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続・怖い島・いわくつきの村
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全国に散らばる、おっかない伝承伝説が伝わる離島専用スレッド第2弾です(若干ながら村ネタもあり)。
もちろん島の奇祭や神秘の風習、島のみならずワケあり岩礁や奇岩なども含み、いかがわしいオカルトにとどまらず、
れっきとした民俗学としての側面を持ち合わせています。島ネタに関して異常に特化したソレを目指すつもりです。
……前スレが500レスに達する前に続編を立てた理由は、サイズが500KBを超過してしまい書き込めなくなったためです。
せっかく満杯になるまで文字で埋め尽くし、有終の美を飾ろうとしたのにカウンターストップとは……。いささか文章がボリューミーすぎたかも。
まあ、めげずにご要望に応え、続・怖い島と行きましょう。
ちなみに……スレ自体を保存し、あとで読む方法をお教えします。
書き込みできなくなったスレは後ろへ流れてしまい、新スレが立ち上がるたび、古いものから消えてしまいます。
そうなる前に貴重なスレは永久保存しておきましょう。前スレはネット世界は広しといえど、近年類を見ない極上の資料スレですぞ。
以下は、その手順。
任意のスレ内の適当な空白で右クリック→プロパティ→アドレスをコピー→画面上部のアドレス直接入力枠にペースト→そのアドレスへ飛ぶ→
このスレが表示される→ファイル→名前を付けて保存。
※スレ画は前スレ>>188で紹介した、愛知県蒲郡市、三河大島にある仏島(島というより岩礁だが)。
癒されたい僕のブログ カヤック編 三河大島へ
http://blog.livedoor.jp/usa_usao5/archives/1697874.htm...
もちろん島の奇祭や神秘の風習、島のみならずワケあり岩礁や奇岩なども含み、いかがわしいオカルトにとどまらず、
れっきとした民俗学としての側面を持ち合わせています。島ネタに関して異常に特化したソレを目指すつもりです。
……前スレが500レスに達する前に続編を立てた理由は、サイズが500KBを超過してしまい書き込めなくなったためです。
せっかく満杯になるまで文字で埋め尽くし、有終の美を飾ろうとしたのにカウンターストップとは……。いささか文章がボリューミーすぎたかも。
まあ、めげずにご要望に応え、続・怖い島と行きましょう。
ちなみに……スレ自体を保存し、あとで読む方法をお教えします。
書き込みできなくなったスレは後ろへ流れてしまい、新スレが立ち上がるたび、古いものから消えてしまいます。
そうなる前に貴重なスレは永久保存しておきましょう。前スレはネット世界は広しといえど、近年類を見ない極上の資料スレですぞ。
以下は、その手順。
任意のスレ内の適当な空白で右クリック→プロパティ→アドレスをコピー→画面上部のアドレス直接入力枠にペースト→そのアドレスへ飛ぶ→
このスレが表示される→ファイル→名前を付けて保存。
※スレ画は前スレ>>188で紹介した、愛知県蒲郡市、三河大島にある仏島(島というより岩礁だが)。
癒されたい僕のブログ カヤック編 三河大島へ
http://blog.livedoor.jp/usa_usao5/archives/1697874.htm...
※省略されてます すべて表示...
クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察15
>藩政時代の鹿児島では処刑された犯罪人の生き肝を取る事が公認されていた。「冷えもん」とは肝の事である。
>現在の鹿児島市電の二軒茶屋停留所から山に入った所に、「サカセド刑場」があった。
>そこで行われるのが冷えもん取いである。打ち首によって首が刎ね落ちると、刑場をとりまく兵児は一斉に胴体に取りつき短刀で腹部を切り裂き肝を取り合った。
>鹿児島には特産の秘薬「浅山丸」があるが、それが「冷えもん」で作られたという。つまり兵児たちにとってはそれが臨時収入であったのである。
>それは同時に生贄として他人の命を救う秘薬となった。「浅山丸」は今もあるが、今日ではおそらくそれは鹿か何かの動物の肝であろう。
>ではクロ教の場合、供犠として切り出された心蔵はどうなるのか。「六神丸」になるのだと周囲の村はいう。
>何も驚く事はない。死んだ人間の蔵器が他人の病いを癒す。これは現代、正当化され行われている蔵器移植の類型である。
>サカヤは村を支配するほどに財産家であり資金力が豊かである。
>それであってこそサカヤとクロ宗は存続し得たのである。その財力は生き肝にあると言われている。
>こういう話はすべて「脱け」(註:村から追い出された人たちのこと)からの聞き取りである。
>そこで「脱け」以外からの、外の村の人間からの聞き取りも一つだけ挙げておく必要があるだろう。下甑村立の歴史民俗資料館の調査員氏である。
>彼の父親は大工であったという。手打の港から片野浦へ、屡(しばしば)、家を建てに通ったという。
>作業中のある日、死人が出たので棺桶を造ってくれと頼まれ寝棺を造った。
>見ていると入棺の儀式が何と畳を剥いで床下で行われたという。儀礼執行人が床下から這い上って来た時、何故か、全身が血痕で真っ赤に染まっていたという。
>そして一升瓶に詰められた血を見たという。昭和21年の事である。
>扨、この種の聞き取りをどれだけ積み重ねても実証性の保証には届かない。問題は受容された表層宗教が隠れという長い時間のなかで基層土俗へと沈殿する。
>この場合、宗教学の概念では「変容」と呼ばれて来た。だが基層土俗の内容は神秘という皮を一皮めくれば現世利益である。
>だからこの場合、変容ではなくて現世利益への「転換」ないしは「置換」と言える。要するにすり換えである。
>隠れ離れという条件の如何に関わらず、もともと日本人の一般的受容の態度はこの現世利益にある。
>信仰としてでなく文化としてしか受容しなかったとすれば、それは現世利益という現実的功利性の故である。
>生贄という秘儀には罪の贖いというより冷徹な現世利益がより深く絡まっている。
>藩政時代の鹿児島では処刑された犯罪人の生き肝を取る事が公認されていた。「冷えもん」とは肝の事である。
>現在の鹿児島市電の二軒茶屋停留所から山に入った所に、「サカセド刑場」があった。
>そこで行われるのが冷えもん取いである。打ち首によって首が刎ね落ちると、刑場をとりまく兵児は一斉に胴体に取りつき短刀で腹部を切り裂き肝を取り合った。
>鹿児島には特産の秘薬「浅山丸」があるが、それが「冷えもん」で作られたという。つまり兵児たちにとってはそれが臨時収入であったのである。
>それは同時に生贄として他人の命を救う秘薬となった。「浅山丸」は今もあるが、今日ではおそらくそれは鹿か何かの動物の肝であろう。
>ではクロ教の場合、供犠として切り出された心蔵はどうなるのか。「六神丸」になるのだと周囲の村はいう。
>何も驚く事はない。死んだ人間の蔵器が他人の病いを癒す。これは現代、正当化され行われている蔵器移植の類型である。
>サカヤは村を支配するほどに財産家であり資金力が豊かである。
>それであってこそサカヤとクロ宗は存続し得たのである。その財力は生き肝にあると言われている。
>こういう話はすべて「脱け」(註:村から追い出された人たちのこと)からの聞き取りである。
>そこで「脱け」以外からの、外の村の人間からの聞き取りも一つだけ挙げておく必要があるだろう。下甑村立の歴史民俗資料館の調査員氏である。
>彼の父親は大工であったという。手打の港から片野浦へ、屡(しばしば)、家を建てに通ったという。
>作業中のある日、死人が出たので棺桶を造ってくれと頼まれ寝棺を造った。
>見ていると入棺の儀式が何と畳を剥いで床下で行われたという。儀礼執行人が床下から這い上って来た時、何故か、全身が血痕で真っ赤に染まっていたという。
>そして一升瓶に詰められた血を見たという。昭和21年の事である。
>扨、この種の聞き取りをどれだけ積み重ねても実証性の保証には届かない。問題は受容された表層宗教が隠れという長い時間のなかで基層土俗へと沈殿する。
>この場合、宗教学の概念では「変容」と呼ばれて来た。だが基層土俗の内容は神秘という皮を一皮めくれば現世利益である。
>だからこの場合、変容ではなくて現世利益への「転換」ないしは「置換」と言える。要するにすり換えである。
>隠れ離れという条件の如何に関わらず、もともと日本人の一般的受容の態度はこの現世利益にある。
>信仰としてでなく文化としてしか受容しなかったとすれば、それは現世利益という現実的功利性の故である。
>生贄という秘儀には罪の贖いというより冷徹な現世利益がより深く絡まっている。
クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察16
>片野浦のクロ宗の徒は藩政時代は真言宗の檀徒であったという。この真言密教の持つ呪術性、秘儀性との習合も考えられるが、
>彼等はあくまでも隠れキリシタンである。真言宗の檀徒であったという事は寺請制度による強制でもあるが、キリシタンである事を隠す擬装であったと思える。
>ところが、片野浦のかつての天上墓のあった丘に対応する地点の平地に堂々たる浄土真宗本願寺派の本堂がそびえている。
>たった48戸の村にしては立派すぎる真宗寺院である。ここで、キリシタンと真言宗と浄土真宗という3つの重層が一挙に浮かび上がって来た。
>クロ教の村にそびえる浄土真宗の寺院は村の中心に位置する。寺院名は無名である。浄土真宗本願寺派片野浦説教所と称する。
>かつては隣村の青瀬の西楽寺の管轄する寺であったが、離島の小寺では食っていけない。そこで西楽寺住職は甑島を退転し、本土へ移っていった。
>そこで現在は手打の法雲寺が片野浦の依頼によって肩代わりしている。つまり法雲寺住職・井芹大心師がクロ宗の人々の仏事法要、
>更には片野浦の本堂での報恩講を勤めている。
>然し、それは形だけであり、法雲寺住職が彼等の寺の運営や寺の法要スケジュールそのものに口出しする事は頑として拒否される。
>彼等が浄土真宗の門徒であるのは昼の時間だ。夜の時間になればクロ宗という秘儀の世界へ帰って行く。
>では誰がこの寺を建てたのか。
>サカヤの大毛家が土地を提供し、建築資金のすべてを賄ったという。それほどにサカヤには財力がある。
>かつてこの寺を管轄していた青瀬の西楽寺も表向きはクロ教に雇われていたにすぎない。西楽寺の管轄は行政上の名義にすぎない。
>この場合、名義とはクロ宗である事を隠す擬装工作でもある。というより重層体系の典型的な例証がここにはある。
(中略)
>では、隠れキリシタンの末裔であるクロ宗が何故、浄土真宗なのか。
>キリシタンと同時に弾圧を受け続け禁じられて来たのが浄土真宗である。日本列島は地域によって、その禁圧と容認の仕方が可成り違ってくるが、
>鹿児島では1500年代の初めから明治9年に至るまで浄土真宗は禁じられていた。そこで浄土真宗の門徒は隠れキリシタンと同様に、
>隠れ念仏(※前スレ>>216〜218を参照せよ)の徒となって秘密の講のもとに結集し信心を相続した。
>島津藩の採った弾圧の方法は凄惨で、一村丸潰しという藩の経済損失と引換にしてまで敢行された。
>隠れキリシタンと隠れ念仏と、公権力によって同じように禁圧され、隠れざるを得なかった「隠れるもの同士」が歴史の底の何処かで繋がり合う事はなかったろうか。
>片野浦のクロ宗の徒は藩政時代は真言宗の檀徒であったという。この真言密教の持つ呪術性、秘儀性との習合も考えられるが、
>彼等はあくまでも隠れキリシタンである。真言宗の檀徒であったという事は寺請制度による強制でもあるが、キリシタンである事を隠す擬装であったと思える。
>ところが、片野浦のかつての天上墓のあった丘に対応する地点の平地に堂々たる浄土真宗本願寺派の本堂がそびえている。
>たった48戸の村にしては立派すぎる真宗寺院である。ここで、キリシタンと真言宗と浄土真宗という3つの重層が一挙に浮かび上がって来た。
