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怖い島・いわくつきの村・総合
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>>399
ワオ、嬉しいお言葉。たまにでいいのでその調子で褒めてくだされい。それが明日への活力となります。
土日に更新したいのは山々なのですが、先週はなんとなくネタが見つかりませんでした。たまにはそんな冴えない日もありますって。
個人的にはレスを重ねるにつれ、怖いネタ、あるいは妙なネタの劣化は避けたいと思っております。
せめて現状維持、願わくば、より興味深いネタを提示できれば御の字なのですが、現実はなかなかうまくいきませんね……。
いくら日本の島が6800以上あるとはいえ、取り上げるに値するものばかり転がっているわけではありません。
このスレも400を超えるにあたり、産みの苦しみみたいなものを感じております。踏ん張ってもなかなか出づらくなったというか。
その対策として、以前取り上げた島ネタを深く掘り下げることにより、よりディープに突っ込むのも悪くないと考え、そういうわけで海難法師だったのです。
今後もこのパターンを踏襲していこうかと。
いつになるかまだわかりませんが、渾身の長文レスの予定としては、>>21で紹介した下甑島のクロ宗について深く切り込んでいくつもりです。
題して、『クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察(仮題)』。クロ宗の恐るべき儀式の真相に迫るべく検証します。乞うご期待。
それにしても、こんな場末の掲示板で、高いハードルを課してしまう僕は真性のマゾですね。この際、誤字脱字は脳内補完で許してチョ〜ダイ。
ちなみにクロ宗はモロ☆的には、『生命の木』ですかね? 恐らく博学の氏のことですから、ずっと昔からクロについては存じ上げていたと思いますよ。
ワオ、嬉しいお言葉。たまにでいいのでその調子で褒めてくだされい。それが明日への活力となります。
土日に更新したいのは山々なのですが、先週はなんとなくネタが見つかりませんでした。たまにはそんな冴えない日もありますって。
個人的にはレスを重ねるにつれ、怖いネタ、あるいは妙なネタの劣化は避けたいと思っております。
せめて現状維持、願わくば、より興味深いネタを提示できれば御の字なのですが、現実はなかなかうまくいきませんね……。
いくら日本の島が6800以上あるとはいえ、取り上げるに値するものばかり転がっているわけではありません。
このスレも400を超えるにあたり、産みの苦しみみたいなものを感じております。踏ん張ってもなかなか出づらくなったというか。
その対策として、以前取り上げた島ネタを深く掘り下げることにより、よりディープに突っ込むのも悪くないと考え、そういうわけで海難法師だったのです。
今後もこのパターンを踏襲していこうかと。
いつになるかまだわかりませんが、渾身の長文レスの予定としては、>>21で紹介した下甑島のクロ宗について深く切り込んでいくつもりです。
題して、『クロ宗の死の儀式は存在したのか? その考察(仮題)』。クロ宗の恐るべき儀式の真相に迫るべく検証します。乞うご期待。
それにしても、こんな場末の掲示板で、高いハードルを課してしまう僕は真性のマゾですね。この際、誤字脱字は脳内補完で許してチョ〜ダイ。
ちなみにクロ宗はモロ☆的には、『生命の木』ですかね? 恐らく博学の氏のことですから、ずっと昔からクロについては存じ上げていたと思いますよ。
龍神様の怒りを鎮めるべく娘が犠牲に 坊勢島(ぼうぜじま)
兵庫県の姫路市沖には約40もの島が点在する。これを家島諸島といい、その中に坊勢島と呼ばれる風変わりな島名の有人島がある。
言い伝えによれば、883(元慶7)年、比叡山西塔実相院の高僧・覚円が武家に背いた咎(とが)でこの島に流された際、師である覚円を慕って弟子の数10人が
島に移り住んだことにちなんで島名がつけられたという。
そのほか、この島にはこんな伝承が残されている。
その昔、無鉄砲な漁ばかりする型破りな漁師と、対照的に心優しく美しい娘がいた。
ある日、父は船を出すと大漁に恵まれた。大喜びしながら魚を船に揚げ、気分よく港を目指して帰ってきたものの、
どうやらその獲物の中には龍神の使いが紛れていたらしい。
船が港の入り口にさしかかったころ、時ならぬ黒雲が空を覆い隠し雷鳴が響いたかと思うと、殴りつけるような暴風雨が船を襲った。
たちまち転覆しそうになるが、荒くれの父はどうにか持ちこたえた。
心配していた娘は浜辺で待っていた。イヤな予感が胸を締め付けていた。きっとこれは父の日ごろの無作法な漁を龍神様がお怒りになっているのだと思う。
どうにか島までたどり着いた船に向かって、「父さん、魚を海に返してあげて!」と、叫んで知らせた。
ところが、「バカ言え! せっかくの獲物を逃してなるものか!」と、父は言った。その返事に呼応するかのように海はますます荒れた。
こうなっては取り返しがつかない。娘は龍神の怒りを鎮めるべく、とっさに己が身を海に投げ出した。こうするよりほかに父の命を救う方法はなかった。
すると天にも達するがごとき水柱が立ったかと思うと嵐はピタリとおさまり、そこに娘の化身かのような小島が忽然と現われたのであった。
それ以来、父は襟を正し、島に龍神を祀り、島の安全と大漁を祈るようにした。
今でも坊勢島では正月の4日に神海祭(神権祭り)が行われている。
坊勢漁業協同組合
http://boze.or.jp/index.htm...
兵庫県の姫路市沖には約40もの島が点在する。これを家島諸島といい、その中に坊勢島と呼ばれる風変わりな島名の有人島がある。
言い伝えによれば、883(元慶7)年、比叡山西塔実相院の高僧・覚円が武家に背いた咎(とが)でこの島に流された際、師である覚円を慕って弟子の数10人が
島に移り住んだことにちなんで島名がつけられたという。
そのほか、この島にはこんな伝承が残されている。
その昔、無鉄砲な漁ばかりする型破りな漁師と、対照的に心優しく美しい娘がいた。
ある日、父は船を出すと大漁に恵まれた。大喜びしながら魚を船に揚げ、気分よく港を目指して帰ってきたものの、
どうやらその獲物の中には龍神の使いが紛れていたらしい。
船が港の入り口にさしかかったころ、時ならぬ黒雲が空を覆い隠し雷鳴が響いたかと思うと、殴りつけるような暴風雨が船を襲った。
たちまち転覆しそうになるが、荒くれの父はどうにか持ちこたえた。
心配していた娘は浜辺で待っていた。イヤな予感が胸を締め付けていた。きっとこれは父の日ごろの無作法な漁を龍神様がお怒りになっているのだと思う。
どうにか島までたどり着いた船に向かって、「父さん、魚を海に返してあげて!」と、叫んで知らせた。
ところが、「バカ言え! せっかくの獲物を逃してなるものか!」と、父は言った。その返事に呼応するかのように海はますます荒れた。
こうなっては取り返しがつかない。娘は龍神の怒りを鎮めるべく、とっさに己が身を海に投げ出した。こうするよりほかに父の命を救う方法はなかった。
すると天にも達するがごとき水柱が立ったかと思うと嵐はピタリとおさまり、そこに娘の化身かのような小島が忽然と現われたのであった。
それ以来、父は襟を正し、島に龍神を祀り、島の安全と大漁を祈るようにした。
今でも坊勢島では正月の4日に神海祭(神権祭り)が行われている。
坊勢漁業協同組合
http://boze.or.jp/index.htm...
>>402
もしかして『文藝別冊・諸星大二郎』の132ページ目の中段のことですかね?
たしかDVD『奇談・プレミアムエディション』の特典ディスクに、氏へのインタビューがあり、同じことを言及していたような気もする……。
資料とは『キリシタン・排耶書』に収録されている『天地始之事』のことですね。何年か前、せっかく僕も手に入れたというのに積ん読状態ですが。
長崎県の五島列島に伝わる聖書異伝だから、当然クロ宗の間で流布していたとしても不思議ではないと思われ。
いずれにせよ、クロについてはもうちょっと先で。
ちなみに>>400の画像はこの手のスレで拾っただけ。元はどこで使用されたのかまでは知る由もない。
【閲覧注意】諸星大二郎の意味不明さは異常 駅から出られらないやつの恐怖感は異常
http://narcissu.doorblog.jp/archives/21164103.htm...
『天地始之事』について
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Knight/7829/texts/ten...
もしかして『文藝別冊・諸星大二郎』の132ページ目の中段のことですかね?
たしかDVD『奇談・プレミアムエディション』の特典ディスクに、氏へのインタビューがあり、同じことを言及していたような気もする……。
資料とは『キリシタン・排耶書』に収録されている『天地始之事』のことですね。何年か前、せっかく僕も手に入れたというのに積ん読状態ですが。
長崎県の五島列島に伝わる聖書異伝だから、当然クロ宗の間で流布していたとしても不思議ではないと思われ。
いずれにせよ、クロについてはもうちょっと先で。
ちなみに>>400の画像はこの手のスレで拾っただけ。元はどこで使用されたのかまでは知る由もない。
【閲覧注意】諸星大二郎の意味不明さは異常 駅から出られらないやつの恐怖感は異常
http://narcissu.doorblog.jp/archives/21164103.htm...
『天地始之事』について
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Knight/7829/texts/ten...
犬祖伝説は中国大陸から渡り琉球にも伝わった? 与那国島
沖縄県与那国島の祖納(そない)集落には、高さ70mを誇る隆起珊瑚の岩塊『ティンダハナタ』がある。
そこにはイヌガンと呼ばれる洞窟が口を開けており、そばには湧水もあることから人が住めそうなロケーションであり、
案の定こんな伝説が残されていた。
はるかな昔のことである。久米島から中山王府への貢納船が出帆。ところが船は荒天に遭い、やっとのことで与那国島へ漂着した。
その一行は男が複数に、女1人、犬1匹だったのだが、犬はとても凶暴な性質で、日に日に男たちを1人、また1人と噛み殺してしまうほどであった。
ある夜、犬は最後の1人を仕留めると、ついに女を獲得した。そしてともに岩屋で同棲するようになったのだ。
奇しくもそのころ、小浜島の漁師が同じく荒天に襲われ、与那国島にたどり着いた。
島を探索していると、先の女と出会う。女は驚くほどの美貌の持ち主であった。男はたちまち惹かれた。
「この島は危険です。凶暴な犬の連れがいるのです。早く立ち去らないと命を落とすことになりましょう」と女は言い、今までの経緯を語って聞かせた。
「犬が人間と暮らしているとな。不思議な話よのう。その呪縛から解かねばあんたは一生奴隷だぞ」
「それでもかまいませぬ。さ、早く犬が来ないうちに」と、女はしきりに島から出ていくよう促すが、男は逆にティンダハナタに潜む犬のもとへ行き、
女がいないうちに犬に挑み、激闘の末退治してしまった。そして離れた場所に埋めてしまい、女には犬の死を内緒にした。
こうして2人は夫婦となり、5男2女をもうけ、島はこの7人によって栄えていった。
秘密は墓場まで持っていくべきである。平和な日が長く続いたというのに、ある日、魔が差したのか男は犬を殺し、埋めた場所を女に漏らしてしまう。
それを知った女は激しく絶望した。死骸を掘り起こすと、それを抱いたまま命を絶ったという。
……言わずもがな、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を彷彿とさせるが、それもそのはず、馬琴は中国大陸の犬祖伝説を伏姫と八房の下敷きにしたらしい。
とすれば犬祖伝説は大陸から与那国島に渡ってきたのだろう。それだけにとどまらず、この手の説話は西日本にも延びており、
とりわけ奄美大島から長崎、佐賀、対馬、四国中国地方を経て関西に分布している。
異類婚姻譚wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%B0%E9%A1%9E%E5%A9%...
与那国島紀行〜その9:ティンダハナタのサンアイイソバ
http://oumonhagebudai.ti-da.net/e3917717.htm...
民俗学伝承ひろいあげ辞典 沖縄〜日本列島の「犬聟入(いぬむこいり)伝説」
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/1648428.htm...
民俗学伝承ひろいあげ辞典 奄美大島の犬婿入り伝説
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/4610253.htm...
第840回C - 日本民俗学会 / The Folklore Society of Japan
http://www.fsjnet.jp/regular_meeting/abstract/840c....
沖縄県与那国島の祖納(そない)集落には、高さ70mを誇る隆起珊瑚の岩塊『ティンダハナタ』がある。
そこにはイヌガンと呼ばれる洞窟が口を開けており、そばには湧水もあることから人が住めそうなロケーションであり、
案の定こんな伝説が残されていた。
はるかな昔のことである。久米島から中山王府への貢納船が出帆。ところが船は荒天に遭い、やっとのことで与那国島へ漂着した。
その一行は男が複数に、女1人、犬1匹だったのだが、犬はとても凶暴な性質で、日に日に男たちを1人、また1人と噛み殺してしまうほどであった。
ある夜、犬は最後の1人を仕留めると、ついに女を獲得した。そしてともに岩屋で同棲するようになったのだ。
奇しくもそのころ、小浜島の漁師が同じく荒天に襲われ、与那国島にたどり着いた。
島を探索していると、先の女と出会う。女は驚くほどの美貌の持ち主であった。男はたちまち惹かれた。
「この島は危険です。凶暴な犬の連れがいるのです。早く立ち去らないと命を落とすことになりましょう」と女は言い、今までの経緯を語って聞かせた。
「犬が人間と暮らしているとな。不思議な話よのう。その呪縛から解かねばあんたは一生奴隷だぞ」
「それでもかまいませぬ。さ、早く犬が来ないうちに」と、女はしきりに島から出ていくよう促すが、男は逆にティンダハナタに潜む犬のもとへ行き、
女がいないうちに犬に挑み、激闘の末退治してしまった。そして離れた場所に埋めてしまい、女には犬の死を内緒にした。
こうして2人は夫婦となり、5男2女をもうけ、島はこの7人によって栄えていった。
秘密は墓場まで持っていくべきである。平和な日が長く続いたというのに、ある日、魔が差したのか男は犬を殺し、埋めた場所を女に漏らしてしまう。
それを知った女は激しく絶望した。死骸を掘り起こすと、それを抱いたまま命を絶ったという。
……言わずもがな、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を彷彿とさせるが、それもそのはず、馬琴は中国大陸の犬祖伝説を伏姫と八房の下敷きにしたらしい。
とすれば犬祖伝説は大陸から与那国島に渡ってきたのだろう。それだけにとどまらず、この手の説話は西日本にも延びており、
とりわけ奄美大島から長崎、佐賀、対馬、四国中国地方を経て関西に分布している。
異類婚姻譚wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%B0%E9%A1%9E%E5%A9%...
