴重なスレは永久保存しておきましょう。前スレはネット世界は広しといえど、近年類を見ない極上の資料スレですぞ。
以下は、その手順。
任意のスレ内の適当な空白で右クリック→プロパティ→アドレスをコピー→画面上部のアドレス直接入力枠にペースト→そのアドレスへ飛ぶ→
このスレが表示される→ファイル→名前を付けて保存。
※スレ画は前スレ>>188で紹介した、愛知県蒲郡市、三河大島にある仏島(島というより岩礁だが)。
癒されたい僕のブログ カヤック編 三河大島へ
http://blog.livedoor.jp/usa_usao5/archives/1697874.htm...
もちろん島の奇祭や神秘の風習、島のみならずワケあり岩礁や奇岩なども含み、いかがわしいオカルトにとどまらず、
れっきとした民俗学としての側面を持ち合わせています。島ネタに関して異常に特化したソレを目指すつもりです。
……前スレが500レスに達する前に続編を立てた理由は、サイズが500KBを超過してしまい書き込めなくなったためです。
せっかく満杯になるまで文字で埋め尽くし、有終の美を飾ろうとしたのにカウンターストップとは……。いささか文章がボリューミーすぎたかも。
まあ、めげずにご要望に応え、続・怖い島と行きましょう。
ちなみに……スレ自体を保存し、あとで読む方法をお教えします。
書き込みできなくなったスレは後ろへ流れてしまい、新スレが立ち上がるたび、古いものから消えてしまいます。
そうなる前に貴重なスレは永久保存しておきましょう。前スレはネット世界は広しといえど、近年類を見ない極上の資料スレですぞ。
以下は、その手順。
任意のスレ内の適当な空白で右クリック→プロパティ→アドレスをコピー→画面上部のアドレス直接入力枠にペースト→そのアドレスへ飛ぶ→
このスレが表示される→ファイル→名前を付けて保存。
※スレ画は前スレ>>188で紹介した、愛知県蒲郡市、三河大島にある仏島(島というより岩礁だが)。
癒されたい僕のブログ カヤック編 三河大島へ
http://blog.livedoor.jp/usa_usao5/archives/1697874.htm...
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☆ チン マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・) 新レス、まだ〜?
\_/⊂ ⊂_ ) \_____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 愛媛みかん |/
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>>202
お待たせ。ご飯ですよ^^
危険すぎる、即死級の猛毒をもつ蛇だらけの島 イーリャ・デ・ケマダ・グランデ島
ブラジルの大都市サンパウロから沖合32kmに、なんと蛇だらけの無人島があるんだとか。
これをイーリャ・デ・ケマダ・グランデ島といい、通称スネーク・アイランドと冠されるだけあって、文字どおり至るところに蛇で埋め尽くされており、
その人口密度ならぬ『蛇密度』たるや、1㎡あたり1匹とまで言われているほど。あまりにも危険なため、ブラジル海軍から立ち入り禁止の指定を受けている。
主に毒蛇ジャララカ(アメリカハブの類の毒蛇で、南米に広く分布)が多くのさばり、島全体で5000〜1万匹棲息していると推測されている。
この蛇は、通常のジャララカの5倍の毒性をもち、実験ではネズミを2秒で即死させる強力なものだという。
島が学術的に知られるようになったのは、1921年にサンパウロのブタンタン毒蛇研究所が実地検査を行い、イーリャ・デ・ケマダ・グランデ島の
毒蛇ジャララカの特異な進化と生態を発見してからだ。
なぜこの蛇は通常のソレよりも猛毒を獲得したのか?
主な餌は渡り鳥とされている。咬みついたはいいが、薬効が足りず鳥が逃げて海にでも落ちたら、せっかくの獲物が無駄になる。
それゆえ即死させるほどの猛毒に進化したのではないかと、研究者は結論付けている。
島の大きさは、奥行き1.5km、幅500mで、海岸はなく、海上より切り立った岸壁が高さ90mの台地までそそり立ち、高さ200mの岩山がそびえている。
島には昔、灯台守が開いた草地がある。かつて灯台の管理人として1家族が住んでいたが、住居の窓から蛇が侵入し、パニックに駆られた家族は屋外へ逃げた。
結局彼らは島の異なる場所で、蛇の毒により遺体で発見された。
それ以来、灯台は海軍が管理しており、現在自動化されて保守と燃料補給のために、ヘリコプターで年に数度、人が降り立つ以外は無人島となった。
北海道ファンマガジン 知られざる洞爺湖の無人島・中島の実態とは
http://pucchi.net/hokkaido/nature/laketoyaisland...
私たちの40年!!あるぜんちな丸同船者寄稿集 麻生悌三のブラジル不思議発見(2)大ケイマーダ島の毒蛇ジャララカ
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=145...
NAVERまとめ 蛇だらけの島!?世界で一番危険な場所「スネークアイランド」
http://matome.naver.jp/odai/213966693632618030...
お待たせ。ご飯ですよ^^
危険すぎる、即死級の猛毒をもつ蛇だらけの島 イーリャ・デ・ケマダ・グランデ島
ブラジルの大都市サンパウロから沖合32kmに、なんと蛇だらけの無人島があるんだとか。
これをイーリャ・デ・ケマダ・グランデ島といい、通称スネーク・アイランドと冠されるだけあって、文字どおり至るところに蛇で埋め尽くされており、
その人口密度ならぬ『蛇密度』たるや、1㎡あたり1匹とまで言われているほど。あまりにも危険なため、ブラジル海軍から立ち入り禁止の指定を受けている。
主に毒蛇ジャララカ(アメリカハブの類の毒蛇で、南米に広く分布)が多くのさばり、島全体で5000〜1万匹棲息していると推測されている。
この蛇は、通常のジャララカの5倍の毒性をもち、実験ではネズミを2秒で即死させる強力なものだという。
島が学術的に知られるようになったのは、1921年にサンパウロのブタンタン毒蛇研究所が実地検査を行い、イーリャ・デ・ケマダ・グランデ島の
毒蛇ジャララカの特異な進化と生態を発見してからだ。
なぜこの蛇は通常のソレよりも猛毒を獲得したのか?
主な餌は渡り鳥とされている。咬みついたはいいが、薬効が足りず鳥が逃げて海にでも落ちたら、せっかくの獲物が無駄になる。
それゆえ即死させるほどの猛毒に進化したのではないかと、研究者は結論付けている。
島の大きさは、奥行き1.5km、幅500mで、海岸はなく、海上より切り立った岸壁が高さ90mの台地までそそり立ち、高さ200mの岩山がそびえている。
島には昔、灯台守が開いた草地がある。かつて灯台の管理人として1家族が住んでいたが、住居の窓から蛇が侵入し、パニックに駆られた家族は屋外へ逃げた。
結局彼らは島の異なる場所で、蛇の毒により遺体で発見された。
それ以来、灯台は海軍が管理しており、現在自動化されて保守と燃料補給のために、ヘリコプターで年に数度、人が降り立つ以外は無人島となった。
北海道ファンマガジン 知られざる洞爺湖の無人島・中島の実態とは
http://pucchi.net/hokkaido/nature/laketoyaisland...
私たちの40年!!あるぜんちな丸同船者寄稿集 麻生悌三のブラジル不思議発見(2)大ケイマーダ島の毒蛇ジャララカ
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=145...
NAVERまとめ 蛇だらけの島!?世界で一番危険な場所「スネークアイランド」
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科学者以外、立ち入り禁止区域の実験島 スルツェイ島
世界には無数の非公開エリアがある。なかでも島嶼という隔離されたエリアは隠蔽するには好都合であろう。
問題のスルツェイ島はアイスランドの南にある無人島。我が国の西之島と同じく、1963〜67年、海底火山の噴火から新島を形成した典型例である。
なお、『スルツェイ』は、アイスランド語で『スルトの島』を意味するので、正確には『スルツェイ島』では重複表現なのだが……。
この島は一般人の立ち入り禁止を強いており、ごく少数の認可を得た研究者だけしか入島できない。
というのも、人類の影響を排し、生態系がどのように形成されるのか、その過程を記録するために自然保護区に指定された特別な島、
すなわち実験用の島として使用されているのだ。のちにユネスコの世界遺産(自然遺産)にも登録された。面積はわずか2.8k㎡、標高は173m。
火山噴火を示す最初の兆候が顕れたのは1963年11月14日、周辺海域の海水温の変化、噴煙、硫化水素臭が観察された。
噴火は地殻の亀裂に沿って起こり、海上に噴き上がった粉塵や灰の柱は数kmの高さに達した。
わずか1週間で新島が形成され、北欧神話の炎の巨人『スルト』にちなんでスルツェイ島と命名。
新島誕生と同時に海による浸食が始まったが、噴火は収まらず、島の面積は広がり続け、1964年前半には最大直径1300mあまりの規模になった。
アイスランドは直後に新島の領有権を主張、自然保護区とすることを宣言した。
1967年6月に噴火が終息するころには、スルツェイ島は面積2.7k㎡まで成長。約3分の2は火山灰、3分の1が急激に冷えて固まった溶岩でできていた。
火山灰は年々、少しずつ洗い流されていったが、固い溶岩の中心部はかなりの弾性があることがわかった。
スルツェイ島は、地質学的にも生物学的にも進化の過程を研究する貴重な場となった。他の陸地から隔絶されているため、実験に最適なのだ。
1965年に維管束(いかんそく)植物の生育が初めて観察されたが、より複雑で生育条件が厳しい植物形態である灌木が見られるようになるのは、
1998年に入ってからだ。1970年ごろから海鳥が群れはじめ、大量の糞が堆積することによって、島の痩せた土壌が急速に改善。
島に最初に住みついた鳥類はフルマカモメとハジロウミバトと言われる。1983年にはアザラシが繁殖を始めたのが確認された。
学会はアイスランド環境・食品庁に代わり、島におけるすべての活動を監督している。スルツェイ島の海域でのダイビングをはじめ、自然特性の阻害や、
一切の有機物や土、鉱物の島への持ち込み、廃棄物の投棄も認められていない。また沿岸から2km以内での銃器の使用も禁止されている。
人間の居場所として許されているのは、研究者たちの滞在用に設置された、簡素なプレハブ小屋1棟だけ。
設備といえば数台の簡易ベッドと、自家発電用のソーラーパネル、緊急連絡用の無線装置ぐらいだが、せめてもの慰めにダーツ盤も1つ、備えられている。
スルツェイ島で現在までに観察されているほとんどの植物の種は、自然の『運び屋』によって島に持ち込まれたものだが、1970年代に2度、
人間が持ち込んだ農作物が発見されたことがある。もっとも、ただちに取り除かれたが。
最初に持ち込まれたのはトマト。上陸した研究者が弁当を食べたのち、急に便意をもよおして、結果として土に種をまくことになってしまった。
2004年までに多種多様な生き物が島内で記録され、69種類の維管束植物、71種の地衣類、24種の菌類、さらに14種の鳥類と335種の無脊椎動物が確認されている。
2009年には島の広い範囲でムナグロ(チドリの仲間)の営巣が確認され、最初の渉禽(しょうきん)類として報告された。毎年、2〜5種が新たに発見されている。
現在もなお研究は続けられている。0からスタートした島から、どのように動植物が根付いていくのか、研究者が島に伴走して見守っている。
NAVERまとめ 50年前に突如誕生した火山島「スルツェイ」
http://matome.naver.jp/odai/214045422918935160...
NATIONAL GEOGRAPHIC日本版 『絶対に行けない世界の非公開区域99』から紹介する世界の立ち入り禁止区域
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20150202/434024...
スルトwikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%...
新しい島wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%...
世界には無数の非公開エリアがある。なかでも島嶼という隔離されたエリアは隠蔽するには好都合であろう。
問題のスルツェイ島はアイスランドの南にある無人島。我が国の西之島と同じく、1963〜67年、海底火山の噴火から新島を形成した典型例である。
なお、『スルツェイ』は、アイスランド語で『スルトの島』を意味するので、正確には『スルツェイ島』では重複表現なのだが……。
この島は一般人の立ち入り禁止を強いており、ごく少数の認可を得た研究者だけしか入島できない。
というのも、人類の影響を排し、生態系がどのように形成されるのか、その過程を記録するために自然保護区に指定された特別な島、
すなわち実験用の島として使用されているのだ。のちにユネスコの世界遺産(自然遺産)にも登録された。面積はわずか2.8k㎡、標高は173m。
火山噴火を示す最初の兆候が顕れたのは1963年11月14日、周辺海域の海水温の変化、噴煙、硫化水素臭が観察された。
噴火は地殻の亀裂に沿って起こり、海上に噴き上がった粉塵や灰の柱は数kmの高さに達した。
わずか1週間で新島が形成され、北欧神話の炎の巨人『スルト』にちなんでスルツェイ島と命名。
新島誕生と同時に海による浸食が始まったが、噴火は収まらず、島の面積は広がり続け、1964年前半には最大直径1300mあまりの規模になった。
アイスランドは直後に新島の領有権を主張、自然保護区とすることを宣言した。
1967年6月に噴火が終息するころには、スルツェイ島は面積2.7k㎡まで成長。約3分の2は火山灰、3分の1が急激に冷えて固まった溶岩でできていた。
火山灰は年々、少しずつ洗い流されていったが、固い溶岩の中心部はかなりの弾性があることがわかった。
スルツェイ島は、地質学的にも生物学的にも進化の過程を研究する貴重な場となった。他の陸地から隔絶されているため、実験に最適なのだ。
1965年に維管束(いかんそく)植物の生育が初めて観察されたが、より複雑で生育条件が厳しい植物形態である灌木が見られるようになるのは、
1998年に入ってからだ。1970年ごろから海鳥が群れはじめ、大量の糞が堆積することによって、島の痩せた土壌が急速に改善。
島に最初に住みついた鳥類はフルマカモメとハジロウミバトと言われる。1983年にはアザラシが繁殖を始めたのが確認された。
学会はアイスランド環境・食品庁に代わり、島におけるすべての活動を監督している。スルツェイ島の海域でのダイビングをはじめ、自然特性の阻害や、
一切の有機物や土、鉱物の島への持ち込み、廃棄物の投棄も認められていない。また沿岸から2km以内での銃器の使用も禁止されている。
人間の居場所として許されているのは、研究者たちの滞在用に設置された、簡素なプレハブ小屋1棟だけ。
設備といえば数台の簡易ベッドと、自家発電用のソーラーパネル、緊急連絡用の無線装置ぐらいだが、せめてもの慰めにダーツ盤も1つ、備えられている。
スルツェイ島で現在までに観察されているほとんどの植物の種は、自然の『運び屋』によって島に持ち込まれたものだが、1970年代に2度、
人間が持ち込んだ農作物が発見されたことがある。もっとも、ただちに取り除かれたが。
最初に持ち込まれたのはトマト。上陸した研究者が弁当を食べたのち、急に便意をもよおして、結果として土に種をまくことになってしまった。
2004年までに多種多様な生き物が島内で記録され、69種類の維管束植物、71種の地衣類、24種の菌類、さらに14種の鳥類と335種の無脊椎動物が確認されている。
2009年には島の広い範囲でムナグロ(チドリの仲間)の営巣が確認され、最初の渉禽(しょうきん)類として報告された。毎年、2〜5種が新たに発見されている。
現在もなお研究は続けられている。0からスタートした島から、どのように動植物が根付いていくのか、研究者が島に伴走して見守っている。
NAVERまとめ 50年前に突如誕生した火山島「スルツェイ」
http://matome.naver.jp/odai/214045422918935160...
NATIONAL GEOGRAPHIC日本版 『絶対に行けない世界の非公開区域99』から紹介する世界の立ち入り禁止区域
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20150202/434024...
スルトwikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%...
新しい島wikipedia
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バンジージャンプの起源の島 ペンテコスト島
オーストラリアの東約1800kmにあるバヌアツ共和国。
そんなバヌアツにペンテコスト島という人口1万の火山島がある。この島では『ナゴール』、または『ランドダイブ』なる儀式が行われている。
儀式の内容は、足首にツルを巻いて、高い櫓の上から飛び降りるという度胸試し。
そう、今や世界各地で行われているバンジージャンプのルーツにあたるのが、このナゴールと言われているのだ。
そもそも、なぜペンテコスト島でこのような儀式が行われているか? それは以下の伝説があるからだという。
およそ1000年ほど昔。暴力的な男がいつものごとく妻に殴りかかった。
高い木に登って身をひそめていた妻だが、夫に見つかってしまう。追ってきた夫から逃れるためにとっさにダイブした。
後を追った夫も飛び降りたが、地面に叩きつけられて死ぬ。かたや妻は足首にツルを巻き付けていたため、一命を取りとめた。
DV夫が後先考えなかったため命を落とすとはツッコミ満載の悲話だが、これを契機に高所から飛び降りる儀式ナゴールが生まれたらしい。
成人の通過儀礼として紹介されることが多いが、本来はヤムイモの豊作を祈る儀式であるとされている。それゆえヤムイモの収穫時期の4〜6月に開催される。
開催日が決まると、参加者たちは1ヶ月以上かけて30mほどの、建築現場にある足場のような櫓を組む。
また肝心の命綱となり得るツルも自身で選ぶのだが、今日のバンジージャンプのソレと異なり、植物のツルは伸縮性に欠けるので、はたから見ていると怖い……。
儀式当日、参加者は櫓のどの高さから跳ぶかは、自分で選択できる。順番があとになるほど高所から跳ぶ傾向にあり、それにしたがい観客もエキサイト。
ツルの長さを誤ったり切れてしまい、地面に激突して首の骨を折り死亡するダイバーもめずらしくないんだとか。仮にうまくいっても、足首を脱臼することも。
元々は南部のブンラップ村周辺でしか行われなかったが、観光化するにつれて、空港からのアクセスの良い南部の数ヶ所で行われているようだ。
2006年、日本のテレビ局が取材を申し込んだようだが、バヌアツ政府文化庁はナゴールが商業主義に走るのを懸念し、伝統文化を正しく子孫に伝えていくべく、
現在、商業テレビの取材は禁止している。
探偵ファイル国境なき探偵団 死亡確定!?恐怖の儀式ランド・ダイブがヤバイ
http://ftp.tanteifile.com/world/2012/05/04_01/body.htm...
BUNGY JAPAN 日本唯一のブリッジバンジーカンパニー バンジージャンプの話
http://www.bungyjapan.com/ja/index.php/bungy/sections/C5...
2014年度 春学期桜美林大学文化人類学 奥野 克巳 【第20回】通過儀礼とは何か?
http://www2.obirin.ac.jp/okuno/CA20.htm...
オーストラリアの東約1800kmにあるバヌアツ共和国。
そんなバヌアツにペンテコスト島という人口1万の火山島がある。この島では『ナゴール』、または『ランドダイブ』なる儀式が行われている。
儀式の内容は、足首にツルを巻いて、高い櫓の上から飛び降りるという度胸試し。
そう、今や世界各地で行われているバンジージャンプのルーツにあたるのが、このナゴールと言われているのだ。
そもそも、なぜペンテコスト島でこのような儀式が行われているか? それは以下の伝説があるからだという。
およそ1000年ほど昔。暴力的な男がいつものごとく妻に殴りかかった。
高い木に登って身をひそめていた妻だが、夫に見つかってしまう。追ってきた夫から逃れるためにとっさにダイブした。
後を追った夫も飛び降りたが、地面に叩きつけられて死ぬ。かたや妻は足首にツルを巻き付けていたため、一命を取りとめた。
DV夫が後先考えなかったため命を落とすとはツッコミ満載の悲話だが、これを契機に高所から飛び降りる儀式ナゴールが生まれたらしい。
成人の通過儀礼として紹介されることが多いが、本来はヤムイモの豊作を祈る儀式であるとされている。それゆえヤムイモの収穫時期の4〜6月に開催される。
開催日が決まると、参加者たちは1ヶ月以上かけて30mほどの、建築現場にある足場のような櫓を組む。
また肝心の命綱となり得るツルも自身で選ぶのだが、今日のバンジージャンプのソレと異なり、植物のツルは伸縮性に欠けるので、はたから見ていると怖い……。
儀式当日、参加者は櫓のどの高さから跳ぶかは、自分で選択できる。順番があとになるほど高所から跳ぶ傾向にあり、それにしたがい観客もエキサイト。
ツルの長さを誤ったり切れてしまい、地面に激突して首の骨を折り死亡するダイバーもめずらしくないんだとか。仮にうまくいっても、足首を脱臼することも。
元々は南部のブンラップ村周辺でしか行われなかったが、観光化するにつれて、空港からのアクセスの良い南部の数ヶ所で行われているようだ。
2006年、日本のテレビ局が取材を申し込んだようだが、バヌアツ政府文化庁はナゴールが商業主義に走るのを懸念し、伝統文化を正しく子孫に伝えていくべく、
現在、商業テレビの取材は禁止している。
探偵ファイル国境なき探偵団 死亡確定!?恐怖の儀式ランド・ダイブがヤバイ
http://ftp.tanteifile.com/world/2012/05/04_01/body.htm...