>クロ教の村にそびえる浄土真宗の寺院は村の中心に位置する。寺院名は無名である。浄土真宗本願寺派片野浦説教所と称する。
>かつては隣村の青瀬の西楽寺の管轄する寺であったが、離島の小寺では食っていけない。そこで西楽寺住職は甑島を退転し、本土へ移っていった。
>そこで現在は手打の法雲寺が片野浦の依頼によって肩代わりしている。つまり法雲寺住職・井芹大心師がクロ宗の人々の仏事法要、
>更には片野浦の本堂での報恩講を勤めている。
>然し、それは形だけであり、法雲寺住職が彼等の寺の運営や寺の法要スケジュールそのものに口出しする事は頑として拒否される。
>彼等が浄土真宗の門徒であるのは昼の時間だ。夜の時間になればクロ宗という秘儀の世界へ帰って行く。
>では誰がこの寺を建てたのか。
>サカヤの大毛家が土地を提供し、建築資金のすべてを賄ったという。それほどにサカヤには財力がある。
>かつてこの寺を管轄していた青瀬の西楽寺も表向きはクロ教に雇われていたにすぎない。西楽寺の管轄は行政上の名義にすぎない。
>この場合、名義とはクロ宗である事を隠す擬装工作でもある。というより重層体系の典型的な例証がここにはある。
(中略)
>では、隠れキリシタンの末裔であるクロ宗が何故、浄土真宗なのか。
>キリシタンと同時に弾圧を受け続け禁じられて来たのが浄土真宗である。日本列島は地域によって、その禁圧と容認の仕方が可成り違ってくるが、
>鹿児島では1500年代の初めから明治9年に至るまで浄土真宗は禁じられていた。そこで浄土真宗の門徒は隠れキリシタンと同様に、
>隠れ念仏(※前スレ>>216〜218を参照せよ)の徒となって秘密の講のもとに結集し信心を相続した。
>島津藩の採った弾圧の方法は凄惨で、一村丸潰しという藩の経済損失と引換にしてまで敢行された。
>隠れキリシタンと隠れ念仏と、公権力によって同じように禁圧され、隠れざるを得なかった「隠れるもの同士」が歴史の底の何処かで繋がり合う事はなかったろうか。
クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察17
……引用ここまで。今回はあえて主観を排した形で締めくくる。この報告書がどれほどまで信憑性があるのかわからないが、
荒唐無稽の一言で片づけるにしては迫真性が漲っている。
興味ある方は下記リンクのサイト(●印のところ。[PDF]隠れキリシタンと隠れ念仏 米村竜治)を閲覧されたし。
全文を読むことができる。そこで判断願いたい。
ちなみに、人の胆で作った薬『浅山丸(あさやまがん)』とは、江戸時代に死刑囚の首を切るという職業を代々継いでいた山田浅右衛門が、
内職として作っていた肺病の薬。金2分で売っていたらしい。
その薬は、首を切り落とした死刑囚の体温がまだ暖かいうちに、みぞおちの当たりを切開し、その傷口から手を入れて胆嚢を引き出したあと小刀で切り離し、
胆汁がこぼれないように切り口を糸で固く縛り、それを陰干しにして、乾燥したらケシ粒ほどの丸薬に加工したものだという。
山田家では、別棟で、それ専用の肝蔵(きもぐら)が建ててあり、夜ごと浮かばれぬ幽霊が出たとかどうとかまことしやかに伝えられている。
また、雲霧仁左衛門、鼠小僧次郎吉、日本左衛門などの巨盗を切った時には、「さぞかし肝が強いだろう」といって、買い手が殺到したとか。
なお浅右衛門は、夜寝床に入ると首の化け物に襲われるというので、女どもに三味線などを弾かせて夜を明かし、明け方からようやく寝付く習慣になった。
したがって、家計簿の支出では油代が一番多かったという逸話が残されている。
山田家は他にも、人間の肝臓や脳を原料とし、労咳に効くといわれる丸薬を製造していた。これらは山田丸・浅右衛門丸・人胆などの名で販売され、
山田浅右衛門家は莫大な収入を得ていた。また、遊女の約束用として死体の小指を売却することもあったという。
……これまでくり返し唱えてきたが、離島とは四方を海で閉ざされた空間だ。生産から死まで自己完結される小世界のなかで独自の異質な文化が発生し、
長い時間をかけて発酵していき、内地のソレとかけ離れてしまうことが、ままある。
つくづくこの世は、理性で片づくものばかりではないことを思い知らされる。
……引用ここまで。今回はあえて主観を排した形で締めくくる。この報告書がどれほどまで信憑性があるのかわからないが、
荒唐無稽の一言で片づけるにしては迫真性が漲っている。
興味ある方は下記リンクのサイト(●印のところ。[PDF]隠れキリシタンと隠れ念仏 米村竜治)を閲覧されたし。
全文を読むことができる。そこで判断願いたい。
ちなみに、人の胆で作った薬『浅山丸(あさやまがん)』とは、江戸時代に死刑囚の首を切るという職業を代々継いでいた山田浅右衛門が、
内職として作っていた肺病の薬。金2分で売っていたらしい。
その薬は、首を切り落とした死刑囚の体温がまだ暖かいうちに、みぞおちの当たりを切開し、その傷口から手を入れて胆嚢を引き出したあと小刀で切り離し、
胆汁がこぼれないように切り口を糸で固く縛り、それを陰干しにして、乾燥したらケシ粒ほどの丸薬に加工したものだという。
山田家では、別棟で、それ専用の肝蔵(きもぐら)が建ててあり、夜ごと浮かばれぬ幽霊が出たとかどうとかまことしやかに伝えられている。
また、雲霧仁左衛門、鼠小僧次郎吉、日本左衛門などの巨盗を切った時には、「さぞかし肝が強いだろう」といって、買い手が殺到したとか。
なお浅右衛門は、夜寝床に入ると首の化け物に襲われるというので、女どもに三味線などを弾かせて夜を明かし、明け方からようやく寝付く習慣になった。
したがって、家計簿の支出では油代が一番多かったという逸話が残されている。
山田家は他にも、人間の肝臓や脳を原料とし、労咳に効くといわれる丸薬を製造していた。これらは山田丸・浅右衛門丸・人胆などの名で販売され、
山田浅右衛門家は莫大な収入を得ていた。また、遊女の約束用として死体の小指を売却することもあったという。
……これまでくり返し唱えてきたが、離島とは四方を海で閉ざされた空間だ。生産から死まで自己完結される小世界のなかで独自の異質な文化が発生し、
長い時間をかけて発酵していき、内地のソレとかけ離れてしまうことが、ままある。
つくづくこの世は、理性で片づくものばかりではないことを思い知らされる。
クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察18
N.E.U.T.R.A.L「B級スポット」不覚にも秘密結社の村「クロ宗」に萌えてしまった
http://neutral-neutral.com/archives/187...
excite世界びっくりニュース TVディレクターが語った、鹿児島の離島に伝わる「クロ宗」と"死の儀式"
http://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201503_post_59...
●[PDF]隠れキリシタンと隠れ念仏 米村竜治
http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/niso/1998-...
RAPT イエズス会と真言密教と浄土真宗と人肉食信仰「クロ宗」の奇妙な接点。フランシスコ・ザビエルを日本に招いた「ヤジロウ」から分かる悪魔教の現実。
http://rapt-neo.com/?p=2788...
ヤジロウwikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B8%E3%83%...
じじい見習いのアウトドア日記 ヤジロウの墓
http://blogs.yahoo.co.jp/trout2009jp/66867414.htm...
山田浅右衛門wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%B5%...
読書日記 『落合論文』陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(2)
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-81.htm...
六神丸wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%A5%9E%E4%B8%...
熊胆wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%83%8...
碧い世界 薩摩のひえもんとり
http://aoisekai487.blog7.fc2.com/blog-entry-683.htm...
鹿児島の市電と街その4 涙橋電停〜谷山電停
http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/cityview4.htm...
Googleマップ 下甑島・片野浦の集落
http://urx3.nu/lRc...
Googleマップ 下甑島・片野浦の集落
http://urx3.nu/lRd...
※>>166で「島民と島そのものを貶める云々、島の名誉を守らねばなるまい」と書いておきながら、掌を返すようなこんな仕打ちとは鬼畜の所業ですね。
N.E.U.T.R.A.L「B級スポット」不覚にも秘密結社の村「クロ宗」に萌えてしまった
http://neutral-neutral.com/archives/187...
excite世界びっくりニュース TVディレクターが語った、鹿児島の離島に伝わる「クロ宗」と"死の儀式"
http://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201503_post_59...
●[PDF]隠れキリシタンと隠れ念仏 米村竜治
http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/niso/1998-...
RAPT イエズス会と真言密教と浄土真宗と人肉食信仰「クロ宗」の奇妙な接点。フランシスコ・ザビエルを日本に招いた「ヤジロウ」から分かる悪魔教の現実。
http://rapt-neo.com/?p=2788...
ヤジロウwikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B8%E3%83%...
じじい見習いのアウトドア日記 ヤジロウの墓
http://blogs.yahoo.co.jp/trout2009jp/66867414.htm...
山田浅右衛門wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%B5%...
読書日記 『落合論文』陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(2)
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-81.htm...
六神丸wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%A5%9E%E4%B8%...
熊胆wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%83%8...
碧い世界 薩摩のひえもんとり
http://aoisekai487.blog7.fc2.com/blog-entry-683.htm...
鹿児島の市電と街その4 涙橋電停〜谷山電停
http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/cityview4.htm...
Googleマップ 下甑島・片野浦の集落
http://urx3.nu/lRc...