与那国島紀行〜その9:ティンダハナタのサンアイイソバ
http://oumonhagebudai.ti-da.net/e3917717.htm...
民俗学伝承ひろいあげ辞典 沖縄〜日本列島の「犬聟入(いぬむこいり)伝説」
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/1648428.htm...
民俗学伝承ひろいあげ辞典 奄美大島の犬婿入り伝説
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/4610253.htm...
第840回C - 日本民俗学会 / The Folklore Society of Japan
http://www.fsjnet.jp/regular_meeting/abstract/840c....
>>406
どういたしまして。まったく殺人的な猛暑でどうにかなってしまいそうですね。そちらこそ無理なさらぬよう。
悲劇を今に伝える『おすみ与吉の比翼塚』 神子元島(みこもとしま)
静岡県の下田港から南へ約11km沖、石廊崎からは東南東へ約9km離れた太平洋上にある無人島を神子元島と呼ぶ。
古い時代より、何度か神社の祠などが鎮座させては強風や波により消失させた。流刑者や灯台の関係者を除けば人が定住していたとの記録は残されていない。
島というより岩礁で形成され、植物の繁茂は極めて少なく、風や波をもろに受けるため、水源もないことからそこでのキャンプは困難である。
定期船の運航はしておらず、上陸するなら周辺の港で渡船をチャーターしなければならない。
マグロやカンパチなどの大物が揚がる釣り場として人気を集め、またハンマーヘッドシャーク(シュモクザメ)の大群が見られるダイビングポイントとしても有名。
夏から秋にかけて、ときに数100匹の群れと遭遇することもめずらしくないという。
その神子元島には1基の墓石が佇んでいる。これを『おすみ与吉の比翼塚』といい、こんな悲話が残されていた。
昔、紀州の若き船人である与吉が、新妻のおすみとともに航海していた。神子元島のそばにさしかかったとき、急な天気の崩れと潮の変化が起きた。
海は荒れ、まるで巨人の手の平のごとき怒涛が船を覆い隠し、次の瞬間には握りつぶしたかのように大破してしまった。
与吉とおすみは命からがら島に這い上がった。
島の上から見渡せば、視界はかすみ、下田港は見当たらない。これでは当分助けは来そうにもない。
とにかく望みを捨てず、生き延びねばなるまい。とはいえ神子元島は植物がなく、口にできるものといえば浅瀬の海藻か貝ぐらい。
初めのうちはそれで飢えを凌いでいたが、日が経つにつれ、それすら心もとなくなってきた。あらかた採り尽くしてしまったのだ。
いまだ波は荒れ狂い、助けの船も来ず、食料が底をつくのも時間の問題。
「このままでは共倒れだ。かくなるうえは、おれが無理を承知で助けを呼びに行くしかなかろう」と、与吉は独り言のように言った。
「きっともうしばらく待ち続ければ、行方知れずとなった私たちを心配した両親が助けにきてくれるはずよ」と、おすみはその意見に反対した。
「さすがにこの島にいるとは予想もつくまい。幸いここに打ち上げられたときより、体力は残されている。今挑戦しなければ、ますます体力は衰える一方だ。
だったらこれしか方法はない。おまえだってあとどれほど持つか」
「……わかったわ。気をつけて、あなた」
「しばらく辛抱して待っててくれ。必ず迎えをよこす。おすみ、そのときこそまた会おう!」
与吉はそう言うと、荒れる海に飛び込んで泳ぎ出した。はるかな下田港をめざして。
ところが2日がすぎ、3日経とうとも与吉の助けは来なかった。黒潮の流れは速く、気ばかり焦る与吉を無情にも飲み込んでしまったのだ。
夫を信じ、一日千秋の思いで待ち続けていたおすみも、ついには飢えと絶望の末、「与吉! 与吉よ!」と連呼しながら底知れぬ海に身を投じ、
夫のあとを追ったのであった。
株式会社ティアクルーズ公式ページ 伊豆の民話/孤島の比翼塚
http://www.t-crews.com/pg258.htm...
山風景とデジタルコラボ+α もうひとつの悲話
http://blog.goo.ne.jp/kazubouchan_june/m/201203/...
どういたしまして。まったく殺人的な猛暑でどうにかなってしまいそうですね。そちらこそ無理なさらぬよう。
悲劇を今に伝える『おすみ与吉の比翼塚』 神子元島(みこもとしま)
静岡県の下田港から南へ約11km沖、石廊崎からは東南東へ約9km離れた太平洋上にある無人島を神子元島と呼ぶ。
古い時代より、何度か神社の祠などが鎮座させては強風や波により消失させた。流刑者や灯台の関係者を除けば人が定住していたとの記録は残されていない。
島というより岩礁で形成され、植物の繁茂は極めて少なく、風や波をもろに受けるため、水源もないことからそこでのキャンプは困難である。
定期船の運航はしておらず、上陸するなら周辺の港で渡船をチャーターしなければならない。
マグロやカンパチなどの大物が揚がる釣り場として人気を集め、またハンマーヘッドシャーク(シュモクザメ)の大群が見られるダイビングポイントとしても有名。
夏から秋にかけて、ときに数100匹の群れと遭遇することもめずらしくないという。
その神子元島には1基の墓石が佇んでいる。これを『おすみ与吉の比翼塚』といい、こんな悲話が残されていた。
昔、紀州の若き船人である与吉が、新妻のおすみとともに航海していた。神子元島のそばにさしかかったとき、急な天気の崩れと潮の変化が起きた。
海は荒れ、まるで巨人の手の平のごとき怒涛が船を覆い隠し、次の瞬間には握りつぶしたかのように大破してしまった。
与吉とおすみは命からがら島に這い上がった。
島の上から見渡せば、視界はかすみ、下田港は見当たらない。これでは当分助けは来そうにもない。
とにかく望みを捨てず、生き延びねばなるまい。とはいえ神子元島は植物がなく、口にできるものといえば浅瀬の海藻か貝ぐらい。
初めのうちはそれで飢えを凌いでいたが、日が経つにつれ、それすら心もとなくなってきた。あらかた採り尽くしてしまったのだ。
いまだ波は荒れ狂い、助けの船も来ず、食料が底をつくのも時間の問題。
「このままでは共倒れだ。かくなるうえは、おれが無理を承知で助けを呼びに行くしかなかろう」と、与吉は独り言のように言った。
「きっともうしばらく待ち続ければ、行方知れずとなった私たちを心配した両親が助けにきてくれるはずよ」と、おすみはその意見に反対した。
「さすがにこの島にいるとは予想もつくまい。幸いここに打ち上げられたときより、体力は残されている。今挑戦しなければ、ますます体力は衰える一方だ。
だったらこれしか方法はない。おまえだってあとどれほど持つか」
「……わかったわ。気をつけて、あなた」
「しばらく辛抱して待っててくれ。必ず迎えをよこす。おすみ、そのときこそまた会おう!」
与吉はそう言うと、荒れる海に飛び込んで泳ぎ出した。はるかな下田港をめざして。
ところが2日がすぎ、3日経とうとも与吉の助けは来なかった。黒潮の流れは速く、気ばかり焦る与吉を無情にも飲み込んでしまったのだ。
夫を信じ、一日千秋の思いで待ち続けていたおすみも、ついには飢えと絶望の末、「与吉! 与吉よ!」と連呼しながら底知れぬ海に身を投じ、
夫のあとを追ったのであった。
株式会社ティアクルーズ公式ページ 伊豆の民話/孤島の比翼塚
http://www.t-crews.com/pg258.htm...
山風景とデジタルコラボ+α もうひとつの悲話
http://blog.goo.ne.jp/kazubouchan_june/m/201203/...
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悲劇の八人岩伝説 小豆島(しょうどしま)
香川県の高浜港の北、約18kmの瀬戸内海にある小豆島。古事記の国生み伝説では10番目に生まれたとされている。
歴史に登場する時期も古くから散見され、いかにこの島が古来より瀬戸内海の要衝であったか伺えよう。
テレビ朝日系列の『痛快!ビッグダディ』で、一時期あの親子が移住した島として話題になったので、思い出す人も多いのでは?
小豆島には多くの民俗・伝統行事が残されており、奥深い島だ。
さて、今回は島の北東に位置する『岩が谷(いわがたに)』という村の『八人岩伝説』をご紹介。
ある日、9人の石工たちが岩が谷の石切場で、崖の上の大岩を切り出す仕事をしていた。
そのメンバーの中の1人は常日ごろ般若心経を信じている男で、暇があれば経を唱えているほどだった。
昼食の時間になったので作業を中断し、休憩することになった。
石工たちは日陰を求めて割りかけの大岩の下で休むことにした(この軽率な行動から、この後どんな事故が発生するか、
賢明なる読者諸兄なら予想がつくであろう)。
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色……」と、男は休憩中もこの調子。
「しかしやっこさんは熱心な男だのう。石切職人にしとくのはもったいないほどじゃ」「ハハッ! 仕事選びを誤ったにちがいあるめえ」
と、ほかの職人にからかわれるほどだった。経を唱えるのに余念がない男を尻目に、8人はだらしない恰好で寝そべり、昼寝に興じた。
そのとき、般若経を唱えていた男はハッキリと耳にした。男は大岩のもとから這い出て、頂上を見上げた。
確かに「……ハンニャ、ハンニャ」という声が大岩の上から聞こえたのだ。
次の瞬間、轟音とともに大岩が崩れ、8人の職人を下敷きにした。
この事故以来、この大岩は八人岩と呼ばれ、今も灯篭が祀られている。
1620年、大坂城の石垣修復の際、良質の花崗岩の産地であるこの近辺からも数多く切り出されて、船で運ばれた。
硬い石も職人にかかると、石の目にノミを入れるとパカリと割れ、その断面は鋭利な刃物で断ち切ったかのように鮮やかだ。
重機がなかった江戸時代のこと。巨石を人力で運べるはずもなく、山の斜面から転がり落として海岸沿いまで運んだというから豪快だ。
ところが築城が完了すると小豆島産の石は無用の長物とされ、すでに切り出され海岸沿いで待機していたものは『残石』あるいは『残念石』と呼ばれた。
以来、ほかに有効利用されることなく300年以上もその姿を風雨に晒している。
[日本の民話・妖怪 語りおろし]八人岩(香川県小豆島)
http://www.rg-youkai.com/tales/ja/37_kagawa/01_hachinin...
小豆島町岩谷の八人岩の遺跡 - JA5NXT
http://ja5nxt.lolipop.jp/8niniwa.ht...
小豆島の風景 - So-net
http://www009.upp.so-net.ne.jp/therese/view.ht...
香川県の高浜港の北、約18kmの瀬戸内海にある小豆島。古事記の国生み伝説では10番目に生まれたとされている。
歴史に登場する時期も古くから散見され、いかにこの島が古来より瀬戸内海の要衝であったか伺えよう。
テレビ朝日系列の『痛快!ビッグダディ』で、一時期あの親子が移住した島として話題になったので、思い出す人も多いのでは?
小豆島には多くの民俗・伝統行事が残されており、奥深い島だ。
さて、今回は島の北東に位置する『岩が谷(いわがたに)』という村の『八人岩伝説』をご紹介。
ある日、9人の石工たちが岩が谷の石切場で、崖の上の大岩を切り出す仕事をしていた。
そのメンバーの中の1人は常日ごろ般若心経を信じている男で、暇があれば経を唱えているほどだった。
昼食の時間になったので作業を中断し、休憩することになった。
石工たちは日陰を求めて割りかけの大岩の下で休むことにした(この軽率な行動から、この後どんな事故が発生するか、
賢明なる読者諸兄なら予想がつくであろう)。
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色……」と、男は休憩中もこの調子。
「しかしやっこさんは熱心な男だのう。石切職人にしとくのはもったいないほどじゃ」「ハハッ! 仕事選びを誤ったにちがいあるめえ」
と、ほかの職人にからかわれるほどだった。経を唱えるのに余念がない男を尻目に、8人はだらしない恰好で寝そべり、昼寝に興じた。
そのとき、般若経を唱えていた男はハッキリと耳にした。男は大岩のもとから這い出て、頂上を見上げた。
確かに「……ハンニャ、ハンニャ」という声が大岩の上から聞こえたのだ。
次の瞬間、轟音とともに大岩が崩れ、8人の職人を下敷きにした。
この事故以来、この大岩は八人岩と呼ばれ、今も灯篭が祀られている。
1620年、大坂城の石垣修復の際、良質の花崗岩の産地であるこの近辺からも数多く切り出されて、船で運ばれた。
硬い石も職人にかかると、石の目にノミを入れるとパカリと割れ、その断面は鋭利な刃物で断ち切ったかのように鮮やかだ。
重機がなかった江戸時代のこと。巨石を人力で運べるはずもなく、山の斜面から転がり落として海岸沿いまで運んだというから豪快だ。
ところが築城が完了すると小豆島産の石は無用の長物とされ、すでに切り出され海岸沿いで待機していたものは『残石』あるいは『残念石』と呼ばれた。
以来、ほかに有効利用されることなく300年以上もその姿を風雨に晒している。
[日本の民話・妖怪 語りおろし]八人岩(香川県小豆島)
http://www.rg-youkai.com/tales/ja/37_kagawa/01_hachinin...
小豆島町岩谷の八人岩の遺跡 - JA5NXT
http://ja5nxt.lolipop.jp/8niniwa.ht...