BUNGY JAPAN 日本唯一のブリッジバンジーカンパニー バンジージャンプの話
http://www.bungyjapan.com/ja/index.php/bungy/sections/C5...
2014年度 春学期桜美林大学文化人類学 奥野 克巳 【第20回】通過儀礼とは何か?
http://www2.obirin.ac.jp/okuno/CA20.htm...
五芒星セーマンの魔除けを信じる海女の島 菅島(すがしま) 1
ちょっとここで日本の島に軌道修正。
2016年に開催されるサミットが、三重県志摩市に選ばれ、同県出身者としてはたいへん誇らしい。
主要会場として賢島(かしこじま)が予定されているので、賢島の話でもできれば御の字なのだが(『怖い島』という括りは失礼?)、
あいにく興味を惹くエピソードは見当たらない。
そこで賢島を抱える志摩半島の反対側、伊勢湾の入り口に位置する菅島を取り上げようと思う。
もっとも賢島は志摩市に対し、菅島は鳥羽市だが。なんという暴投ぎみの変化球……。まあ、同じ三重の離島ではないか。
菅島の主産業は伊勢海老、アワビ、ワカメなどの漁業と、民宿、旅館などの観光業が主。とりわけ海女によるアワビ漁で知られている。
その海女というと、毎年7月11日、白浜(しろんご浜)で行なわれる『しろんご祭り』が、学術的に注目を浴びている。
700年ほど昔、菅島に現れた白蛇を竜神の使いと崇めて、大漁と海上安全を祈願したのが始まりとされている。
朝8時、しろんご浜に磯着姿の海女が集まり、神主によるお祓いを受けたのち、法螺貝の音を合図に海女が海にもぐり、つがいの鮑の初採りを競うもの。
一対の鮑を最初に採った者が海女頭となり、1年中尊敬の対象となる。
ふだん、白浜は禁漁区であり、この日の1時間のみ漁が許され、獲られた鮑は『招き鮑』と言われ、菅島にある白髭神社に奉納される。
この『白髭』も『しろんご様』を指し、すなわち守護神である白髭大明神、竜神大明神のこと。
なお白髭神社に関しては、当スレ>>95>>96で触れたので、気になるようならソチラで。
海は豊な幸を与えてくれるが、反面、天候によっては急に荒れ、人食い鮫が出没する死と隣り合わせの世界。
『板子一枚下は地獄』の船乗りでさえ験を担ぐ。だったら海に潜る海女もしかりであろう。したがって菅島ではこんな伝説が信じられるようになった。
曇った日の海で、海女が1人で鮑採りをしていると、海底で自分とソックリな姿の海女と出会う。息継ぎするべく水面に上がり見回してみたが、誰もいない。
そのドッペルゲンガーは『トモカヅキ』と呼ばれる妖怪だという。もし妖怪が差し出す鮑をもらったり、よい漁場へと誘うのについていったりすると、
潜水時間が長くなり、命を落としてしまうのだとか。
だから海女たちは、手ぬぐいや鮑おこしという道具に『ドーマン』『セーマン』の印をつけ、まじないとした。
とくに陰陽師の安倍晴明で知られる五芒星のセーマンは、一筆書きで元の位置に戻り、始めも終わりもないことから魔物が入り込む余地がないとされ、
同時に一筆書きで元の場所に戻ることから『無事に戻って来られるように』との祈りを込めた。
トモカヅキとは、『同一の潜水者』の意味で、『かづく』(潜く)とは『潜水すること』を意味する方言であるとされている。
他方、海女の亡霊ではないかともいわれるが、医学的見地から見て、過酷で長時間の海中作業による譫妄との見方もある。
そんななか、静岡県賀茂郡南崎村(現・南伊豆町)でも同様の事例が報告されている。ある海女がこれに遭遇し、海面に上がって船を操る夫に言うと、
「バカなことを言うな」と、相手にされずにふたたび潜らされ、そのまま死んでしまったとも……。
なにはともあれ、しろんご祭りは市指定の無形文化財である。
ちなみに三重の『海女操業実態調査』は4年に1度行われる。1996年11月のデータによると、志摩市だと海女は2100人を超える。
昔に比べると減少しているが、それでもこれほど多くの海女を抱えるのは志摩だけであろう。
ちょっとここで日本の島に軌道修正。
2016年に開催されるサミットが、三重県志摩市に選ばれ、同県出身者としてはたいへん誇らしい。
主要会場として賢島(かしこじま)が予定されているので、賢島の話でもできれば御の字なのだが(『怖い島』という括りは失礼?)、
あいにく興味を惹くエピソードは見当たらない。
そこで賢島を抱える志摩半島の反対側、伊勢湾の入り口に位置する菅島を取り上げようと思う。
もっとも賢島は志摩市に対し、菅島は鳥羽市だが。なんという暴投ぎみの変化球……。まあ、同じ三重の離島ではないか。
菅島の主産業は伊勢海老、アワビ、ワカメなどの漁業と、民宿、旅館などの観光業が主。とりわけ海女によるアワビ漁で知られている。
その海女というと、毎年7月11日、白浜(しろんご浜)で行なわれる『しろんご祭り』が、学術的に注目を浴びている。
700年ほど昔、菅島に現れた白蛇を竜神の使いと崇めて、大漁と海上安全を祈願したのが始まりとされている。
朝8時、しろんご浜に磯着姿の海女が集まり、神主によるお祓いを受けたのち、法螺貝の音を合図に海女が海にもぐり、つがいの鮑の初採りを競うもの。
一対の鮑を最初に採った者が海女頭となり、1年中尊敬の対象となる。
ふだん、白浜は禁漁区であり、この日の1時間のみ漁が許され、獲られた鮑は『招き鮑』と言われ、菅島にある白髭神社に奉納される。
この『白髭』も『しろんご様』を指し、すなわち守護神である白髭大明神、竜神大明神のこと。
なお白髭神社に関しては、当スレ>>95>>96で触れたので、気になるようならソチラで。
海は豊な幸を与えてくれるが、反面、天候によっては急に荒れ、人食い鮫が出没する死と隣り合わせの世界。
『板子一枚下は地獄』の船乗りでさえ験を担ぐ。だったら海に潜る海女もしかりであろう。したがって菅島ではこんな伝説が信じられるようになった。
曇った日の海で、海女が1人で鮑採りをしていると、海底で自分とソックリな姿の海女と出会う。息継ぎするべく水面に上がり見回してみたが、誰もいない。
そのドッペルゲンガーは『トモカヅキ』と呼ばれる妖怪だという。もし妖怪が差し出す鮑をもらったり、よい漁場へと誘うのについていったりすると、
潜水時間が長くなり、命を落としてしまうのだとか。
だから海女たちは、手ぬぐいや鮑おこしという道具に『ドーマン』『セーマン』の印をつけ、まじないとした。
とくに陰陽師の安倍晴明で知られる五芒星のセーマンは、一筆書きで元の位置に戻り、始めも終わりもないことから魔物が入り込む余地がないとされ、
同時に一筆書きで元の場所に戻ることから『無事に戻って来られるように』との祈りを込めた。
トモカヅキとは、『同一の潜水者』の意味で、『かづく』(潜く)とは『潜水すること』を意味する方言であるとされている。
他方、海女の亡霊ではないかともいわれるが、医学的見地から見て、過酷で長時間の海中作業による譫妄との見方もある。
そんななか、静岡県賀茂郡南崎村(現・南伊豆町)でも同様の事例が報告されている。ある海女がこれに遭遇し、海面に上がって船を操る夫に言うと、
「バカなことを言うな」と、相手にされずにふたたび潜らされ、そのまま死んでしまったとも……。
なにはともあれ、しろんご祭りは市指定の無形文化財である。
ちなみに三重の『海女操業実態調査』は4年に1度行われる。1996年11月のデータによると、志摩市だと海女は2100人を超える。
昔に比べると減少しているが、それでもこれほど多くの海女を抱えるのは志摩だけであろう。
五芒星セーマンの魔除けを信じる海女の島 菅島(すがしま) 2
伊勢志摩国立公園 鳥羽市観光情報サイト
http://tobakanko.jp/
鳥羽菅島 しろんご祭り
http://16.pro.tok2.com/‾jiyubito193/sirongo/sirongo.html
島の宝100景
http://www.mlit.go.jp/crd/chirit/shimanotakara100kei...
[PDF]島の宝100景 しろんご祭り 菅島
http://www.mlit.go.jp/crd/chirit/image/100kei-suga.p...
伊勢鳥羽志摩 鮑の話
http://www.kintetsu.co.jp/ise_toba_shima/shiru/ama_awabi...
菅島紅つげの会 菅島伝説の謎
http://benitsuge.jp/?p=11...
セーマンドーマンwikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%...
トモカヅキwikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A2%E3%82%...
海女文化村
http://amabunka.sakura.ne.jp/index.htm...
伊勢志摩国立公園 鳥羽市観光情報サイト
http://tobakanko.jp/
鳥羽菅島 しろんご祭り
http://16.pro.tok2.com/‾jiyubito193/sirongo/sirongo.html
島の宝100景
http://www.mlit.go.jp/crd/chirit/shimanotakara100kei...
[PDF]島の宝100景 しろんご祭り 菅島
http://www.mlit.go.jp/crd/chirit/image/100kei-suga.p...
伊勢鳥羽志摩 鮑の話
http://www.kintetsu.co.jp/ise_toba_shima/shiru/ama_awabi...
菅島紅つげの会 菅島伝説の謎
http://benitsuge.jp/?p=11...
セーマンドーマンwikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%...
トモカヅキwikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A2%E3%82%...
海女文化村
http://amabunka.sakura.ne.jp/index.htm...
ハンギング・コフィン・断崖絶壁に棺桶を吊るす葬法の島 ルソン島
フィリピン、ルソン島北部の山岳地帯にある村サガダにはイゴロットと呼ばれる少数民族がいる。
本来イゴロットは、平地で水田農耕を行っていたが、後からやってきた新マレー人により山岳地帯に追いやられてしまったという。
平地のない山間部で水田農業を行うのは並大抵ではなく、彼らは棚田の技術を向上させ、各地にみごとな棚田を残した。
棚田は地域の重要な文化遺産であり、観光資源にもなっている。
サガダは石灰岩地帯に位置するため、切り立った崖や絶壁が多い。そのなかにエコバレーという切り立った崖がある。
その断崖絶壁を利用した特異な葬送儀礼が伝承されており、観光客も見学することができるのだ。
その埋葬方法とは、断崖に棺桶を吊るすというもの。吊るされた棺の中には、燻製にされた遺体が収められている。
イゴロットは棺を崖に吊るすことで魂が『天』により近く、そして早く着き、転生を信じた。同時に遺体が野生動物に荒らされないという合理的な一面もある。
この葬送儀礼を懸棺葬『ハンギング・コフィン』、あるいは懸崖葬と呼ぶ。広義には『崖墓(自然の洞穴を利用した葬送)』の範疇に含まれるものだ。
このような例は中国の四川盆地周辺でBC500年くらいの時期のものが見られるという。この時期の懸崖葬の特徴としては船形棺、副葬品、岩絵が上げられており、
類似の葬送文化は古代日本、東南アジア島嶼部で広く見られる。
それは中国奥地で誕生した懸崖葬、崖墓の風習が民族の移動とともに拡散していったと考えられるが、伝播ルートははっきりしていない。
エコバレーではいくつもの木棺、十字架、なぜか椅子なども吊るされ、文字がペイントされている。
その様子はさほど恐ろしさもグロテスクさも感じさせず、墓所特有の厳粛さが漂っているだけだ。
もっとも2000年以上も続いたハンギング・コフィンは、2010年秋を最後に終焉を迎えた。
良くも悪くもキリスト教の布教がこの地にも広がり、村には教会も建てられ、イゴロット族はクリスチャンとなった。
キリスト教の慣習に従い、土葬へとその葬送儀礼を変化させてしまった。だから現在、壁に吊るされた棺は祖先のものなのだ。
村の経済的発展も必要だが、彼らは祖先の墓が観光客の好奇の眼に晒されるのはいかがなものかと複雑に思っているようだ。
死ぬまでに一度は行ってみたい場所。 崖にかかる棺桶・ハンギング・コフィン(フィリピン)
http://worldtv.blog.fc2.com/blog-entry-679.htm...
Travel.jp 断崖に棺!不思議な埋葬を見にフィリピン「サガダ」に行こう
http://guide.travel.co.jp/article/6566...
KAZE風の旅行社 添乗報告記●中国貴州省 ヤオ族、スイ族、ミャオ族の暮らしと世界遺産のカルスト地形をたずねる7日間(2011年12月)
http://www.kaze-travel.co.jp/indochina_tenjo008.htm...
集合舎 チベットではなぜ鳥葬が行われるのか
http://www.shukousha.com/essay/ohta/436...
日本一選ばれている定額葬儀ブランド 小さなお葬式 死者が家に戻ってくる!?江戸時代の葬儀における風習やタブーとは
http://www.osohshiki.jp/column/article/21...
フィリピン、ルソン島北部の山岳地帯にある村サガダにはイゴロットと呼ばれる少数民族がいる。
本来イゴロットは、平地で水田農耕を行っていたが、後からやってきた新マレー人により山岳地帯に追いやられてしまったという。
平地のない山間部で水田農業を行うのは並大抵ではなく、彼らは棚田の技術を向上させ、各地にみごとな棚田を残した。
棚田は地域の重要な文化遺産であり、観光資源にもなっている。
サガダは石灰岩地帯に位置するため、切り立った崖や絶壁が多い。そのなかにエコバレーという切り立った崖がある。
その断崖絶壁を利用した特異な葬送儀礼が伝承されており、観光客も見学することができるのだ。
その埋葬方法とは、断崖に棺桶を吊るすというもの。吊るされた棺の中には、燻製にされた遺体が収められている。
イゴロットは棺を崖に吊るすことで魂が『天』により近く、そして早く着き、転生を信じた。同時に遺体が野生動物に荒らされないという合理的な一面もある。
この葬送儀礼を懸棺葬『ハンギング・コフィン』、あるいは懸崖葬と呼ぶ。広義には『崖墓(自然の洞穴を利用した葬送)』の範疇に含まれるものだ。
このような例は中国の四川盆地周辺でBC500年くらいの時期のものが見られるという。この時期の懸崖葬の特徴としては船形棺、副葬品、岩絵が上げられており、
類似の葬送文化は古代日本、東南アジア島嶼部で広く見られる。
それは中国奥地で誕生した懸崖葬、崖墓の風習が民族の移動とともに拡散していったと考えられるが、伝播ルートははっきりしていない。
エコバレーではいくつもの木棺、十字架、なぜか椅子なども吊るされ、文字がペイントされている。
その様子はさほど恐ろしさもグロテスクさも感じさせず、墓所特有の厳粛さが漂っているだけだ。
もっとも2000年以上も続いたハンギング・コフィンは、2010年秋を最後に終焉を迎えた。
良くも悪くもキリスト教の布教がこの地にも広がり、村には教会も建てられ、イゴロット族はクリスチャンとなった。
キリスト教の慣習に従い、土葬へとその葬送儀礼を変化させてしまった。だから現在、壁に吊るされた棺は祖先のものなのだ。
村の経済的発展も必要だが、彼らは祖先の墓が観光客の好奇の眼に晒されるのはいかがなものかと複雑に思っているようだ。
死ぬまでに一度は行ってみたい場所。 崖にかかる棺桶・ハンギング・コフィン(フィリピン)
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Travel.jp 断崖に棺!不思議な埋葬を見にフィリピン「サガダ」に行こう
http://guide.travel.co.jp/article/6566...
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集合舎 チベットではなぜ鳥葬が行われるのか
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世捨て人の家が1軒の島? エリデイ島
滑り台のように反り返った崖が印象的な孤島に、ポツンと家が1軒だけ。この画像、実は当スレの>>111でも貼ったが、ソレに言及しよう。
アイスランド南部にはウェストマン諸島が連なり、そのなかの1島がこのエリデイ島だ。
何年ものあいだ、飛行機や船から撮られた島の写真がネット上で様々な憶測を呼び、ひそかに賑わせてきた。
もちろんフォトショップで作られたフェイクではない。
人間嫌いの世捨て人が隠棲しているのではないか、来たるべき黙示録に備えている億万長者ではないか、
あるいはアイルランド政府が歌手のビョーク(ビョーク・グズムンズドッティル)に贈った別荘ではないかと、まことしやかな都市伝説も囁かれた。
……が、どれも誤りだった。
300年ほど前、この島には5世帯が住み、漁業や牧畜、ツノメドリという海鳥の狩猟などをして生計を立てていた。
その後200年が経つ間に、コミュニティの維持が困難になり、徐々に住民が島を離れてしまい、1930年には完全に無人島となる。
とはいえ、海鳥の狩猟に際しては、非常に恵まれた環境であり、放置するには惜しい。
そこで1953年、旧島民で構成するアイスランド狩猟協会の手によって島に猟小屋を建築。
長期の生活には不向きだが、この猟小屋を拠点に再び海鳥を獲るようになった。画像の、ぼっちの別荘と言われているものの正体はこの猟小屋なのだ。
小屋にはインターネットの設備はおろか、電気も引いていなく、配管設備すらない。ただしサウナだけはあるらしい。
料理や飲用水、サウナに使う水は雨水から得ている。現在はそのアイスランド狩猟協会の会員用ロッジとして利用されている。
そもそもなぜビョークの別荘の話題が出たかというと、紛らわしいことにアイスランドには同名の島が2つあるのだ。
この猟小屋が佇むエリデイ島がアイスランドの南部にあるのに対し、別のエリデイ島が西部に位置する。
この西部にある島に件のビョークの別荘があるらしいので、それで勘違いされたようだ。
TravelPress 絶海の孤島にたたずむ一軒の家!こんな場所に建てられた家の正体は?
http://travelpress.jp/iceland-Ellidaey...
満艦飾 アイスランドの幻想の島、エリデイ。三つの島の三つの物語。
http://mankanshoku.blog.jp/archives/2705314.htm...
HYLEにっき ビョークをチラ聴きしたけど良さがわからないって人におすすめしたい名曲まとめ
http://hyle.hateblo.jp/entry/2014/06/09/22470...