Googleマップ 下甑島・片野浦の集落
http://urx3.nu/lRd...
※>>166で「島民と島そのものを貶める云々、島の名誉を守らねばなるまい」と書いておきながら、掌を返すようなこんな仕打ちとは鬼畜の所業ですね。
宗像の沖ノ島が世界文化遺産に登録されるといいですね。端島といい、ついに「島」の時代の到来が来そうな予感。
ある意味、時代を先取りしてたスレだったかも?
だけど沖ノ島は女人禁制で、しかも1年に一度、たった200人しか入島できない制限があるんですよね。
観光客誘致となると、そこをどう解決するかが問題・・・
ある意味、時代を先取りしてたスレだったかも?
だけど沖ノ島は女人禁制で、しかも1年に一度、たった200人しか入島できない制限があるんですよね。
観光客誘致となると、そこをどう解決するかが問題・・・
腐乱死体と隣り合わせ……風葬の村 バリ島トルニャン村
バリ島の東北部にはバトゥール湖があり、その東岸にトルニャン村と呼ばれる小集落がある。
ここではバリ・アガと呼ばれる先住民族が暮らし、彼らはヒンドゥー教徒でありながら遺体を火葬することはなく、
未婚者は土葬にし、既婚者、天寿をまっとうした者は風葬という形で送る葬送儀礼がある。
とくに後者の風葬の場合、遺体は村の郊外の安置所に、野ざらしのまま放置。
遺体には獣が荒らすのを防ぐため、竹と椰子の葉で編んだカゴをかぶせているだけ。手前には故人が生前の愛用品が置かれる。
そして自然にまかせ、やがて肉体が朽ちて白骨化するのを待つ。
遺体置き場のそばには香木が立っており、腐敗臭を打ち消すのだという。その後、骨になると頭蓋骨だけ石段に並べられ、他の部位の骨はひとまとめにされる。
トルニャン村では死後の肉体は大地へと返すべき、という考え方がある。彼らにとって風葬は、自分がきちんと正しく生きた証でもあるのだ。
TOCANA 神秘なる人骨-生と死が共存するバリ島最後の秘境「風葬の村」トルニャン
http://tocana.jp/2013/12/post_3403_entry.htm...
4travel.jp 風葬の村トルニャン
http://4travel.jp/travelogue/1049584...
バリ島の東北部にはバトゥール湖があり、その東岸にトルニャン村と呼ばれる小集落がある。
ここではバリ・アガと呼ばれる先住民族が暮らし、彼らはヒンドゥー教徒でありながら遺体を火葬することはなく、
未婚者は土葬にし、既婚者、天寿をまっとうした者は風葬という形で送る葬送儀礼がある。
とくに後者の風葬の場合、遺体は村の郊外の安置所に、野ざらしのまま放置。
遺体には獣が荒らすのを防ぐため、竹と椰子の葉で編んだカゴをかぶせているだけ。手前には故人が生前の愛用品が置かれる。
そして自然にまかせ、やがて肉体が朽ちて白骨化するのを待つ。
遺体置き場のそばには香木が立っており、腐敗臭を打ち消すのだという。その後、骨になると頭蓋骨だけ石段に並べられ、他の部位の骨はひとまとめにされる。
トルニャン村では死後の肉体は大地へと返すべき、という考え方がある。彼らにとって風葬は、自分がきちんと正しく生きた証でもあるのだ。
TOCANA 神秘なる人骨-生と死が共存するバリ島最後の秘境「風葬の村」トルニャン
http://tocana.jp/2013/12/post_3403_entry.htm...
4travel.jp 風葬の村トルニャン
http://4travel.jp/travelogue/1049584...
ここまでを振り返り、ちょっと補足を。
当スレを象徴する>>1のサムネの仏島って、単に『潮仏』なのか? 潮仏は主として志摩半島に分布し、対する仏島はすぐお隣りの三河湾だし、
伝播しても不思議ではない。潮仏は海中に祀られた石仏であり、満ち潮の際は水中に没し、干潮時にはその姿を現す。
自らが潮に濡れて苦しみを引き受けることにより、腰から下の病気を治すと信仰されており、志摩の海女たちが参るそうだ。
となると、前スレ>>188の伝説は後付けの可能性があるかも? ……詳細はつかめず。
>>207の菅島での海女の話で、海中で出会う怪異『トモカヅキ』は、低酸素症と疲労によるサードマン現象(別スレttp://bbs50.meiwasuisan.com/kaiki/1419652014/l50)
だろうね。
それはそうと、>>213のクロ宗の『秘蹟』から派生した類似の話にも触れておこう。
『カルト』『秘密結社』のキーワードでクロ宗と共通点が見つかったものがあった。それがロシアの異端『フルイストゥイ』派である。
フルイストゥイ派とは、18世紀初頭、ロシアのヴォルガ河上流にある一寒村から発祥し、ロシア全土に拡散したキリスト教系の異端の秘密結社だ。
帝政ロシア末期にあらわれた怪僧ラスプーチンも33歳のときに入信し、熱心に信仰したほど。
彼らは正教会の礼拝式にも出席するが、それとは別に身内で秘密の集会を開き、そこで特殊な宗教的法悦を得ようとする。
フルイストゥイ派の秘密の礼拝は、主として『ラディエニエ』(献身、熱情の意)と称する儀式で、基本的な形式は法悦を得るための狂熱的な一種の舞踊であった。
時としてこの儀式は暗闇のなかで、いかがわしい集団的な性の饗宴にまでに発展。またごく稀に、儀式としての殺人が行われることもあったとされている。
『ボゴロディチャ』(神の母)の地位に昇進した未婚の若い娘が、出産した男子をキリストの再来と見なし、誕生後8日目に殺害するのだという。
その血と心臓を小麦粉と蜜に混ぜ、これで奇怪な聖体拝受のための聖餐のパンを作るのだとか……。
『フルイストゥイ』とは鞭で打つという意味であり、「救済を得るために罪を犯すべし」という意味不明の原理であった。
つまり人は罪を犯せば犯すほど、それだけ深く悔い改めることができる、という人間性のパラドックスの上に立った、奇怪であり、古風な信仰だったという。
いずれにせよ、怪しいカルト宗教は、稀に常軌を逸したことをやることがあるってことが言いたいのだ。
あ痛、>>217で『隠れ念仏(※前スレ>>216〜218を参照せよ)』と書いたが、正確には『隠し念仏』だった。この2つは似て非なると書いておきながら自爆。
>>220既出ではない。どうもその手はいかがわしくてスルーしていただけ。
伊勢志摩きらり千選 御座の潮仏(志摩市志摩町御座)
http://www.kirari1000.com/www.kirari1000.com.base_data.b...
当スレを象徴する>>1のサムネの仏島って、単に『潮仏』なのか? 潮仏は主として志摩半島に分布し、対する仏島はすぐお隣りの三河湾だし、
伝播しても不思議ではない。潮仏は海中に祀られた石仏であり、満ち潮の際は水中に没し、干潮時にはその姿を現す。
自らが潮に濡れて苦しみを引き受けることにより、腰から下の病気を治すと信仰されており、志摩の海女たちが参るそうだ。
となると、前スレ>>188の伝説は後付けの可能性があるかも? ……詳細はつかめず。
>>207の菅島での海女の話で、海中で出会う怪異『トモカヅキ』は、低酸素症と疲労によるサードマン現象(別スレttp://bbs50.meiwasuisan.com/kaiki/1419652014/l50)
だろうね。
それはそうと、>>213のクロ宗の『秘蹟』から派生した類似の話にも触れておこう。
『カルト』『秘密結社』のキーワードでクロ宗と共通点が見つかったものがあった。それがロシアの異端『フルイストゥイ』派である。
フルイストゥイ派とは、18世紀初頭、ロシアのヴォルガ河上流にある一寒村から発祥し、ロシア全土に拡散したキリスト教系の異端の秘密結社だ。
帝政ロシア末期にあらわれた怪僧ラスプーチンも33歳のときに入信し、熱心に信仰したほど。
彼らは正教会の礼拝式にも出席するが、それとは別に身内で秘密の集会を開き、そこで特殊な宗教的法悦を得ようとする。
フルイストゥイ派の秘密の礼拝は、主として『ラディエニエ』(献身、熱情の意)と称する儀式で、基本的な形式は法悦を得るための狂熱的な一種の舞踊であった。
時としてこの儀式は暗闇のなかで、いかがわしい集団的な性の饗宴にまでに発展。またごく稀に、儀式としての殺人が行われることもあったとされている。
『ボゴロディチャ』(神の母)の地位に昇進した未婚の若い娘が、出産した男子をキリストの再来と見なし、誕生後8日目に殺害するのだという。
その血と心臓を小麦粉と蜜に混ぜ、これで奇怪な聖体拝受のための聖餐のパンを作るのだとか……。
『フルイストゥイ』とは鞭で打つという意味であり、「救済を得るために罪を犯すべし」という意味不明の原理であった。
つまり人は罪を犯せば犯すほど、それだけ深く悔い改めることができる、という人間性のパラドックスの上に立った、奇怪であり、古風な信仰だったという。
いずれにせよ、怪しいカルト宗教は、稀に常軌を逸したことをやることがあるってことが言いたいのだ。
あ痛、>>217で『隠れ念仏(※前スレ>>216〜218を参照せよ)』と書いたが、正確には『隠し念仏』だった。この2つは似て非なると書いておきながら自爆。
>>220既出ではない。どうもその手はいかがわしくてスルーしていただけ。
伊勢志摩きらり千選 御座の潮仏(志摩市志摩町御座)
http://www.kirari1000.com/www.kirari1000.com.base_data.b...
>>222
端島に続き、ついに時代が追いついたってか。8月2日の日曜放送の所ジョージ司会の『目がテン!』でも青ヶ島の特集、やってたしね。
沖ノ島については前スレ>>10で早々書いたので、二度も説明するまでもあるまい。強いて言えば、沖ノ島は厳格なしきたりが現在も残され、
世界遺産に登録された暁には観光客が押し寄せると予想されるが、頑なに伝統を守ってほしい。
そのしきたりとは列挙しただけでもこんなにある。①『不言様』(おいわずさま・島で見たり聞いたりしたことを、口外することは許されない)、
②一木一草一石たりとも持ち出せず(ただし島内の湧き水は例外)、③入島する際は、一糸まとわぬ姿になって海水で禊をしなくてはならない、
④女人禁制(島内にある宗像大社沖津宮では、宗像三女神の田心姫神を祀っているが、これが女人に嫉妬するため)、⑤島内での不浄、汚穢(大小便)は一切禁止、
withnews 沖ノ島、女人禁制・裸でみそぎ 本気で守られている「しきたり」
http://withnews.jp/article/f0150729001qq000000000...
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群を世界遺産に
http://www.okinoshima-heritage.jp/
女人禁制wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E4%BA%BA%E7%A6%...