小豆島の風景 - So-net
http://www009.upp.so-net.ne.jp/therese/view.ht...
ネズミに乗っ取られた島 戸島
愛媛県宇和島市に属する戸島は、その他の離島の例に漏れず基幹産業が漁業であり、なかでもハマチの養殖が盛んである。
その戸島であるが、昔から戸島のみならず宇和海地方はネズミが多い地域と知られ、江戸時代の記録にも残っているのだ。
ネズミ除けの念仏が行われたほど。下波湾の沖に浮かぶ黒島では、ネズミの被害に屈し開墾をあきらめたと伝えられている。
昭和24年夏、戸島にネズミが大量発生し、日振島がそれにつぎ、昭和26年11月には戸島の対岸の蒋渕(こもぶち)に飛び火。
ネズミの群れは半島を東に進み、昭和27年には宇和島周辺にまで達した。ちなみに昭和26年11月の日振島・戸島の推定生息数は80万匹だと言われている。
発生の主な原因は、戦後、食糧難により段々畑での芋作りと煮干しイリコの製造が急速に増えたことで、ネズミの食料が豊富となったためであるという。
温暖な気候のうえ、ヨシの防風垣に芋壺があり、ネズミにとって格好の棲家であった。島を上げての駆除により昭和28年は平穏であったが、
翌29年は、ふたたび大発生。駆除には薬剤、パチンコ、天敵の放逐などあらゆる手を使ったものの完全に滅ぼすまでには至らなかった。
1匹につき5円〜10円で買い上げたこともあり、子供たちは賞金稼ぎのごとく血眼になって捕まえた。
ちなみに放逐した天敵は、蛇191匹、イタチ156匹、猫4392匹。三間小学校では、猫の出陣式が行われたほど歓迎された。
駆除したネズミ数は、11年間で86万1871匹に及んだ。
ネズミがいなくなるときは、段々畑での耕作をやめて元の山林に還るときであろうという予言どおり、昭和36年に終わりを迎える。
住民たちはしだいに島での生活をあきらめ、畑を放棄し始めた。因果なことにそれゆえネズミの食料が乏しくなり、共食いをする。
そして数が激減し、残ったネズミも戸島を占拠するのをやめ、海を渡ってどこかへ消えてしまったという。
愛媛の伝承文化 −大本敬久のブログ− ネズミ騒動
http://blog.goo.ne.jp/uchikonotemae/e/dc5974ffacdd36...
愛媛県宇和島市に属する戸島は、その他の離島の例に漏れず基幹産業が漁業であり、なかでもハマチの養殖が盛んである。
その戸島であるが、昔から戸島のみならず宇和海地方はネズミが多い地域と知られ、江戸時代の記録にも残っているのだ。
ネズミ除けの念仏が行われたほど。下波湾の沖に浮かぶ黒島では、ネズミの被害に屈し開墾をあきらめたと伝えられている。
昭和24年夏、戸島にネズミが大量発生し、日振島がそれにつぎ、昭和26年11月には戸島の対岸の蒋渕(こもぶち)に飛び火。
ネズミの群れは半島を東に進み、昭和27年には宇和島周辺にまで達した。ちなみに昭和26年11月の日振島・戸島の推定生息数は80万匹だと言われている。
発生の主な原因は、戦後、食糧難により段々畑での芋作りと煮干しイリコの製造が急速に増えたことで、ネズミの食料が豊富となったためであるという。
温暖な気候のうえ、ヨシの防風垣に芋壺があり、ネズミにとって格好の棲家であった。島を上げての駆除により昭和28年は平穏であったが、
翌29年は、ふたたび大発生。駆除には薬剤、パチンコ、天敵の放逐などあらゆる手を使ったものの完全に滅ぼすまでには至らなかった。
1匹につき5円〜10円で買い上げたこともあり、子供たちは賞金稼ぎのごとく血眼になって捕まえた。
ちなみに放逐した天敵は、蛇191匹、イタチ156匹、猫4392匹。三間小学校では、猫の出陣式が行われたほど歓迎された。
駆除したネズミ数は、11年間で86万1871匹に及んだ。
ネズミがいなくなるときは、段々畑での耕作をやめて元の山林に還るときであろうという予言どおり、昭和36年に終わりを迎える。
住民たちはしだいに島での生活をあきらめ、畑を放棄し始めた。因果なことにそれゆえネズミの食料が乏しくなり、共食いをする。
そして数が激減し、残ったネズミも戸島を占拠するのをやめ、海を渡ってどこかへ消えてしまったという。
愛媛の伝承文化 −大本敬久のブログ− ネズミ騒動
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猫の復讐、ここに極まれり『猫島異聞』 猫島
鳥取県鳥取市の北部には湖山池(こやまいけ)という汽水湖がある。汽水湖とは湖水に海水が混じっている湖のことを指す。
『池』とつく湖沼の中では日本最大規模の広さを誇るらしい。その湖山池には大小合わせて5つの島あり、なかでも『猫島』と呼ばれる小島には
猫にまつわる伝承、その名も『猫島異聞』が残されている。この話は猫好きなら思わず膝を叩いてしまうこと請け合い。
昔、伏野長者の家に1匹の猫が飼われていた。女中はその猫をいたく可愛がっていた。ところが長者の奥方は大の猫嫌い。
猫がそばに寄り付こうものなら蹴り飛ばしてしまうほど毛嫌いしていた。
ある日、奥方は女中にこう言った。「あなたはどうしてあの猫を可愛がるのです? 私がどれほど忌々しいと思っているか、わからないのですか?
亭主にも言って聞かせます。さっさとこの家から追い出してしまいなさい。一刻も早くです!」
そのことで胸を痛めた女中は陰で泣いていると、当の猫は察したものか、その日を境に姿を見せなくなった。
別の日、旅僧が家を訪ねてきた。女中がそれとなく猫の話をすると、「その猫なら因幡山で見かけた」と、思いもよらぬ返事。
女中は暇をもらい、奥方には内緒で、因幡山へ猫を探しに出かけることにした。
とはいえ山中は広く、そう簡単に猫は見つかるはずもない。じきに日が暮れてしまった。
泊まれる場所はないか方々を探していると、1軒の立派な屋敷を見つけた。女中はさっそく門を叩いた。
戸を開けて出てきたのは美しいけれど、どこか険のある顔立ちの娘。
「あなたも食い殺されにきたクチですか? ようこそ屋敷にお出で下さいました」娘は言うと、ニタリと笑い舌なめずりした。
女中は腰が抜けそうになった。どうやら尋常ならざるところに足を踏み入れてしまったらしい。
すると屋敷の奥から、「いけません! せっかく訪ねてきた人間を怯えさせるとは何事ですか!」という叱責の声が響いた。
奥から現われたのは上品な着物姿の老婆。「使いの者が失礼をしたようです。さぞかしお疲れでしょう。どうぞ中へお入りなさい」と、言った。
その晩、床についた女中が眼を醒ますと、隣の部屋からなにやらヒソヒソ話が聞こえてくる。
女中は壁に耳を押し付けた。「……猫嫌いなら人となりでわかる。あの女は猫を可愛がっていた娘じゃ。噛み付くことは許しませんよ」と、聞こえた。
逃げ出そうとしたとき、顔が猫で身体が人間の娘が部屋に入ってきた。その猫女はよく見れば、長者の家で大事にしていたあの猫ではないか。
女中はおまえに会いたかったんだと思いの丈をぶつけると、「よくぞ会いにきてくださいました。私も長年あなたをお慕いしておりました。
しかしあの家には戻ることはできません。私は二度と帰るまいと誓ったのです」
女中はどうにか説得しようとしたものの、猫の心は頑として変わらなかった。
あきらめた女中が帰る際、猫女は1枚の白い紙袋を渡した。「これは猫屋敷の呪いから身を守るためのものです。困ったらお振りなさい」
屋敷を出ようとしたとき、なるほど外はおびただしい数の猫で埋め尽くされている。猫女にもらった紙袋を振ると、猫たちは道を開けてくれた。
家に帰り、その白い紙袋を開けてみると、中には犬の絵が描かれており、なんと本物の小判10両を咥えていた。
これを見た奥方は感嘆の声をあげた。「女中ごとき身分のおまえで小判10両……。私なら100両はくだるまい。これは行ってみる価値がありますね」
と、奥方は単身、因幡山の猫屋敷へと足を運んだ。
そしてその晩、明かりがついている部屋の障子戸を開けてみると、大きな猫が殺意をみなぎらせて奥方を睨んでいた。
「まさか、旦那が可愛がってた、あの猫……」奥方はあまりの恐怖で腰が抜けてしまった。
「みずから猫屋敷にお出で下さるとは、飛んで火に入るなんとやら。今までよくも虐めてくれましたね。今夜こそ復讐するとき」と、猫は言うと、
電光石火の動きで奥方の喉笛に噛み付いた。
湖山池遊景のりなんせ〜屋形船 湖山池の島々
http://www5.hp-ez.com/hp/kasuminosato/page...
湖山池研究所
http://www.city.tottori.lg.jp/koyamaike/index.htm...
鳥取県鳥取市の北部には湖山池(こやまいけ)という汽水湖がある。汽水湖とは湖水に海水が混じっている湖のことを指す。
『池』とつく湖沼の中では日本最大規模の広さを誇るらしい。その湖山池には大小合わせて5つの島あり、なかでも『猫島』と呼ばれる小島には
猫にまつわる伝承、その名も『猫島異聞』が残されている。この話は猫好きなら思わず膝を叩いてしまうこと請け合い。
昔、伏野長者の家に1匹の猫が飼われていた。女中はその猫をいたく可愛がっていた。ところが長者の奥方は大の猫嫌い。
猫がそばに寄り付こうものなら蹴り飛ばしてしまうほど毛嫌いしていた。
ある日、奥方は女中にこう言った。「あなたはどうしてあの猫を可愛がるのです? 私がどれほど忌々しいと思っているか、わからないのですか?
亭主にも言って聞かせます。さっさとこの家から追い出してしまいなさい。一刻も早くです!」
そのことで胸を痛めた女中は陰で泣いていると、当の猫は察したものか、その日を境に姿を見せなくなった。
別の日、旅僧が家を訪ねてきた。女中がそれとなく猫の話をすると、「その猫なら因幡山で見かけた」と、思いもよらぬ返事。
女中は暇をもらい、奥方には内緒で、因幡山へ猫を探しに出かけることにした。
とはいえ山中は広く、そう簡単に猫は見つかるはずもない。じきに日が暮れてしまった。
泊まれる場所はないか方々を探していると、1軒の立派な屋敷を見つけた。女中はさっそく門を叩いた。
戸を開けて出てきたのは美しいけれど、どこか険のある顔立ちの娘。
「あなたも食い殺されにきたクチですか? ようこそ屋敷にお出で下さいました」娘は言うと、ニタリと笑い舌なめずりした。
女中は腰が抜けそうになった。どうやら尋常ならざるところに足を踏み入れてしまったらしい。
すると屋敷の奥から、「いけません! せっかく訪ねてきた人間を怯えさせるとは何事ですか!」という叱責の声が響いた。
奥から現われたのは上品な着物姿の老婆。「使いの者が失礼をしたようです。さぞかしお疲れでしょう。どうぞ中へお入りなさい」と、言った。
その晩、床についた女中が眼を醒ますと、隣の部屋からなにやらヒソヒソ話が聞こえてくる。
女中は壁に耳を押し付けた。「……猫嫌いなら人となりでわかる。あの女は猫を可愛がっていた娘じゃ。噛み付くことは許しませんよ」と、聞こえた。
逃げ出そうとしたとき、顔が猫で身体が人間の娘が部屋に入ってきた。その猫女はよく見れば、長者の家で大事にしていたあの猫ではないか。
女中はおまえに会いたかったんだと思いの丈をぶつけると、「よくぞ会いにきてくださいました。私も長年あなたをお慕いしておりました。
しかしあの家には戻ることはできません。私は二度と帰るまいと誓ったのです」
女中はどうにか説得しようとしたものの、猫の心は頑として変わらなかった。
あきらめた女中が帰る際、猫女は1枚の白い紙袋を渡した。「これは猫屋敷の呪いから身を守るためのものです。困ったらお振りなさい」
屋敷を出ようとしたとき、なるほど外はおびただしい数の猫で埋め尽くされている。猫女にもらった紙袋を振ると、猫たちは道を開けてくれた。
家に帰り、その白い紙袋を開けてみると、中には犬の絵が描かれており、なんと本物の小判10両を咥えていた。
これを見た奥方は感嘆の声をあげた。「女中ごとき身分のおまえで小判10両……。私なら100両はくだるまい。これは行ってみる価値がありますね」
と、奥方は単身、因幡山の猫屋敷へと足を運んだ。
そしてその晩、明かりがついている部屋の障子戸を開けてみると、大きな猫が殺意をみなぎらせて奥方を睨んでいた。
「まさか、旦那が可愛がってた、あの猫……」奥方はあまりの恐怖で腰が抜けてしまった。
「みずから猫屋敷にお出で下さるとは、飛んで火に入るなんとやら。今までよくも虐めてくれましたね。今夜こそ復讐するとき」と、猫は言うと、
電光石火の動きで奥方の喉笛に噛み付いた。
湖山池遊景のりなんせ〜屋形船 湖山池の島々
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湖山池研究所
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人類創世異伝3 降神島(うるがみじま)
神が降臨する島と書いて降神島である。降神島とは沖縄本島北西部に広がる伊平屋伊是名諸島の無人島。
沖縄県島尻郡伊是名村に属する。伊是名島の東、仲田港から約1.2kmの東シナ海上に浮かぶ珊瑚礁が隆起した岩礁といった方が正確か。
島名のとおり天地開闢に際し、神々が初めに降り立った場所であることに由来するとされ、5か所もの御嶽(うたき)が存在する。
なかでもアカラ御嶽には日本神話の天の岩戸に酷似した伝承が残されており、いかに信仰の島なのかわかろう。
太古の昔、人類がまだ誕生していないころ、世界は暗黒に閉ざされていた。この降神島に天より神が降臨した。
そこからアラハ御獄に降りたので世界は明るくなった。
ところが神々の間でなんらかの問題が起こり、クマヤ洞窟に行き、そこで籠ってしまった。するとふたたび世界は元の闇に戻ってしまう。
やはり世界には灯火が必要だと、7人の神が諭して
神を洞窟より連れ出した。そういうわけでクマヤ洞窟から世が明けたという話である。
徳川時代の史学者、藤井貞幹は、神武天皇は琉球の恵平屋島(伊平屋列島)に誕生したと提唱し、国学者、本居宣長を憤慨させたという。
琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな〜 降神島
http://totoro820.ti-da.net/e3354738.htm...