滑り台のように反り返った崖が印象的な孤島に、ポツンと家が1軒だけ。この画像、実は当スレの>>111でも貼ったが、ソレに言及しよう。
アイスランド南部にはウェストマン諸島が連なり、そのなかの1島がこのエリデイ島だ。
何年ものあいだ、飛行機や船から撮られた島の写真がネット上で様々な憶測を呼び、ひそかに賑わせてきた。
もちろんフォトショップで作られたフェイクではない。
人間嫌いの世捨て人が隠棲しているのではないか、来たるべき黙示録に備えている億万長者ではないか、
あるいはアイルランド政府が歌手のビョーク(ビョーク・グズムンズドッティル)に贈った別荘ではないかと、まことしやかな都市伝説も囁かれた。
……が、どれも誤りだった。
300年ほど前、この島には5世帯が住み、漁業や牧畜、ツノメドリという海鳥の狩猟などをして生計を立てていた。
その後200年が経つ間に、コミュニティの維持が困難になり、徐々に住民が島を離れてしまい、1930年には完全に無人島となる。
とはいえ、海鳥の狩猟に際しては、非常に恵まれた環境であり、放置するには惜しい。
そこで1953年、旧島民で構成するアイスランド狩猟協会の手によって島に猟小屋を建築。
長期の生活には不向きだが、この猟小屋を拠点に再び海鳥を獲るようになった。画像の、ぼっちの別荘と言われているものの正体はこの猟小屋なのだ。
小屋にはインターネットの設備はおろか、電気も引いていなく、配管設備すらない。ただしサウナだけはあるらしい。
料理や飲用水、サウナに使う水は雨水から得ている。現在はそのアイスランド狩猟協会の会員用ロッジとして利用されている。
そもそもなぜビョークの別荘の話題が出たかというと、紛らわしいことにアイスランドには同名の島が2つあるのだ。
この猟小屋が佇むエリデイ島がアイスランドの南部にあるのに対し、別のエリデイ島が西部に位置する。
この西部にある島に件のビョークの別荘があるらしいので、それで勘違いされたようだ。
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http://travelpress.jp/iceland-Ellidaey...
満艦飾 アイスランドの幻想の島、エリデイ。三つの島の三つの物語。
http://mankanshoku.blog.jp/archives/2705314.htm...
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爆発した歴史をもつ廃墟島 ポレペル島
ニューヨークからハドソン川を北上すること100km。そこにポレペル島があり、廃墟マニアが喜びそうな城の廃墟が佇んでいる。
ポレペル(Pollepel)はオランダ語で『柄杓』を意味するように、本来はオランダ人が発見し、開拓した島であった。
アメリカンインディアンに呪われているという伝説があり、新人の水夫は開拓者の船の船員となる通過儀礼の一環として、
このポレペル島に1人置いて行かれるという慣習があった。
独立戦争の際は、イギリス艦隊を迎撃するための砦のような働きをし、川底には当時の弾薬などが沈んでいる。
また1900年に軍の余剰品販売業者(要は武器商人)フランシス・バナーマン氏がこの島を買い付け、自称アマチュア建築家の実業家を謳うだけあって
スコットランドの古城にインスピレーションを得て、バナーマン城が建てられた。
この城は商品の武器庫として使われていた。わざわざ城の形にしたのは宣伝広告効果を狙ってのことだった。
最盛期、この城形武器庫には、3000万もの軍の余剰弾薬が保管されていたという。
バナーマン氏が死去した2年後、200tもの砲弾や火薬が爆破し、城の一部も大きく破損。
その後も倉庫として使われていたが、1950年には島唯一のフェリーボートがハドソン川の川底に沈み、島は放棄されていた。
事故のあと長らく放置されていたが、1967年、ニューヨーク市が観光地として買い付ける。ところがまたしても2年ほどで火災に遭い、
その後放置されたままとなっていた。
2008年より期間限定で観光ツアーが行われているので、ツアーに参加し、島に上陸することも可能のようだ。
ただし、数年後には城は崩壊するだろうと懸念されている。
世界中に広がる知恵を共有するメディアearth [世界の城跡9選] 海外旅行の候補に入れておきたい!!まるで映画のワンシーンで使われそうな奇跡の城跡
http://feelearth.me/nature/castle-ruin...
素晴らしきアウトドア アメリカとは思えない5つの場所
http://outdoors.discoveramerica.jp/amerikatohasi-enai-5-tunochang...
廃墟検索地図
http://haikyo.crap.jp/s/1791.htm...
死ぬまでに一度は行ってみたい場所。 ハドソン川の小島・バナーマン城廃墟(アメリカ)
http://worldtv.blog.fc2.com/blog-entry-371.htm...
テカムセの呪いwikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AB%E3%83%...
ニューヨークからハドソン川を北上すること100km。そこにポレペル島があり、廃墟マニアが喜びそうな城の廃墟が佇んでいる。
ポレペル(Pollepel)はオランダ語で『柄杓』を意味するように、本来はオランダ人が発見し、開拓した島であった。
アメリカンインディアンに呪われているという伝説があり、新人の水夫は開拓者の船の船員となる通過儀礼の一環として、
このポレペル島に1人置いて行かれるという慣習があった。
独立戦争の際は、イギリス艦隊を迎撃するための砦のような働きをし、川底には当時の弾薬などが沈んでいる。
また1900年に軍の余剰品販売業者(要は武器商人)フランシス・バナーマン氏がこの島を買い付け、自称アマチュア建築家の実業家を謳うだけあって
スコットランドの古城にインスピレーションを得て、バナーマン城が建てられた。
この城は商品の武器庫として使われていた。わざわざ城の形にしたのは宣伝広告効果を狙ってのことだった。
最盛期、この城形武器庫には、3000万もの軍の余剰弾薬が保管されていたという。
バナーマン氏が死去した2年後、200tもの砲弾や火薬が爆破し、城の一部も大きく破損。
その後も倉庫として使われていたが、1950年には島唯一のフェリーボートがハドソン川の川底に沈み、島は放棄されていた。
事故のあと長らく放置されていたが、1967年、ニューヨーク市が観光地として買い付ける。ところがまたしても2年ほどで火災に遭い、
その後放置されたままとなっていた。
2008年より期間限定で観光ツアーが行われているので、ツアーに参加し、島に上陸することも可能のようだ。
ただし、数年後には城は崩壊するだろうと懸念されている。
世界中に広がる知恵を共有するメディアearth [世界の城跡9選] 海外旅行の候補に入れておきたい!!まるで映画のワンシーンで使われそうな奇跡の城跡
http://feelearth.me/nature/castle-ruin...
素晴らしきアウトドア アメリカとは思えない5つの場所
http://outdoors.discoveramerica.jp/amerikatohasi-enai-5-tunochang...
廃墟検索地図
http://haikyo.crap.jp/s/1791.htm...
死ぬまでに一度は行ってみたい場所。 ハドソン川の小島・バナーマン城廃墟(アメリカ)
http://worldtv.blog.fc2.com/blog-entry-371.htm...
テカムセの呪いwikipedia
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怪しき鉄の要塞島に人口4人の国家 シーランド公国
イスラム国ことISISが国家を自称しているように、シーランド公国もイギリス南東部のサフォーク州の10km沖合に浮かぶ鉄骨の構造物を
領土と主張し、国家だと訴えている。人口は身内で固めた、たった4人だけ(最近は27人に増えた?)の、ネタみたいな『なんちゃって国家』だ。
そもそもシーランド公国を『島』として括るのはどうか。この構造物は第二次世界大戦中、イギリス軍が沿岸防衛の拠点として4つの
海上要塞と多数の海上トーチカを建設したのが始まり。1942年、最も北に位置していた海上要塞『フォート・ラフス』が誕生した。
イギリス沖10kmの北海洋上、ラフ・サンズと呼ばれる砂堆の上に、大きな柱が2本ある巨大な構造物を沈め、海上に突き出した柱の上に居住区や
対空砲台などを乗せたものである。大きさは幅約9m、長さ約23mほど、面積は207㎡。テニスコート1面よりも狭い。
戦時中は150〜300人ものイギリス海軍兵員が常時駐留していたが、大戦終了後に要塞島は放棄される。
ところが、1967年9月2日に元イギリス陸軍少佐で海賊放送の運営者パディ・ロイ・ベーツが、イギリス放送法違反で訴えられたため、
当時イギリスの領海外に存在したこの北のフォート・ラフスを占拠し、独立宣言を発表。ここを『シーランド』と命名、自らロイ・ベーツ公と名乗った。
1968年、紆余曲折があり、ベーツ父子は逮捕された。逮捕後、ベーツ父子は不法占拠の罪で訴えられるが、イギリスの裁判所は、
「シーランドはイギリスの領海外であり、かつ、今まで領有権を主張してこなかった」ため、イギリス司法の管轄外として父子を釈放した。
裁判所の判断を受け、ベーツは「イギリスがシーランドの主権を認めた」と主張し、1975年には憲法・国旗・国歌を制定した。
はたして冷静に見て、シーランド公国は独立国と言えるのか?
1933年のモンテビデオ条約によれば、国際法で認められるべき国家の要件は、(1)国民、(2)領土、(3)政府、(4)外交能力の4つとされている。
シーランド公国の場合、国民と領土、政府は存在し、外交能力についても1978年の『西ドイツ政府との交渉』を根拠に、
一応条件を満たしているとされている(ただし、当時の西ドイツ政府は、国家として認めて交渉したわけではないと主張)。
しかしながら1982年に締結された国連の海洋法では、島について『自然に形成された陸地』と定義しているので、人工島は領土として認められず、
人工島だけを支配するシーランド公国は、領土を持たないから国家とは認められないということになる。
こうして世界最小面積の自称国家となったわけだが、シーランド公国を独立国として承認している国は1つも存在しないため、
これを国と呼ぶことは国際法上は不可能なのだ。日本も独立国としては認めておらず、外務省のサイトには記述さえない。
2007年1月8日、英紙報道によると、ベーツ公らがこの国の売却先を探しているとされた。売り主は1000万ポンド(約23億円)以上の値を期待しているとしている。
2009年時点では、これを買った人や国は知られていないが、日丸屋秀和著マンガ作品『axis powers hetalia』(ヘタリア)では、
オークションに出されたシーランド公国を落札したのはスウェーデンという設定になっている。
ちなみに、シーランド公国の主力産業は、なんと爵位の販売。ウェブサイト上で行われており、気軽に購入が可能。ただしイロモノすぎる。
ロイ・ベーツ公の晩年はイギリスに隠棲し、シーランドの管理は摂政公太子のマイケルが引き継いだ(ただし、マイケルもイギリスに在住)。
2012年10月9日、アルツハイマー型認知症を患っていたベーツ公はリー・オン・シーのケアホームで死去。サウスエンド=オン=シーで葬儀が執り行われた。
満91歳だった。
NAVERまとめ 【怪奇!人口4人!?】面白すぎる「シーランド公国」の謎。
http://matome.naver.jp/odai/213545086047943280...
シーランド君ですよ!
http://www.geocities.jp/himaruya/ea.htm...
通信用語の基礎知識 シーランド公国
http://www.wdic.org/w/GEO/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83...
パディ・ロイ・ベーツwikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%87%E3%82%...
APPREVIEW これであなたも今日から貴族!ネットで購入した爵位が届いたよ
http://app-review.jp/news/21592...
イスラム国ことISISが国家を自称しているように、シーランド公国もイギリス南東部のサフォーク州の10km沖合に浮かぶ鉄骨の構造物を
領土と主張し、国家だと訴えている。人口は身内で固めた、たった4人だけ(最近は27人に増えた?)の、ネタみたいな『なんちゃって国家』だ。
そもそもシーランド公国を『島』として括るのはどうか。この構造物は第二次世界大戦中、イギリス軍が沿岸防衛の拠点として4つの
海上要塞と多数の海上トーチカを建設したのが始まり。1942年、最も北に位置していた海上要塞『フォート・ラフス』が誕生した。
イギリス沖10kmの北海洋上、ラフ・サンズと呼ばれる砂堆の上に、大きな柱が2本ある巨大な構造物を沈め、海上に突き出した柱の上に居住区や
対空砲台などを乗せたものである。大きさは幅約9m、長さ約23mほど、面積は207㎡。テニスコート1面よりも狭い。
戦時中は150〜300人ものイギリス海軍兵員が常時駐留していたが、大戦終了後に要塞島は放棄される。
ところが、1967年9月2日に元イギリス陸軍少佐で海賊放送の運営者パディ・ロイ・ベーツが、イギリス放送法違反で訴えられたため、
当時イギリスの領海外に存在したこの北のフォート・ラフスを占拠し、独立宣言を発表。ここを『シーランド』と命名、自らロイ・ベーツ公と名乗った。
1968年、紆余曲折があり、ベーツ父子は逮捕された。逮捕後、ベーツ父子は不法占拠の罪で訴えられるが、イギリスの裁判所は、
「シーランドはイギリスの領海外であり、かつ、今まで領有権を主張してこなかった」ため、イギリス司法の管轄外として父子を釈放した。
裁判所の判断を受け、ベーツは「イギリスがシーランドの主権を認めた」と主張し、1975年には憲法・国旗・国歌を制定した。
はたして冷静に見て、シーランド公国は独立国と言えるのか?
1933年のモンテビデオ条約によれば、国際法で認められるべき国家の要件は、(1)国民、(2)領土、(3)政府、(4)外交能力の4つとされている。
シーランド公国の場合、国民と領土、政府は存在し、外交能力についても1978年の『西ドイツ政府との交渉』を根拠に、
一応条件を満たしているとされている(ただし、当時の西ドイツ政府は、国家として認めて交渉したわけではないと主張)。
しかしながら1982年に締結された国連の海洋法では、島について『自然に形成された陸地』と定義しているので、人工島は領土として認められず、
人工島だけを支配するシーランド公国は、領土を持たないから国家とは認められないということになる。
こうして世界最小面積の自称国家となったわけだが、シーランド公国を独立国として承認している国は1つも存在しないため、
これを国と呼ぶことは国際法上は不可能なのだ。日本も独立国としては認めておらず、外務省のサイトには記述さえない。
2007年1月8日、英紙報道によると、ベーツ公らがこの国の売却先を探しているとされた。売り主は1000万ポンド(約23億円)以上の値を期待しているとしている。
2009年時点では、これを買った人や国は知られていないが、日丸屋秀和著マンガ作品『axis powers hetalia』(ヘタリア)では、
オークションに出されたシーランド公国を落札したのはスウェーデンという設定になっている。
ちなみに、シーランド公国の主力産業は、なんと爵位の販売。ウェブサイト上で行われており、気軽に購入が可能。ただしイロモノすぎる。
ロイ・ベーツ公の晩年はイギリスに隠棲し、シーランドの管理は摂政公太子のマイケルが引き継いだ(ただし、マイケルもイギリスに在住)。
2012年10月9日、アルツハイマー型認知症を患っていたベーツ公はリー・オン・シーのケアホームで死去。サウスエンド=オン=シーで葬儀が執り行われた。
満91歳だった。
NAVERまとめ 【怪奇!人口4人!?】面白すぎる「シーランド公国」の謎。
http://matome.naver.jp/odai/213545086047943280...
シーランド君ですよ!
http://www.geocities.jp/himaruya/ea.htm...
通信用語の基礎知識 シーランド公国
http://www.wdic.org/w/GEO/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83...
パディ・ロイ・ベーツwikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%87%E3%82%...
APPREVIEW これであなたも今日から貴族!ネットで購入した爵位が届いたよ
http://app-review.jp/news/21592...
クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察12
ウ〜ム、なんだかわからなくなってきたぞ……。
いきなり嗟嘆を漏らしたのは他でもない。>>164から>>175にかけて長々とクロ宗に関して独自の考察をタレてきて、
一応は結論が出たと勝手に決めつけていた。しかしながらこれで片づけてしまうのは、独善的であり性急すぎるというもの。
実はその後も水面下で執拗に調査を続け、このたび国内日本文化研究センター(大学共同利用機関)のHP内より、
米村竜治氏(筑紫女学園大学・文学部)という教授が執筆した『隠れキリシタンと隠れ念仏』なる資料を発見するに至った。
これが驚愕の内容だった(発表されたのは1997年以降?)。
これまで海外の『怖い島』を取り上げてきたが、流れをブッタ切って緊急速報的な感じで追記せねばなるまい。
話をまぜっ返して悪いが、この報告書によると、どうやら……クロ宗における、瀕死になった信者の生血と生き胆を取り出し、
それを飲み食いする『死の儀式』、すなわち『秘蹟』は、まんざらデマでもなさそうというのだから、その衝撃たるや如何ほどかわかってくれよう。
こんな資料が埋もれているとはまだまだ勉強不足であった。これも不徳の致すところ。
とにかく興味深い個所を引用するので、眼を通していただくのが手っ取り早い。全文を抜粋するのは長すぎるうえ、冗長になる。
クロ宗だけに『肝』となる文をピックアップしてみる。以下、アンカー部分からが引用文。
>日本にはじめてキリスト教を導入したのは、鹿児島の人アンジロウである。(中略)アンジロウの正式な呼び名はヤジロウ(弥次郎)である。
>ヤジロウは鹿児島(薩摩藩)の水軍軍師の1人であったと想像される。その彼が何らかの理由で殺人事件を起し、薩摩を脱藩する。
>勿論、逃げ行く先は海である。ポルトガルの貿易船に便乗しマラッカに流れ着く。
>1547年10月、マラッカでヤジロウはフランシスコ・ザビエルと出会う事になる。ザビエルは初めて見る日本人の容姿に驚き、同時に日本の存在を知る。
>ザビエルはヤジロウの背後に日本という国の高度な文化体系を嗅ぎとり、日本への布教を思い立つ。
>ヤジロウはやがてゴアに移り、自分の犯した殺人の行為を含めて一切の罪の赦しと神の恩寵を与えられ、キリスト教徒として新生する事になる。
(中略)
>実は、ヤジロウが島津藩を脱藩したのは単身ではなく、共に脱藩した同士が2人いた。その2人とも常にヤジロウと行動を共にし入信している。
>筆者の想像だが、この2人は薩摩水軍の軍師であるヤジロウの家来であったと思われる。この2人にはそれぞれ、ジョアン、アントニオの名が与えられている。
>ヤジロウは神を「大日」と通訳した。真言密教の大日如来の「大日」である。これには日本人の方がその誤ちを指摘してくるほどである。
>そこでザビエルはその訳はかえって神を冒漬する置換である事に気付き、以後はすべて「デウス」という言葉を使うようになる。
>同時にザビエルはキリスト教の特殊な用語に関しては日本語としての仏教用語に置換える事をやめ、ラテン語あるいはポルトガル語をそのまま使うようにした。
>扨(さて)、そのヤジロウはその後どうなったか。
>1950年以後、神の恩寵と布教のもとにあったはずの彼の行方はようとして知れない。彼は鹿児島を追われ中国へ渡りそこで死んだという。
>ルイス・フロイスが書いている。
>「信仰を棄ててしまったのか、あるいは、キリシタンであることをやめてしまったのか……」、彼は富を求めて海賊になり「シナへ渡りシナで殺されたという」、
>「しかし、それは確かなことでもなく、また彼の最期についてこれと違ったことを知るよしもない」と。
ウ〜ム、なんだかわからなくなってきたぞ……。
いきなり嗟嘆を漏らしたのは他でもない。>>164から>>175にかけて長々とクロ宗に関して独自の考察をタレてきて、
一応は結論が出たと勝手に決めつけていた。しかしながらこれで片づけてしまうのは、独善的であり性急すぎるというもの。
実はその後も水面下で執拗に調査を続け、このたび国内日本文化研究センター(大学共同利用機関)のHP内より、
米村竜治氏(筑紫女学園大学・文学部)という教授が執筆した『隠れキリシタンと隠れ念仏』なる資料を発見するに至った。
これが驚愕の内容だった(発表されたのは1997年以降?)。
これまで海外の『怖い島』を取り上げてきたが、流れをブッタ切って緊急速報的な感じで追記せねばなるまい。
話をまぜっ返して悪いが、この報告書によると、どうやら……クロ宗における、瀕死になった信者の生血と生き胆を取り出し、
それを飲み食いする『死の儀式』、すなわち『秘蹟』は、まんざらデマでもなさそうというのだから、その衝撃たるや如何ほどかわかってくれよう。
こんな資料が埋もれているとはまだまだ勉強不足であった。これも不徳の致すところ。
とにかく興味深い個所を引用するので、眼を通していただくのが手っ取り早い。全文を抜粋するのは長すぎるうえ、冗長になる。
クロ宗だけに『肝』となる文をピックアップしてみる。以下、アンカー部分からが引用文。
>日本にはじめてキリスト教を導入したのは、鹿児島の人アンジロウである。(中略)アンジロウの正式な呼び名はヤジロウ(弥次郎)である。
>ヤジロウは鹿児島(薩摩藩)の水軍軍師の1人であったと想像される。その彼が何らかの理由で殺人事件を起し、薩摩を脱藩する。
>勿論、逃げ行く先は海である。ポルトガルの貿易船に便乗しマラッカに流れ着く。
>1547年10月、マラッカでヤジロウはフランシスコ・ザビエルと出会う事になる。ザビエルは初めて見る日本人の容姿に驚き、同時に日本の存在を知る。
>ザビエルはヤジロウの背後に日本という国の高度な文化体系を嗅ぎとり、日本への布教を思い立つ。
>ヤジロウはやがてゴアに移り、自分の犯した殺人の行為を含めて一切の罪の赦しと神の恩寵を与えられ、キリスト教徒として新生する事になる。
(中略)
>実は、ヤジロウが島津藩を脱藩したのは単身ではなく、共に脱藩した同士が2人いた。その2人とも常にヤジロウと行動を共にし入信している。
>筆者の想像だが、この2人は薩摩水軍の軍師であるヤジロウの家来であったと思われる。この2人にはそれぞれ、ジョアン、アントニオの名が与えられている。
>ヤジロウは神を「大日」と通訳した。真言密教の大日如来の「大日」である。これには日本人の方がその誤ちを指摘してくるほどである。
>そこでザビエルはその訳はかえって神を冒漬する置換である事に気付き、以後はすべて「デウス」という言葉を使うようになる。
>同時にザビエルはキリスト教の特殊な用語に関しては日本語としての仏教用語に置換える事をやめ、ラテン語あるいはポルトガル語をそのまま使うようにした。
>扨(さて)、そのヤジロウはその後どうなったか。
>1950年以後、神の恩寵と布教のもとにあったはずの彼の行方はようとして知れない。彼は鹿児島を追われ中国へ渡りそこで死んだという。
>ルイス・フロイスが書いている。
>「信仰を棄ててしまったのか、あるいは、キリシタンであることをやめてしまったのか……」、彼は富を求めて海賊になり「シナへ渡りシナで殺されたという」、
>「しかし、それは確かなことでもなく、また彼の最期についてこれと違ったことを知るよしもない」と。
クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察13
>フーベルト・チースリクは書いている。
>「ロドリゲスの『日本教会史』のなかにもヤジロウがシナへ渡り、そこで海賊の手で殺されたと。
>だが、ロドリゲスはメンデス・ピントの『遍歴記』の報告を採り入れたものであり、ピントの書は半分以上作り話であり信憑性は疑わしい」と。
>これらの文脈を浚っていくと、ヤジロウはシナへ渡って殺されたのではなく、日本の何処かに姿を隠し、あるいは匿まわれたのではないかと思えてくる。
>イエズス会という組織の歴とした修道士・宣教師であり、サビエルを日本に連れて来た記念碑的人物が、その三年後には行方不明、
>まして死の記録が教会側に一切ないというのはどう考えても不自然である。
>ところが日本側(鹿児島本土)の基暦にはヤジロウの死を伝える言い伝えが残っていた。ヤジロウは甑島に身を隠しそこで死んだと。
>しかも下甑島の片野浦という山深い集落に、ヤジロウの墓があり、ある秘密集団によってひそかに護り続けられているという。
>早速、甑島に渡ってみる。第1回目の渡島調査が昭和53年2月の事である。この島の手打の港で、片野浦には「テンジョウバカ」と呼ばれるものがあると聞かされた。
>つまり「天上墓」である。(中略)
>昭和53年の調査の当時、天上墓という呼び名が村の墓地のシンボリックな総称であろうと筆者は勘違いをしていた。何よりも観察不充分であった。
>半円形の半ば埋められた卵形の石は、そこに人間の遺体、舎利が埋葬されている標であった筈である。
>天上墓とはシンボリックな呼称ではなく、1人の聖なる人間を埋葬した墓だったのだ。
>平成8年12月、第3回目の調査に赴いた折、ヤジロウ墓は1ヵ所に定着しているのではなく、これまで何度か違う場所に移されて来たと手打の住民から聞かされた。
>片野浦なる村は完全黙秘に沈んでいて、聞き取り調査はいきおい外部の周縁の村から出発せざるを得ない。
>この遷墓は両墓制(※前スレ>>161を参照せよ)に準ずる民俗とも思われない。
>そこで再び、天上墓の聖地を訪れてみる。すると天と地を結ぶヘソでもある、かの如き船形の石は横になぎ倒され掘りくり返されて、
>かつて見た天上墓の荘厳な様子は見る影もなかった。何処へ移されたのか。何故、移すのか。
>これまで片野浦のヤジロウ墓とそれを護り続ける秘密結社の調査にやってきたのは筆者だけではない。それこそ壮大なチームが陸続として乗りこんでいた。
>地元の鹿児島大学をはじめ宮崎大学、大分大学、長崎大学、九州大学等の5大学の民俗調査班、マスコミでは朝日新聞、NHK等々枚挙にいとまがない。
>だが如何なるる調査班であれ片野浦の拒絶にあって彼等は何も掴み得ず素手ぶりで帰ってきた。
>むしろ調査班が村に乗り込んで来るたびに片野浦は秘密の壁を厚くして沈黙した。
>それでも高度経済成長と離島開発の波に乗って、秘密共同体としての村から外へと脱ける人間が出てくる。
>その脱けた村民から周縁の村に少しづつ秘密が洩らされて来たという推移がある。
>それによると、天上墓(ヤジロウ墓)が移されたのは度重なる調査班の侵入から隠すためであるという。聖なるものは匿さなければならない。
>筆者には暴露趣味はない。然し、墓の存在を立証しない限り、筆者の論旨は先に進まない。紆余曲折の果てに墓の新たな場所が判明した。
>平成9年9月10日、第5回目の渡島の折である。日本の村の何処にでも見かける村道脇の竹藪のなかにそれはひそかに荘厳されていた(?)。
(中略)
>村の女性たちにこの墓の事を聞いてみる。「そんなものは知らない」と口々に答える。ただ1人だけ「尊い人の墓だと聞いている」という。
>1981(昭和56年)年2月、ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世が日本にやって来た。その折、随伴した法王庁の使節団から片野浦のヤジロウ墓を、
>訪問墓参したい旨の打診があったという。法王庁でもヤジロウ墓の事は公然の秘密として受けとめられていた模様である。
>だが片野浦はにべもなく断った。彼等の秘匿性は徹底している。
>フーベルト・チースリクは書いている。
>「ロドリゲスの『日本教会史』のなかにもヤジロウがシナへ渡り、そこで海賊の手で殺されたと。
>だが、ロドリゲスはメンデス・ピントの『遍歴記』の報告を採り入れたものであり、ピントの書は半分以上作り話であり信憑性は疑わしい」と。
>これらの文脈を浚っていくと、ヤジロウはシナへ渡って殺されたのではなく、日本の何処かに姿を隠し、あるいは匿まわれたのではないかと思えてくる。
>イエズス会という組織の歴とした修道士・宣教師であり、サビエルを日本に連れて来た記念碑的人物が、その三年後には行方不明、
>まして死の記録が教会側に一切ないというのはどう考えても不自然である。
>ところが日本側(鹿児島本土)の基暦にはヤジロウの死を伝える言い伝えが残っていた。ヤジロウは甑島に身を隠しそこで死んだと。
>しかも下甑島の片野浦という山深い集落に、ヤジロウの墓があり、ある秘密集団によってひそかに護り続けられているという。
>早速、甑島に渡ってみる。第1回目の渡島調査が昭和53年2月の事である。この島の手打の港で、片野浦には「テンジョウバカ」と呼ばれるものがあると聞かされた。
>つまり「天上墓」である。(中略)
>昭和53年の調査の当時、天上墓という呼び名が村の墓地のシンボリックな総称であろうと筆者は勘違いをしていた。何よりも観察不充分であった。
>半円形の半ば埋められた卵形の石は、そこに人間の遺体、舎利が埋葬されている標であった筈である。
>天上墓とはシンボリックな呼称ではなく、1人の聖なる人間を埋葬した墓だったのだ。
>平成8年12月、第3回目の調査に赴いた折、ヤジロウ墓は1ヵ所に定着しているのではなく、これまで何度か違う場所に移されて来たと手打の住民から聞かされた。
>片野浦なる村は完全黙秘に沈んでいて、聞き取り調査はいきおい外部の周縁の村から出発せざるを得ない。
>この遷墓は両墓制(※前スレ>>161を参照せよ)に準ずる民俗とも思われない。
>そこで再び、天上墓の聖地を訪れてみる。すると天と地を結ぶヘソでもある、かの如き船形の石は横になぎ倒され掘りくり返されて、
>かつて見た天上墓の荘厳な様子は見る影もなかった。何処へ移されたのか。何故、移すのか。
>これまで片野浦のヤジロウ墓とそれを護り続ける秘密結社の調査にやってきたのは筆者だけではない。それこそ壮大なチームが陸続として乗りこんでいた。
>地元の鹿児島大学をはじめ宮崎大学、大分大学、長崎大学、九州大学等の5大学の民俗調査班、マスコミでは朝日新聞、NHK等々枚挙にいとまがない。
>だが如何なるる調査班であれ片野浦の拒絶にあって彼等は何も掴み得ず素手ぶりで帰ってきた。
>むしろ調査班が村に乗り込んで来るたびに片野浦は秘密の壁を厚くして沈黙した。
>それでも高度経済成長と離島開発の波に乗って、秘密共同体としての村から外へと脱ける人間が出てくる。
>その脱けた村民から周縁の村に少しづつ秘密が洩らされて来たという推移がある。
>それによると、天上墓(ヤジロウ墓)が移されたのは度重なる調査班の侵入から隠すためであるという。聖なるものは匿さなければならない。
>筆者には暴露趣味はない。然し、墓の存在を立証しない限り、筆者の論旨は先に進まない。紆余曲折の果てに墓の新たな場所が判明した。
>平成9年9月10日、第5回目の渡島の折である。日本の村の何処にでも見かける村道脇の竹藪のなかにそれはひそかに荘厳されていた(?)。
(中略)
>村の女性たちにこの墓の事を聞いてみる。「そんなものは知らない」と口々に答える。ただ1人だけ「尊い人の墓だと聞いている」という。
>1981(昭和56年)年2月、ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世が日本にやって来た。その折、随伴した法王庁の使節団から片野浦のヤジロウ墓を、
>訪問墓参したい旨の打診があったという。法王庁でもヤジロウ墓の事は公然の秘密として受けとめられていた模様である。
>だが片野浦はにべもなく断った。彼等の秘匿性は徹底している。
クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察14
>片野浦は戸数48戸の小さな山中の村落である。その48戸はクロ宗、あるいはクロ教と呼ばれる宗教によって結束している。
>クロ宗のクロとはクロスのクロであるという。つまり隠れキリシタンの末裔であるとされている。
>この事は古来、鹿児島の郷土史に於いては公然の事実として扱われている。但しこのクロは筆者に言わしむればシロに対するクロであり、
>周囲の人間が付けた差別の呼び名であると思える。然しその事はここでは論じない。
(中略)
>片野浦の村落は手打の港からほぼ3キロの距離にある。この片野浦の頂点に立つ人物はサカヤと呼ばれる。
>サカヤとはサクラメントの転訛であり、秘蹟あるいは秘蹟を行う者を意味する。このサカヤに現在は賢家(サカヤ)という文字をあてている。
>サカヤは世襲制度であり大毛家による万世一系によって継承されている。サカヤは、村に対して強大な支配権を握っている。
>このクロ教の村には厳重な掟があり、村以外の人間と結婚する事は許されない。殊に大毛家の場合、この律法は厳しい。
>サカヤの息子としてサカヤを継承しなければならなかった大毛三明氏は、片野浦から北東部へ山一つ越えた青瀬という海岸の青瀬小学校の代用教員を勤めていた。
>そこで女性教師と恋愛し結婚したばかりにサカヤ継承権を奪われ、大毛の名を剥奪されて村を追われた。
>現在、山下姓を名乗っている。山下三明氏(86才)、鹿児島に移住している。
>扨、この山下三明氏などが村を脱けた1つのケースであるが、この脱けによってクロ教の実体が少しずつ外部に漏れてきたのである。
>民俗調査というものは記録史料の不在によって不明な実体とその歴史を聞き取り調査によって明らかにしていく方法を採る。
>その場合、その取材先を公表できない事情もある。筆者の場合、その取材はまずはこの『脱け』に依っている。
>そのなかのもう1つのケースを挙げれば、かつて片野浦の住人であり現在は手打の町でT薬品を営む主人(大毛姓)である。
>もっと大きい取材源もあるが、それは後述する。
>現在のサカヤは女性、大毛久枝さん(年齢推測80才代)である。三明氏が脱けたばかりに男性継承者がいなくなり、姪の久枝さんが継承してサカヤの地位にある。
>いわば、女帝である。(中略)
>ではクロ宗はいかなる秘儀によって成立しているのか。その秘匿性はどこにあるのか。それは「生き胆とり」という秘儀の故であると言われている。
>この場合の生き胆とりとは、人間の臨終に際して即座に胸を切り開いて生き胆(心臓)(※やはり心臓だった!)を取り出すのだという。
>つまり供犠の儀礼である。神に捧げる生贄として心臓を切り取る。この儀礼を村人の死に立ち会うサカヤが執行する。
>この場合、カトリックという表層宗教が地上から隠れ、教会から離れて基層へと埋没していくとき、基層民俗の生贄の祭儀へと帰着していったのか。
>別の言い方をすれば、カトリックの深層に潜む供犠の宗教を帰趨としたのか。
>いろんな要素が重層しているが、もともと、鹿児島の基層土俗には「冷えもん取い」という習俗があった事が『鹿児島の昔話』に伝えられている。
>片野浦は戸数48戸の小さな山中の村落である。その48戸はクロ宗、あるいはクロ教と呼ばれる宗教によって結束している。
>クロ宗のクロとはクロスのクロであるという。つまり隠れキリシタンの末裔であるとされている。
>この事は古来、鹿児島の郷土史に於いては公然の事実として扱われている。但しこのクロは筆者に言わしむればシロに対するクロであり、
>周囲の人間が付けた差別の呼び名であると思える。然しその事はここでは論じない。
(中略)
>片野浦の村落は手打の港からほぼ3キロの距離にある。この片野浦の頂点に立つ人物はサカヤと呼ばれる。
>サカヤとはサクラメントの転訛であり、秘蹟あるいは秘蹟を行う者を意味する。このサカヤに現在は賢家(サカヤ)という文字をあてている。
>サカヤは世襲制度であり大毛家による万世一系によって継承されている。サカヤは、村に対して強大な支配権を握っている。
>このクロ教の村には厳重な掟があり、村以外の人間と結婚する事は許されない。殊に大毛家の場合、この律法は厳しい。
>サカヤの息子としてサカヤを継承しなければならなかった大毛三明氏は、片野浦から北東部へ山一つ越えた青瀬という海岸の青瀬小学校の代用教員を勤めていた。
>そこで女性教師と恋愛し結婚したばかりにサカヤ継承権を奪われ、大毛の名を剥奪されて村を追われた。
>現在、山下姓を名乗っている。山下三明氏(86才)、鹿児島に移住している。
>扨、この山下三明氏などが村を脱けた1つのケースであるが、この脱けによってクロ教の実体が少しずつ外部に漏れてきたのである。
>民俗調査というものは記録史料の不在によって不明な実体とその歴史を聞き取り調査によって明らかにしていく方法を採る。
>その場合、その取材先を公表できない事情もある。筆者の場合、その取材はまずはこの『脱け』に依っている。
>そのなかのもう1つのケースを挙げれば、かつて片野浦の住人であり現在は手打の町でT薬品を営む主人(大毛姓)である。
>もっと大きい取材源もあるが、それは後述する。
>現在のサカヤは女性、大毛久枝さん(年齢推測80才代)である。三明氏が脱けたばかりに男性継承者がいなくなり、姪の久枝さんが継承してサカヤの地位にある。
>いわば、女帝である。(中略)
>ではクロ宗はいかなる秘儀によって成立しているのか。その秘匿性はどこにあるのか。それは「生き胆とり」という秘儀の故であると言われている。
>この場合の生き胆とりとは、人間の臨終に際して即座に胸を切り開いて生き胆(心臓)(※やはり心臓だった!)を取り出すのだという。
>つまり供犠の儀礼である。神に捧げる生贄として心臓を切り取る。この儀礼を村人の死に立ち会うサカヤが執行する。
>この場合、カトリックという表層宗教が地上から隠れ、教会から離れて基層へと埋没していくとき、基層民俗の生贄の祭儀へと帰着していったのか。
>別の言い方をすれば、カトリックの深層に潜む供犠の宗教を帰趨としたのか。
>いろんな要素が重層しているが、もともと、鹿児島の基層土俗には「冷えもん取い」という習俗があった事が『鹿児島の昔話』に伝えられている。
クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察15
>藩政時代の鹿児島では処刑された犯罪人の生き肝を取る事が公認されていた。「冷えもん」とは肝の事である。
>現在の鹿児島市電の二軒茶屋停留所から山に入った所に、「サカセド刑場」があった。
>そこで行われるのが冷えもん取いである。打ち首によって首が刎ね落ちると、刑場をとりまく兵児は一斉に胴体に取りつき短刀で腹部を切り裂き肝を取り合った。
>鹿児島には特産の秘薬「浅山丸」があるが、それが「冷えもん」で作られたという。つまり兵児たちにとってはそれが臨時収入であったのである。
>それは同時に生贄として他人の命を救う秘薬となった。「浅山丸」は今もあるが、今日ではおそらくそれは鹿か何かの動物の肝であろう。
>ではクロ教の場合、供犠として切り出された心蔵はどうなるのか。「六神丸」になるのだと周囲の村はいう。
>何も驚く事はない。死んだ人間の蔵器が他人の病いを癒す。これは現代、正当化され行われている蔵器移植の類型である。
>サカヤは村を支配するほどに財産家であり資金力が豊かである。