宗像三女神wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E4%B8%...
端島に続き、ついに時代が追いついたってか。8月2日の日曜放送の所ジョージ司会の『目がテン!』でも青ヶ島の特集、やってたしね。
沖ノ島については前スレ>>10で早々書いたので、二度も説明するまでもあるまい。強いて言えば、沖ノ島は厳格なしきたりが現在も残され、
世界遺産に登録された暁には観光客が押し寄せると予想されるが、頑なに伝統を守ってほしい。
そのしきたりとは列挙しただけでもこんなにある。①『不言様』(おいわずさま・島で見たり聞いたりしたことを、口外することは許されない)、
②一木一草一石たりとも持ち出せず(ただし島内の湧き水は例外)、③入島する際は、一糸まとわぬ姿になって海水で禊をしなくてはならない、
④女人禁制(島内にある宗像大社沖津宮では、宗像三女神の田心姫神を祀っているが、これが女人に嫉妬するため)、⑤島内での不浄、汚穢(大小便)は一切禁止、
withnews 沖ノ島、女人禁制・裸でみそぎ 本気で守られている「しきたり」
http://withnews.jp/article/f0150729001qq000000000...
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群を世界遺産に
http://www.okinoshima-heritage.jp/
女人禁制wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E4%BA%BA%E7%A6%...
宗像三女神wikipedia
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日本で1つだけ、『○○島』と名付けるには畏れ多い霊島 金華山
またしても悪い癖でログサイズが500KBに迫りつつあり、そろそろ当スレも終わりを迎えようとしている。
だとすれば、有終の美を飾るにふさわしい島々を紹介せねばなるまい。
福岡県宗像市の沖ノ島が厳格なしきたりを続けているが、実は東北にも多少は緩和されたとはいえ、信仰の篤い『神の島』が存在する。
それが宮城県石巻市の太平洋上に超然と浮かぶ有人島、金華山である。面積10.28km2、周囲17.3km、人口は6人。
島でありながら日本の島の中で『島』と名がつかないのは金華山だけだ。定説はないが、○○島と名付けるには畏れ多い場所で、
信仰の対象となるのはその『山』であるため、呼び名としての位は『島』よりも、『山』の方が格上だったからと言われている。
金華山は島全体が黄金山神社の神域となっており、地場の信仰の対象として知られ、恐山、出羽三山と並ぶ『奥州三霊場』に数えられる。
では黄金山神社は、どんな神を祀ってあるのか?
今からおよそ1260年遡ること天平21(749)年、陸奥国小田郡の金鉱で多くの金が採掘されたことにより、その金が朝廷に献納され、
聖武天皇がみずから奈良東大寺で一大祝賀式を設けた。
そのため金華山には鉱山の神である金山毘古神(かなやまひこのかみ)と金山毘賣神(かなやまひめのかみ)の2神が御祭神として祀られた。
それゆえ金にまつわるというところから、3年続けてこの神社に参拝すると生涯お金には不自由しないで暮らすことができると信じられた。
とはいえ近年の地質調査により「金華山は花崗岩でできた島」ということがわかっており、地質から考えて島で金が採れた可能性は低く、
むしろ金華山近くの、鮎川金山などから産出した金だったのではないかとも推測される。
万葉の歌人・大伴家持が残したこんな歌がある。『天皇(すめろぎ)の 御代(みよ)栄えむ東(あずま)なる 陸奥の山に 黄金花咲く』
この時代は金華山が陸奥の代名詞とされており、混同されたのではないか。いずれにせよ、金華山と直接『金』は関係がなかった。
しかし、牡鹿半島の豪族たちの権力により、あえて黄金のイメージを金華山に託して黄金山神社として祀ったのであろう。
神仏習合の時代になると、金華山は修験道の霊場となる。山全体を御神体とし、その中に鎮座する磐座(いわくら)を祀って聖域としてきたのである。
その後、藤原秀衡により建立された別当寺の金華山大金寺は、弁財天を守護神として明治期の廃仏毀釈で廃寺となるまで多くの信仰を集め、
江戸時代の長きにわたって弁財天の金華山信仰という民間信仰を開花させた。
明治以前まで、金華山は女人禁制の島だった。それを比較すれば、沖ノ島のしきたりはよく頑張っていると思う。
女人禁制の掟が厳しかった昔、牡鹿半島に住む亀という名前の女が禁制を犯して海を泳いで金華山へ渡ったところ、
神の怒りに触れて突然石になってしまったとも伝えられている。その『亀石』は、現在も金華山の港に佇んでいる。
また金華山への参拝を終えて帰るときは、金華山で履いた草履は島に脱ぎ置き、対岸に着くと新しい草履に履き替え、本土の土を踏んだとされている。
神聖なる金華山の神が、島の一木一草一石にいたるまで、たとえ島の土粒たりとも島外に出ていくことを嫌うからこんな因習が生まれたそうだ。
みちのくにやま 黄金花咲く金華山 霊島金華山黄金山神社
http://kinkasan.jp/
白い国の詩 東北の動物たち 金華山信仰と神鹿
http://www.tohoku-epco.co.jp/shiro/08_10/05doubutu/index.ht...
玄松子の祭神記 金山彦神・金山姫神
http://www.genbu.net/saijin/kanayamahiko.ht...
宮城県復興応援ブログ ココロ??プレス 12年に1度の御本殿御開扉巳歳御縁年大祭 前編(石巻市金華山、女川町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/05/12-1.htm...
またしても悪い癖でログサイズが500KBに迫りつつあり、そろそろ当スレも終わりを迎えようとしている。
だとすれば、有終の美を飾るにふさわしい島々を紹介せねばなるまい。
福岡県宗像市の沖ノ島が厳格なしきたりを続けているが、実は東北にも多少は緩和されたとはいえ、信仰の篤い『神の島』が存在する。
それが宮城県石巻市の太平洋上に超然と浮かぶ有人島、金華山である。面積10.28km2、周囲17.3km、人口は6人。
島でありながら日本の島の中で『島』と名がつかないのは金華山だけだ。定説はないが、○○島と名付けるには畏れ多い場所で、
信仰の対象となるのはその『山』であるため、呼び名としての位は『島』よりも、『山』の方が格上だったからと言われている。
金華山は島全体が黄金山神社の神域となっており、地場の信仰の対象として知られ、恐山、出羽三山と並ぶ『奥州三霊場』に数えられる。
では黄金山神社は、どんな神を祀ってあるのか?
今からおよそ1260年遡ること天平21(749)年、陸奥国小田郡の金鉱で多くの金が採掘されたことにより、その金が朝廷に献納され、
聖武天皇がみずから奈良東大寺で一大祝賀式を設けた。
そのため金華山には鉱山の神である金山毘古神(かなやまひこのかみ)と金山毘賣神(かなやまひめのかみ)の2神が御祭神として祀られた。
それゆえ金にまつわるというところから、3年続けてこの神社に参拝すると生涯お金には不自由しないで暮らすことができると信じられた。
とはいえ近年の地質調査により「金華山は花崗岩でできた島」ということがわかっており、地質から考えて島で金が採れた可能性は低く、
むしろ金華山近くの、鮎川金山などから産出した金だったのではないかとも推測される。
万葉の歌人・大伴家持が残したこんな歌がある。『天皇(すめろぎ)の 御代(みよ)栄えむ東(あずま)なる 陸奥の山に 黄金花咲く』
この時代は金華山が陸奥の代名詞とされており、混同されたのではないか。いずれにせよ、金華山と直接『金』は関係がなかった。
しかし、牡鹿半島の豪族たちの権力により、あえて黄金のイメージを金華山に託して黄金山神社として祀ったのであろう。
神仏習合の時代になると、金華山は修験道の霊場となる。山全体を御神体とし、その中に鎮座する磐座(いわくら)を祀って聖域としてきたのである。
その後、藤原秀衡により建立された別当寺の金華山大金寺は、弁財天を守護神として明治期の廃仏毀釈で廃寺となるまで多くの信仰を集め、
江戸時代の長きにわたって弁財天の金華山信仰という民間信仰を開花させた。
明治以前まで、金華山は女人禁制の島だった。それを比較すれば、沖ノ島のしきたりはよく頑張っていると思う。
女人禁制の掟が厳しかった昔、牡鹿半島に住む亀という名前の女が禁制を犯して海を泳いで金華山へ渡ったところ、
神の怒りに触れて突然石になってしまったとも伝えられている。その『亀石』は、現在も金華山の港に佇んでいる。
また金華山への参拝を終えて帰るときは、金華山で履いた草履は島に脱ぎ置き、対岸に着くと新しい草履に履き替え、本土の土を踏んだとされている。
神聖なる金華山の神が、島の一木一草一石にいたるまで、たとえ島の土粒たりとも島外に出ていくことを嫌うからこんな因習が生まれたそうだ。
みちのくにやま 黄金花咲く金華山 霊島金華山黄金山神社
http://kinkasan.jp/
白い国の詩 東北の動物たち 金華山信仰と神鹿
http://www.tohoku-epco.co.jp/shiro/08_10/05doubutu/index.ht...
玄松子の祭神記 金山彦神・金山姫神
http://www.genbu.net/saijin/kanayamahiko.ht...
宮城県復興応援ブログ ココロ??プレス 12年に1度の御本殿御開扉巳歳御縁年大祭 前編(石巻市金華山、女川町)
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ヤドカリ葬は実在するのか? その考察1
前スレが産声をあげたのは2011年4月。当スレを合わせると4年と5ヶ月にわたり、スレの私物化も甚だしく、
長らく明和水産管理人様および皆様のお目汚し失礼してきた。この場をお借り、お詫び申し上げる。
当スレも容量の都合上、ついに今回で最終回と相成る。と言っても感傷は不要。粛々と島ネタを提示するのみだ。
さて、前スレ>>133で「ヤドカリ葬に関して鋭意調査中」と軽々しくも書いておきながらずいぶん時間が経ってしまった。
調査中と言ってしまった手前、この課題はきっちりとカタをつけなければなるまい。
島の秘密の風習やタブーを追っていると、必ず突き当たるのが『クロ宗』と『ヤドカリ葬』だった。
クロ宗に関してはさんざっぱら追究したつもりだから、これでよしとしよう。となると、某島で秘密裏に行われているという『ヤドカリ葬』の件である。
ヤドカリ葬とは読んで字のごとく、人間の遺体をチベットの鳥葬みたく、ヤドカリの群れに食べさせる葬送儀礼であろうことは想像できる。
はたして現行法(墓埋法)に触れるような、奇怪かつ野蛮とも思える風習がこの現代日本に存在するというのか?