神々のお嶽 | 伊是名村役場
http://vill.izena.okinawa.jp/izena/novel/story...
沖縄 伊是名島に石と龍を訪ねて ③アハラ御嶽
http://blogs.yahoo.co.jp/nao31n31n/14108289.htm...
神が降臨する島と書いて降神島である。降神島とは沖縄本島北西部に広がる伊平屋伊是名諸島の無人島。
沖縄県島尻郡伊是名村に属する。伊是名島の東、仲田港から約1.2kmの東シナ海上に浮かぶ珊瑚礁が隆起した岩礁といった方が正確か。
島名のとおり天地開闢に際し、神々が初めに降り立った場所であることに由来するとされ、5か所もの御嶽(うたき)が存在する。
なかでもアカラ御嶽には日本神話の天の岩戸に酷似した伝承が残されており、いかに信仰の島なのかわかろう。
太古の昔、人類がまだ誕生していないころ、世界は暗黒に閉ざされていた。この降神島に天より神が降臨した。
そこからアラハ御獄に降りたので世界は明るくなった。
ところが神々の間でなんらかの問題が起こり、クマヤ洞窟に行き、そこで籠ってしまった。するとふたたび世界は元の闇に戻ってしまう。
やはり世界には灯火が必要だと、7人の神が諭して
神を洞窟より連れ出した。そういうわけでクマヤ洞窟から世が明けたという話である。
徳川時代の史学者、藤井貞幹は、神武天皇は琉球の恵平屋島(伊平屋列島)に誕生したと提唱し、国学者、本居宣長を憤慨させたという。
琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな〜 降神島
http://totoro820.ti-da.net/e3354738.htm...
神々のお嶽 | 伊是名村役場
http://vill.izena.okinawa.jp/izena/novel/story...
沖縄 伊是名島に石と龍を訪ねて ③アハラ御嶽
http://blogs.yahoo.co.jp/nao31n31n/14108289.htm...
サバイバルの姫、男神を想うも報われず 枇榔島(びろうじま)
宮崎県東臼杵郡門川町に属する、日向灘に浮かぶ枇榔島という無人島がある。島名の由来はその名のとおり、
枇榔(ヤシ科)の木が繁茂していたことから冠せられた。この枇榔島には不思議な神通力をもった姫のサバイバル話が残されているのだが、
>>225の和歌山県串本町の橋杭岩に伝わる弘法大師伝説と共通点が見られ、発祥がなんなのか気になるところ。それがこんな話。
はるかな昔、天智天皇が皇女をつれて志布志市を訪れた。娘の名を乙姫といった。
この乙姫、泣く子も黙る男勝りのじゃじゃ馬で、周囲を振り回すことしばしばであった。
神通力をもって荒地を水田に作り代えるという善行もする一方、集落の真ん中に池を掘ったり、逆に必要な池を埋めてしまったり、
挙句の果ては小島を海に沈めてしまうなど、村人たちを困らせることも少なくなかった。
嘆願された天皇もついに堪忍袋の緒が切れ、乙姫を小舟に乗せると海へ押し流してしまった。
はるかな沖へ流されたさすがの姫も、涙こそ見せなかったが、陸が恋しくてたまらない。
前向きな姫は自身の『力』を使って、島をこしらえてしまえばよいと考えた。なんと1夜のうちに有明湾の真ん中に島を造ってしまう。
そしてこの島に女帝として君臨し、思うがまま生きて父の鼻を明かしてやろう。……これが枇榔島の誕生由来である。
朝になって有明湾の沖を眺めるなり、村人たちは眼を丸くした。「なんじゃ、あの島は? まさか晩のうちに浮かんできたのか?」
「きっと乙姫が造られた島に違いねえ。姫のことだからやりかねない。またトラブルを起こさなきゃいいが……」と、みんなは噂しあった。
枇榔島から志布志までは、たいした距離ではなかったので乙姫は孤独感に悩まされずに済んだ。
しかしいつまでも島に篭っていても飽きるだけ。やがて好きな男のことを思い出すと、頭から離れなくなった。
志布志の浜には権現山が聳えており、山には乙姫が恋してやまない男の神さまが住んでいたのだ。
やっぱり島から出て、男神に会いに行こう。なんとかできないものかと、海の神にお伺いを立てることにした。
海の神さまが現れてこう言った。「だったら一番鶏が鳴くまでに、海に権現山まで続く道を造ればよい。そなたならできるであろう。
見事完成したならば会わせてやろう」
俄然やる気が出た乙姫は腕まくりし、その賭けに乗った。よーいドンを合図に岩の道を造り始めた。権現山へ向かけて、岩の道が造られていく。
ところがあと少しというときになって、狡猾なアマノジャクに岩の道造りのことがバレてしまう。
アマノジャクは乙姫の邪魔をするように鶏に言いつけ、「コケコッコー」と鳴かせた。
あまりに早く鶏が鳴いたため、乙姫の道造りは途中で頓挫せざるをえなかった。海の神さまとの約束は守れなかった。
それ以降、姫の半生は島で1人寂しくすごすしかなかった。こうして姫の夢は絶たれた。
枇榔島神社は、この島で孤独の乙姫を祀るために村人たちが建てたものだそうだ。
大隅の昔話 枇榔島
http://www.b-post.com/oosumi/story/story_05.htm...
日本書紀の罠 渡辺豊和 第1章 美女を追う天皇
http://www5.ocn.ne.jp/‾toyokazu/jpn/nswana/nsw-01.html
宮崎県東臼杵郡門川町に属する、日向灘に浮かぶ枇榔島という無人島がある。島名の由来はその名のとおり、
枇榔(ヤシ科)の木が繁茂していたことから冠せられた。この枇榔島には不思議な神通力をもった姫のサバイバル話が残されているのだが、
>>225の和歌山県串本町の橋杭岩に伝わる弘法大師伝説と共通点が見られ、発祥がなんなのか気になるところ。それがこんな話。
はるかな昔、天智天皇が皇女をつれて志布志市を訪れた。娘の名を乙姫といった。
この乙姫、泣く子も黙る男勝りのじゃじゃ馬で、周囲を振り回すことしばしばであった。
神通力をもって荒地を水田に作り代えるという善行もする一方、集落の真ん中に池を掘ったり、逆に必要な池を埋めてしまったり、
挙句の果ては小島を海に沈めてしまうなど、村人たちを困らせることも少なくなかった。
嘆願された天皇もついに堪忍袋の緒が切れ、乙姫を小舟に乗せると海へ押し流してしまった。
はるかな沖へ流されたさすがの姫も、涙こそ見せなかったが、陸が恋しくてたまらない。
前向きな姫は自身の『力』を使って、島をこしらえてしまえばよいと考えた。なんと1夜のうちに有明湾の真ん中に島を造ってしまう。
そしてこの島に女帝として君臨し、思うがまま生きて父の鼻を明かしてやろう。……これが枇榔島の誕生由来である。
朝になって有明湾の沖を眺めるなり、村人たちは眼を丸くした。「なんじゃ、あの島は? まさか晩のうちに浮かんできたのか?」
「きっと乙姫が造られた島に違いねえ。姫のことだからやりかねない。またトラブルを起こさなきゃいいが……」と、みんなは噂しあった。
枇榔島から志布志までは、たいした距離ではなかったので乙姫は孤独感に悩まされずに済んだ。
しかしいつまでも島に篭っていても飽きるだけ。やがて好きな男のことを思い出すと、頭から離れなくなった。
志布志の浜には権現山が聳えており、山には乙姫が恋してやまない男の神さまが住んでいたのだ。
やっぱり島から出て、男神に会いに行こう。なんとかできないものかと、海の神にお伺いを立てることにした。
海の神さまが現れてこう言った。「だったら一番鶏が鳴くまでに、海に権現山まで続く道を造ればよい。そなたならできるであろう。
見事完成したならば会わせてやろう」
俄然やる気が出た乙姫は腕まくりし、その賭けに乗った。よーいドンを合図に岩の道を造り始めた。権現山へ向かけて、岩の道が造られていく。
ところがあと少しというときになって、狡猾なアマノジャクに岩の道造りのことがバレてしまう。
アマノジャクは乙姫の邪魔をするように鶏に言いつけ、「コケコッコー」と鳴かせた。
あまりに早く鶏が鳴いたため、乙姫の道造りは途中で頓挫せざるをえなかった。海の神さまとの約束は守れなかった。
それ以降、姫の半生は島で1人寂しくすごすしかなかった。こうして姫の夢は絶たれた。
枇榔島神社は、この島で孤独の乙姫を祀るために村人たちが建てたものだそうだ。
大隅の昔話 枇榔島
http://www.b-post.com/oosumi/story/story_05.htm...
日本書紀の罠 渡辺豊和 第1章 美女を追う天皇
http://www5.ocn.ne.jp/‾toyokazu/jpn/nswana/nsw-01.html
闇より生まれ闇に帰っていく神『マユンガナシ』 石垣島川平(かびら)
八重山諸島の石垣島にある川平地区には不思議な行事が今も続けられている。それが節祭(しつまつり)だ。
節祭は農業暦のうえで稲作における1年の終わりと翌年の始まりとなる収穫を終えた旧暦の9月に行われる。その際、マユンガナシなる神が登場するのだ。
これも男鹿半島のナマハゲや悪石島のボゼ、宮古島のパーントゥ同様のいわゆる仮面神で、村の者が神の役を演じている。
画像をご覧いただければわかるように、その恰好は手拭いで顔を隠してクバ笠をかぶり、蓑を着て長い棒を持った妖怪じみた姿だが、
れっきとしたありがたい神の具現である。ちなみに、マユンガナシの『マユ』とは『豊かな真の世』のことであり、『ガナシ』は敬称。
合体させると『真世の皆様』という意味だ。マユンガナシは海の彼方、ニライ・カナイからやってきたとされている。
ではマユンガナシの発祥はなんであろうか? それがこんなお話。
遠い昔の、ある年の大晦日の夜のことである。舟で遭難した旅人が助けを求めるようにして川平に訪れた。その旅人はまさにクバ笠をかぶり、全身蓑だらけ。
旅人は家々を廻って1晩の宿を頼むのだが、大晦日を控え正月の準備に忙しいので、それどころではないと断る家ばかりだった。
そんななか村の南端に住む、一番貧しかった南風野家(パイヌヤ)の老夫婦だけが快く受け入れ、客人としてもてなした。
実はこの旅人の正体は神であるマユンガナシの仮の姿だったのだ。神は南風野家にだけ祝福の言葉を残し、来年も訪れると約束して立ち去った。
これを機に南風野家は次々と幸福が舞い込み、やがて豊かな家となった。
村人たちは南風野家の繁栄の理由を知り、神に大変な失礼なことをしてしまったと反省し、自分たちの家にも神が来てくれるよう願った。
そこでその年の大晦日、神が南風野家を訪ねてきたとき、老夫婦は村人たちの家々にも行ってやってもらえないかと尋ねた。
すると神は、たっての望みとあれば、名代の人に神の言葉を唱えさせよとして、『祝福の言葉(カンフツ)』を伝授させる。
さらに神は、自分は戌年の生まれであるから、戌年生まれの者に私の役目をさせるがよいと告げた。以来、マユンガナシは神の名代である村人が扮し、
行われるようになった(※おかしなことに、>>234>>235でも書いた話とほぼ同義である。どうもこの手の逸話は全国にいくらでも転がっているようだ。
なぜ類似の民間伝承や伝説が拡散したのか、またの機会で検証したい)。
祭りに際し、村の若者、それも戌年生まれの者はマユンガナシに扮してから、『ムトゥ(本神)』と『トウム(供神)』の2者1組(このペアが複数存在する)は
マユンガナシの長である『フームトゥ』(大元)の家から出立し、空き地に集まり、そこから事前に練ったスケジュールに沿って各家に向かう。
訪問を受けた家の家主は2人組の神を座敷に招き入れ、酒を振る舞い、ご馳走を出してもてなす。
神は祝言『カンフツ』を唱え『五福』の言葉を授ける。五福とは富貴・繁栄・長寿・健康・豊作。マユンガナシの言葉『カンフツ』は不明瞭すぎて聞き取りがたい。
『カンフツ』は実に1時間前後にも及ぶ。対する家人はマユンガナシに礼の口上を述べ、最後にはお土産まで手渡して送り出す。
その間、マンガナシの返答はつねに「ンー!」だけである。
こういった一連の流れを、夜明け前の一番鶏が鳴き終わるまでに家々を廻り、おつとめを済ませたあとニライ・カナイへと去っていくという設定だ。
さらに祭りを終えて衣装を脱ぐとき、男たちは鶏の鳴き真似をする。これを『カムスディル』(神孵)という。あの世の神から、この世の人間に孵化することを
意味している。それと、この儀式だけは絶対に人に見せてはならない秘事とされている。ここにも見るなのタブーがつきまとうわけだ。
祭りはその晩だけで終わらず5日間続く。戊戌の日のマユンガナシの祭り(初日)に次いで、井戸での祈願(2日目)、芸能の表演、獅子舞などがある(3日目)。
4日目は以前は獅子舞を踊らせたが、現在は省いたらしい。5日目は『神(カン)ニガイ』で、この日、ニライ・カナイからきたマユンガナシの上位神と言われる大神
『ニランタフヤン』を送り返すという。……おそらく読んでて理解しかねると思うが、書いてる方もワケワカメである。
基本的に写真・ビデオは禁止の秘祭ながら、以下のサイトにはバッチリ記録が残されていたりして。
八重山諸島の石垣島にある川平地区には不思議な行事が今も続けられている。それが節祭(しつまつり)だ。
節祭は農業暦のうえで稲作における1年の終わりと翌年の始まりとなる収穫を終えた旧暦の9月に行われる。その際、マユンガナシなる神が登場するのだ。
これも男鹿半島のナマハゲや悪石島のボゼ、宮古島のパーントゥ同様のいわゆる仮面神で、村の者が神の役を演じている。
画像をご覧いただければわかるように、その恰好は手拭いで顔を隠してクバ笠をかぶり、蓑を着て長い棒を持った妖怪じみた姿だが、
