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続・怖い島・いわくつきの村


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057 2014/02/16(日) 10:25:47 ID:W9iRoQJPrQ
     お万と維盛の伝説 龍神村 2

しかし恋の行方も暗雲が垂れ込める。
寿永4年(1185)2月、頼みにしていた熊野水軍は船首に熊野権現の神旗と源氏の白旗をなびかせて屋島に乱入。法印湛僧による平家への裏切りだった。
維盛が平家の滅亡を知ったのは同年4月。維盛は小森渓谷の山頂で護摩木を積んで火を放ち、「平氏勝利を得るならばこの煙を天へ上げ給え、
もし不運にして破れるならばこの煙を地に下し給いて、我が家の運命を知らせ給え」と行く末を占った。
ところが煙は不吉にも地肌を這うばかり。地を這う煙は凶兆に他ならなかった。
絶望的な面持ちで維盛は悟った。もはや平家の運命、ここに潰えたも同じ。

維盛は従者の衛門・嘉門兄弟、そしてお万に別れを告げ、屋敷を去り、那智の滝で自決した。
自決の知らせを受けた従者衛門・嘉門兄弟は、これも滝から身を投げて後を追った。片やお万はその翌朝、在所から屋敷へと向かう途中で白粉を流し、
清流に紅を溶かし、最後は淵に身を投げて若くてしなやかな命を散らせた。
その後、里人たちは維盛が護摩木を積んで占った山を護摩壇山、衛門・嘉門が自決した瀧を衛門・嘉門の瀧、お万が白粉を流したところを白壷、
紅を溶かしたところを赤壷、身を投げた淵をお万が淵と名付け、後世に伝えている。

……そもそもこの平維盛、高野山に入って出家したあと、前スレでたびたび取り上げた補陀落渡海で志願して屋形船に乗り込み、入水した1人と言われているのだ。
しかしながら、「三位中将維盛、歳二十七、寿永三年三月二十八日、那智の沖に入水する」と書き付け、死んだように見せかけて、
実は偽装工作であった線が濃厚だという。源氏の追撃を諦めさせるための方便であろう。そういった経緯を経て、龍神村に辿りついたとされているのだ。
下記の平維盛wikipediaでご覧になればわかると思うが、落ち延びた場所が無数にある。欺瞞してまで落ち延びるというのは、
想像を絶するほど命がけの逃亡だったに違いあるまい。
龍神村以外にも、那智勝浦町の奥深いところには色川という集落があり、ここには維盛の墓まで存在する。
色川はとても景色のきれいなところで、秘境とも言うべき場所。今度暇を見て突撃取材に行ってくるつもりだから、乞うご期待。


人生の空からVonBraun.exblog.jp 小森谷
http://vonbraun.exblog.jp/1288126...
龍神村の文化財 田辺市龍神村
http://www.aikis.or.jp/‾eiji-ito/ryujin/hometown_cultural.htm
Revoir... < 龍神へ >
http://revoir.exblog.jp/1855665...
役小角wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B9%E5%B0%8F%E8%A7%...
平維盛wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%B6%AD%E7%9B%...
熊野の観光名所 - み熊野ねっと 補陀洛山寺
http://www.mikumano.net/meguri/fudaraku.htm...
わかやま新報 Staff Blog 星神社
http://www.wakayamashimpo.co.jp/staffblog/2009/10/post_227.htm...
nicozon つボイノリオの極付けお万の方
http://www.nicozon.net/watch/sm531110...

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