下世話な某雑誌によると、まことしやかにこの記述が見られ、信じ難いと眉をひそめつつも、むしろ火のないところに煙は立たないはずだ。
某雑誌記者はどこからネタを仕入れたのかと疑問があった。必ずや源泉があるに違いない。
いくらネット世界は広しといえど尻尾をつかめず難航していたが、おぼろげながら輪郭がつかめるようにまでなったので、ざっくり書いてみる。
この検証をするにあたり、ある意味『怖い島』の総決算となろう。ただし容量の関係もあり、いくつもの長文レスを重ねるわけにはいかない。
かなり駆け足の、これまでとは異なる不親切なやり方でアプローチすることになる。せめて★マークをつけたところだけは刮目して欲しい。
ヤドカリ葬の記述が見られる資料は、当スレ>>166で明かした①宙出版『実録 怖い島・伝説の奇祭編』の誌上および、②漫画実話ナックルズ特別編集
『死ぬかと思った絶叫体験SPECIAL』(①②は漫画)、DVD化されている③『恐い動画 投稿&心霊地帯スペシャル2』の1編にすぎない。
これらは似たり寄ったりの情報が羅列しているため、いずれかに触発されて流用されたネタだと思われる。
この3点の、下衆で眉唾モノの媒体を鵜呑みするのは愚かしいことだが(ましてや1つはナックルズw)、異様に興味をソソられる内容ではある。軽くその概略に触れよう。
以下、資料①の要約。
奄美地方の一部集落では風葬以外の『自然葬』も行われていたという報告がある。現行法では法に触れる恐れがあり、現在では行われていないというが、
本土から遠く離れている島々では、今もなお語り継がれている奇習がある。
その奇習が『ヤドカリ葬』と呼ばれるもの。奄美全域で行われた風葬とは異なり、『とある島だけ』に残った信仰と風習が反映された葬儀様式。
『ヤドカリ葬』はチベット仏教やインドのゾロアスター教といった宗教葬儀で行われている鳥葬と様式的に似ている。鳥葬は葬儀後、遺体を郊外の荒地に運び、
それを裁断し断片化しハゲワシなどの鳥類の餌とさせるのだが、ヤドカリ葬もヤドカリが集まるところへ遺体を放置し、ヤドカリに食べさせる葬儀様式である。
この地方のヤドカリは『アマン』と呼ばれ、神聖視された生き物である。わけても岬にそそり立つ岩礁を神の姿に見立て『立神』と呼び、古くから信仰の対象としてきた。
奄美地方だけでなく、トカラ列島、大隅諸島でもこの『立神』を発見することができるが、ヤドカリ葬を行うこの岩礁を神聖なる場所と定めてニャーデバナと呼び、
『天に通じる島』として畏れ敬っていたという。
前スレが産声をあげたのは2011年4月。当スレを合わせると4年と5ヶ月にわたり、スレの私物化も甚だしく、
長らく明和水産管理人様および皆様のお目汚し失礼してきた。この場をお借り、お詫び申し上げる。
当スレも容量の都合上、ついに今回で最終回と相成る。と言っても感傷は不要。粛々と島ネタを提示するのみだ。
さて、前スレ>>133で「ヤドカリ葬に関して鋭意調査中」と軽々しくも書いておきながらずいぶん時間が経ってしまった。
調査中と言ってしまった手前、この課題はきっちりとカタをつけなければなるまい。
島の秘密の風習やタブーを追っていると、必ず突き当たるのが『クロ宗』と『ヤドカリ葬』だった。
クロ宗に関してはさんざっぱら追究したつもりだから、これでよしとしよう。となると、某島で秘密裏に行われているという『ヤドカリ葬』の件である。
ヤドカリ葬とは読んで字のごとく、人間の遺体をチベットの鳥葬みたく、ヤドカリの群れに食べさせる葬送儀礼であろうことは想像できる。
はたして現行法(墓埋法)に触れるような、奇怪かつ野蛮とも思える風習がこの現代日本に存在するというのか?
下世話な某雑誌によると、まことしやかにこの記述が見られ、信じ難いと眉をひそめつつも、むしろ火のないところに煙は立たないはずだ。
某雑誌記者はどこからネタを仕入れたのかと疑問があった。必ずや源泉があるに違いない。
いくらネット世界は広しといえど尻尾をつかめず難航していたが、おぼろげながら輪郭がつかめるようにまでなったので、ざっくり書いてみる。
この検証をするにあたり、ある意味『怖い島』の総決算となろう。ただし容量の関係もあり、いくつもの長文レスを重ねるわけにはいかない。
かなり駆け足の、これまでとは異なる不親切なやり方でアプローチすることになる。せめて★マークをつけたところだけは刮目して欲しい。
ヤドカリ葬の記述が見られる資料は、当スレ>>166で明かした①宙出版『実録 怖い島・伝説の奇祭編』の誌上および、②漫画実話ナックルズ特別編集
『死ぬかと思った絶叫体験SPECIAL』(①②は漫画)、DVD化されている③『恐い動画 投稿&心霊地帯スペシャル2』の1編にすぎない。
これらは似たり寄ったりの情報が羅列しているため、いずれかに触発されて流用されたネタだと思われる。
この3点の、下衆で眉唾モノの媒体を鵜呑みするのは愚かしいことだが(ましてや1つはナックルズw)、異様に興味をソソられる内容ではある。軽くその概略に触れよう。
以下、資料①の要約。
奄美地方の一部集落では風葬以外の『自然葬』も行われていたという報告がある。現行法では法に触れる恐れがあり、現在では行われていないというが、
本土から遠く離れている島々では、今もなお語り継がれている奇習がある。
その奇習が『ヤドカリ葬』と呼ばれるもの。奄美全域で行われた風葬とは異なり、『とある島だけ』に残った信仰と風習が反映された葬儀様式。
『ヤドカリ葬』はチベット仏教やインドのゾロアスター教といった宗教葬儀で行われている鳥葬と様式的に似ている。鳥葬は葬儀後、遺体を郊外の荒地に運び、
それを裁断し断片化しハゲワシなどの鳥類の餌とさせるのだが、ヤドカリ葬もヤドカリが集まるところへ遺体を放置し、ヤドカリに食べさせる葬儀様式である。
この地方のヤドカリは『アマン』と呼ばれ、神聖視された生き物である。わけても岬にそそり立つ岩礁を神の姿に見立て『立神』と呼び、古くから信仰の対象としてきた。
奄美地方だけでなく、トカラ列島、大隅諸島でもこの『立神』を発見することができるが、ヤドカリ葬を行うこの岩礁を神聖なる場所と定めてニャーデバナと呼び、
『天に通じる島』として畏れ敬っていたという。
ヤドカリ葬は実在するのか? その考察2
なかには伝染病の疑いにより、★『生体のまま』(つまり生きたまま)島に放置することもあったとの、俄かに信じ難い記述が見られる。
再現漫画では島民の1人が「この風習は一切口外してはならない」と、発言するシーンがある。口外することは許されないとのことから、
外部に漏れにくい構造になっているようだ。
続いて、資料②『死ぬかと思った絶叫体験SPECIAL』の要約。ほぼ①『実録 怖い島〜』と同じ内容ながら漫画はライトな印象。
江戸時代初期まで遺体をニャーデバナという岩礁に安置し、鳥葬とヤドカリ葬が行われた。ヤドカリはオカヤドカリという別種のもので、奄美方言でアマンと呼ぶ。
アマンは死者の霊を弔うものとされ、食欲旺盛なヤドカリが遺体の肉を吸い取るようにして体内へ取り込み、骨だけをきれいに残した。
また、ニャーデバナは『天に通じる島』とされ、亡くなるとそこから天に昇っていくと考えられていた。
お次は、③『恐い動画 投稿&心霊地帯スペシャル2』(パート14中12番目・南国に伝わる奇習『死者を置く島』)から。
動画は右のリンク。削除される可能性があるので、観るなら今すぐに。2時間3分20秒から開始。https://www.youtube.com/watch?v=hrmYwUy8kD...
観光地としても有名な鹿児島県A市。A島の北部ではトフル(※トウール=とおる=通る=通じるという意味の方言。つまり『天に通じる場所』)と呼ばれる洞穴がいくつも存在。
明治初期までは自然に作られた洞穴や岩陰などに遺体を葬り、風にさらし続け、白骨化するのを待った。
さらに時代を遡ると、江戸時代においては村人が死ぬと、ニャーデバナと呼ばれる小さな島に運ばれた。
その遺体はヤドカリに食べられることによって天に昇っていったという。遺体は切り立っている岩の上に置かれると数日でその姿が見えなくなり、
ヤドカリは遺体にまとわりつくと肉を吸い取るようにして死者を体内に取り込んでいたのである。
……この3点の媒体に共通するのが『ニャーデバナ』=『天に通じる島』と呼ばれる岩礁だ。まとめればこうだ。「ニャーデバナは不思議とオカヤドカリが大量に
集まる神聖な場所で、人死にがあると遺体を船で運び、岩の上に安置した。数日、数ヶ月をかけてヤドカリの群れが骨だけを残して食べ尽すという……。」
『ニャーデ』は奄美方言で何を意味するのかわからないが、『バナ』は『鼻』のことを指し、つまり『岬』を意味する。
では、このニャーデバナの在り処はどこかググったものの、見つからず難航した。往年の番組『水曜スペシャル・川口浩探検シリーズ』の川口隊長じゃあるまいし、
「我々は総力をあげて探索したが、結局、謎の猿人バーゴンを発見するには至らなかった……」みたいな、ホロ苦い結論は出したくない。
当初、資料①にある『奄美大島から連絡船に乗って4時間ほどの島』に力点をおいたせいで、固定観念が生じてしまい惑わされた。
が、こんな資料を真に受けるのがそもそも混乱を招く要因となる。結局は②や、③の動画でもわかるが、面積712.52k㎡を誇る奄美大島のどこかなのだ。
このたび執念の追跡をもってして、ついにソレらしき岩礁を特定した。
追跡にあたり、このネタに限らず、島サイト『日本の島へ行こう』http://imagic.qee.jp/には、長年にわたりお世話になった。
Googleマップやストリートビューの技術も偉大だが、時として傲慢な暴露趣味を満たすことに使われることもある。節度をわきまえるべきだと反省もしている。
……ズバリ言おう。★ニャーデバナは奄美大島の北端、笠利(かさりざき)町のビーチ内にある岩礁ではないかと推測する。
https://www.google.co.jp/maps/place/%EF%BC%88%E6%9C%89%...右の長方形っぽい岩礁がソレではないかと。
なかには伝染病の疑いにより、★『生体のまま』(つまり生きたまま)島に放置することもあったとの、俄かに信じ難い記述が見られる。
再現漫画では島民の1人が「この風習は一切口外してはならない」と、発言するシーンがある。口外することは許されないとのことから、
外部に漏れにくい構造になっているようだ。
続いて、資料②『死ぬかと思った絶叫体験SPECIAL』の要約。ほぼ①『実録 怖い島〜』と同じ内容ながら漫画はライトな印象。
江戸時代初期まで遺体をニャーデバナという岩礁に安置し、鳥葬とヤドカリ葬が行われた。ヤドカリはオカヤドカリという別種のもので、奄美方言でアマンと呼ぶ。
アマンは死者の霊を弔うものとされ、食欲旺盛なヤドカリが遺体の肉を吸い取るようにして体内へ取り込み、骨だけをきれいに残した。
また、ニャーデバナは『天に通じる島』とされ、亡くなるとそこから天に昇っていくと考えられていた。
お次は、③『恐い動画 投稿&心霊地帯スペシャル2』(パート14中12番目・南国に伝わる奇習『死者を置く島』)から。
動画は右のリンク。削除される可能性があるので、観るなら今すぐに。2時間3分20秒から開始。https://www.youtube.com/watch?v=hrmYwUy8kD...