れっきとしたありがたい神の具現である。ちなみに、マユンガナシの『マユ』とは『豊かな真の世』のことであり、『ガナシ』は敬称。
合体させると『真世の皆様』という意味だ。マユンガナシは海の彼方、ニライ・カナイからやってきたとされている。
ではマユンガナシの発祥はなんであろうか? それがこんなお話。
遠い昔の、ある年の大晦日の夜のことである。舟で遭難した旅人が助けを求めるようにして川平に訪れた。その旅人はまさにクバ笠をかぶり、全身蓑だらけ。
旅人は家々を廻って1晩の宿を頼むのだが、大晦日を控え正月の準備に忙しいので、それどころではないと断る家ばかりだった。
そんななか村の南端に住む、一番貧しかった南風野家(パイヌヤ)の老夫婦だけが快く受け入れ、客人としてもてなした。
実はこの旅人の正体は神であるマユンガナシの仮の姿だったのだ。神は南風野家にだけ祝福の言葉を残し、来年も訪れると約束して立ち去った。
これを機に南風野家は次々と幸福が舞い込み、やがて豊かな家となった。
村人たちは南風野家の繁栄の理由を知り、神に大変な失礼なことをしてしまったと反省し、自分たちの家にも神が来てくれるよう願った。
そこでその年の大晦日、神が南風野家を訪ねてきたとき、老夫婦は村人たちの家々にも行ってやってもらえないかと尋ねた。
すると神は、たっての望みとあれば、名代の人に神の言葉を唱えさせよとして、『祝福の言葉(カンフツ)』を伝授させる。
さらに神は、自分は戌年の生まれであるから、戌年生まれの者に私の役目をさせるがよいと告げた。以来、マユンガナシは神の名代である村人が扮し、
行われるようになった(※おかしなことに、>>234>>235でも書いた話とほぼ同義である。どうもこの手の逸話は全国にいくらでも転がっているようだ。
なぜ類似の民間伝承や伝説が拡散したのか、またの機会で検証したい)。
祭りに際し、村の若者、それも戌年生まれの者はマユンガナシに扮してから、『ムトゥ(本神)』と『トウム(供神)』の2者1組(このペアが複数存在する)は
マユンガナシの長である『フームトゥ』(大元)の家から出立し、空き地に集まり、そこから事前に練ったスケジュールに沿って各家に向かう。
訪問を受けた家の家主は2人組の神を座敷に招き入れ、酒を振る舞い、ご馳走を出してもてなす。
神は祝言『カンフツ』を唱え『五福』の言葉を授ける。五福とは富貴・繁栄・長寿・健康・豊作。マユンガナシの言葉『カンフツ』は不明瞭すぎて聞き取りがたい。
『カンフツ』は実に1時間前後にも及ぶ。対する家人はマユンガナシに礼の口上を述べ、最後にはお土産まで手渡して送り出す。
その間、マンガナシの返答はつねに「ンー!」だけである。
こういった一連の流れを、夜明け前の一番鶏が鳴き終わるまでに家々を廻り、おつとめを済ませたあとニライ・カナイへと去っていくという設定だ。
さらに祭りを終えて衣装を脱ぐとき、男たちは鶏の鳴き真似をする。これを『カムスディル』(神孵)という。あの世の神から、この世の人間に孵化することを
意味している。それと、この儀式だけは絶対に人に見せてはならない秘事とされている。ここにも見るなのタブーがつきまとうわけだ。
祭りはその晩だけで終わらず5日間続く。戊戌の日のマユンガナシの祭り(初日)に次いで、井戸での祈願(2日目)、芸能の表演、獅子舞などがある(3日目)。
4日目は以前は獅子舞を踊らせたが、現在は省いたらしい。5日目は『神(カン)ニガイ』で、この日、ニライ・カナイからきたマユンガナシの上位神と言われる大神
『ニランタフヤン』を送り返すという。……おそらく読んでて理解しかねると思うが、書いてる方もワケワカメである。
基本的に写真・ビデオは禁止の秘祭ながら、以下のサイトにはバッチリ記録が残されていたりして。
シンポジウム7特別編 「異界とのダイアローグ--実践としての写真」
http://www.mizu-tsuchi.jp/wp/wp-content/uploads/2013/03/...
民族学伝承ひろいあげ辞典 マユンガナシ、アカマタ・クロマタ 八重山諸島
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/50647516.htm...
民族学伝承ひろいあげ辞典 奇祭4/マユンガナシ
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55762785.htm...
民族学伝承ひろいあげ辞典 世界のまれびと・仮面の精霊一覧 シロマタ
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54977298.html?vi...
マユンガナシの映像(1994年の記録)補遺
http://www.flet.keio.ac.jp/‾shnomura/mayun/mayunganashi.html
NPO法人 科学映像館 石垣島川平のマユンガナシ
http://www.kagakueizo.org/2009/04/post-97.htm...
沖縄格安 生活プレイガイド ヒューマンリレーション
http://www.playguide.org/festival/index.cgi?mode=list&c...
http://www.mizu-tsuchi.jp/wp/wp-content/uploads/2013/03/...
民族学伝承ひろいあげ辞典 マユンガナシ、アカマタ・クロマタ 八重山諸島
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/50647516.htm...
民族学伝承ひろいあげ辞典 奇祭4/マユンガナシ
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55762785.htm...
民族学伝承ひろいあげ辞典 世界のまれびと・仮面の精霊一覧 シロマタ
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54977298.html?vi...
マユンガナシの映像(1994年の記録)補遺
http://www.flet.keio.ac.jp/‾shnomura/mayun/mayunganashi.html
NPO法人 科学映像館 石垣島川平のマユンガナシ
http://www.kagakueizo.org/2009/04/post-97.htm...
沖縄格安 生活プレイガイド ヒューマンリレーション
http://www.playguide.org/festival/index.cgi?mode=list&c...
その実、ペニスとは無縁 珍小島(ちんこじま)
北海道の洞爺湖に浮かぶ陸繋島(砂州によって陸続きになった島のこと。神奈川県藤沢市の江の島もこれにあたる)の島名は、
こっ恥ずかしい名で知られる。珍小島である。また、周辺を珍小島地区または珍小島周辺地区と呼ぶことがある。
名前の由来は、ズルむけペニス伝説があるわけではない。
湖の水量によって島までの砂州が出たり消えたりする陸繋島ならではのトンボロ現象から、『珍しい』+『小島』= 『珍小島』となったようだ。
珍小島(北海道虻田郡虻田町)
http://ankyo.rulez.jp/chinmei/chinkojima/chinko.htm...
隅っこ男子同好会 オー・チン・チン/ハニー・ナイツ
http://blog.goo.ne.jp/enyo_1975/e/dc04da650c8e845b01...
珍地名wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%8D%E5%9C%B0%E5%90%...
北海道の洞爺湖に浮かぶ陸繋島(砂州によって陸続きになった島のこと。神奈川県藤沢市の江の島もこれにあたる)の島名は、
こっ恥ずかしい名で知られる。珍小島である。また、周辺を珍小島地区または珍小島周辺地区と呼ぶことがある。
名前の由来は、ズルむけペニス伝説があるわけではない。
湖の水量によって島までの砂州が出たり消えたりする陸繋島ならではのトンボロ現象から、『珍しい』+『小島』= 『珍小島』となったようだ。
珍小島(北海道虻田郡虻田町)
http://ankyo.rulez.jp/chinmei/chinkojima/chinko.htm...
隅っこ男子同好会 オー・チン・チン/ハニー・ナイツ
http://blog.goo.ne.jp/enyo_1975/e/dc04da650c8e845b01...
珍地名wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%8D%E5%9C%B0%E5%90%...
触ればご利益があるかも? おっぱい岩
熊本の天草、苓北町には、これまた人体の部位にちなんだ奇岩がある。その名もおっぱい岩である。しっかりビーチクまでついている。
時として自然の力はしょーもない奇跡を起こす。
大昔、雲仙岳の噴火の際、飛んできた岩が、長い年月をかけて、海蝕作用という名の彫刻家によって形取られた変形岩だ。直径は約1.5m。
じかに触れば『乳房が大きくなる』とか『母乳がたくさん出るようになる』などのご利益もあることから女性が訪れることで、地味に有名らしい。
干潮時にしか姿を現さないので、見学したければ前もって潮汐の時間帯確認が必須。
おっぱい岩(熊本県天草郡苓北町)
http://ankyo.rulez.jp/chinmei/oppaiiwa/oppaiiwa.htm...
ダル杏 おっぱい岩と通詞島 [天草]
http://dal-anz.blog.so-net.ne.jp/2009-05-0...
熊本の天草、苓北町には、これまた人体の部位にちなんだ奇岩がある。その名もおっぱい岩である。しっかりビーチクまでついている。
時として自然の力はしょーもない奇跡を起こす。
大昔、雲仙岳の噴火の際、飛んできた岩が、長い年月をかけて、海蝕作用という名の彫刻家によって形取られた変形岩だ。直径は約1.5m。
じかに触れば『乳房が大きくなる』とか『母乳がたくさん出るようになる』などのご利益もあることから女性が訪れることで、地味に有名らしい。
干潮時にしか姿を現さないので、見学したければ前もって潮汐の時間帯確認が必須。
おっぱい岩(熊本県天草郡苓北町)
http://ankyo.rulez.jp/chinmei/oppaiiwa/oppaiiwa.htm...
ダル杏 おっぱい岩と通詞島 [天草]
http://dal-anz.blog.so-net.ne.jp/2009-05-0...
「一生餅を絶ちますから。どうかお助け〜!」 陰田『花魁(おいらん)島』
宮城県塩竈市浦戸には浦戸諸島あり、そのなかに野々島という有人島がある。
その野々島の東の端には、『陰田』(もしくは掛田と表記する場合もある)なる無人島があり、別名『花魁島』とも呼ばれている。
島には『野々島のかげ田と一升餅』という民話が今も語り継がれている。
昔、村の若者たちが集まって、みんなで他愛もない話をしていた。そのうち1人のお調子者が花魁島を指差し、こう言った。
「あの島のてっぺんに大木があり、枝にはミサゴ(鷹の一種)の巣が組まれてるそうなんだ。その巣には雛っ子がいるはず。
その雛を生け捕りにした者は、みんなで銭出し合って田んぼ1反与えるってことにしねえか?」
「賭けか? そいつは面白え。乗ってやら」
「上等じゃねえか。田んぼ1反、必ずだからな!」
……とは言ったものの、若者たちはいざ島の真下までとり着き、上を見あげるなり言葉を失った。
島の周囲は垂直の岩壁で、真下はゴツゴツした岩場があり、いつも波が砕けているような恐ろしい場所。
万一、壁をよじ登っているときに足を滑らせたなら命の保証はない。おたがいの顔を見合わせた。
「誰がいの1番に挑戦するんだ?」
「おまえこそ行けよ!」
「いやいや、言いだしっぺのおまえが!」
そのとき、1人の若者が言った。「おれが行くぞ」そして頭に鍋をかぶり、腰に荒縄を巻いて絶壁をよじ登り始めた。
若者はどうにか島の頂上にたどり着き、次に問題の松の大木に挑んだ。腰に巻いた縄のもう片方の端を枝にかけ、1枝1枝慎重に登っていき、
ついに手を伸ばせばミサゴの巣に届くところまで来た。案の定、生後間もない雛がピイピイ鳴いていた。
雛に触れようとしたとき、突如どこからともなく、親鳥が数十羽の仲間を従えて襲いかかってきた。
若者はあまりの恐ろしさに雛を取るどころの騒ぎではない。雛をあきらめ、木から降りようとするも、手足が痺れて進退窮まる。
顔色が失せた若者は一心に神に祈った。
「南無三宝……八百万の神さま、どうか無事におろさせてください。無事おりることができたなら、一生餅を絶ちますから。どうかお助け〜!」と、
願掛けしながらちょっとずつ木をおり、絶壁にしがみつきながらやっとのことで真下まで戻り、生還することができた。
若者はその後、『一升餅』は口にしなかったものの、『二升餅』を食べたということだ(『一生』ではなく『一升』餅を食べないというオチ)。
こんな騒動以来、この無人島を田んぼを賭けたことから『かけ田』と呼ぶようなり、それが訛って『陰田』になったという。
……それにしても、なぜ『餅』なのか? 餅を食べることを禁忌とする風習は各地に転がっており、謎が深まるばかり。
民話万象 第百七十五話 野々島のかげ田と一升餅
http://melma.com/backnumber_54358_3112791...