>それであってこそサカヤとクロ宗は存続し得たのである。その財力は生き肝にあると言われている。
>こういう話はすべて「脱け」(註:村から追い出された人たちのこと)からの聞き取りである。
>そこで「脱け」以外からの、外の村の人間からの聞き取りも一つだけ挙げておく必要があるだろう。下甑村立の歴史民俗資料館の調査員氏である。
>彼の父親は大工であったという。手打の港から片野浦へ、屡(しばしば)、家を建てに通ったという。
>作業中のある日、死人が出たので棺桶を造ってくれと頼まれ寝棺を造った。
>見ていると入棺の儀式が何と畳を剥いで床下で行われたという。儀礼執行人が床下から這い上って来た時、何故か、全身が血痕で真っ赤に染まっていたという。
>そして一升瓶に詰められた血を見たという。昭和21年の事である。
>扨、この種の聞き取りをどれだけ積み重ねても実証性の保証には届かない。問題は受容された表層宗教が隠れという長い時間のなかで基層土俗へと沈殿する。
>この場合、宗教学の概念では「変容」と呼ばれて来た。だが基層土俗の内容は神秘という皮を一皮めくれば現世利益である。
>だからこの場合、変容ではなくて現世利益への「転換」ないしは「置換」と言える。要するにすり換えである。
>隠れ離れという条件の如何に関わらず、もともと日本人の一般的受容の態度はこの現世利益にある。
>信仰としてでなく文化としてしか受容しなかったとすれば、それは現世利益という現実的功利性の故である。
>生贄という秘儀には罪の贖いというより冷徹な現世利益がより深く絡まっている。
>藩政時代の鹿児島では処刑された犯罪人の生き肝を取る事が公認されていた。「冷えもん」とは肝の事である。
>現在の鹿児島市電の二軒茶屋停留所から山に入った所に、「サカセド刑場」があった。
>そこで行われるのが冷えもん取いである。打ち首によって首が刎ね落ちると、刑場をとりまく兵児は一斉に胴体に取りつき短刀で腹部を切り裂き肝を取り合った。
>鹿児島には特産の秘薬「浅山丸」があるが、それが「冷えもん」で作られたという。つまり兵児たちにとってはそれが臨時収入であったのである。
>それは同時に生贄として他人の命を救う秘薬となった。「浅山丸」は今もあるが、今日ではおそらくそれは鹿か何かの動物の肝であろう。
>ではクロ教の場合、供犠として切り出された心蔵はどうなるのか。「六神丸」になるのだと周囲の村はいう。
>何も驚く事はない。死んだ人間の蔵器が他人の病いを癒す。これは現代、正当化され行われている蔵器移植の類型である。
>サカヤは村を支配するほどに財産家であり資金力が豊かである。
>それであってこそサカヤとクロ宗は存続し得たのである。その財力は生き肝にあると言われている。
>こういう話はすべて「脱け」(註:村から追い出された人たちのこと)からの聞き取りである。
>そこで「脱け」以外からの、外の村の人間からの聞き取りも一つだけ挙げておく必要があるだろう。下甑村立の歴史民俗資料館の調査員氏である。
>彼の父親は大工であったという。手打の港から片野浦へ、屡(しばしば)、家を建てに通ったという。
>作業中のある日、死人が出たので棺桶を造ってくれと頼まれ寝棺を造った。
>見ていると入棺の儀式が何と畳を剥いで床下で行われたという。儀礼執行人が床下から這い上って来た時、何故か、全身が血痕で真っ赤に染まっていたという。
>そして一升瓶に詰められた血を見たという。昭和21年の事である。
>扨、この種の聞き取りをどれだけ積み重ねても実証性の保証には届かない。問題は受容された表層宗教が隠れという長い時間のなかで基層土俗へと沈殿する。
>この場合、宗教学の概念では「変容」と呼ばれて来た。だが基層土俗の内容は神秘という皮を一皮めくれば現世利益である。
>だからこの場合、変容ではなくて現世利益への「転換」ないしは「置換」と言える。要するにすり換えである。
>隠れ離れという条件の如何に関わらず、もともと日本人の一般的受容の態度はこの現世利益にある。
>信仰としてでなく文化としてしか受容しなかったとすれば、それは現世利益という現実的功利性の故である。
>生贄という秘儀には罪の贖いというより冷徹な現世利益がより深く絡まっている。
クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察16
>片野浦のクロ宗の徒は藩政時代は真言宗の檀徒であったという。この真言密教の持つ呪術性、秘儀性との習合も考えられるが、
>彼等はあくまでも隠れキリシタンである。真言宗の檀徒であったという事は寺請制度による強制でもあるが、キリシタンである事を隠す擬装であったと思える。
>ところが、片野浦のかつての天上墓のあった丘に対応する地点の平地に堂々たる浄土真宗本願寺派の本堂がそびえている。
>たった48戸の村にしては立派すぎる真宗寺院である。ここで、キリシタンと真言宗と浄土真宗という3つの重層が一挙に浮かび上がって来た。
>クロ教の村にそびえる浄土真宗の寺院は村の中心に位置する。寺院名は無名である。浄土真宗本願寺派片野浦説教所と称する。
>かつては隣村の青瀬の西楽寺の管轄する寺であったが、離島の小寺では食っていけない。そこで西楽寺住職は甑島を退転し、本土へ移っていった。
>そこで現在は手打の法雲寺が片野浦の依頼によって肩代わりしている。つまり法雲寺住職・井芹大心師がクロ宗の人々の仏事法要、
>更には片野浦の本堂での報恩講を勤めている。
>然し、それは形だけであり、法雲寺住職が彼等の寺の運営や寺の法要スケジュールそのものに口出しする事は頑として拒否される。
>彼等が浄土真宗の門徒であるのは昼の時間だ。夜の時間になればクロ宗という秘儀の世界へ帰って行く。
>では誰がこの寺を建てたのか。
>サカヤの大毛家が土地を提供し、建築資金のすべてを賄ったという。それほどにサカヤには財力がある。
>かつてこの寺を管轄していた青瀬の西楽寺も表向きはクロ教に雇われていたにすぎない。西楽寺の管轄は行政上の名義にすぎない。
>この場合、名義とはクロ宗である事を隠す擬装工作でもある。というより重層体系の典型的な例証がここにはある。
(中略)
>では、隠れキリシタンの末裔であるクロ宗が何故、浄土真宗なのか。
>キリシタンと同時に弾圧を受け続け禁じられて来たのが浄土真宗である。日本列島は地域によって、その禁圧と容認の仕方が可成り違ってくるが、
>鹿児島では1500年代の初めから明治9年に至るまで浄土真宗は禁じられていた。そこで浄土真宗の門徒は隠れキリシタンと同様に、
>隠れ念仏(※前スレ>>216〜218を参照せよ)の徒となって秘密の講のもとに結集し信心を相続した。
>島津藩の採った弾圧の方法は凄惨で、一村丸潰しという藩の経済損失と引換にしてまで敢行された。
>隠れキリシタンと隠れ念仏と、公権力によって同じように禁圧され、隠れざるを得なかった「隠れるもの同士」が歴史の底の何処かで繋がり合う事はなかったろうか。
>片野浦のクロ宗の徒は藩政時代は真言宗の檀徒であったという。この真言密教の持つ呪術性、秘儀性との習合も考えられるが、
>彼等はあくまでも隠れキリシタンである。真言宗の檀徒であったという事は寺請制度による強制でもあるが、キリシタンである事を隠す擬装であったと思える。
>ところが、片野浦のかつての天上墓のあった丘に対応する地点の平地に堂々たる浄土真宗本願寺派の本堂がそびえている。
>たった48戸の村にしては立派すぎる真宗寺院である。ここで、キリシタンと真言宗と浄土真宗という3つの重層が一挙に浮かび上がって来た。
>クロ教の村にそびえる浄土真宗の寺院は村の中心に位置する。寺院名は無名である。浄土真宗本願寺派片野浦説教所と称する。
>かつては隣村の青瀬の西楽寺の管轄する寺であったが、離島の小寺では食っていけない。そこで西楽寺住職は甑島を退転し、本土へ移っていった。
>そこで現在は手打の法雲寺が片野浦の依頼によって肩代わりしている。つまり法雲寺住職・井芹大心師がクロ宗の人々の仏事法要、
>更には片野浦の本堂での報恩講を勤めている。
>然し、それは形だけであり、法雲寺住職が彼等の寺の運営や寺の法要スケジュールそのものに口出しする事は頑として拒否される。
>彼等が浄土真宗の門徒であるのは昼の時間だ。夜の時間になればクロ宗という秘儀の世界へ帰って行く。
>では誰がこの寺を建てたのか。
>サカヤの大毛家が土地を提供し、建築資金のすべてを賄ったという。それほどにサカヤには財力がある。
>かつてこの寺を管轄していた青瀬の西楽寺も表向きはクロ教に雇われていたにすぎない。西楽寺の管轄は行政上の名義にすぎない。
>この場合、名義とはクロ宗である事を隠す擬装工作でもある。というより重層体系の典型的な例証がここにはある。
(中略)
>では、隠れキリシタンの末裔であるクロ宗が何故、浄土真宗なのか。
>キリシタンと同時に弾圧を受け続け禁じられて来たのが浄土真宗である。日本列島は地域によって、その禁圧と容認の仕方が可成り違ってくるが、
>鹿児島では1500年代の初めから明治9年に至るまで浄土真宗は禁じられていた。そこで浄土真宗の門徒は隠れキリシタンと同様に、
>隠れ念仏(※前スレ>>216〜218を参照せよ)の徒となって秘密の講のもとに結集し信心を相続した。
>島津藩の採った弾圧の方法は凄惨で、一村丸潰しという藩の経済損失と引換にしてまで敢行された。
>隠れキリシタンと隠れ念仏と、公権力によって同じように禁圧され、隠れざるを得なかった「隠れるもの同士」が歴史の底の何処かで繋がり合う事はなかったろうか。
クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察17
……引用ここまで。今回はあえて主観を排した形で締めくくる。この報告書がどれほどまで信憑性があるのかわからないが、
荒唐無稽の一言で片づけるにしては迫真性が漲っている。
興味ある方は下記リンクのサイト(●印のところ。[PDF]隠れキリシタンと隠れ念仏 米村竜治)を閲覧されたし。
全文を読むことができる。そこで判断願いたい。
ちなみに、人の胆で作った薬『浅山丸(あさやまがん)』とは、江戸時代に死刑囚の首を切るという職業を代々継いでいた山田浅右衛門が、
内職として作っていた肺病の薬。金2分で売っていたらしい。
その薬は、首を切り落とした死刑囚の体温がまだ暖かいうちに、みぞおちの当たりを切開し、その傷口から手を入れて胆嚢を引き出したあと小刀で切り離し、
胆汁がこぼれないように切り口を糸で固く縛り、それを陰干しにして、乾燥したらケシ粒ほどの丸薬に加工したものだという。
山田家では、別棟で、それ専用の肝蔵(きもぐら)が建ててあり、夜ごと浮かばれぬ幽霊が出たとかどうとかまことしやかに伝えられている。
また、雲霧仁左衛門、鼠小僧次郎吉、日本左衛門などの巨盗を切った時には、「さぞかし肝が強いだろう」といって、買い手が殺到したとか。
なお浅右衛門は、夜寝床に入ると首の化け物に襲われるというので、女どもに三味線などを弾かせて夜を明かし、明け方からようやく寝付く習慣になった。
したがって、家計簿の支出では油代が一番多かったという逸話が残されている。
山田家は他にも、人間の肝臓や脳を原料とし、労咳に効くといわれる丸薬を製造していた。これらは山田丸・浅右衛門丸・人胆などの名で販売され、
山田浅右衛門家は莫大な収入を得ていた。また、遊女の約束用として死体の小指を売却することもあったという。
……これまでくり返し唱えてきたが、離島とは四方を海で閉ざされた空間だ。生産から死まで自己完結される小世界のなかで独自の異質な文化が発生し、
長い時間をかけて発酵していき、内地のソレとかけ離れてしまうことが、ままある。
つくづくこの世は、理性で片づくものばかりではないことを思い知らされる。
……引用ここまで。今回はあえて主観を排した形で締めくくる。この報告書がどれほどまで信憑性があるのかわからないが、
荒唐無稽の一言で片づけるにしては迫真性が漲っている。
興味ある方は下記リンクのサイト(●印のところ。[PDF]隠れキリシタンと隠れ念仏 米村竜治)を閲覧されたし。
全文を読むことができる。そこで判断願いたい。
ちなみに、人の胆で作った薬『浅山丸(あさやまがん)』とは、江戸時代に死刑囚の首を切るという職業を代々継いでいた山田浅右衛門が、
内職として作っていた肺病の薬。金2分で売っていたらしい。
その薬は、首を切り落とした死刑囚の体温がまだ暖かいうちに、みぞおちの当たりを切開し、その傷口から手を入れて胆嚢を引き出したあと小刀で切り離し、
胆汁がこぼれないように切り口を糸で固く縛り、それを陰干しにして、乾燥したらケシ粒ほどの丸薬に加工したものだという。
山田家では、別棟で、それ専用の肝蔵(きもぐら)が建ててあり、夜ごと浮かばれぬ幽霊が出たとかどうとかまことしやかに伝えられている。
また、雲霧仁左衛門、鼠小僧次郎吉、日本左衛門などの巨盗を切った時には、「さぞかし肝が強いだろう」といって、買い手が殺到したとか。
なお浅右衛門は、夜寝床に入ると首の化け物に襲われるというので、女どもに三味線などを弾かせて夜を明かし、明け方からようやく寝付く習慣になった。
したがって、家計簿の支出では油代が一番多かったという逸話が残されている。
山田家は他にも、人間の肝臓や脳を原料とし、労咳に効くといわれる丸薬を製造していた。これらは山田丸・浅右衛門丸・人胆などの名で販売され、
山田浅右衛門家は莫大な収入を得ていた。また、遊女の約束用として死体の小指を売却することもあったという。
……これまでくり返し唱えてきたが、離島とは四方を海で閉ざされた空間だ。生産から死まで自己完結される小世界のなかで独自の異質な文化が発生し、
長い時間をかけて発酵していき、内地のソレとかけ離れてしまうことが、ままある。
つくづくこの世は、理性で片づくものばかりではないことを思い知らされる。
クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察18
N.E.U.T.R.A.L「B級スポット」不覚にも秘密結社の村「クロ宗」に萌えてしまった
http://neutral-neutral.com/archives/187...
excite世界びっくりニュース TVディレクターが語った、鹿児島の離島に伝わる「クロ宗」と"死の儀式"
http://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201503_post_59...
●[PDF]隠れキリシタンと隠れ念仏 米村竜治
http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/niso/1998-...
RAPT イエズス会と真言密教と浄土真宗と人肉食信仰「クロ宗」の奇妙な接点。フランシスコ・ザビエルを日本に招いた「ヤジロウ」から分かる悪魔教の現実。
http://rapt-neo.com/?p=2788...
ヤジロウwikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B8%E3%83%...
じじい見習いのアウトドア日記 ヤジロウの墓
http://blogs.yahoo.co.jp/trout2009jp/66867414.htm...
山田浅右衛門wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%B5%...
読書日記 『落合論文』陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(2)
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-81.htm...
六神丸wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%A5%9E%E4%B8%...
熊胆wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%83%8...
碧い世界 薩摩のひえもんとり
http://aoisekai487.blog7.fc2.com/blog-entry-683.htm...
鹿児島の市電と街その4 涙橋電停〜谷山電停
http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/cityview4.htm...
Googleマップ 下甑島・片野浦の集落
http://urx3.nu/lRc...
Googleマップ 下甑島・片野浦の集落
http://urx3.nu/lRd...
※>>166で「島民と島そのものを貶める云々、島の名誉を守らねばなるまい」と書いておきながら、掌を返すようなこんな仕打ちとは鬼畜の所業ですね。
N.E.U.T.R.A.L「B級スポット」不覚にも秘密結社の村「クロ宗」に萌えてしまった
http://neutral-neutral.com/archives/187...
excite世界びっくりニュース TVディレクターが語った、鹿児島の離島に伝わる「クロ宗」と"死の儀式"
http://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201503_post_59...
●[PDF]隠れキリシタンと隠れ念仏 米村竜治
http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/niso/1998-...
RAPT イエズス会と真言密教と浄土真宗と人肉食信仰「クロ宗」の奇妙な接点。フランシスコ・ザビエルを日本に招いた「ヤジロウ」から分かる悪魔教の現実。
http://rapt-neo.com/?p=2788...
ヤジロウwikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B8%E3%83%...
じじい見習いのアウトドア日記 ヤジロウの墓
http://blogs.yahoo.co.jp/trout2009jp/66867414.htm...
山田浅右衛門wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%B5%...
読書日記 『落合論文』陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(2)
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-81.htm...
六神丸wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%A5%9E%E4%B8%...
熊胆wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%83%8...
碧い世界 薩摩のひえもんとり
http://aoisekai487.blog7.fc2.com/blog-entry-683.htm...
鹿児島の市電と街その4 涙橋電停〜谷山電停
http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/cityview4.htm...
Googleマップ 下甑島・片野浦の集落
http://urx3.nu/lRc...
Googleマップ 下甑島・片野浦の集落
http://urx3.nu/lRd...
※>>166で「島民と島そのものを貶める云々、島の名誉を守らねばなるまい」と書いておきながら、掌を返すようなこんな仕打ちとは鬼畜の所業ですね。
宗像の沖ノ島が世界文化遺産に登録されるといいですね。端島といい、ついに「島」の時代の到来が来そうな予感。
ある意味、時代を先取りしてたスレだったかも?
だけど沖ノ島は女人禁制で、しかも1年に一度、たった200人しか入島できない制限があるんですよね。
観光客誘致となると、そこをどう解決するかが問題・・・
ある意味、時代を先取りしてたスレだったかも?
だけど沖ノ島は女人禁制で、しかも1年に一度、たった200人しか入島できない制限があるんですよね。
観光客誘致となると、そこをどう解決するかが問題・・・
腐乱死体と隣り合わせ……風葬の村 バリ島トルニャン村
バリ島の東北部にはバトゥール湖があり、その東岸にトルニャン村と呼ばれる小集落がある。
ここではバリ・アガと呼ばれる先住民族が暮らし、彼らはヒンドゥー教徒でありながら遺体を火葬することはなく、
未婚者は土葬にし、既婚者、天寿をまっとうした者は風葬という形で送る葬送儀礼がある。
とくに後者の風葬の場合、遺体は村の郊外の安置所に、野ざらしのまま放置。
遺体には獣が荒らすのを防ぐため、竹と椰子の葉で編んだカゴをかぶせているだけ。手前には故人が生前の愛用品が置かれる。
そして自然にまかせ、やがて肉体が朽ちて白骨化するのを待つ。
遺体置き場のそばには香木が立っており、腐敗臭を打ち消すのだという。その後、骨になると頭蓋骨だけ石段に並べられ、他の部位の骨はひとまとめにされる。
トルニャン村では死後の肉体は大地へと返すべき、という考え方がある。彼らにとって風葬は、自分がきちんと正しく生きた証でもあるのだ。
TOCANA 神秘なる人骨-生と死が共存するバリ島最後の秘境「風葬の村」トルニャン
http://tocana.jp/2013/12/post_3403_entry.htm...
4travel.jp 風葬の村トルニャン
http://4travel.jp/travelogue/1049584...
バリ島の東北部にはバトゥール湖があり、その東岸にトルニャン村と呼ばれる小集落がある。
ここではバリ・アガと呼ばれる先住民族が暮らし、彼らはヒンドゥー教徒でありながら遺体を火葬することはなく、
未婚者は土葬にし、既婚者、天寿をまっとうした者は風葬という形で送る葬送儀礼がある。
とくに後者の風葬の場合、遺体は村の郊外の安置所に、野ざらしのまま放置。
遺体には獣が荒らすのを防ぐため、竹と椰子の葉で編んだカゴをかぶせているだけ。手前には故人が生前の愛用品が置かれる。
そして自然にまかせ、やがて肉体が朽ちて白骨化するのを待つ。
遺体置き場のそばには香木が立っており、腐敗臭を打ち消すのだという。その後、骨になると頭蓋骨だけ石段に並べられ、他の部位の骨はひとまとめにされる。
トルニャン村では死後の肉体は大地へと返すべき、という考え方がある。彼らにとって風葬は、自分がきちんと正しく生きた証でもあるのだ。
TOCANA 神秘なる人骨-生と死が共存するバリ島最後の秘境「風葬の村」トルニャン
http://tocana.jp/2013/12/post_3403_entry.htm...
4travel.jp 風葬の村トルニャン
http://4travel.jp/travelogue/1049584...