観光地としても有名な鹿児島県A市。A島の北部ではトフル(※トウール=とおる=通る=通じるという意味の方言。つまり『天に通じる場所』)と呼ばれる洞穴がいくつも存在。
明治初期までは自然に作られた洞穴や岩陰などに遺体を葬り、風にさらし続け、白骨化するのを待った。
さらに時代を遡ると、江戸時代においては村人が死ぬと、ニャーデバナと呼ばれる小さな島に運ばれた。
その遺体はヤドカリに食べられることによって天に昇っていったという。遺体は切り立っている岩の上に置かれると数日でその姿が見えなくなり、
ヤドカリは遺体にまとわりつくと肉を吸い取るようにして死者を体内に取り込んでいたのである。
……この3点の媒体に共通するのが『ニャーデバナ』=『天に通じる島』と呼ばれる岩礁だ。まとめればこうだ。「ニャーデバナは不思議とオカヤドカリが大量に
集まる神聖な場所で、人死にがあると遺体を船で運び、岩の上に安置した。数日、数ヶ月をかけてヤドカリの群れが骨だけを残して食べ尽すという……。」
『ニャーデ』は奄美方言で何を意味するのかわからないが、『バナ』は『鼻』のことを指し、つまり『岬』を意味する。
では、このニャーデバナの在り処はどこかググったものの、見つからず難航した。往年の番組『水曜スペシャル・川口浩探検シリーズ』の川口隊長じゃあるまいし、
「我々は総力をあげて探索したが、結局、謎の猿人バーゴンを発見するには至らなかった……」みたいな、ホロ苦い結論は出したくない。
当初、資料①にある『奄美大島から連絡船に乗って4時間ほどの島』に力点をおいたせいで、固定観念が生じてしまい惑わされた。
が、こんな資料を真に受けるのがそもそも混乱を招く要因となる。結局は②や、③の動画でもわかるが、面積712.52k㎡を誇る奄美大島のどこかなのだ。
このたび執念の追跡をもってして、ついにソレらしき岩礁を特定した。
追跡にあたり、このネタに限らず、島サイト『日本の島へ行こう』http://imagic.qee.jp/には、長年にわたりお世話になった。
Googleマップやストリートビューの技術も偉大だが、時として傲慢な暴露趣味を満たすことに使われることもある。節度をわきまえるべきだと反省もしている。
……ズバリ言おう。★ニャーデバナは奄美大島の北端、笠利(かさりざき)町のビーチ内にある岩礁ではないかと推測する。
https://www.google.co.jp/maps/place/%EF%BC%88%E6%9C%89%...右の長方形っぽい岩礁がソレではないかと。
ヤドカリ葬は実在するのか? その考察3
とはいえ、ニャーデバナについての情報は、ほぼ検索に引っかからないのが実情だ。僕の手元にある乏しい文献にもまったく見当たらない。
実際に現地へ行って聞き込みをできたら御の字だが、こちとら経済的物理的な余裕はない。あるいは近隣の自動車整備工に電話で問い合わせるのも手だが……。
この際ニャーデバナは置いておいて、ヤドカリ葬の核心に迫ろう。
聖なるヤドカリに食べられることで天に召されるという構図は、ほぼチベットの鳥葬と同義なのだから理解できなくもないとして、
ヤドカリ=アマンがなぜ神聖視されているのか、本土に住む我々には計り知れないと思う。
ヤドカリに関して、奄美大島の東、約25kmに位置する喜界島の小野津集落では、こんな伝説が存在する。題名は『5つ甕(かめ・ハミンカー)伝説』。
容量の関係で全文を載せられない。下記サイトを参照せよ。リンク切れならば自力で探すしかない。
●奄美の昔話・伝説 №10 上納の機織りで子供を失う悲劇 喜界町 五つ甕
http://www.synapse.ne.jp/‾hellokids/amaminodensetu/amaminodensetu_10.htm
なおアマン神なるものについては下記サイトを参照せよ。沖縄・奄美地方版、人類創成伝説は本土の古事記と似て非なるもので、たいへん興味深い。
ヤドカリ葬を知るうえにおいて、必須の事項であろう。これもリンク切れなら、『沖縄・奄美の神話』などと打ち込んで自力で探すべし。
●かんたん神話学 洞穴の中の兄妹
http://suwa3.web.fc2.com/enkan/kantan/jp_hon/jpr03.htm...
ここでのヤドカリはオカヤドカリ(学名は『ムラサキオカヤドカリ』)を指す。本土で見られる通常サイズのソレよりも大振りで、脚や鋏が太く頑丈。
通常のヤドカリが主に海中で生息するのに対し、オカヤドカリは名前が示すとおり陸上生活をする。
基本的にヤドカリやヤシガニは乾燥に強く、空気中から酸素を取り入れ呼吸ができる特殊なエラを有する。
主に小笠原諸島と南西諸島に分布。本土では九州南部や四国南部、紀伊半島南部の太平洋岸で見られるが、南西諸島以南で繁殖時に放たれた幼生が黒潮に乗って北上し、
偶然定着できたもの。日本に生息するこのオカヤドカリ全種が国の天然記念物に指定されている。
またナキオカヤドカリなどは、その名前のとおり発音することができる。声帯などの発声器官はなく、貝殻の内側を足で引っかくことにより、
ギチギチ、ギュイギュイといった音を出すものの、音を立てる目的については解明されていない。
このオカヤドカリを奄美・沖縄地方ではアマンと呼ぶが、各集落や離島によっては若干の呼び名の差異が見られる。
アーマン、アマム、アマンツァ、アマンブ、アマンザ、アーミンチャーなど。いずれにせよ、ヤドカリは神聖な生き物の扱いを受けている。
とはいえ、ニャーデバナについての情報は、ほぼ検索に引っかからないのが実情だ。僕の手元にある乏しい文献にもまったく見当たらない。
実際に現地へ行って聞き込みをできたら御の字だが、こちとら経済的物理的な余裕はない。あるいは近隣の自動車整備工に電話で問い合わせるのも手だが……。
この際ニャーデバナは置いておいて、ヤドカリ葬の核心に迫ろう。
聖なるヤドカリに食べられることで天に召されるという構図は、ほぼチベットの鳥葬と同義なのだから理解できなくもないとして、
ヤドカリ=アマンがなぜ神聖視されているのか、本土に住む我々には計り知れないと思う。
ヤドカリに関して、奄美大島の東、約25kmに位置する喜界島の小野津集落では、こんな伝説が存在する。題名は『5つ甕(かめ・ハミンカー)伝説』。
容量の関係で全文を載せられない。下記サイトを参照せよ。リンク切れならば自力で探すしかない。
●奄美の昔話・伝説 №10 上納の機織りで子供を失う悲劇 喜界町 五つ甕
http://www.synapse.ne.jp/‾hellokids/amaminodensetu/amaminodensetu_10.htm
なおアマン神なるものについては下記サイトを参照せよ。沖縄・奄美地方版、人類創成伝説は本土の古事記と似て非なるもので、たいへん興味深い。
ヤドカリ葬を知るうえにおいて、必須の事項であろう。これもリンク切れなら、『沖縄・奄美の神話』などと打ち込んで自力で探すべし。
●かんたん神話学 洞穴の中の兄妹
http://suwa3.web.fc2.com/enkan/kantan/jp_hon/jpr03.htm...
