白鬚明神なる祭神を祀った謎の祠・白鬚=新羅? 対馬島 1
旅客船セウォル号沈没事故を受けて、掲示板の類では下世話にも、「韓国はワダツミの神の逆鱗に触れているのではないか?」と、
まことしやかに囁かれているが、単に危機管理能力の杜撰さがここにきて断続的に露呈しているだけだと思うが……。
その海神神社は対馬の一宮で上島に鎮座する。
主神に海の女神豊玉姫命を据え、彦火火出見尊、宗像神、道主貴神、鵜茅草葺不合命を祀っている。
社伝によると、神功皇后が三韓征伐からの帰還する際、新羅を鎮めた証として旗八流を上県、郡峰町に納めたことに由来するという。
旗はのちに現在地の木板山(伊豆山)に移され、木坂八幡宮と称された。
また、仁徳天皇の時代、木坂山に起こった奇雲烈風が日本に攻めてきた異国の軍艦を沈めたとの胸躍る伝承も残されている。
明治3(1870)年、『延喜式神名帳』に見える和多都美神社へと改めた。翌明治4年5月、国幣中社に列格するとき、祭神を八幡神から豊玉姫命に改め、
同年6月に現在の海神神社へと変遷した。
……さて、天邪鬼な僕としては、海神神社よりも別の神社が気になってしかたがないのだ。
対馬の北端には2つの『白鬚(しらひげ)神社』があり、問題の『白鬚明神』が祀られているのだ。白鬚明神とは耳慣れない祭神であろう。
実はこの白鬚神社こそが、この神の原初の形態をとどめているのではないかと示唆されている。
周知のとおり、対馬は本土と朝鮮半島の中央……どちらかと言うとやや半島寄りに位置し、わずか53kmの距離にある。
古来より日本と韓国からの文物が行き来し、日本にとっては良くも悪くも異国との文化的・経済的交流の橋渡しの役を担ってきた。
ところで、最北端にある上対馬町の『豊』という集落にはこんな伝承がある。
対馬の沖合に椎根島なる無人島があり、別名『通らずが浜』と村人は呼んでいた。
江戸時代、他国の船頭が島にやってきて、薪を拾うために島の山に登った。花が咲き乱れ、白い水が流れているところがあったので、
ぼんやり眺めていたら、どこからともなく白髪の老翁が現れた。謎の老翁はニベもなく「何をしに来た? 早々帰れ」と、言った。
船頭は臆して引き返そうとすると、「よいか、この水を見たことを誰かに喋ると命がないぞ」と、警告。
「す、すっかり忘れた……お助け」と、船頭が言って逃げたが、老翁の言いつけを守らなかったのか、ほどなく死んだという。
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