ここまでを振り返り、ちょっと補足を。
当スレを象徴する>>1のサムネの仏島って、単に『潮仏』なのか? 潮仏は主として志摩半島に分布し、対する仏島はすぐお隣りの三河湾だし、
伝播しても不思議ではない。潮仏は海中に祀られた石仏であり、満ち潮の際は水中に没し、干潮時にはその姿を現す。
自らが潮に濡れて苦しみを引き受けることにより、腰から下の病気を治すと信仰されており、志摩の海女たちが参るそうだ。
となると、前スレ>>188の伝説は後付けの可能性があるかも? ……詳細はつかめず。
>>207の菅島での海女の話で、海中で出会う怪異『トモカヅキ』は、低酸素症と疲労によるサードマン現象(別スレttp://bbs50.meiwasuisan.com/kaiki/1419652014/l50)
だろうね。
それはそうと、>>213のクロ宗の『秘蹟』から派生した類似の話にも触れておこう。
『カルト』『秘密結社』のキーワードでクロ宗と共通点が見つかったものがあった。それがロシアの異端『フルイストゥイ』派である。
フルイストゥイ派とは、18世紀初頭、ロシアのヴォルガ河上流にある一寒村から発祥し、ロシア全土に拡散したキリスト教系の異端の秘密結社だ。
帝政ロシア末期にあらわれた怪僧ラスプーチンも33歳のときに入信し、熱心に信仰したほど。
彼らは正教会の礼拝式にも出席するが、それとは別に身内で秘密の集会を開き、そこで特殊な宗教的法悦を得ようとする。
フルイストゥイ派の秘密の礼拝は、主として『ラディエニエ』(献身、熱情の意)と称する儀式で、基本的な形式は法悦を得るための狂熱的な一種の舞踊であった。
時としてこの儀式は暗闇のなかで、いかがわしい集団的な性の饗宴にまでに発展。またごく稀に、儀式としての殺人が行われることもあったとされている。
『ボゴロディチャ』(神の母)の地位に昇進した未婚の若い娘が、出産した男子をキリストの再来と見なし、誕生後8日目に殺害するのだという。
その血と心臓を小麦粉と蜜に混ぜ、これで奇怪な聖体拝受のための聖餐のパンを作るのだとか……。
『フルイストゥイ』とは鞭で打つという意味であり、「救済を得るために罪を犯すべし」という意味不明の原理であった。
つまり人は罪を犯せば犯すほど、それだけ深く悔い改めることができる、という人間性のパラドックスの上に立った、奇怪であり、古風な信仰だったという。
いずれにせよ、怪しいカルト宗教は、稀に常軌を逸したことをやることがあるってことが言いたいのだ。
あ痛、>>217で『隠れ念仏(※前スレ>>216〜218を参照せよ)』と書いたが、正確には『隠し念仏』だった。この2つは似て非なると書いておきながら自爆。
>>220既出ではない。どうもその手はいかがわしくてスルーしていただけ。
伊勢志摩きらり千選 御座の潮仏(志摩市志摩町御座)
http://www.kirari1000.com/www.kirari1000.com.base_data.b...
当スレを象徴する>>1のサムネの仏島って、単に『潮仏』なのか? 潮仏は主として志摩半島に分布し、対する仏島はすぐお隣りの三河湾だし、
伝播しても不思議ではない。潮仏は海中に祀られた石仏であり、満ち潮の際は水中に没し、干潮時にはその姿を現す。
自らが潮に濡れて苦しみを引き受けることにより、腰から下の病気を治すと信仰されており、志摩の海女たちが参るそうだ。
となると、前スレ>>188の伝説は後付けの可能性があるかも? ……詳細はつかめず。
>>207の菅島での海女の話で、海中で出会う怪異『トモカヅキ』は、低酸素症と疲労によるサードマン現象(別スレttp://bbs50.meiwasuisan.com/kaiki/1419652014/l50)
だろうね。
それはそうと、>>213のクロ宗の『秘蹟』から派生した類似の話にも触れておこう。
『カルト』『秘密結社』のキーワードでクロ宗と共通点が見つかったものがあった。それがロシアの異端『フルイストゥイ』派である。
フルイストゥイ派とは、18世紀初頭、ロシアのヴォルガ河上流にある一寒村から発祥し、ロシア全土に拡散したキリスト教系の異端の秘密結社だ。
帝政ロシア末期にあらわれた怪僧ラスプーチンも33歳のときに入信し、熱心に信仰したほど。
彼らは正教会の礼拝式にも出席するが、それとは別に身内で秘密の集会を開き、そこで特殊な宗教的法悦を得ようとする。
フルイストゥイ派の秘密の礼拝は、主として『ラディエニエ』(献身、熱情の意)と称する儀式で、基本的な形式は法悦を得るための狂熱的な一種の舞踊であった。
時としてこの儀式は暗闇のなかで、いかがわしい集団的な性の饗宴にまでに発展。またごく稀に、儀式としての殺人が行われることもあったとされている。
『ボゴロディチャ』(神の母)の地位に昇進した未婚の若い娘が、出産した男子をキリストの再来と見なし、誕生後8日目に殺害するのだという。
その血と心臓を小麦粉と蜜に混ぜ、これで奇怪な聖体拝受のための聖餐のパンを作るのだとか……。
『フルイストゥイ』とは鞭で打つという意味であり、「救済を得るために罪を犯すべし」という意味不明の原理であった。
つまり人は罪を犯せば犯すほど、それだけ深く悔い改めることができる、という人間性のパラドックスの上に立った、奇怪であり、古風な信仰だったという。
いずれにせよ、怪しいカルト宗教は、稀に常軌を逸したことをやることがあるってことが言いたいのだ。
あ痛、>>217で『隠れ念仏(※前スレ>>216〜218を参照せよ)』と書いたが、正確には『隠し念仏』だった。この2つは似て非なると書いておきながら自爆。
>>220既出ではない。どうもその手はいかがわしくてスルーしていただけ。
伊勢志摩きらり千選 御座の潮仏(志摩市志摩町御座)
http://www.kirari1000.com/www.kirari1000.com.base_data.b...
>>222
端島に続き、ついに時代が追いついたってか。8月2日の日曜放送の所ジョージ司会の『目がテン!』でも青ヶ島の特集、やってたしね。
沖ノ島については前スレ>>10で早々書いたので、二度も説明するまでもあるまい。強いて言えば、沖ノ島は厳格なしきたりが現在も残され、
世界遺産に登録された暁には観光客が押し寄せると予想されるが、頑なに伝統を守ってほしい。
そのしきたりとは列挙しただけでもこんなにある。①『不言様』(おいわずさま・島で見たり聞いたりしたことを、口外することは許されない)、
②一木一草一石たりとも持ち出せず(ただし島内の湧き水は例外)、③入島する際は、一糸まとわぬ姿になって海水で禊をしなくてはならない、
④女人禁制(島内にある宗像大社沖津宮では、宗像三女神の田心姫神を祀っているが、これが女人に嫉妬するため)、⑤島内での不浄、汚穢(大小便)は一切禁止、
withnews 沖ノ島、女人禁制・裸でみそぎ 本気で守られている「しきたり」
http://withnews.jp/article/f0150729001qq000000000...
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群を世界遺産に
http://www.okinoshima-heritage.jp/
女人禁制wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E4%BA%BA%E7%A6%...
宗像三女神wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E4%B8%...
端島に続き、ついに時代が追いついたってか。8月2日の日曜放送の所ジョージ司会の『目がテン!』でも青ヶ島の特集、やってたしね。
沖ノ島については前スレ>>10で早々書いたので、二度も説明するまでもあるまい。強いて言えば、沖ノ島は厳格なしきたりが現在も残され、
世界遺産に登録された暁には観光客が押し寄せると予想されるが、頑なに伝統を守ってほしい。
そのしきたりとは列挙しただけでもこんなにある。①『不言様』(おいわずさま・島で見たり聞いたりしたことを、口外することは許されない)、
②一木一草一石たりとも持ち出せず(ただし島内の湧き水は例外)、③入島する際は、一糸まとわぬ姿になって海水で禊をしなくてはならない、
④女人禁制(島内にある宗像大社沖津宮では、宗像三女神の田心姫神を祀っているが、これが女人に嫉妬するため)、⑤島内での不浄、汚穢(大小便)は一切禁止、
withnews 沖ノ島、女人禁制・裸でみそぎ 本気で守られている「しきたり」
http://withnews.jp/article/f0150729001qq000000000...
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群を世界遺産に
http://www.okinoshima-heritage.jp/
女人禁制wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E4%BA%BA%E7%A6%...
宗像三女神wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E4%B8%...
日本で1つだけ、『○○島』と名付けるには畏れ多い霊島 金華山
またしても悪い癖でログサイズが500KBに迫りつつあり、そろそろ当スレも終わりを迎えようとしている。
だとすれば、有終の美を飾るにふさわしい島々を紹介せねばなるまい。
福岡県宗像市の沖ノ島が厳格なしきたりを続けているが、実は東北にも多少は緩和されたとはいえ、信仰の篤い『神の島』が存在する。
それが宮城県石巻市の太平洋上に超然と浮かぶ有人島、金華山である。面積10.28km2、周囲17.3km、人口は6人。
島でありながら日本の島の中で『島』と名がつかないのは金華山だけだ。定説はないが、○○島と名付けるには畏れ多い場所で、
信仰の対象となるのはその『山』であるため、呼び名としての位は『島』よりも、『山』の方が格上だったからと言われている。
金華山は島全体が黄金山神社の神域となっており、地場の信仰の対象として知られ、恐山、出羽三山と並ぶ『奥州三霊場』に数えられる。
では黄金山神社は、どんな神を祀ってあるのか?
今からおよそ1260年遡ること天平21(749)年、陸奥国小田郡の金鉱で多くの金が採掘されたことにより、その金が朝廷に献納され、
聖武天皇がみずから奈良東大寺で一大祝賀式を設けた。
そのため金華山には鉱山の神である金山毘古神(かなやまひこのかみ)と金山毘賣神(かなやまひめのかみ)の2神が御祭神として祀られた。
それゆえ金にまつわるというところから、3年続けてこの神社に参拝すると生涯お金には不自由しないで暮らすことができると信じられた。
とはいえ近年の地質調査により「金華山は花崗岩でできた島」ということがわかっており、地質から考えて島で金が採れた可能性は低く、
むしろ金華山近くの、鮎川金山などから産出した金だったのではないかとも推測される。
万葉の歌人・大伴家持が残したこんな歌がある。『天皇(すめろぎ)の 御代(みよ)栄えむ東(あずま)なる 陸奥の山に 黄金花咲く』
この時代は金華山が陸奥の代名詞とされており、混同されたのではないか。いずれにせよ、金華山と直接『金』は関係がなかった。
しかし、牡鹿半島の豪族たちの権力により、あえて黄金のイメージを金華山に託して黄金山神社として祀ったのであろう。
神仏習合の時代になると、金華山は修験道の霊場となる。山全体を御神体とし、その中に鎮座する磐座(いわくら)を祀って聖域としてきたのである。
その後、藤原秀衡により建立された別当寺の金華山大金寺は、弁財天を守護神として明治期の廃仏毀釈で廃寺となるまで多くの信仰を集め、
江戸時代の長きにわたって弁財天の金華山信仰という民間信仰を開花させた。
明治以前まで、金華山は女人禁制の島だった。それを比較すれば、沖ノ島のしきたりはよく頑張っていると思う。
女人禁制の掟が厳しかった昔、牡鹿半島に住む亀という名前の女が禁制を犯して海を泳いで金華山へ渡ったところ、
神の怒りに触れて突然石になってしまったとも伝えられている。その『亀石』は、現在も金華山の港に佇んでいる。
また金華山への参拝を終えて帰るときは、金華山で履いた草履は島に脱ぎ置き、対岸に着くと新しい草履に履き替え、本土の土を踏んだとされている。
神聖なる金華山の神が、島の一木一草一石にいたるまで、たとえ島の土粒たりとも島外に出ていくことを嫌うからこんな因習が生まれたそうだ。
みちのくにやま 黄金花咲く金華山 霊島金華山黄金山神社
http://kinkasan.jp/
白い国の詩 東北の動物たち 金華山信仰と神鹿
http://www.tohoku-epco.co.jp/shiro/08_10/05doubutu/index.ht...
玄松子の祭神記 金山彦神・金山姫神
http://www.genbu.net/saijin/kanayamahiko.ht...
宮城県復興応援ブログ ココロ??プレス 12年に1度の御本殿御開扉巳歳御縁年大祭 前編(石巻市金華山、女川町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/05/12-1.htm...
またしても悪い癖でログサイズが500KBに迫りつつあり、そろそろ当スレも終わりを迎えようとしている。
だとすれば、有終の美を飾るにふさわしい島々を紹介せねばなるまい。
福岡県宗像市の沖ノ島が厳格なしきたりを続けているが、実は東北にも多少は緩和されたとはいえ、信仰の篤い『神の島』が存在する。
それが宮城県石巻市の太平洋上に超然と浮かぶ有人島、金華山である。面積10.28km2、周囲17.3km、人口は6人。
島でありながら日本の島の中で『島』と名がつかないのは金華山だけだ。定説はないが、○○島と名付けるには畏れ多い場所で、
信仰の対象となるのはその『山』であるため、呼び名としての位は『島』よりも、『山』の方が格上だったからと言われている。
金華山は島全体が黄金山神社の神域となっており、地場の信仰の対象として知られ、恐山、出羽三山と並ぶ『奥州三霊場』に数えられる。
では黄金山神社は、どんな神を祀ってあるのか?
今からおよそ1260年遡ること天平21(749)年、陸奥国小田郡の金鉱で多くの金が採掘されたことにより、その金が朝廷に献納され、
聖武天皇がみずから奈良東大寺で一大祝賀式を設けた。
そのため金華山には鉱山の神である金山毘古神(かなやまひこのかみ)と金山毘賣神(かなやまひめのかみ)の2神が御祭神として祀られた。
それゆえ金にまつわるというところから、3年続けてこの神社に参拝すると生涯お金には不自由しないで暮らすことができると信じられた。
とはいえ近年の地質調査により「金華山は花崗岩でできた島」ということがわかっており、地質から考えて島で金が採れた可能性は低く、
むしろ金華山近くの、鮎川金山などから産出した金だったのではないかとも推測される。
万葉の歌人・大伴家持が残したこんな歌がある。『天皇(すめろぎ)の 御代(みよ)栄えむ東(あずま)なる 陸奥の山に 黄金花咲く』
この時代は金華山が陸奥の代名詞とされており、混同されたのではないか。いずれにせよ、金華山と直接『金』は関係がなかった。
しかし、牡鹿半島の豪族たちの権力により、あえて黄金のイメージを金華山に託して黄金山神社として祀ったのであろう。
神仏習合の時代になると、金華山は修験道の霊場となる。山全体を御神体とし、その中に鎮座する磐座(いわくら)を祀って聖域としてきたのである。
その後、藤原秀衡により建立された別当寺の金華山大金寺は、弁財天を守護神として明治期の廃仏毀釈で廃寺となるまで多くの信仰を集め、
江戸時代の長きにわたって弁財天の金華山信仰という民間信仰を開花させた。
明治以前まで、金華山は女人禁制の島だった。それを比較すれば、沖ノ島のしきたりはよく頑張っていると思う。
女人禁制の掟が厳しかった昔、牡鹿半島に住む亀という名前の女が禁制を犯して海を泳いで金華山へ渡ったところ、
神の怒りに触れて突然石になってしまったとも伝えられている。その『亀石』は、現在も金華山の港に佇んでいる。
また金華山への参拝を終えて帰るときは、金華山で履いた草履は島に脱ぎ置き、対岸に着くと新しい草履に履き替え、本土の土を踏んだとされている。
神聖なる金華山の神が、島の一木一草一石にいたるまで、たとえ島の土粒たりとも島外に出ていくことを嫌うからこんな因習が生まれたそうだ。
みちのくにやま 黄金花咲く金華山 霊島金華山黄金山神社
http://kinkasan.jp/
白い国の詩 東北の動物たち 金華山信仰と神鹿
http://www.tohoku-epco.co.jp/shiro/08_10/05doubutu/index.ht...
玄松子の祭神記 金山彦神・金山姫神
http://www.genbu.net/saijin/kanayamahiko.ht...
宮城県復興応援ブログ ココロ??プレス 12年に1度の御本殿御開扉巳歳御縁年大祭 前編(石巻市金華山、女川町)
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ヤドカリ葬は実在するのか? その考察1
前スレが産声をあげたのは2011年4月。当スレを合わせると4年と5ヶ月にわたり、スレの私物化も甚だしく、
長らく明和水産管理人様および皆様のお目汚し失礼してきた。この場をお借り、お詫び申し上げる。
当スレも容量の都合上、ついに今回で最終回と相成る。と言っても感傷は不要。粛々と島ネタを提示するのみだ。
さて、前スレ>>133で「ヤドカリ葬に関して鋭意調査中」と軽々しくも書いておきながらずいぶん時間が経ってしまった。
調査中と言ってしまった手前、この課題はきっちりとカタをつけなければなるまい。
島の秘密の風習やタブーを追っていると、必ず突き当たるのが『クロ宗』と『ヤドカリ葬』だった。
クロ宗に関してはさんざっぱら追究したつもりだから、これでよしとしよう。となると、某島で秘密裏に行われているという『ヤドカリ葬』の件である。
ヤドカリ葬とは読んで字のごとく、人間の遺体をチベットの鳥葬みたく、ヤドカリの群れに食べさせる葬送儀礼であろうことは想像できる。
はたして現行法(墓埋法)に触れるような、奇怪かつ野蛮とも思える風習がこの現代日本に存在するというのか?
下世話な某雑誌によると、まことしやかにこの記述が見られ、信じ難いと眉をひそめつつも、むしろ火のないところに煙は立たないはずだ。
某雑誌記者はどこからネタを仕入れたのかと疑問があった。必ずや源泉があるに違いない。
いくらネット世界は広しといえど尻尾をつかめず難航していたが、おぼろげながら輪郭がつかめるようにまでなったので、ざっくり書いてみる。
この検証をするにあたり、ある意味『怖い島』の総決算となろう。ただし容量の関係もあり、いくつもの長文レスを重ねるわけにはいかない。
かなり駆け足の、これまでとは異なる不親切なやり方でアプローチすることになる。せめて★マークをつけたところだけは刮目して欲しい。
ヤドカリ葬の記述が見られる資料は、当スレ>>166で明かした①宙出版『実録 怖い島・伝説の奇祭編』の誌上および、②漫画実話ナックルズ特別編集
『死ぬかと思った絶叫体験SPECIAL』(①②は漫画)、DVD化されている③『恐い動画 投稿&心霊地帯スペシャル2』の1編にすぎない。
これらは似たり寄ったりの情報が羅列しているため、いずれかに触発されて流用されたネタだと思われる。
この3点の、下衆で眉唾モノの媒体を鵜呑みするのは愚かしいことだが(ましてや1つはナックルズw)、異様に興味をソソられる内容ではある。軽くその概略に触れよう。
以下、資料①の要約。
奄美地方の一部集落では風葬以外の『自然葬』も行われていたという報告がある。現行法では法に触れる恐れがあり、現在では行われていないというが、
本土から遠く離れている島々では、今もなお語り継がれている奇習がある。
その奇習が『ヤドカリ葬』と呼ばれるもの。奄美全域で行われた風葬とは異なり、『とある島だけ』に残った信仰と風習が反映された葬儀様式。
『ヤドカリ葬』はチベット仏教やインドのゾロアスター教といった宗教葬儀で行われている鳥葬と様式的に似ている。鳥葬は葬儀後、遺体を郊外の荒地に運び、
それを裁断し断片化しハゲワシなどの鳥類の餌とさせるのだが、ヤドカリ葬もヤドカリが集まるところへ遺体を放置し、ヤドカリに食べさせる葬儀様式である。
この地方のヤドカリは『アマン』と呼ばれ、神聖視された生き物である。わけても岬にそそり立つ岩礁を神の姿に見立て『立神』と呼び、古くから信仰の対象としてきた。
奄美地方だけでなく、トカラ列島、大隅諸島でもこの『立神』を発見することができるが、ヤドカリ葬を行うこの岩礁を神聖なる場所と定めてニャーデバナと呼び、
『天に通じる島』として畏れ敬っていたという。
前スレが産声をあげたのは2011年4月。当スレを合わせると4年と5ヶ月にわたり、スレの私物化も甚だしく、
長らく明和水産管理人様および皆様のお目汚し失礼してきた。この場をお借り、お詫び申し上げる。
当スレも容量の都合上、ついに今回で最終回と相成る。と言っても感傷は不要。粛々と島ネタを提示するのみだ。
さて、前スレ>>133で「ヤドカリ葬に関して鋭意調査中」と軽々しくも書いておきながらずいぶん時間が経ってしまった。
調査中と言ってしまった手前、この課題はきっちりとカタをつけなければなるまい。
島の秘密の風習やタブーを追っていると、必ず突き当たるのが『クロ宗』と『ヤドカリ葬』だった。
クロ宗に関してはさんざっぱら追究したつもりだから、これでよしとしよう。となると、某島で秘密裏に行われているという『ヤドカリ葬』の件である。
ヤドカリ葬とは読んで字のごとく、人間の遺体をチベットの鳥葬みたく、ヤドカリの群れに食べさせる葬送儀礼であろうことは想像できる。
はたして現行法(墓埋法)に触れるような、奇怪かつ野蛮とも思える風習がこの現代日本に存在するというのか?