宮城県塩竈市浦戸には浦戸諸島あり、そのなかに野々島という有人島がある。
その野々島の東の端には、『陰田』(もしくは掛田と表記する場合もある)なる無人島があり、別名『花魁島』とも呼ばれている。
島には『野々島のかげ田と一升餅』という民話が今も語り継がれている。
昔、村の若者たちが集まって、みんなで他愛もない話をしていた。そのうち1人のお調子者が花魁島を指差し、こう言った。
「あの島のてっぺんに大木があり、枝にはミサゴ(鷹の一種)の巣が組まれてるそうなんだ。その巣には雛っ子がいるはず。
その雛を生け捕りにした者は、みんなで銭出し合って田んぼ1反与えるってことにしねえか?」
「賭けか? そいつは面白え。乗ってやら」
「上等じゃねえか。田んぼ1反、必ずだからな!」
……とは言ったものの、若者たちはいざ島の真下までとり着き、上を見あげるなり言葉を失った。
島の周囲は垂直の岩壁で、真下はゴツゴツした岩場があり、いつも波が砕けているような恐ろしい場所。
万一、壁をよじ登っているときに足を滑らせたなら命の保証はない。おたがいの顔を見合わせた。
「誰がいの1番に挑戦するんだ?」
「おまえこそ行けよ!」
「いやいや、言いだしっぺのおまえが!」
そのとき、1人の若者が言った。「おれが行くぞ」そして頭に鍋をかぶり、腰に荒縄を巻いて絶壁をよじ登り始めた。
若者はどうにか島の頂上にたどり着き、次に問題の松の大木に挑んだ。腰に巻いた縄のもう片方の端を枝にかけ、1枝1枝慎重に登っていき、
ついに手を伸ばせばミサゴの巣に届くところまで来た。案の定、生後間もない雛がピイピイ鳴いていた。
雛に触れようとしたとき、突如どこからともなく、親鳥が数十羽の仲間を従えて襲いかかってきた。
若者はあまりの恐ろしさに雛を取るどころの騒ぎではない。雛をあきらめ、木から降りようとするも、手足が痺れて進退窮まる。
顔色が失せた若者は一心に神に祈った。
「南無三宝……八百万の神さま、どうか無事におろさせてください。無事おりることができたなら、一生餅を絶ちますから。どうかお助け〜!」と、
願掛けしながらちょっとずつ木をおり、絶壁にしがみつきながらやっとのことで真下まで戻り、生還することができた。
若者はその後、『一升餅』は口にしなかったものの、『二升餅』を食べたということだ(『一生』ではなく『一升』餅を食べないというオチ)。
こんな騒動以来、この無人島を田んぼを賭けたことから『かけ田』と呼ぶようなり、それが訛って『陰田』になったという。
……それにしても、なぜ『餅』なのか? 餅を食べることを禁忌とする風習は各地に転がっており、謎が深まるばかり。
民話万象 第百七十五話 野々島のかげ田と一升餅
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殺された海賊の呪い 牧の島
長崎の佐世保市、平戸市にかけての北松浦半島西岸に連なるリアス式海岸の群島をまとめて九十九島(くじゅうくしま)と呼ぶ。
島数99どころか、公式には208もあるとされている(これは佐世保市等の『九十九島の数調査研究会』の見解によるものであるが、
島の定義を満たしていないものも含まれるので、必ずしも208が正確な数ではない)。こんなにあればさぞかしネタの宝庫であろう。
今回は九十九島の1つ、牧の島をご紹介。松浦藩時代に放牧場であったのが島名の由来とされている。
天然・養殖ともに牡蠣の生産地であり、冬場には地元漁協によるイベントも行われる。
そんな牧の島は海賊にまつわる話が残されている。島の東側にある小さな入り江は昔、海賊船の集合地であったという。
あるとき、地元の者がここに潜伏していた1隻の海賊船を奪取し、金銀財宝を強奪したうえ、海賊たちに石の重しをつけて海中に投じた。
その際、海賊の1人がもがき苦しみながら海面に顔を出し、「よくもやってくれたな……。この恨み、7代のあとまで祟ってやる」と、言い残し沈んでいった。
本来、海賊とは心身ともに頑強そうだが、襲撃した方がさらに上を行く猛者だったのだろう。特殊部隊そこのけである。
皮肉にもその呪詛のとおり、海賊を襲った者の家系には身体の不自由な子が生まれたという。
一説では、この伝説における人物は『「地の者』『海賊』ではなく源平合戦の、平家に加担していた松浦水軍が落ち延びてきたとき、
源氏に寝返った者が、財宝の警護をしていた平家の武士を襲ったとの説がある。
またそれとは別に、夜間にこの付近の海上を通ると舟幽霊につけられて遭難したとも噂されている。それゆえ船頭たちはここを『魔の浦』と呼んで恐れるという。
西海パールシーリゾート 西海国立公園九十九島の紹介
http://www.pearlsea.jp/99islands/island.htm...
揺りかごから酒場まで☆少額微動隊 長崎(6)南九十九島でやんす
http://okab.exblog.jp/13301797...
長崎の佐世保市、平戸市にかけての北松浦半島西岸に連なるリアス式海岸の群島をまとめて九十九島(くじゅうくしま)と呼ぶ。
島数99どころか、公式には208もあるとされている(これは佐世保市等の『九十九島の数調査研究会』の見解によるものであるが、
島の定義を満たしていないものも含まれるので、必ずしも208が正確な数ではない)。こんなにあればさぞかしネタの宝庫であろう。
今回は九十九島の1つ、牧の島をご紹介。松浦藩時代に放牧場であったのが島名の由来とされている。
天然・養殖ともに牡蠣の生産地であり、冬場には地元漁協によるイベントも行われる。
そんな牧の島は海賊にまつわる話が残されている。島の東側にある小さな入り江は昔、海賊船の集合地であったという。
あるとき、地元の者がここに潜伏していた1隻の海賊船を奪取し、金銀財宝を強奪したうえ、海賊たちに石の重しをつけて海中に投じた。
その際、海賊の1人がもがき苦しみながら海面に顔を出し、「よくもやってくれたな……。この恨み、7代のあとまで祟ってやる」と、言い残し沈んでいった。
本来、海賊とは心身ともに頑強そうだが、襲撃した方がさらに上を行く猛者だったのだろう。特殊部隊そこのけである。
皮肉にもその呪詛のとおり、海賊を襲った者の家系には身体の不自由な子が生まれたという。
一説では、この伝説における人物は『「地の者』『海賊』ではなく源平合戦の、平家に加担していた松浦水軍が落ち延びてきたとき、
源氏に寝返った者が、財宝の警護をしていた平家の武士を襲ったとの説がある。
またそれとは別に、夜間にこの付近の海上を通ると舟幽霊につけられて遭難したとも噂されている。それゆえ船頭たちはここを『魔の浦』と呼んで恐れるという。
西海パールシーリゾート 西海国立公園九十九島の紹介
http://www.pearlsea.jp/99islands/island.htm...
揺りかごから酒場まで☆少額微動隊 長崎(6)南九十九島でやんす
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姉弟神のいつく島 フデ岩
>>291でアカマター伝説がある八重干瀬(やびじ・やえびし) を紹介したが、それより東へ約9.5kmに無人島がある。それがフデ岩だ。
宮古列島に属する。周辺はカツオの漁場だ。
このフデ岩には姉弟の神が一帯を守っているという神話が伝えられている。それがこんなお話。
八重干瀬には渡賀殿(とうがどぅね)という男神がいて、対する東の洋上に佇むフデ岩には美雅真良(みがほら)という美しい女神がいた。
渡賀殿が弟にあたり、美雅真良が姉だった。
八重干瀬は広大な珊瑚礁であり、豊富な魚介類、海藻が採れる漁場として知られ、『海の畑(インヌパリ)』と呼ばれていた。
水産資源を求めて人間たちが漁をしに訪れた。しかし弟の男神は、人間の船が近づくたび、お冠になる。
「私のニラ畑(神の畑)を狙って、黒牛が荒らしに来たに違いあるまい!」と言って、神通力をもって船を暗礁に叩きつけようとする。
「まあ! あなたと来たら気が短すぎます。暴力はいけませんよ」と、姉はなだめ、どうにか気を引こうと知恵を働かせた。
姉は機に織りかけてあるプス(カスリ模様の布)をわざと織りそこねた。そして弟に向かって言った。「弟よ、機織りをしくじってしまったようです。
私の力では手直しできませんから、あなたの助けがいります。早くこっちへ来なさい」
日ごろ粗野な弟でも、姉の願いとあるならばと、大至急フデ岩に駆けつけた。その間に船は難破を逃れて無事航海できるというもの。
それで船乗りはこの難所にさしかかったら、『プナリサズ』なる布を鉢巻きにし、旅栄の歌を歌って女神に感謝したとのこと。
宮古島観光ツーリスト 池間の由来と歴史
http://mikatatourist.com/ikemajima.htm...
>>291でアカマター伝説がある八重干瀬(やびじ・やえびし) を紹介したが、それより東へ約9.5kmに無人島がある。それがフデ岩だ。
宮古列島に属する。周辺はカツオの漁場だ。
このフデ岩には姉弟の神が一帯を守っているという神話が伝えられている。それがこんなお話。
八重干瀬には渡賀殿(とうがどぅね)という男神がいて、対する東の洋上に佇むフデ岩には美雅真良(みがほら)という美しい女神がいた。
渡賀殿が弟にあたり、美雅真良が姉だった。
八重干瀬は広大な珊瑚礁であり、豊富な魚介類、海藻が採れる漁場として知られ、『海の畑(インヌパリ)』と呼ばれていた。
水産資源を求めて人間たちが漁をしに訪れた。しかし弟の男神は、人間の船が近づくたび、お冠になる。
「私のニラ畑(神の畑)を狙って、黒牛が荒らしに来たに違いあるまい!」と言って、神通力をもって船を暗礁に叩きつけようとする。
「まあ! あなたと来たら気が短すぎます。暴力はいけませんよ」と、姉はなだめ、どうにか気を引こうと知恵を働かせた。
姉は機に織りかけてあるプス(カスリ模様の布)をわざと織りそこねた。そして弟に向かって言った。「弟よ、機織りをしくじってしまったようです。
私の力では手直しできませんから、あなたの助けがいります。早くこっちへ来なさい」
日ごろ粗野な弟でも、姉の願いとあるならばと、大至急フデ岩に駆けつけた。その間に船は難破を逃れて無事航海できるというもの。
それで船乗りはこの難所にさしかかったら、『プナリサズ』なる布を鉢巻きにし、旅栄の歌を歌って女神に感謝したとのこと。
宮古島観光ツーリスト 池間の由来と歴史
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雨乞いの神事が行われた島 星神島(ほしのかみしま)
島根県の日本海側沖には隠岐諸島が点在しており、島前(どうぜん)に属する無人島が星神島である。
ホシノカミシマと読む。なにやら意味ありげな島名だ。それに関連してか、かつて島には星神神社が設けられ、祭神は鹿賀瀬雄命が祀られていたのだ。
鹿賀瀬雄命とは、香香背男(かがせお)ともいわれ日本神話に登場する天津甕星(あまつみかぼし)のこと。
つまり星の神様だ。島名もそれに倣ったにちがいあるまい。
もっとも、星神神社は明治39年12月に原内相の下で出された通達『神社合祀』で比奈麻治比売神社に統合され、これを機に島の星神神社は幕を下ろしたという。
それとは別に、星神島は『雨乞いの島』として信仰を集め、島全体を御神体として崇めているのだ。
島の頂上には何人たりとも見てはいけないという小さな池があり、日照りが続くときには、宇賀地区の『宮前』なる家の当主が1人参詣するのが慣わしだった。
当主は羽織、袴姿で正装し、手にした柄杓で池の水をくみ上げて祈れば、明くる日には必ず雨が降ったそうだ。
言い伝えでは、竜が天に昇るのにこの池の水がないと困るので、代わりに雨を降らせるのだという。
雨乞いの神事は実際に昭和の中ごろまで行われていた。
当時を知る人の談によると、男は船に乗って島の近くまで行って船上から祈願し、女は済(すみ・星神島の南にある西ノ島の西北端)にある比奈麻治比売命神社跡
(星神神社はここから移設した)へ行き、そこから祈った。この神様に祈願すると、遅くても2〜3日後には必ず雨が降ったらしい。
雨乞いは地区だけでなく、物井地区では集落の上の山頂へ行き、星神島が見渡せる場所から願かけした。その周辺を『雨乞い山』と呼んだ。
雨を降らせる池と星神(これは悪神だという)の取り合わせ。なんだか近寄りがたい島である。
牧畑と運河のあるまち 星の神探検
http://blogs.yahoo.co.jp/kakuichi23/folder/927080.html?...
古代史の謎を解く ヒナ族と比奈麻治比売命神社(1)
http://blogs.yahoo.co.jp/bebz2006/7574289.htm...
天津甕星(あまつみかぼし)wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%94%...
天文古玩 「宿曜経」の話(2)…参(しん)は猛悪にして血を好むか?天文古玩
http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/07/18/651512...
島根県の日本海側沖には隠岐諸島が点在しており、島前(どうぜん)に属する無人島が星神島である。
ホシノカミシマと読む。なにやら意味ありげな島名だ。それに関連してか、かつて島には星神神社が設けられ、祭神は鹿賀瀬雄命が祀られていたのだ。
鹿賀瀬雄命とは、香香背男(かがせお)ともいわれ日本神話に登場する天津甕星(あまつみかぼし)のこと。
つまり星の神様だ。島名もそれに倣ったにちがいあるまい。
もっとも、星神神社は明治39年12月に原内相の下で出された通達『神社合祀』で比奈麻治比売神社に統合され、これを機に島の星神神社は幕を下ろしたという。
それとは別に、星神島は『雨乞いの島』として信仰を集め、島全体を御神体として崇めているのだ。
島の頂上には何人たりとも見てはいけないという小さな池があり、日照りが続くときには、宇賀地区の『宮前』なる家の当主が1人参詣するのが慣わしだった。
当主は羽織、袴姿で正装し、手にした柄杓で池の水をくみ上げて祈れば、明くる日には必ず雨が降ったそうだ。
言い伝えでは、竜が天に昇るのにこの池の水がないと困るので、代わりに雨を降らせるのだという。
雨乞いの神事は実際に昭和の中ごろまで行われていた。
当時を知る人の談によると、男は船に乗って島の近くまで行って船上から祈願し、女は済(すみ・星神島の南にある西ノ島の西北端)にある比奈麻治比売命神社跡
(星神神社はここから移設した)へ行き、そこから祈った。この神様に祈願すると、遅くても2〜3日後には必ず雨が降ったらしい。
雨乞いは地区だけでなく、物井地区では集落の上の山頂へ行き、星神島が見渡せる場所から願かけした。その周辺を『雨乞い山』と呼んだ。
雨を降らせる池と星神(これは悪神だという)の取り合わせ。なんだか近寄りがたい島である。
牧畑と運河のあるまち 星の神探検
http://blogs.yahoo.co.jp/kakuichi23/folder/927080.html?...
