クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察11
>>166で『れっきとした民俗学の報告書』と書いたが、1例を紹介しておこう。
昭和11年に出版された『川内地方を中心とせる郷土史と伝説』(著者・鹿児島県立川内中学校編、出版者・鹿児島県立川内中学校より)
の101頁目(サイトの『コマ番号』は『69』)にはクロ宗に関する記述が見られる。全文抜粋しちゃおう。平易な漢字で書きなおしてみた。
アンカー部分がソレ。
>甑島のクロ宗
>甑島、下甑村の片ノ浦には「クロ宗」と称せらるるカトリックに属する一種の密教が現存している。
>片ノ浦海岸を隔たる十町、谷間の山間部落にして八十余戸が密集し、平和な農村部落を形成している。
>部落民の結束極めて固く、すべて秘密主義をとっているため、このクロ宗の本体もまた判然となっていない。
>最近県当局の調査によれば、クロ宗のクロとはキリストのクロスから転化した語と見られている。
>付近の古老の言によれば、今を去る約三百年前、島原の乱に敗れた信徒の一部が信仰の自由を求めて海を渡ってひそかにここに転住したものと言われ、
>したがって現在ではクロ宗に関するよるべき確実な資料は発見されず、ただ部落には十字架を彫り付けた三基の墓碑が遺っているのみである。
>部落民の特殊な風俗について見るに、部落民は極端にクロという言葉を嫌悪し、便所も十字を踏まぬ構造となっている。
>祭礼の行事は年一回深夜、極秘裏に催される。
>この深夜、祭事を行うのは、イエス・キリストの誕生日にヤソ(キリスト)教徒が深夜に祭りを行うという古い習慣があるのを、
>部落民が襲行?しているものと考えられ、信徒死亡の祭りは、まずクロ宗による祭りが行われてあと、喪を発して真宗による葬儀を執行すると言われている。
>同部落の素封家(財産家)大毛示氏は、クロ宗の本家と称せられ祭事を握っているものと言われているが、氏は京都中学を経て中央大学出身の人格者である。
>同氏を中心とする部落民の信仰生活はまた恵まれたものであろう。
近代デジタルライブラリー 川内地方を中心とせる郷土史と伝説
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/125597...
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