下世話な某雑誌によると、まことしやかにこの記述が見られ、信じ難いと眉をひそめつつも、むしろ火のないところに煙は立たないはずだ。
某雑誌記者はどこからネタを仕入れたのかと疑問があった。必ずや源泉があるに違いない。
いくらネット世界は広しといえど尻尾をつかめず難航していたが、おぼろげながら輪郭がつかめるようにまでなったので、ざっくり書いてみる。
この検証をするにあたり、ある意味『怖い島』の総決算となろう。ただし容量の関係もあり、いくつもの長文レスを重ねるわけにはいかない。
かなり駆け足の、これまでとは異なる不親切なやり方でアプローチすることになる。せめて★マークをつけたところだけは刮目して欲しい。
ヤドカリ葬の記述が見られる資料は、当スレ>>166で明かした①宙出版『実録 怖い島・伝説の奇祭編』の誌上および、②漫画実話ナックルズ特別編集
『死ぬかと思った絶叫体験SPECIAL』(①②は漫画)、DVD化されている③『恐い動画 投稿&心霊地帯スペシャル2』の1編にすぎない。
これらは似たり寄ったりの情報が羅列しているため、いずれかに触発されて流用されたネタだと思われる。
この3点の、下衆で眉唾モノの媒体を鵜呑みするのは愚かしいことだが(ましてや1つはナックルズw)、異様に興味をソソられる内容ではある。軽くその概略に触れよう。
以下、資料①の要約。
奄美地方の一部集落では風葬以外の『自然葬』も行われていたという報告がある。現行法では法に触れる恐れがあり、現在では行われていないというが、
本土から遠く離れている島々では、今もなお語り継がれている奇習がある。
その奇習が『ヤドカリ葬』と呼ばれるもの。奄美全域で行われた風葬とは異なり、『とある島だけ』に残った信仰と風習が反映された葬儀様式。
『ヤドカリ葬』はチベット仏教やインドのゾロアスター教といった宗教葬儀で行われている鳥葬と様式的に似ている。鳥葬は葬儀後、遺体を郊外の荒地に運び、
それを裁断し断片化しハゲワシなどの鳥類の餌とさせるのだが、ヤドカリ葬もヤドカリが集まるところへ遺体を放置し、ヤドカリに食べさせる葬儀様式である。
この地方のヤドカリは『アマン』と呼ばれ、神聖視された生き物である。わけても岬にそそり立つ岩礁を神の姿に見立て『立神』と呼び、古くから信仰の対象としてきた。
奄美地方だけでなく、トカラ列島、大隅諸島でもこの『立神』を発見することができるが、ヤドカリ葬を行うこの岩礁を神聖なる場所と定めてニャーデバナと呼び、
『天に通じる島』として畏れ敬っていたという。
ヤドカリ葬は実在するのか? その考察2
なかには伝染病の疑いにより、★『生体のまま』(つまり生きたまま)島に放置することもあったとの、俄かに信じ難い記述が見られる。
再現漫画では島民の1人が「この風習は一切口外してはならない」と、発言するシーンがある。口外することは許されないとのことから、
外部に漏れにくい構造になっているようだ。
続いて、資料②『死ぬかと思った絶叫体験SPECIAL』の要約。ほぼ①『実録 怖い島〜』と同じ内容ながら漫画はライトな印象。
江戸時代初期まで遺体をニャーデバナという岩礁に安置し、鳥葬とヤドカリ葬が行われた。ヤドカリはオカヤドカリという別種のもので、奄美方言でアマンと呼ぶ。
アマンは死者の霊を弔うものとされ、食欲旺盛なヤドカリが遺体の肉を吸い取るようにして体内へ取り込み、骨だけをきれいに残した。
また、ニャーデバナは『天に通じる島』とされ、亡くなるとそこから天に昇っていくと考えられていた。
お次は、③『恐い動画 投稿&心霊地帯スペシャル2』(パート14中12番目・南国に伝わる奇習『死者を置く島』)から。
動画は右のリンク。削除される可能性があるので、観るなら今すぐに。2時間3分20秒から開始。https://www.youtube.com/watch?v=hrmYwUy8kD...
観光地としても有名な鹿児島県A市。A島の北部ではトフル(※トウール=とおる=通る=通じるという意味の方言。つまり『天に通じる場所』)と呼ばれる洞穴がいくつも存在。
明治初期までは自然に作られた洞穴や岩陰などに遺体を葬り、風にさらし続け、白骨化するのを待った。
さらに時代を遡ると、江戸時代においては村人が死ぬと、ニャーデバナと呼ばれる小さな島に運ばれた。
その遺体はヤドカリに食べられることによって天に昇っていったという。遺体は切り立っている岩の上に置かれると数日でその姿が見えなくなり、
ヤドカリは遺体にまとわりつくと肉を吸い取るようにして死者を体内に取り込んでいたのである。
……この3点の媒体に共通するのが『ニャーデバナ』=『天に通じる島』と呼ばれる岩礁だ。まとめればこうだ。「ニャーデバナは不思議とオカヤドカリが大量に
集まる神聖な場所で、人死にがあると遺体を船で運び、岩の上に安置した。数日、数ヶ月をかけてヤドカリの群れが骨だけを残して食べ尽すという……。」
『ニャーデ』は奄美方言で何を意味するのかわからないが、『バナ』は『鼻』のことを指し、つまり『岬』を意味する。
では、このニャーデバナの在り処はどこかググったものの、見つからず難航した。往年の番組『水曜スペシャル・川口浩探検シリーズ』の川口隊長じゃあるまいし、
「我々は総力をあげて探索したが、結局、謎の猿人バーゴンを発見するには至らなかった……」みたいな、ホロ苦い結論は出したくない。
当初、資料①にある『奄美大島から連絡船に乗って4時間ほどの島』に力点をおいたせいで、固定観念が生じてしまい惑わされた。
が、こんな資料を真に受けるのがそもそも混乱を招く要因となる。結局は②や、③の動画でもわかるが、面積712.52k㎡を誇る奄美大島のどこかなのだ。
このたび執念の追跡をもってして、ついにソレらしき岩礁を特定した。
追跡にあたり、このネタに限らず、島サイト『日本の島へ行こう』http://imagic.qee.jp/には、長年にわたりお世話になった。
Googleマップやストリートビューの技術も偉大だが、時として傲慢な暴露趣味を満たすことに使われることもある。節度をわきまえるべきだと反省もしている。
……ズバリ言おう。★ニャーデバナは奄美大島の北端、笠利(かさりざき)町のビーチ内にある岩礁ではないかと推測する。
https://www.google.co.jp/maps/place/%EF%BC%88%E6%9C%89%...右の長方形っぽい岩礁がソレではないかと。
なかには伝染病の疑いにより、★『生体のまま』(つまり生きたまま)島に放置することもあったとの、俄かに信じ難い記述が見られる。
再現漫画では島民の1人が「この風習は一切口外してはならない」と、発言するシーンがある。口外することは許されないとのことから、
外部に漏れにくい構造になっているようだ。
続いて、資料②『死ぬかと思った絶叫体験SPECIAL』の要約。ほぼ①『実録 怖い島〜』と同じ内容ながら漫画はライトな印象。
江戸時代初期まで遺体をニャーデバナという岩礁に安置し、鳥葬とヤドカリ葬が行われた。ヤドカリはオカヤドカリという別種のもので、奄美方言でアマンと呼ぶ。
アマンは死者の霊を弔うものとされ、食欲旺盛なヤドカリが遺体の肉を吸い取るようにして体内へ取り込み、骨だけをきれいに残した。
また、ニャーデバナは『天に通じる島』とされ、亡くなるとそこから天に昇っていくと考えられていた。
お次は、③『恐い動画 投稿&心霊地帯スペシャル2』(パート14中12番目・南国に伝わる奇習『死者を置く島』)から。
動画は右のリンク。削除される可能性があるので、観るなら今すぐに。2時間3分20秒から開始。https://www.youtube.com/watch?v=hrmYwUy8kD...
観光地としても有名な鹿児島県A市。A島の北部ではトフル(※トウール=とおる=通る=通じるという意味の方言。つまり『天に通じる場所』)と呼ばれる洞穴がいくつも存在。
明治初期までは自然に作られた洞穴や岩陰などに遺体を葬り、風にさらし続け、白骨化するのを待った。
さらに時代を遡ると、江戸時代においては村人が死ぬと、ニャーデバナと呼ばれる小さな島に運ばれた。
その遺体はヤドカリに食べられることによって天に昇っていったという。遺体は切り立っている岩の上に置かれると数日でその姿が見えなくなり、
ヤドカリは遺体にまとわりつくと肉を吸い取るようにして死者を体内に取り込んでいたのである。
……この3点の媒体に共通するのが『ニャーデバナ』=『天に通じる島』と呼ばれる岩礁だ。まとめればこうだ。「ニャーデバナは不思議とオカヤドカリが大量に
集まる神聖な場所で、人死にがあると遺体を船で運び、岩の上に安置した。数日、数ヶ月をかけてヤドカリの群れが骨だけを残して食べ尽すという……。」
『ニャーデ』は奄美方言で何を意味するのかわからないが、『バナ』は『鼻』のことを指し、つまり『岬』を意味する。
では、このニャーデバナの在り処はどこかググったものの、見つからず難航した。往年の番組『水曜スペシャル・川口浩探検シリーズ』の川口隊長じゃあるまいし、
「我々は総力をあげて探索したが、結局、謎の猿人バーゴンを発見するには至らなかった……」みたいな、ホロ苦い結論は出したくない。
当初、資料①にある『奄美大島から連絡船に乗って4時間ほどの島』に力点をおいたせいで、固定観念が生じてしまい惑わされた。
が、こんな資料を真に受けるのがそもそも混乱を招く要因となる。結局は②や、③の動画でもわかるが、面積712.52k㎡を誇る奄美大島のどこかなのだ。
このたび執念の追跡をもってして、ついにソレらしき岩礁を特定した。
追跡にあたり、このネタに限らず、島サイト『日本の島へ行こう』http://imagic.qee.jp/には、長年にわたりお世話になった。
Googleマップやストリートビューの技術も偉大だが、時として傲慢な暴露趣味を満たすことに使われることもある。節度をわきまえるべきだと反省もしている。
……ズバリ言おう。★ニャーデバナは奄美大島の北端、笠利(かさりざき)町のビーチ内にある岩礁ではないかと推測する。
https://www.google.co.jp/maps/place/%EF%BC%88%E6%9C%89%...右の長方形っぽい岩礁がソレではないかと。
ヤドカリ葬は実在するのか? その考察3
とはいえ、ニャーデバナについての情報は、ほぼ検索に引っかからないのが実情だ。僕の手元にある乏しい文献にもまったく見当たらない。
実際に現地へ行って聞き込みをできたら御の字だが、こちとら経済的物理的な余裕はない。あるいは近隣の自動車整備工に電話で問い合わせるのも手だが……。
この際ニャーデバナは置いておいて、ヤドカリ葬の核心に迫ろう。
聖なるヤドカリに食べられることで天に召されるという構図は、ほぼチベットの鳥葬と同義なのだから理解できなくもないとして、
ヤドカリ=アマンがなぜ神聖視されているのか、本土に住む我々には計り知れないと思う。
ヤドカリに関して、奄美大島の東、約25kmに位置する喜界島の小野津集落では、こんな伝説が存在する。題名は『5つ甕(かめ・ハミンカー)伝説』。
容量の関係で全文を載せられない。下記サイトを参照せよ。リンク切れならば自力で探すしかない。
●奄美の昔話・伝説 №10 上納の機織りで子供を失う悲劇 喜界町 五つ甕
http://www.synapse.ne.jp/‾hellokids/amaminodensetu/amaminodensetu_10.htm
なおアマン神なるものについては下記サイトを参照せよ。沖縄・奄美地方版、人類創成伝説は本土の古事記と似て非なるもので、たいへん興味深い。
ヤドカリ葬を知るうえにおいて、必須の事項であろう。これもリンク切れなら、『沖縄・奄美の神話』などと打ち込んで自力で探すべし。
●かんたん神話学 洞穴の中の兄妹
http://suwa3.web.fc2.com/enkan/kantan/jp_hon/jpr03.htm...
ここでのヤドカリはオカヤドカリ(学名は『ムラサキオカヤドカリ』)を指す。本土で見られる通常サイズのソレよりも大振りで、脚や鋏が太く頑丈。
通常のヤドカリが主に海中で生息するのに対し、オカヤドカリは名前が示すとおり陸上生活をする。
基本的にヤドカリやヤシガニは乾燥に強く、空気中から酸素を取り入れ呼吸ができる特殊なエラを有する。
主に小笠原諸島と南西諸島に分布。本土では九州南部や四国南部、紀伊半島南部の太平洋岸で見られるが、南西諸島以南で繁殖時に放たれた幼生が黒潮に乗って北上し、
偶然定着できたもの。日本に生息するこのオカヤドカリ全種が国の天然記念物に指定されている。
またナキオカヤドカリなどは、その名前のとおり発音することができる。声帯などの発声器官はなく、貝殻の内側を足で引っかくことにより、
ギチギチ、ギュイギュイといった音を出すものの、音を立てる目的については解明されていない。
このオカヤドカリを奄美・沖縄地方ではアマンと呼ぶが、各集落や離島によっては若干の呼び名の差異が見られる。
アーマン、アマム、アマンツァ、アマンブ、アマンザ、アーミンチャーなど。いずれにせよ、ヤドカリは神聖な生き物の扱いを受けている。
とはいえ、ニャーデバナについての情報は、ほぼ検索に引っかからないのが実情だ。僕の手元にある乏しい文献にもまったく見当たらない。
実際に現地へ行って聞き込みをできたら御の字だが、こちとら経済的物理的な余裕はない。あるいは近隣の自動車整備工に電話で問い合わせるのも手だが……。
この際ニャーデバナは置いておいて、ヤドカリ葬の核心に迫ろう。
聖なるヤドカリに食べられることで天に召されるという構図は、ほぼチベットの鳥葬と同義なのだから理解できなくもないとして、
ヤドカリ=アマンがなぜ神聖視されているのか、本土に住む我々には計り知れないと思う。
ヤドカリに関して、奄美大島の東、約25kmに位置する喜界島の小野津集落では、こんな伝説が存在する。題名は『5つ甕(かめ・ハミンカー)伝説』。
容量の関係で全文を載せられない。下記サイトを参照せよ。リンク切れならば自力で探すしかない。
●奄美の昔話・伝説 №10 上納の機織りで子供を失う悲劇 喜界町 五つ甕
http://www.synapse.ne.jp/‾hellokids/amaminodensetu/amaminodensetu_10.htm
なおアマン神なるものについては下記サイトを参照せよ。沖縄・奄美地方版、人類創成伝説は本土の古事記と似て非なるもので、たいへん興味深い。
ヤドカリ葬を知るうえにおいて、必須の事項であろう。これもリンク切れなら、『沖縄・奄美の神話』などと打ち込んで自力で探すべし。
●かんたん神話学 洞穴の中の兄妹
http://suwa3.web.fc2.com/enkan/kantan/jp_hon/jpr03.htm...