古代史の謎を解く ヒナ族と比奈麻治比売命神社(1)
http://blogs.yahoo.co.jp/bebz2006/7574289.htm...
天津甕星(あまつみかぼし)wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%94%...
天文古玩 「宿曜経」の話(2)…参(しん)は猛悪にして血を好むか?天文古玩
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ハニートラップで鬼退治? 鬼餅(ウニムーチー)の由来 那覇市(旧・大里村) 1
昔、首里金城にある兄妹がいて、やがて兄だけが大里村に移り住むようになった。
兄は夜な夜な村を襲撃し、鶏や山羊、牛を盗み、挙句の果てには人間までも食らう『大里鬼』と変貌し、洞窟に住み着いているとの噂が広まった。
妹としては、まさか兄が鬼に変わり果てているなど信じられず、真相を確かめるべく大里の洞窟に足を運ぶことにした。
「兄さん、私です。いれば答えて」と、洞窟の入口で叫んだ。声はむなしく反響するだけ。どうやら兄は不在のようだ。
とにかく兄の寝床だけでもこの眼で確かめておこうと、洞窟の中に入っていった。
奥に行くにしたがい、鼻をつく異臭。奥の部屋には家畜の、まだ肉のこびりついた死骸が散乱していた。
部屋の一端には大鍋がグツグツ煮えたぎっていた。恐る恐る鍋を覗き込んでみると、ブツ切りにした人間の手足やワタが茹であがっていた。
やはりあの優しかった兄が鬼と落ちぶれてしまったのだろうか? 妹には知る由もなかった。
そのとき、背後に異様な気配を憶えた。それは地鳴りのような唸り声を発した。
「誰かと思えば、おまえか。本来ならばおれの住処を知られたからには生かしちゃおかねえが、たった1人の肉親を手にかけるわけにはいくまいな」
兄は隆々たる筋肉の塊となり、赤黒い毛に覆われた姿をしていた。口は裂け牙が飛び出し、眼は炉にくべられたコークスのように輝き、狂気を宿していた。
あまりの恐ろしさに妹はとっさに逃げようとしたが、兄に首根っこをつかまえられ、部屋に押し戻された。
「なぜ逃げる。腹がすいたろ。どれ、人肉を振舞ってやろう。これが病みつきになる味なんだ」
「兄さん、待ってください。外で用を足したいので一度ここから出ます。すぐ戻ってきますので」と言い逃れたが、しょせんは見え透いた嘘だった。
「なにを申すのだ、声が震えておるぞ。まさか、おれが怖いのか? 里の者が恐れるように、やはり妹ですらおれを忌避するのか?」
「そんなことはありません。長年連れ添った間柄ではありませんか」
「だったら信用しよう……と言いたいところだが、怪しいな。なんにせよ、小便ひりに外へ出してやる。だが、代わりにこの縄紐を手首に巻けい」
「どうしてこんなことを」
「兄妹の絆というものを形で顕したまでにすぎん」
妹は縄紐を縛られたまま、どうにか洞窟の外に出ることができた。すぐ縄紐をほどき木に縛りつけると、死に物狂いで逃げた。
洞窟内で縄の一端を握った鬼は待ち侘びた。「遅い。女の小便にしては長すぎる」と、縄をグイと引っ張っると、ちゃんと抵抗はある。
引き寄せようとたぐると、ある一定量までしか引くことができない。鬼はもしや……と思い、外に出てみると、案の定であった。
昔、首里金城にある兄妹がいて、やがて兄だけが大里村に移り住むようになった。
兄は夜な夜な村を襲撃し、鶏や山羊、牛を盗み、挙句の果てには人間までも食らう『大里鬼』と変貌し、洞窟に住み着いているとの噂が広まった。
妹としては、まさか兄が鬼に変わり果てているなど信じられず、真相を確かめるべく大里の洞窟に足を運ぶことにした。
「兄さん、私です。いれば答えて」と、洞窟の入口で叫んだ。声はむなしく反響するだけ。どうやら兄は不在のようだ。
とにかく兄の寝床だけでもこの眼で確かめておこうと、洞窟の中に入っていった。
奥に行くにしたがい、鼻をつく異臭。奥の部屋には家畜の、まだ肉のこびりついた死骸が散乱していた。
部屋の一端には大鍋がグツグツ煮えたぎっていた。恐る恐る鍋を覗き込んでみると、ブツ切りにした人間の手足やワタが茹であがっていた。
やはりあの優しかった兄が鬼と落ちぶれてしまったのだろうか? 妹には知る由もなかった。
そのとき、背後に異様な気配を憶えた。それは地鳴りのような唸り声を発した。
「誰かと思えば、おまえか。本来ならばおれの住処を知られたからには生かしちゃおかねえが、たった1人の肉親を手にかけるわけにはいくまいな」
兄は隆々たる筋肉の塊となり、赤黒い毛に覆われた姿をしていた。口は裂け牙が飛び出し、眼は炉にくべられたコークスのように輝き、狂気を宿していた。
あまりの恐ろしさに妹はとっさに逃げようとしたが、兄に首根っこをつかまえられ、部屋に押し戻された。
「なぜ逃げる。腹がすいたろ。どれ、人肉を振舞ってやろう。これが病みつきになる味なんだ」
「兄さん、待ってください。外で用を足したいので一度ここから出ます。すぐ戻ってきますので」と言い逃れたが、しょせんは見え透いた嘘だった。
「なにを申すのだ、声が震えておるぞ。まさか、おれが怖いのか? 里の者が恐れるように、やはり妹ですらおれを忌避するのか?」
「そんなことはありません。長年連れ添った間柄ではありませんか」
「だったら信用しよう……と言いたいところだが、怪しいな。なんにせよ、小便ひりに外へ出してやる。だが、代わりにこの縄紐を手首に巻けい」
「どうしてこんなことを」
「兄妹の絆というものを形で顕したまでにすぎん」
妹は縄紐を縛られたまま、どうにか洞窟の外に出ることができた。すぐ縄紐をほどき木に縛りつけると、死に物狂いで逃げた。
洞窟内で縄の一端を握った鬼は待ち侘びた。「遅い。女の小便にしては長すぎる」と、縄をグイと引っ張っると、ちゃんと抵抗はある。
引き寄せようとたぐると、ある一定量までしか引くことができない。鬼はもしや……と思い、外に出てみると、案の定であった。
ハニートラップで鬼退治? 鬼餅(ウニムーチー)の由来 那覇市(旧・大里村) 2
それから数日後、鬼は仕返しをするべく首里金城の妹の家へやってきた。
妹はそれを予期して準備を整えていた。こんな日が来ようかと、餅(ムーチー)をこねて待っていたのだ。ただし自身が食べる餅はちゃんとしたものだが、
鬼に与える餅は鉄を仕込んだものだった。
「この前は逃げたりしてごめんなさい。だってあの優しかった兄さんが変わり果ててしまったのですもの。私の気持ちを察してください」
「それもそうよな。おれは人肉の味を憶えたケダモノだ。しかし逃げることはなかろうに」
「私自身があなたに食べられるわけにはいきません。お詫びに餅を用意しました。以前は大好きだったですものね」
「ムーチーか。悪くない。あのころを偲んで一緒に食べようか」
妹は言葉巧みに誘い出し、崖の近くまでおびき寄せた。
妹は先に餅を口にする。それにならって鬼も食べようとしたが、鉄が仕込んであるので噛み切れるはずがない。
鬼のアゴの咀嚼力をもってさえ噛み切れぬ餅を、妹はいとも簡単に、しかも美味そうに食べる様子に、鬼は驚くしかなかった。
すると、妹は次の瞬間、着物の裾をめくりあげた。下着はつけておらず、エロティックなホー(陰部)がむき出しになった。
「お、おまえの下の口はいったいなんだ? おれみたいにチンポコがついていないとは……」と、鬼は訝しんで妹の股ぐらを覗き込んだ。
「上の口は餅を食べる口。下の口は鬼を噛み殺す口です」と、妹は着物をめくったまま迫った。そして「ホーハイ、ホーハイ!」とはやし立てる。
不意をつかれた鬼は飛び退いた拍子に、足を踏み外し崖下へ転落してしまった。そして岩場に叩きつけられ即死した。
……首里金城町の御嶽(ウタキ)には、その死んだと言われる鬼の角を葬っており、そこはホーハイウタキと呼ばれて鬼餅伝説の拝所と知られている。
鬼退治したのが旧暦の12月8日なので、沖縄ではその日を厄払いの日として鬼餅(ウニムーチー)を作って食べるようになったという。
それはそうと那覇市の大里村といえば、ガッキーの地元であるが、まさかこんなオドロオドロしくも淫靡な伝説が残されていようとは……。
ムーチーwikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%...
スーちゃんの妖怪通信 鬼餅の由来
http://www.rg-youkai.com/tales/ja/47_okinawa/06_onimoch...
沖縄の鬼退治の話「鬼餅(ウニムーチー)」凄すぎワロタwww
http://brow2ing.doorblog.jp/archives/1705134.htm...
餅つきについて
http://www.bunsugi.ed.jp/pasodou/dento/mochituki.ht...
Yahoo!知恵袋 「正月についた餅は、その日のうちに食べてはいけない」と聞いたのですが、何故なのでしょう?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q147879164...
名字と始祖伝説 1〜10 (※名字と始祖伝説〈9〉の『餅なし正月』という禁忌伝承を参考されたし)
http://www.news-cs.jp/satelliteworld/minzoku/myouji/...
鬼とは何か
http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-40.htm...
それから数日後、鬼は仕返しをするべく首里金城の妹の家へやってきた。
妹はそれを予期して準備を整えていた。こんな日が来ようかと、餅(ムーチー)をこねて待っていたのだ。ただし自身が食べる餅はちゃんとしたものだが、
鬼に与える餅は鉄を仕込んだものだった。
「この前は逃げたりしてごめんなさい。だってあの優しかった兄さんが変わり果ててしまったのですもの。私の気持ちを察してください」
「それもそうよな。おれは人肉の味を憶えたケダモノだ。しかし逃げることはなかろうに」
「私自身があなたに食べられるわけにはいきません。お詫びに餅を用意しました。以前は大好きだったですものね」
「ムーチーか。悪くない。あのころを偲んで一緒に食べようか」
妹は言葉巧みに誘い出し、崖の近くまでおびき寄せた。
妹は先に餅を口にする。それにならって鬼も食べようとしたが、鉄が仕込んであるので噛み切れるはずがない。
鬼のアゴの咀嚼力をもってさえ噛み切れぬ餅を、妹はいとも簡単に、しかも美味そうに食べる様子に、鬼は驚くしかなかった。
すると、妹は次の瞬間、着物の裾をめくりあげた。下着はつけておらず、エロティックなホー(陰部)がむき出しになった。
「お、おまえの下の口はいったいなんだ? おれみたいにチンポコがついていないとは……」と、鬼は訝しんで妹の股ぐらを覗き込んだ。
「上の口は餅を食べる口。下の口は鬼を噛み殺す口です」と、妹は着物をめくったまま迫った。そして「ホーハイ、ホーハイ!」とはやし立てる。
不意をつかれた鬼は飛び退いた拍子に、足を踏み外し崖下へ転落してしまった。そして岩場に叩きつけられ即死した。
……首里金城町の御嶽(ウタキ)には、その死んだと言われる鬼の角を葬っており、そこはホーハイウタキと呼ばれて鬼餅伝説の拝所と知られている。
鬼退治したのが旧暦の12月8日なので、沖縄ではその日を厄払いの日として鬼餅(ウニムーチー)を作って食べるようになったという。
それはそうと那覇市の大里村といえば、ガッキーの地元であるが、まさかこんなオドロオドロしくも淫靡な伝説が残されていようとは……。
ムーチーwikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%...
スーちゃんの妖怪通信 鬼餅の由来
http://www.rg-youkai.com/tales/ja/47_okinawa/06_onimoch...
沖縄の鬼退治の話「鬼餅(ウニムーチー)」凄すぎワロタwww
http://brow2ing.doorblog.jp/archives/1705134.htm...
餅つきについて
http://www.bunsugi.ed.jp/pasodou/dento/mochituki.ht...
Yahoo!知恵袋 「正月についた餅は、その日のうちに食べてはいけない」と聞いたのですが、何故なのでしょう?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q147879164...
名字と始祖伝説 1〜10 (※名字と始祖伝説〈9〉の『餅なし正月』という禁忌伝承を参考されたし)
http://www.news-cs.jp/satelliteworld/minzoku/myouji/...
鬼とは何か
http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-40.htm...