ここでのヤドカリはオカヤドカリ(学名は『ムラサキオカヤドカリ』)を指す。本土で見られる通常サイズのソレよりも大振りで、脚や鋏が太く頑丈。
通常のヤドカリが主に海中で生息するのに対し、オカヤドカリは名前が示すとおり陸上生活をする。
基本的にヤドカリやヤシガニは乾燥に強く、空気中から酸素を取り入れ呼吸ができる特殊なエラを有する。
主に小笠原諸島と南西諸島に分布。本土では九州南部や四国南部、紀伊半島南部の太平洋岸で見られるが、南西諸島以南で繁殖時に放たれた幼生が黒潮に乗って北上し、
偶然定着できたもの。日本に生息するこのオカヤドカリ全種が国の天然記念物に指定されている。
またナキオカヤドカリなどは、その名前のとおり発音することができる。声帯などの発声器官はなく、貝殻の内側を足で引っかくことにより、
ギチギチ、ギュイギュイといった音を出すものの、音を立てる目的については解明されていない。
このオカヤドカリを奄美・沖縄地方ではアマンと呼ぶが、各集落や離島によっては若干の呼び名の差異が見られる。
アーマン、アマム、アマンツァ、アマンブ、アマンザ、アーミンチャーなど。いずれにせよ、ヤドカリは神聖な生き物の扱いを受けている。
ヤドカリ葬は実在するのか? その考察4
さて、当山昌直氏という沖縄国際大学南島文化研究所研究員の方がいる(1951年沖縄県那覇市生まれ。動物学専攻・(財)沖縄県文化振興会史料編集室室長)。
この当山氏が書いた報告書に、なんとヤドカリ葬を裏付けるような考察が見られるのだ。タイトルは『沖縄島の古風葬とオカヤドカリ類との関連について』。
それによると、オカヤドカリ類に関する方言、民話、針突(女性の成人の証として、手の甲に入れ墨をする風習)などを調べ、
オカヤドカリ類が民俗学的な面からも極めて興味深い動物と注目し、さらには祖神アマミク神との関連を指摘。
琉球のオカヤドカリ類と人との関わりは、単なる日常生活というより、琉球文化の源流とも深く関わっているとしている。
なかでも人生儀礼の大きな節目となる葬制の面からオカヤドカリ類と人との関わりについて言及しているのだ。
沖縄には古い葬制として、遺体を野外にさらした状態で行う風葬(古い風葬のことを便宜的に『古風葬』と称する) があったのは周知のとおりである。
火葬場が設置される以前の沖縄では、密閉された構造物としての墓内における一次葬も風葬といえるが、古風葬はそれと異なり、より古い時代に行われていたものだ。
多くが海岸およびそれに近い場所のアダン(タコノキ科タコノキ属の常緑小高木)を主とする海岸林や崖などで行われていたものを指す。
実はこれらの古風葬が行われていた場所はオカヤドカリ類の生息地と重なる部分が多く、腐肉食としても知られているオカヤドカリ類が何らかの形で
関わっているのではあるまいかと注目。
オカヤドカリ類は主に海岸付近に生息しているが、オカヤドカリ、ムラサキオカヤドカリの大型個体は、糸満市平和創造の森(海岸までの最短距離約300m) に
おける調査でも多くの個体が多く確認されており、さらに斎場御嶽(標高約120m、海岸までの最短距離約430m)などのように海岸から離れた、
比較的高い場所にも多くの個体が住んでいることが明らかになった。
さらに内陸部になると生息の確認が難しく情報が少なくなるが、オカヤドカリ類は海岸から約500m以内およびその範囲内の崖上までは生息地として見ることができる。
これら古風葬地はいずれも海岸から350m内。つまり古風葬の場所とオカヤドカリ類の生息地がほぼ重なっているのだ。
すなわち、オカヤドカリ類が人間の遺骸に集まり、その遺骸を食したのではないか。
オカヤドカリ類はいわゆる『海の掃除屋』としての側面をもち、海岸に打ち上げられた魚の死骸や海藻などの有機物を食べることが知られている。
筆者は他に、オカヤドカリ取扱商組合関係者の聞き取り調査時に、こんな情報を得ている。
「夜、ヤドカリ類を採取していると、ある場所に多くのオカヤドカリ類が群がっていたので、喜んで捕獲。ふと上を見上げると、頭上に首吊り自殺者の遺体があった」
人間の遺骸をオカヤドカリ類が食することについては文献等でもまだ確認してないが、これまでのオカヤドカリ類の観察から実際に行われる可能性はあると思われる。
風葬の1つとして鳥葬が知られているが、★意図的ではなかったとしても結果的には『オカヤドカリ葬』というのが成り立つのではないか。
それが沖縄島の古風葬の形態として存在したのではないかと思われる。
さて、当山昌直氏という沖縄国際大学南島文化研究所研究員の方がいる(1951年沖縄県那覇市生まれ。動物学専攻・(財)沖縄県文化振興会史料編集室室長)。
この当山氏が書いた報告書に、なんとヤドカリ葬を裏付けるような考察が見られるのだ。タイトルは『沖縄島の古風葬とオカヤドカリ類との関連について』。
それによると、オカヤドカリ類に関する方言、民話、針突(女性の成人の証として、手の甲に入れ墨をする風習)などを調べ、
オカヤドカリ類が民俗学的な面からも極めて興味深い動物と注目し、さらには祖神アマミク神との関連を指摘。
琉球のオカヤドカリ類と人との関わりは、単なる日常生活というより、琉球文化の源流とも深く関わっているとしている。
なかでも人生儀礼の大きな節目となる葬制の面からオカヤドカリ類と人との関わりについて言及しているのだ。
沖縄には古い葬制として、遺体を野外にさらした状態で行う風葬(古い風葬のことを便宜的に『古風葬』と称する) があったのは周知のとおりである。
火葬場が設置される以前の沖縄では、密閉された構造物としての墓内における一次葬も風葬といえるが、古風葬はそれと異なり、より古い時代に行われていたものだ。
多くが海岸およびそれに近い場所のアダン(タコノキ科タコノキ属の常緑小高木)を主とする海岸林や崖などで行われていたものを指す。
実はこれらの古風葬が行われていた場所はオカヤドカリ類の生息地と重なる部分が多く、腐肉食としても知られているオカヤドカリ類が何らかの形で
関わっているのではあるまいかと注目。
オカヤドカリ類は主に海岸付近に生息しているが、オカヤドカリ、ムラサキオカヤドカリの大型個体は、糸満市平和創造の森(海岸までの最短距離約300m) に
おける調査でも多くの個体が多く確認されており、さらに斎場御嶽(標高約120m、海岸までの最短距離約430m)などのように海岸から離れた、
比較的高い場所にも多くの個体が住んでいることが明らかになった。
さらに内陸部になると生息の確認が難しく情報が少なくなるが、オカヤドカリ類は海岸から約500m以内およびその範囲内の崖上までは生息地として見ることができる。
これら古風葬地はいずれも海岸から350m内。つまり古風葬の場所とオカヤドカリ類の生息地がほぼ重なっているのだ。
すなわち、オカヤドカリ類が人間の遺骸に集まり、その遺骸を食したのではないか。
オカヤドカリ類はいわゆる『海の掃除屋』としての側面をもち、海岸に打ち上げられた魚の死骸や海藻などの有機物を食べることが知られている。
筆者は他に、オカヤドカリ取扱商組合関係者の聞き取り調査時に、こんな情報を得ている。
「夜、ヤドカリ類を採取していると、ある場所に多くのオカヤドカリ類が群がっていたので、喜んで捕獲。ふと上を見上げると、頭上に首吊り自殺者の遺体があった」
人間の遺骸をオカヤドカリ類が食することについては文献等でもまだ確認してないが、これまでのオカヤドカリ類の観察から実際に行われる可能性はあると思われる。
風葬の1つとして鳥葬が知られているが、★意図的ではなかったとしても結果的には『オカヤドカリ葬』というのが成り立つのではないか。
それが沖縄島の古風葬の形態として存在したのではないかと思われる。
ヤドカリ葬は実在するのか? その考察5
しかしながらこの考察も、いくつか疑問点が残ると当山氏自身が指摘している。あくまで『可能性がある』と見るべきである。
風葬場あるところにアダン林が近くに繁茂し、アダンの実(直径15〜20cmで、パイナップルに似た外見。熟すと黄色くなり甘い芳香を放つが、
ほぼ繊維質で構成されており人間が食べるには適さない。ヤドカリの好物)が実るところにヤドカリが集まり、そのヤドカリは人の遺体に群がり食べ尽す……という図式は、
極めて自然な成り行きでそうなった。海中での溺死体にシャコ、川でのソレにはモクズガニが群がるように、甲殻類は基本的にスカベンジャーである。
それゆえ風葬を行っていた当時を知る者たちにとっては、ヤドカリは死者の化身として映ったという。
なお、沖縄〜八重山に生息するヤシガニも基本的な生態は同じ。見た目はアレだが、食するとタラバガニと遜色ない味だと言う人もいる。
ヤシガニの行動範囲はさらに広く、海岸線から6km以上も離れたところで発見されたこともある。その習性を知っているので、現地人はあえて食べない。
頭蓋骨がひとりでにトコトコ歩いているので、見れば内側にヤシガニが入っていたという事例はよくある話だった。
さらに、近藤功行氏(沖縄キリスト教学院大学・人文学部、英語コミュニケーション学科)』が書いた『与論島における洗骨習俗の現状』という報告書では、
こんな記述が見られる。
与論島では風葬は明治10年まで続き、明治11年に鹿児島県が風葬禁止令を発令し、土葬に変更され、のちに火葬へと移行していった。
それに伴い、洗骨も激減。消滅の危機を迎えている。近藤氏は与論島において洗骨について現地にて、聞き取り調査を行ったところ、迫真性のある情報を得ている。
箇条書きだが、興味を惹く部分を抜粋してみる。
①明治時代、『ジシ』(死を慈しむと書いて、『慈死』)と呼ばれる洞窟や高い岩場の下にそのまま遺体を置いて、持ち帰らないで捨てたということを古老が言っている。
②明治6年ごろ天然痘が流行り、人口の半分が死に絶えた。あまりの数の死人が出たため葬儀や埋葬が間に合わず、遺体を運んだ人まで感染する恐れがあったので、
筵(むしろ)にくるんで放置した時代がある。
③『シミャー』(風葬地)は昔、獣が入らないから、また遺体を荒らさないためにそういったところを選んだ。昔は与論島には犬がいなかった。
④明治初期の天然痘が流行ったころ、薩摩支配の時代だった。疾病が蔓延し、家族でも骨を触れない時代があった。★生きながらに捨てられたような感じの骨を
『ジシ』の中で見たことがある。
⑤焼かれるのがイヤ。昔は風葬でよかった。天然痘の時代、ゴミを捨てるように人間を処分した。★生きた人までもが、その病気になったら、死んだ人たちと同じところに、
身内の迷惑にならないように行った。
コロコロ話が変わって恐縮だが、2004年に公開された邦画『風音』http://www.cine.co.jp/fuon...では、沖縄を舞台に風葬場の場面が描かれている。
とある事情から特攻隊員の遺体を安置させ、しばらくして副主人公が現場に戻ってくると、ピキピキピキという無機質な音を立てて無数のオカヤドカリが群がるのを目撃し、
思わず怖気を振るって逃げ出すシーンがある。
物語後半にも、ある男が刺殺され、秘密裏に砂浜に埋葬される。その土饅頭の上にはアダンの実が置かれ、さもヤドカリをおびき寄せ、
ついでに埋葬された遺体をも食い尽くし、証拠を隠滅させるような形で締めくくられる。オカヤドカリは砂地なら地面を潜ることができるようだ。
さすがこの原作者(沖縄出身の芥川賞作家・目取真俊氏)、風葬について精通しているだけのことはある。
それと、冒頭と最後のあたりで蝶が舞うシーンが挿入されている。これは『再生・生』のメタファーであろう。
他にも魚を生のシンボルとし、カニ(ヤドカニも同義)は死のソレとして描いているのは注視すべきである。
しかしながらこの考察も、いくつか疑問点が残ると当山氏自身が指摘している。あくまで『可能性がある』と見るべきである。
風葬場あるところにアダン林が近くに繁茂し、アダンの実(直径15〜20cmで、パイナップルに似た外見。熟すと黄色くなり甘い芳香を放つが、
ほぼ繊維質で構成されており人間が食べるには適さない。ヤドカリの好物)が実るところにヤドカリが集まり、そのヤドカリは人の遺体に群がり食べ尽す……という図式は、
極めて自然な成り行きでそうなった。海中での溺死体にシャコ、川でのソレにはモクズガニが群がるように、甲殻類は基本的にスカベンジャーである。
それゆえ風葬を行っていた当時を知る者たちにとっては、ヤドカリは死者の化身として映ったという。
なお、沖縄〜八重山に生息するヤシガニも基本的な生態は同じ。見た目はアレだが、食するとタラバガニと遜色ない味だと言う人もいる。
ヤシガニの行動範囲はさらに広く、海岸線から6km以上も離れたところで発見されたこともある。その習性を知っているので、現地人はあえて食べない。
頭蓋骨がひとりでにトコトコ歩いているので、見れば内側にヤシガニが入っていたという事例はよくある話だった。
さらに、近藤功行氏(沖縄キリスト教学院大学・人文学部、英語コミュニケーション学科)』が書いた『与論島における洗骨習俗の現状』という報告書では、
こんな記述が見られる。
与論島では風葬は明治10年まで続き、明治11年に鹿児島県が風葬禁止令を発令し、土葬に変更され、のちに火葬へと移行していった。
それに伴い、洗骨も激減。消滅の危機を迎えている。近藤氏は与論島において洗骨について現地にて、聞き取り調査を行ったところ、迫真性のある情報を得ている。
