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続・怖い島・いわくつきの村


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217 2015/07/04(土) 12:05:27 ID:3IwzxmnZEk
     クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察16

>片野浦のクロ宗の徒は藩政時代は真言宗の檀徒であったという。この真言密教の持つ呪術性、秘儀性との習合も考えられるが、
>彼等はあくまでも隠れキリシタンである。真言宗の檀徒であったという事は寺請制度による強制でもあるが、キリシタンである事を隠す擬装であったと思える。
>ところが、片野浦のかつての天上墓のあった丘に対応する地点の平地に堂々たる浄土真宗本願寺派の本堂がそびえている。
>たった48戸の村にしては立派すぎる真宗寺院である。ここで、キリシタンと真言宗と浄土真宗という3つの重層が一挙に浮かび上がって来た。

>クロ教の村にそびえる浄土真宗の寺院は村の中心に位置する。寺院名は無名である。浄土真宗本願寺派片野浦説教所と称する。
>かつては隣村の青瀬の西楽寺の管轄する寺であったが、離島の小寺では食っていけない。そこで西楽寺住職は甑島を退転し、本土へ移っていった。
>そこで現在は手打の法雲寺が片野浦の依頼によって肩代わりしている。つまり法雲寺住職・井芹大心師がクロ宗の人々の仏事法要、
>更には片野浦の本堂での報恩講を勤めている。
>然し、それは形だけであり、法雲寺住職が彼等の寺の運営や寺の法要スケジュールそのものに口出しする事は頑として拒否される。
>彼等が浄土真宗の門徒であるのは昼の時間だ。夜の時間になればクロ宗という秘儀の世界へ帰って行く。

>では誰がこの寺を建てたのか。
>サカヤの大毛家が土地を提供し、建築資金のすべてを賄ったという。それほどにサカヤには財力がある。
>かつてこの寺を管轄していた青瀬の西楽寺も表向きはクロ教に雇われていたにすぎない。西楽寺の管轄は行政上の名義にすぎない。
>この場合、名義とはクロ宗である事を隠す擬装工作でもある。というより重層体系の典型的な例証がここにはある。
(中略)
>では、隠れキリシタンの末裔であるクロ宗が何故、浄土真宗なのか。
>キリシタンと同時に弾圧を受け続け禁じられて来たのが浄土真宗である。日本列島は地域によって、その禁圧と容認の仕方が可成り違ってくるが、
>鹿児島では1500年代の初めから明治9年に至るまで浄土真宗は禁じられていた。そこで浄土真宗の門徒は隠れキリシタンと同様に、
>隠れ念仏(※前スレ>>216〜218を参照せよ)の徒となって秘密の講のもとに結集し信心を相続した。
>島津藩の採った弾圧の方法は凄惨で、一村丸潰しという藩の経済損失と引換にしてまで敢行された。
>隠れキリシタンと隠れ念仏と、公権力によって同じように禁圧され、隠れざるを得なかった「隠れるもの同士」が歴史の底の何処かで繋がり合う事はなかったろうか。

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