ここでのヤドカリはオカヤドカリ(学名は『ムラサキオカヤドカリ』)を指す。本土で見られる通常サイズのソレよりも大振りで、脚や鋏が太く頑丈。
通常のヤドカリが主に海中で生息するのに対し、オカヤドカリは名前が示すとおり陸上生活をする。
基本的にヤドカリやヤシガニは乾燥に強く、空気中から酸素を取り入れ呼吸ができる特殊なエラを有する。
主に小笠原諸島と南西諸島に分布。本土では九州南部や四国南部、紀伊半島南部の太平洋岸で見られるが、南西諸島以南で繁殖時に放たれた幼生が黒潮に乗って北上し、
偶然定着できたもの。日本に生息するこのオカヤドカリ全種が国の天然記念物に指定されている。
またナキオカヤドカリなどは、その名前のとおり発音することができる。声帯などの発声器官はなく、貝殻の内側を足で引っかくことにより、
ギチギチ、ギュイギュイといった音を出すものの、音を立てる目的については解明されていない。
このオカヤドカリを奄美・沖縄地方ではアマンと呼ぶが、各集落や離島によっては若干の呼び名の差異が見られる。
アーマン、アマム、アマンツァ、アマンブ、アマンザ、アーミンチャーなど。いずれにせよ、ヤドカリは神聖な生き物の扱いを受けている。
ヤドカリ葬は実在するのか? その考察4
さて、当山昌直氏という沖縄国際大学南島文化研究所研究員の方がいる(1951年沖縄県那覇市生まれ。動物学専攻・(財)沖縄県文化振興会史料編集室室長)。
この当山氏が書いた報告書に、なんとヤドカリ葬を裏付けるような考察が見られるのだ。タイトルは『沖縄島の古風葬とオカヤドカリ類との関連について』。
それによると、オカヤドカリ類に関する方言、民話、針突(女性の成人の証として、手の甲に入れ墨をする風習)などを調べ、
オカヤドカリ類が民俗学的な面からも極めて興味深い動物と注目し、さらには祖神アマミク神との関連を指摘。
琉球のオカヤドカリ類と人との関わりは、単なる日常生活というより、琉球文化の源流とも深く関わっているとしている。
なかでも人生儀礼の大きな節目となる葬制の面からオカヤドカリ類と人との関わりについて言及しているのだ。
沖縄には古い葬制として、遺体を野外にさらした状態で行う風葬(古い風葬のことを便宜的に『古風葬』と称する) があったのは周知のとおりである。
火葬場が設置される以前の沖縄では、密閉された構造物としての墓内における一次葬も風葬といえるが、古風葬はそれと異なり、より古い時代に行われていたものだ。
多くが海岸およびそれに近い場所のアダン(タコノキ科タコノキ属の常緑小高木)を主とする海岸林や崖などで行われていたものを指す。
実はこれらの古風葬が行われていた場所はオカヤドカリ類の生息地と重なる部分が多く、腐肉食としても知られているオカヤドカリ類が何らかの形で
関わっているのではあるまいかと注目。
オカヤドカリ類は主に海岸付近に生息しているが、オカヤドカリ、ムラサキオカヤドカリの大型個体は、糸満市平和創造の森(海岸までの最短距離約300m) に
おける調査でも多くの個体が多く確認されており、さらに斎場御嶽(標高約120m、海岸までの最短距離約430m)などのように海岸から離れた、
比較的高い場所にも多くの個体が住んでいることが明らかになった。
さらに内陸部になると生息の確認が難しく情報が少なくなるが、オカヤドカリ類は海岸から約500m以内およびその範囲内の崖上までは生息地として見ることができる。
これら古風葬地はいずれも海岸から350m内。つまり古風葬の場所とオカヤドカリ類の生息地がほぼ重なっているのだ。
すなわち、オカヤドカリ類が人間の遺骸に集まり、その遺骸を食したのではないか。
オカヤドカリ類はいわゆる『海の掃除屋』としての側面をもち、海岸に打ち上げられた魚の死骸や海藻などの有機物を食べることが知られている。
筆者は他に、オカヤドカリ取扱商組合関係者の聞き取り調査時に、こんな情報を得ている。
「夜、ヤドカリ類を採取していると、ある場所に多くのオカヤドカリ類が群がっていたので、喜んで捕獲。ふと上を見上げると、頭上に首吊り自殺者の遺体があった」
人間の遺骸をオカヤドカリ類が食することについては文献等でもまだ確認してないが、これまでのオカヤドカリ類の観察から実際に行われる可能性はあると思われる。
風葬の1つとして鳥葬が知られているが、★意図的ではなかったとしても結果的には『オカヤドカリ葬』というのが成り立つのではないか。
それが沖縄島の古風葬の形態として存在したのではないかと思われる。
さて、当山昌直氏という沖縄国際大学南島文化研究所研究員の方がいる(1951年沖縄県那覇市生まれ。動物学専攻・(財)沖縄県文化振興会史料編集室室長)。
この当山氏が書いた報告書に、なんとヤドカリ葬を裏付けるような考察が見られるのだ。タイトルは『沖縄島の古風葬とオカヤドカリ類との関連について』。
それによると、オカヤドカリ類に関する方言、民話、針突(女性の成人の証として、手の甲に入れ墨をする風習)などを調べ、
オカヤドカリ類が民俗学的な面からも極めて興味深い動物と注目し、さらには祖神アマミク神との関連を指摘。
琉球のオカヤドカリ類と人との関わりは、単なる日常生活というより、琉球文化の源流とも深く関わっているとしている。
なかでも人生儀礼の大きな節目となる葬制の面からオカヤドカリ類と人との関わりについて言及しているのだ。
沖縄には古い葬制として、遺体を野外にさらした状態で行う風葬(古い風葬のことを便宜的に『古風葬』と称する) があったのは周知のとおりである。
火葬場が設置される以前の沖縄では、密閉された構造物としての墓内における一次葬も風葬といえるが、古風葬はそれと異なり、より古い時代に行われていたものだ。
多くが海岸およびそれに近い場所のアダン(タコノキ科タコノキ属の常緑小高木)を主とする海岸林や崖などで行われていたものを指す。
実はこれらの古風葬が行われていた場所はオカヤドカリ類の生息地と重なる部分が多く、腐肉食としても知られているオカヤドカリ類が何らかの形で
関わっているのではあるまいかと注目。
オカヤドカリ類は主に海岸付近に生息しているが、オカヤドカリ、ムラサキオカヤドカリの大型個体は、糸満市平和創造の森(海岸までの最短距離約300m) に
おける調査でも多くの個体が多く確認されており、さらに斎場御嶽(標高約120m、海岸までの最短距離約430m)などのように海岸から離れた、
比較的高い場所にも多くの個体が住んでいることが明らかになった。
さらに内陸部になると生息の確認が難しく情報が少なくなるが、オカヤドカリ類は海岸から約500m以内およびその範囲内の崖上までは生息地として見ることができる。
これら古風葬地はいずれも海岸から350m内。つまり古風葬の場所とオカヤドカリ類の生息地がほぼ重なっているのだ。
すなわち、オカヤドカリ類が人間の遺骸に集まり、その遺骸を食したのではないか。
オカヤドカリ類はいわゆる『海の掃除屋』としての側面をもち、海岸に打ち上げられた魚の死骸や海藻などの有機物を食べることが知られている。
筆者は他に、オカヤドカリ取扱商組合関係者の聞き取り調査時に、こんな情報を得ている。
「夜、ヤドカリ類を採取していると、ある場所に多くのオカヤドカリ類が群がっていたので、喜んで捕獲。ふと上を見上げると、頭上に首吊り自殺者の遺体があった」
人間の遺骸をオカヤドカリ類が食することについては文献等でもまだ確認してないが、これまでのオカヤドカリ類の観察から実際に行われる可能性はあると思われる。
風葬の1つとして鳥葬が知られているが、★意図的ではなかったとしても結果的には『オカヤドカリ葬』というのが成り立つのではないか。
それが沖縄島の古風葬の形態として存在したのではないかと思われる。
ヤドカリ葬は実在するのか? その考察5
しかしながらこの考察も、いくつか疑問点が残ると当山氏自身が指摘している。あくまで『可能性がある』と見るべきである。
風葬場あるところにアダン林が近くに繁茂し、アダンの実(直径15〜20cmで、パイナップルに似た外見。熟すと黄色くなり甘い芳香を放つが、
ほぼ繊維質で構成されており人間が食べるには適さない。ヤドカリの好物)が実るところにヤドカリが集まり、そのヤドカリは人の遺体に群がり食べ尽す……という図式は、
極めて自然な成り行きでそうなった。海中での溺死体にシャコ、川でのソレにはモクズガニが群がるように、甲殻類は基本的にスカベンジャーである。
それゆえ風葬を行っていた当時を知る者たちにとっては、ヤドカリは死者の化身として映ったという。
なお、沖縄〜八重山に生息するヤシガニも基本的な生態は同じ。見た目はアレだが、食するとタラバガニと遜色ない味だと言う人もいる。
ヤシガニの行動範囲はさらに広く、海岸線から6km以上も離れたところで発見されたこともある。その習性を知っているので、現地人はあえて食べない。
頭蓋骨がひとりでにトコトコ歩いているので、見れば内側にヤシガニが入っていたという事例はよくある話だった。
さらに、近藤功行氏(沖縄キリスト教学院大学・人文学部、英語コミュニケーション学科)』が書いた『与論島における洗骨習俗の現状』という報告書では、
こんな記述が見られる。
与論島では風葬は明治10年まで続き、明治11年に鹿児島県が風葬禁止令を発令し、土葬に変更され、のちに火葬へと移行していった。
それに伴い、洗骨も激減。消滅の危機を迎えている。近藤氏は与論島において洗骨について現地にて、聞き取り調査を行ったところ、迫真性のある情報を得ている。
箇条書きだが、興味を惹く部分を抜粋してみる。
①明治時代、『ジシ』(死を慈しむと書いて、『慈死』)と呼ばれる洞窟や高い岩場の下にそのまま遺体を置いて、持ち帰らないで捨てたということを古老が言っている。
②明治6年ごろ天然痘が流行り、人口の半分が死に絶えた。あまりの数の死人が出たため葬儀や埋葬が間に合わず、遺体を運んだ人まで感染する恐れがあったので、
筵(むしろ)にくるんで放置した時代がある。
③『シミャー』(風葬地)は昔、獣が入らないから、また遺体を荒らさないためにそういったところを選んだ。昔は与論島には犬がいなかった。
④明治初期の天然痘が流行ったころ、薩摩支配の時代だった。疾病が蔓延し、家族でも骨を触れない時代があった。★生きながらに捨てられたような感じの骨を
『ジシ』の中で見たことがある。
⑤焼かれるのがイヤ。昔は風葬でよかった。天然痘の時代、ゴミを捨てるように人間を処分した。★生きた人までもが、その病気になったら、死んだ人たちと同じところに、
身内の迷惑にならないように行った。
コロコロ話が変わって恐縮だが、2004年に公開された邦画『風音』http://www.cine.co.jp/fuon...では、沖縄を舞台に風葬場の場面が描かれている。
とある事情から特攻隊員の遺体を安置させ、しばらくして副主人公が現場に戻ってくると、ピキピキピキという無機質な音を立てて無数のオカヤドカリが群がるのを目撃し、
思わず怖気を振るって逃げ出すシーンがある。
物語後半にも、ある男が刺殺され、秘密裏に砂浜に埋葬される。その土饅頭の上にはアダンの実が置かれ、さもヤドカリをおびき寄せ、
ついでに埋葬された遺体をも食い尽くし、証拠を隠滅させるような形で締めくくられる。オカヤドカリは砂地なら地面を潜ることができるようだ。
さすがこの原作者(沖縄出身の芥川賞作家・目取真俊氏)、風葬について精通しているだけのことはある。
それと、冒頭と最後のあたりで蝶が舞うシーンが挿入されている。これは『再生・生』のメタファーであろう。
他にも魚を生のシンボルとし、カニ(ヤドカニも同義)は死のソレとして描いているのは注視すべきである。
しかしながらこの考察も、いくつか疑問点が残ると当山氏自身が指摘している。あくまで『可能性がある』と見るべきである。
風葬場あるところにアダン林が近くに繁茂し、アダンの実(直径15〜20cmで、パイナップルに似た外見。熟すと黄色くなり甘い芳香を放つが、
ほぼ繊維質で構成されており人間が食べるには適さない。ヤドカリの好物)が実るところにヤドカリが集まり、そのヤドカリは人の遺体に群がり食べ尽す……という図式は、
極めて自然な成り行きでそうなった。海中での溺死体にシャコ、川でのソレにはモクズガニが群がるように、甲殻類は基本的にスカベンジャーである。
それゆえ風葬を行っていた当時を知る者たちにとっては、ヤドカリは死者の化身として映ったという。
なお、沖縄〜八重山に生息するヤシガニも基本的な生態は同じ。見た目はアレだが、食するとタラバガニと遜色ない味だと言う人もいる。
ヤシガニの行動範囲はさらに広く、海岸線から6km以上も離れたところで発見されたこともある。その習性を知っているので、現地人はあえて食べない。
頭蓋骨がひとりでにトコトコ歩いているので、見れば内側にヤシガニが入っていたという事例はよくある話だった。
さらに、近藤功行氏(沖縄キリスト教学院大学・人文学部、英語コミュニケーション学科)』が書いた『与論島における洗骨習俗の現状』という報告書では、
こんな記述が見られる。
与論島では風葬は明治10年まで続き、明治11年に鹿児島県が風葬禁止令を発令し、土葬に変更され、のちに火葬へと移行していった。
それに伴い、洗骨も激減。消滅の危機を迎えている。近藤氏は与論島において洗骨について現地にて、聞き取り調査を行ったところ、迫真性のある情報を得ている。
箇条書きだが、興味を惹く部分を抜粋してみる。
①明治時代、『ジシ』(死を慈しむと書いて、『慈死』)と呼ばれる洞窟や高い岩場の下にそのまま遺体を置いて、持ち帰らないで捨てたということを古老が言っている。
②明治6年ごろ天然痘が流行り、人口の半分が死に絶えた。あまりの数の死人が出たため葬儀や埋葬が間に合わず、遺体を運んだ人まで感染する恐れがあったので、
筵(むしろ)にくるんで放置した時代がある。
③『シミャー』(風葬地)は昔、獣が入らないから、また遺体を荒らさないためにそういったところを選んだ。昔は与論島には犬がいなかった。
④明治初期の天然痘が流行ったころ、薩摩支配の時代だった。疾病が蔓延し、家族でも骨を触れない時代があった。★生きながらに捨てられたような感じの骨を
『ジシ』の中で見たことがある。
⑤焼かれるのがイヤ。昔は風葬でよかった。天然痘の時代、ゴミを捨てるように人間を処分した。★生きた人までもが、その病気になったら、死んだ人たちと同じところに、
身内の迷惑にならないように行った。
コロコロ話が変わって恐縮だが、2004年に公開された邦画『風音』http://www.cine.co.jp/fuon...では、沖縄を舞台に風葬場の場面が描かれている。
とある事情から特攻隊員の遺体を安置させ、しばらくして副主人公が現場に戻ってくると、ピキピキピキという無機質な音を立てて無数のオカヤドカリが群がるのを目撃し、
思わず怖気を振るって逃げ出すシーンがある。
物語後半にも、ある男が刺殺され、秘密裏に砂浜に埋葬される。その土饅頭の上にはアダンの実が置かれ、さもヤドカリをおびき寄せ、
ついでに埋葬された遺体をも食い尽くし、証拠を隠滅させるような形で締めくくられる。オカヤドカリは砂地なら地面を潜ることができるようだ。
さすがこの原作者(沖縄出身の芥川賞作家・目取真俊氏)、風葬について精通しているだけのことはある。
それと、冒頭と最後のあたりで蝶が舞うシーンが挿入されている。これは『再生・生』のメタファーであろう。
他にも魚を生のシンボルとし、カニ(ヤドカニも同義)は死のソレとして描いているのは注視すべきである。
ヤドカリ葬は実在するのか? その考察6
今回、ニャーデバナ単体のヤドカリ葬に迫ることはできなかったが、奄美・沖縄地方で行われた広範の風葬において、
ヤドカリにたかられる現象は比較的、日常茶飯事な出来事であったことが明らかになった。ニャーデバナでのヤドカリ葬だけが何も特別な風習なのではない。
ところで、酒井卯作氏(1925年長崎県生まれ。民俗学者、南島研究会主宰)による著書『琉球列島における死霊祭祀の構造』のなかの1編、
『死者を置く島』の項目では、風葬する名目で遺体を置いた島として、大島南西部、焼内湾の枝手久島、★大島北端のニャデ(件のニャーデバナのはず)、
今帰仁湧川のヤガンナ島、勝連浜比嘉のクバ島などを挙げている。
枝手久島などは対岸に位置する与路島の住民が、死者を板付け舟で運び、阿室側の海岸の洞窟へ放置し、風葬にしたと言われている(※恥ずかしながら未読)。
やや煩雑で、まとまりに欠ける連投レスになった。あえて決めつけはしないで締めくくろう。
ヤドカリ葬は、最後の戦いにふさわしい手強い相手だった。図らずも実話ナックルズの名誉を守る一方、奄美のタブーを暴いてしまうとは人の業の深さを感じる……。
最後に、>>57で那智勝浦の色川集落へ突撃取材へ敢行すると言っておきながら、果たせなかったのが心残りだった。
なにはともあれ、これにて『怖い島』は完!
きかい蝶の飛び交う隆起珊瑚礁の島 “五つのカメ”陶磁器(三点)を町文化財に指定
http://www.town.kikai.lg.jp/kikai06/kikai36.as...
琉球神道wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E7%A5%...
2000年・沖縄観光学ことはじめ−「墓は女の苦労」について− 奥田尚
http://www.res.otemon.ac.jp/‾okuda/theses/kankougaku02tomb.htm
★[PDF]沖縄島の古風葬とオカヤドカリ類の関連について(予報) 当山 昌直
http://okinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/bitstream/okinawa/8321/1/No31p...
[PDF]【沖縄県教育庁文化財課史料編集班】 琉球のオカヤドカリ類に関する民俗的伝承について(試論2) 当山 昌直
http://okinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/bitstream/okinawa/7797/1/No32p...
与論島クオリア アマム(ヤドカリ)の位相
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2015/05/post-1cac.htm...
ヤシガニwikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%82%...
沖縄観光記5
http://www.mugyu.biz-web.jp/nikki.kanko24-12.ht...
鹿児島県奄美大島の歴史と文化
http://www.sh.rim.or.jp/‾misshie/amami.htm
自然と文化 御霊を運ぶチョウ
http://homepage2.nifty.com/pie-grieche/insect-goryo.htm...
amazon.co.jpプライム 風音 [DVD]
http://www.amazon.co.jp/%E9%A2%A8%E9%9F%B3-DVD-%E4%B8%...
墓地、埋葬等に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO048.htm...
★[PDF]与論島における洗骨習俗の現状 近藤功行
http://karn.lib.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/123456789/14474/3/AA...
与論島クオリア 風葬感覚
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2009/04/post-b20e.htm...
youtube 与論島の洗骨儀礼
https://www.youtube.com/watch?v=PmYqwiVzPc...
★奄美大島旅行 クチコミガイド 月の入りと朝日をみながら〜奄美②
http://4travel.jp/travelogue/1104844...
今回、ニャーデバナ単体のヤドカリ葬に迫ることはできなかったが、奄美・沖縄地方で行われた広範の風葬において、
ヤドカリにたかられる現象は比較的、日常茶飯事な出来事であったことが明らかになった。ニャーデバナでのヤドカリ葬だけが何も特別な風習なのではない。
ところで、酒井卯作氏(1925年長崎県生まれ。民俗学者、南島研究会主宰)による著書『琉球列島における死霊祭祀の構造』のなかの1編、
『死者を置く島』の項目では、風葬する名目で遺体を置いた島として、大島南西部、焼内湾の枝手久島、★大島北端のニャデ(件のニャーデバナのはず)、
今帰仁湧川のヤガンナ島、勝連浜比嘉のクバ島などを挙げている。
枝手久島などは対岸に位置する与路島の住民が、死者を板付け舟で運び、阿室側の海岸の洞窟へ放置し、風葬にしたと言われている(※恥ずかしながら未読)。
やや煩雑で、まとまりに欠ける連投レスになった。あえて決めつけはしないで締めくくろう。
ヤドカリ葬は、最後の戦いにふさわしい手強い相手だった。図らずも実話ナックルズの名誉を守る一方、奄美のタブーを暴いてしまうとは人の業の深さを感じる……。
最後に、>>57で那智勝浦の色川集落へ突撃取材へ敢行すると言っておきながら、果たせなかったのが心残りだった。
なにはともあれ、これにて『怖い島』は完!
きかい蝶の飛び交う隆起珊瑚礁の島 “五つのカメ”陶磁器(三点)を町文化財に指定
http://www.town.kikai.lg.jp/kikai06/kikai36.as...
琉球神道wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E7%A5%...
2000年・沖縄観光学ことはじめ−「墓は女の苦労」について− 奥田尚
http://www.res.otemon.ac.jp/‾okuda/theses/kankougaku02tomb.htm
★[PDF]沖縄島の古風葬とオカヤドカリ類の関連について(予報) 当山 昌直
http://okinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/bitstream/okinawa/8321/1/No31p...
[PDF]【沖縄県教育庁文化財課史料編集班】 琉球のオカヤドカリ類に関する民俗的伝承について(試論2) 当山 昌直
http://okinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/bitstream/okinawa/7797/1/No32p...
与論島クオリア アマム(ヤドカリ)の位相
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2015/05/post-1cac.htm...
ヤシガニwikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%82%...
沖縄観光記5
http://www.mugyu.biz-web.jp/nikki.kanko24-12.ht...
鹿児島県奄美大島の歴史と文化
http://www.sh.rim.or.jp/‾misshie/amami.htm
自然と文化 御霊を運ぶチョウ
http://homepage2.nifty.com/pie-grieche/insect-goryo.htm...
amazon.co.jpプライム 風音 [DVD]
http://www.amazon.co.jp/%E9%A2%A8%E9%9F%B3-DVD-%E4%B8%...
墓地、埋葬等に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO048.htm...
★[PDF]与論島における洗骨習俗の現状 近藤功行
http://karn.lib.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/123456789/14474/3/AA...
与論島クオリア 風葬感覚
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2009/04/post-b20e.htm...
youtube 与論島の洗骨儀礼
https://www.youtube.com/watch?v=PmYqwiVzPc...
★奄美大島旅行 クチコミガイド 月の入りと朝日をみながら〜奄美②
http://4travel.jp/travelogue/1104844...
掲示板を完全に私物にしてるなw
ブログでやれ
ブログでやれ
スレ消しとけよ
スレ主の書き込みが終わってからで良かったよ、ウジ虫が湧くの。
こんな神スレを貶めるとは、人としていかがなものかと思いますね。
山伏集落800軒確認 国内最大規模、調査で初確認 九州の英彦山
日本三大修験道場の一つ、福岡、大分県境の英彦山(1199メートル)に800軒超の建物跡があることを、福岡県添田町がレーザー測量で確認した。
英彦山は江戸時代、「英彦山三千 八百坊」とうたわれるほど栄え、その数字は人口3千人、800坊を意味するとされてきたが、詳細は不明だった。
今回の調査で国内最大規模の山伏集落の姿が初めて克明になった。(西日本新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151122-00010000-nishinp...
日本三大修験道場の一つ、福岡、大分県境の英彦山(1199メートル)に800軒超の建物跡があることを、福岡県添田町がレーザー測量で確認した。
英彦山は江戸時代、「英彦山三千 八百坊」とうたわれるほど栄え、その数字は人口3千人、800坊を意味するとされてきたが、詳細は不明だった。
今回の調査で国内最大規模の山伏集落の姿が初めて克明になった。(西日本新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151122-00010000-nishinp...
こんな過疎スレに、なぜかほぼ同時にスレ主擁護レスが
自演お疲れ様ですww
自演お疲れ様ですww
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スレッドタイトル:続・怖い島・いわくつきの村