箇条書きだが、興味を惹く部分を抜粋してみる。
①明治時代、『ジシ』(死を慈しむと書いて、『慈死』)と呼ばれる洞窟や高い岩場の下にそのまま遺体を置いて、持ち帰らないで捨てたということを古老が言っている。
②明治6年ごろ天然痘が流行り、人口の半分が死に絶えた。あまりの数の死人が出たため葬儀や埋葬が間に合わず、遺体を運んだ人まで感染する恐れがあったので、
筵(むしろ)にくるんで放置した時代がある。
③『シミャー』(風葬地)は昔、獣が入らないから、また遺体を荒らさないためにそういったところを選んだ。昔は与論島には犬がいなかった。
④明治初期の天然痘が流行ったころ、薩摩支配の時代だった。疾病が蔓延し、家族でも骨を触れない時代があった。★生きながらに捨てられたような感じの骨を
『ジシ』の中で見たことがある。
⑤焼かれるのがイヤ。昔は風葬でよかった。天然痘の時代、ゴミを捨てるように人間を処分した。★生きた人までもが、その病気になったら、死んだ人たちと同じところに、
身内の迷惑にならないように行った。
コロコロ話が変わって恐縮だが、2004年に公開された邦画『風音』http://www.cine.co.jp/fuon...では、沖縄を舞台に風葬場の場面が描かれている。
とある事情から特攻隊員の遺体を安置させ、しばらくして副主人公が現場に戻ってくると、ピキピキピキという無機質な音を立てて無数のオカヤドカリが群がるのを目撃し、
思わず怖気を振るって逃げ出すシーンがある。
物語後半にも、ある男が刺殺され、秘密裏に砂浜に埋葬される。その土饅頭の上にはアダンの実が置かれ、さもヤドカリをおびき寄せ、
ついでに埋葬された遺体をも食い尽くし、証拠を隠滅させるような形で締めくくられる。オカヤドカリは砂地なら地面を潜ることができるようだ。
さすがこの原作者(沖縄出身の芥川賞作家・目取真俊氏)、風葬について精通しているだけのことはある。
それと、冒頭と最後のあたりで蝶が舞うシーンが挿入されている。これは『再生・生』のメタファーであろう。
他にも魚を生のシンボルとし、カニ(ヤドカニも同義)は死のソレとして描いているのは注視すべきである。
ヤドカリ葬は実在するのか? その考察6
今回、ニャーデバナ単体のヤドカリ葬に迫ることはできなかったが、奄美・沖縄地方で行われた広範の風葬において、
ヤドカリにたかられる現象は比較的、日常茶飯事な出来事であったことが明らかになった。ニャーデバナでのヤドカリ葬だけが何も特別な風習なのではない。
ところで、酒井卯作氏(1925年長崎県生まれ。民俗学者、南島研究会主宰)による著書『琉球列島における死霊祭祀の構造』のなかの1編、
『死者を置く島』の項目では、風葬する名目で遺体を置いた島として、大島南西部、焼内湾の枝手久島、★大島北端のニャデ(件のニャーデバナのはず)、
今帰仁湧川のヤガンナ島、勝連浜比嘉のクバ島などを挙げている。
枝手久島などは対岸に位置する与路島の住民が、死者を板付け舟で運び、阿室側の海岸の洞窟へ放置し、風葬にしたと言われている(※恥ずかしながら未読)。
やや煩雑で、まとまりに欠ける連投レスになった。あえて決めつけはしないで締めくくろう。
ヤドカリ葬は、最後の戦いにふさわしい手強い相手だった。図らずも実話ナックルズの名誉を守る一方、奄美のタブーを暴いてしまうとは人の業の深さを感じる……。
最後に、>>57で那智勝浦の色川集落へ突撃取材へ敢行すると言っておきながら、果たせなかったのが心残りだった。
なにはともあれ、これにて『怖い島』は完!
きかい蝶の飛び交う隆起珊瑚礁の島 “五つのカメ”陶磁器(三点)を町文化財に指定
http://www.town.kikai.lg.jp/kikai06/kikai36.as...
琉球神道wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E7%A5%...
2000年・沖縄観光学ことはじめ−「墓は女の苦労」について− 奥田尚
http://www.res.otemon.ac.jp/‾okuda/theses/kankougaku02tomb.htm
★[PDF]沖縄島の古風葬とオカヤドカリ類の関連について(予報) 当山 昌直
http://okinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/bitstream/okinawa/8321/1/No31p...
[PDF]【沖縄県教育庁文化財課史料編集班】 琉球のオカヤドカリ類に関する民俗的伝承について(試論2) 当山 昌直
http://okinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/bitstream/okinawa/7797/1/No32p...
与論島クオリア アマム(ヤドカリ)の位相
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2015/05/post-1cac.htm...
ヤシガニwikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%82%...
沖縄観光記5
http://www.mugyu.biz-web.jp/nikki.kanko24-12.ht...
鹿児島県奄美大島の歴史と文化
http://www.sh.rim.or.jp/‾misshie/amami.htm
自然と文化 御霊を運ぶチョウ
http://homepage2.nifty.com/pie-grieche/insect-goryo.htm...
amazon.co.jpプライム 風音 [DVD]
http://www.amazon.co.jp/%E9%A2%A8%E9%9F%B3-DVD-%E4%B8%...
墓地、埋葬等に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO048.htm...
★[PDF]与論島における洗骨習俗の現状 近藤功行
http://karn.lib.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/123456789/14474/3/AA...
与論島クオリア 風葬感覚
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2009/04/post-b20e.htm...
youtube 与論島の洗骨儀礼
https://www.youtube.com/watch?v=PmYqwiVzPc...
★奄美大島旅行 クチコミガイド 月の入りと朝日をみながら〜奄美②
http://4travel.jp/travelogue/1104844...
今回、ニャーデバナ単体のヤドカリ葬に迫ることはできなかったが、奄美・沖縄地方で行われた広範の風葬において、
ヤドカリにたかられる現象は比較的、日常茶飯事な出来事であったことが明らかになった。ニャーデバナでのヤドカリ葬だけが何も特別な風習なのではない。
ところで、酒井卯作氏(1925年長崎県生まれ。民俗学者、南島研究会主宰)による著書『琉球列島における死霊祭祀の構造』のなかの1編、
『死者を置く島』の項目では、風葬する名目で遺体を置いた島として、大島南西部、焼内湾の枝手久島、★大島北端のニャデ(件のニャーデバナのはず)、
今帰仁湧川のヤガンナ島、勝連浜比嘉のクバ島などを挙げている。
枝手久島などは対岸に位置する与路島の住民が、死者を板付け舟で運び、阿室側の海岸の洞窟へ放置し、風葬にしたと言われている(※恥ずかしながら未読)。
やや煩雑で、まとまりに欠ける連投レスになった。あえて決めつけはしないで締めくくろう。
ヤドカリ葬は、最後の戦いにふさわしい手強い相手だった。図らずも実話ナックルズの名誉を守る一方、奄美のタブーを暴いてしまうとは人の業の深さを感じる……。
最後に、>>57で那智勝浦の色川集落へ突撃取材へ敢行すると言っておきながら、果たせなかったのが心残りだった。
なにはともあれ、これにて『怖い島』は完!
きかい蝶の飛び交う隆起珊瑚礁の島 “五つのカメ”陶磁器(三点)を町文化財に指定
http://www.town.kikai.lg.jp/kikai06/kikai36.as...
琉球神道wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E7%A5%...
2000年・沖縄観光学ことはじめ−「墓は女の苦労」について− 奥田尚
http://www.res.otemon.ac.jp/‾okuda/theses/kankougaku02tomb.htm
★[PDF]沖縄島の古風葬とオカヤドカリ類の関連について(予報) 当山 昌直
http://okinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/bitstream/okinawa/8321/1/No31p...
[PDF]【沖縄県教育庁文化財課史料編集班】 琉球のオカヤドカリ類に関する民俗的伝承について(試論2) 当山 昌直
http://okinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/bitstream/okinawa/7797/1/No32p...
与論島クオリア アマム(ヤドカリ)の位相
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2015/05/post-1cac.htm...
ヤシガニwikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%82%...
沖縄観光記5
http://www.mugyu.biz-web.jp/nikki.kanko24-12.ht...
鹿児島県奄美大島の歴史と文化
http://www.sh.rim.or.jp/‾misshie/amami.htm
自然と文化 御霊を運ぶチョウ
http://homepage2.nifty.com/pie-grieche/insect-goryo.htm...
amazon.co.jpプライム 風音 [DVD]
http://www.amazon.co.jp/%E9%A2%A8%E9%9F%B3-DVD-%E4%B8%...
墓地、埋葬等に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO048.htm...
★[PDF]与論島における洗骨習俗の現状 近藤功行
http://karn.lib.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/123456789/14474/3/AA...
与論島クオリア 風葬感覚
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2009/04/post-b20e.htm...
youtube 与論島の洗骨儀礼
https://www.youtube.com/watch?v=PmYqwiVzPc...
★奄美大島旅行 クチコミガイド 月の入りと朝日をみながら〜奄美②
http://4travel.jp/travelogue/1104844...
掲示板を完全に私物にしてるなw
ブログでやれ
ブログでやれ
スレ消しとけよ
スレ主の書き込みが終わってからで良かったよ、ウジ虫が湧くの。
こんな神スレを貶めるとは、人としていかがなものかと思いますね。
山伏集落800軒確認 国内最大規模、調査で初確認 九州の英彦山
日本三大修験道場の一つ、福岡、大分県境の英彦山(1199メートル)に800軒超の建物跡があることを、福岡県添田町がレーザー測量で確認した。
英彦山は江戸時代、「英彦山三千 八百坊」とうたわれるほど栄え、その数字は人口3千人、800坊を意味するとされてきたが、詳細は不明だった。
今回の調査で国内最大規模の山伏集落の姿が初めて克明になった。(西日本新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151122-00010000-nishinp...
日本三大修験道場の一つ、福岡、大分県境の英彦山(1199メートル)に800軒超の建物跡があることを、福岡県添田町がレーザー測量で確認した。
英彦山は江戸時代、「英彦山三千 八百坊」とうたわれるほど栄え、その数字は人口3千人、800坊を意味するとされてきたが、詳細は不明だった。
今回の調査で国内最大規模の山伏集落の姿が初めて克明になった。(西日本新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151122-00010000-nishinp...
こんな過疎スレに、なぜかほぼ同時にスレ主擁護レスが
自演お疲れ様ですww
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スレッドタイトル:続・怖い島・いわくつきの村