「鎮守の森の破壊は、心の破壊だ!」南方熊楠が命懸けで守った島 神島(かしま) 1
和歌山県田辺市の田辺港の沖合に浮かぶ無人島、神島。潮が満ちているとき、一見単体の島に見えるが、干潮時にはトンボロ現象が見られ、
2つの島から形成されていることがわかる。大きい島を『おやま』、もう片方を『こやま』と呼ぶ。
田辺にはこの神島と、さらに北の南部沖の、これまた鹿島(かしま)にまつわる伝説がある。
昔、巨人が島を天秤棒で担いでいて、その天秤棒が折れて海に落ち、この2つの『かしま』になったという。
一説には神島の名が現われる最古の文献は『万葉集』であるとされる。遣新羅使人の歌に「月よみの光を清み、神島の磯間の浦に船出すわれは」が
この島を指すとの説がある(ただし、この歌の『神島』は岡山県とも、あるいは広島県のものとする2通りの説がある)。
また江戸時代には『紀伊続風土記』などいくつかの書物に名勝としてその名が挙げられ、紹介されている。
そこでは「祀られている神は不詳」とされているが、新庄村の史蹟登録には祭神について『健御雷之男命、武夷鳥命』とある。
現在では法的保護の下におかれているために島へは立ち入り禁止であり、上陸を希望するなら田辺市教育委員会の許可が必要である。
もっとも周辺の岩礁は釣りによく用いられ、そこへ行き来する船は近くにある磯間漁港などから出ている。
神島は全体が照葉樹林に覆われ、古来より神の島として信仰され、人の手がほとんど入らない自然の森が残る島として維持されてきた。
ところが1909(明治42)年7月に神社合祀が決定。>>424でも触れたが、神社合祀とは明治政府が国家神道の権威を高めるという名目のもと、
各集落にある神社を1村1社にまとめ、日本書紀など古文書に記載された神だけを残すということだった。この結果、和歌山では3700あった神社が強制的に600に統合。
実はこれは金を産んだ。神社の森は樹齢千年という巨木もあり、高値で取引されたのだ。境内の森は容赦なく伐採され、ことごとく金に換えられた。
神島も例外ではなく、神体のなくなった島の森は切り倒してよいということで伐採が始まってしまう。まず『こやま』の森に手がつけられ、
多くの斧が『おやま』の木の幹に打ちかかろうとしていた。
それを田辺市が誇る偉大なる学者、南方熊楠(生誕地は和歌山市だが、田辺は市をあげて今でも南方を称えている)が、待ったをかけた。
和歌山県田辺市の田辺港の沖合に浮かぶ無人島、神島。潮が満ちているとき、一見単体の島に見えるが、干潮時にはトンボロ現象が見られ、
2つの島から形成されていることがわかる。大きい島を『おやま』、もう片方を『こやま』と呼ぶ。
田辺にはこの神島と、さらに北の南部沖の、これまた鹿島(かしま)にまつわる伝説がある。
昔、巨人が島を天秤棒で担いでいて、その天秤棒が折れて海に落ち、この2つの『かしま』になったという。
一説には神島の名が現われる最古の文献は『万葉集』であるとされる。遣新羅使人の歌に「月よみの光を清み、神島の磯間の浦に船出すわれは」が
この島を指すとの説がある(ただし、この歌の『神島』は岡山県とも、あるいは広島県のものとする2通りの説がある)。
また江戸時代には『紀伊続風土記』などいくつかの書物に名勝としてその名が挙げられ、紹介されている。
そこでは「祀られている神は不詳」とされているが、新庄村の史蹟登録には祭神について『健御雷之男命、武夷鳥命』とある。
現在では法的保護の下におかれているために島へは立ち入り禁止であり、上陸を希望するなら田辺市教育委員会の許可が必要である。
もっとも周辺の岩礁は釣りによく用いられ、そこへ行き来する船は近くにある磯間漁港などから出ている。
神島は全体が照葉樹林に覆われ、古来より神の島として信仰され、人の手がほとんど入らない自然の森が残る島として維持されてきた。
ところが1909(明治42)年7月に神社合祀が決定。>>424でも触れたが、神社合祀とは明治政府が国家神道の権威を高めるという名目のもと、
各集落にある神社を1村1社にまとめ、日本書紀など古文書に記載された神だけを残すということだった。この結果、和歌山では3700あった神社が強制的に600に統合。
実はこれは金を産んだ。神社の森は樹齢千年という巨木もあり、高値で取引されたのだ。境内の森は容赦なく伐採され、ことごとく金に換えられた。
神島も例外ではなく、神体のなくなった島の森は切り倒してよいということで伐採が始まってしまう。まず『こやま』の森に手がつけられ、
多くの斧が『おやま』の木の幹に打ちかかろうとしていた。
それを田辺市が誇る偉大なる学者、南方熊楠(生誕地は和歌山市だが、田辺は市をあげて今でも南方を称えている)が、待ったをかけた。
「鎮守の森の破壊は、心の破壊だ!」南方熊楠が命懸けで守った島 神島(かしま) 2
南方の学者としての肩書きは驚異的なまでに多岐にわたるが、生物学(なかでも菌類学)上の好奇心から、
1902(明治35)年に初めてこの島に渡り、生物採集を行っていた。
その2年後には田辺に移住。神島を含む周辺の生物研究に没頭した。神島の粘菌については『植物学雑誌』に報文を寄せたほど。
そんな経緯もあって南方は激しく反対運動を起こす。地元の協力を得て中央の研究者や役人に働きかけ、法律的な保護がつくに至った。
樹齢を重ねた神島の森にはまだ未解明の苔・粘菌が多く存在し、伐採されると絶滅する恐れがあった。
南方は『エコロジー(生態学)』という概念を提唱した。つまり、「生物はたがいにつながっており、目に見えない部分で全生命が結ばれている」という、
生態系を守るという立場から、政府の傲慢なやり方を糾弾。南方こそが『日本初のエコロジスト』と呼ばれる由縁である。
氏はまた、民俗学、宗教学を通して人間と自然の関わりを説いており、「人々の生活に密着した神社の森は、子どものころに遊んだり、祭りの思い出があったり、
ただの木々ではない。鎮守(ちんじゅ)の森の破壊は、心の破壊だ」と憤慨したという。
そして来たるべき1929年、氏は62歳。なんと昭和天皇が神島に訪問することとなった。そこで陛下への御進講役に白羽の矢が立ったのだ。
昭和天皇はかねてから公務のかたわら、ヒドロ虫(ヒドロゾア)・変形菌などを、生物学研究者として勤しんでいたので、おたがいは必然ともいえる出会いでもあった。
南方は粘菌や海中生物についての御前講義を行ない、終わりに粘菌標本を陛下に献上した。戦前の天皇は神そのものであったから、献上物は桐箱など最高級のものに
納められるのが常であったにもかかわらず、南方はキャラメル(森永ミルクキャラメル)の空箱に入れて献上した。それには現場に居合わせた者全員が唖然とした。
のちに側近は「かねてから熊楠は奇人・変人と聞いていたので覚悟はしていた」とのこと。
後年、南方が他界したとき、昭和天皇は「あのキャラメル箱のインパクトは忘れられない」と語ったという。
1962年、昭和天皇は33年ぶりに和歌山を訪れ、神島を見てこう詠んだ。「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」
神島は1930(昭和5)年には和歌山県の天然記念物に選ばれ、1936(昭和10)年にはついに悲願、国の天然記念物に指定された。
あの人の人生を知ろう〜南方熊楠
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic32.htm...
日本珍スポット100景 超童貞&最強ニート「南方熊楠記念館」【和歌山】
http://b-spot.seesaa.net/article/26203567.htm...
【中二病妄想を具現化させた偉人たち】南方熊楠の脳は現在ホルマリン漬けで保存中!しかもイケメン
http://konifar.com/83...
南方熊楠顕彰会 神島
http://minakatakumagusu.web.fc2.com/01kashima.htm...
AGARA紀伊民報 熊楠が愛した神島を守る顕彰会が清掃活動
http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?...
東アジア黙示録 先帝陛下の至福の一日…神島行幸と南方熊楠
http://dogma.at.webry.info/200701/article_4.htm...
南方の学者としての肩書きは驚異的なまでに多岐にわたるが、生物学(なかでも菌類学)上の好奇心から、
1902(明治35)年に初めてこの島に渡り、生物採集を行っていた。
その2年後には田辺に移住。神島を含む周辺の生物研究に没頭した。神島の粘菌については『植物学雑誌』に報文を寄せたほど。
そんな経緯もあって南方は激しく反対運動を起こす。地元の協力を得て中央の研究者や役人に働きかけ、法律的な保護がつくに至った。
樹齢を重ねた神島の森にはまだ未解明の苔・粘菌が多く存在し、伐採されると絶滅する恐れがあった。
南方は『エコロジー(生態学)』という概念を提唱した。つまり、「生物はたがいにつながっており、目に見えない部分で全生命が結ばれている」という、
生態系を守るという立場から、政府の傲慢なやり方を糾弾。南方こそが『日本初のエコロジスト』と呼ばれる由縁である。
氏はまた、民俗学、宗教学を通して人間と自然の関わりを説いており、「人々の生活に密着した神社の森は、子どものころに遊んだり、祭りの思い出があったり、
ただの木々ではない。鎮守(ちんじゅ)の森の破壊は、心の破壊だ」と憤慨したという。
そして来たるべき1929年、氏は62歳。なんと昭和天皇が神島に訪問することとなった。そこで陛下への御進講役に白羽の矢が立ったのだ。
昭和天皇はかねてから公務のかたわら、ヒドロ虫(ヒドロゾア)・変形菌などを、生物学研究者として勤しんでいたので、おたがいは必然ともいえる出会いでもあった。
南方は粘菌や海中生物についての御前講義を行ない、終わりに粘菌標本を陛下に献上した。戦前の天皇は神そのものであったから、献上物は桐箱など最高級のものに
納められるのが常であったにもかかわらず、南方はキャラメル(森永ミルクキャラメル)の空箱に入れて献上した。それには現場に居合わせた者全員が唖然とした。
のちに側近は「かねてから熊楠は奇人・変人と聞いていたので覚悟はしていた」とのこと。
後年、南方が他界したとき、昭和天皇は「あのキャラメル箱のインパクトは忘れられない」と語ったという。
1962年、昭和天皇は33年ぶりに和歌山を訪れ、神島を見てこう詠んだ。「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」
神島は1930(昭和5)年には和歌山県の天然記念物に選ばれ、1936(昭和10)年にはついに悲願、国の天然記念物に指定された。
あの人の人生を知ろう〜南方熊楠
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic32.htm...
日本珍スポット100景 超童貞&最強ニート「南方熊楠記念館」【和歌山】
http://b-spot.seesaa.net/article/26203567.htm...
【中二病妄想を具現化させた偉人たち】南方熊楠の脳は現在ホルマリン漬けで保存中!しかもイケメン
http://konifar.com/83...
南方熊楠顕彰会 神島
http://minakatakumagusu.web.fc2.com/01kashima.htm...
AGARA紀伊民報 熊楠が愛した神島を守る顕彰会が清掃活動
http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?...
東アジア黙示録 先帝陛下の至福の一日…神島行幸と南方熊楠
http://dogma.at.webry.info/200701/article_4.htm...
『殺生禁断』漁師のいない島 佐木島(さぎじま)
広島県の三原港の南、約4kmにある有人島が佐木島である。
その佐木島の向田野浦の海岸には、不思議な磨崖仏(まがいぶつ・天然の岩壁や巨石を素材とし、直接ノミを入れて造られた石仏)がある。
向田港の波打ち際にその花崗岩の巨岩が鎮座しており、その側面には磨崖和霊石地蔵(まがいわれいしじぞう)が彫られているのだ。
潮が干いたときこそ姿を現しているものの、満潮時には地蔵の肩のあたりまで沈んでしまう。なんとも場違いな設置に見えるが……。
巨岩は幅約4.7m、高さ約2.7m、厚さ約4m。西の面に舟形の輪郭内に地蔵菩薩が刻まれている。像高95cm。
頭部の背後には円光背が表現され、右手に錫杖を持ち、左手には宝珠を乗せている。また地蔵を挟む形で花瓶が浮き彫りにされている。
この地蔵は1300(正安2)年に平茂盛が仏師・念心に彫らせたものだという。さすがに700年以上もの前の作なので波による摩耗も見られるが、
いまだ精巧な刻跡をとどめている。
また銘文には『東西南北各1町(町=約109m)を未来にわたり殺生禁断(生き物を殺してはならない)』と添えられている。
この教えのとおり、佐木島では漁業は行わず、もっぱら麓の段々畑で栽培される柑橘類、メロン、スイカ、ワケギなどを特産品として出荷し生計を立てている。
漁師がいない島なんてそうそう類を見るまい。その言いつけを守った島民も実直である。
磨崖和霊石地蔵は県重要文化財に指定されている。
愛しきものたち 広島県三原市鷺浦町 向田野浦和霊石磨崖仏
http://blog.goo.ne.jp/pzm4366/e/232c0ea61461fe711950...
磨崖仏wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%A8%E5%B4%96%E4%BB%...
広島県の三原港の南、約4kmにある有人島が佐木島である。
その佐木島の向田野浦の海岸には、不思議な磨崖仏(まがいぶつ・天然の岩壁や巨石を素材とし、直接ノミを入れて造られた石仏)がある。
向田港の波打ち際にその花崗岩の巨岩が鎮座しており、その側面には磨崖和霊石地蔵(まがいわれいしじぞう)が彫られているのだ。
潮が干いたときこそ姿を現しているものの、満潮時には地蔵の肩のあたりまで沈んでしまう。なんとも場違いな設置に見えるが……。
巨岩は幅約4.7m、高さ約2.7m、厚さ約4m。西の面に舟形の輪郭内に地蔵菩薩が刻まれている。像高95cm。
頭部の背後には円光背が表現され、右手に錫杖を持ち、左手には宝珠を乗せている。また地蔵を挟む形で花瓶が浮き彫りにされている。
この地蔵は1300(正安2)年に平茂盛が仏師・念心に彫らせたものだという。さすがに700年以上もの前の作なので波による摩耗も見られるが、
いまだ精巧な刻跡をとどめている。
また銘文には『東西南北各1町(町=約109m)を未来にわたり殺生禁断(生き物を殺してはならない)』と添えられている。
この教えのとおり、佐木島では漁業は行わず、もっぱら麓の段々畑で栽培される柑橘類、メロン、スイカ、ワケギなどを特産品として出荷し生計を立てている。
漁師がいない島なんてそうそう類を見るまい。その言いつけを守った島民も実直である。
磨崖和霊石地蔵は県重要文化財に指定されている。
愛しきものたち 広島県三原市鷺浦町 向田野浦和霊石磨崖仏
http://blog.goo.ne.jp/pzm4366/e/232c0ea61461fe711950...
磨崖仏wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%A8%E5%B4%96%E4%BB%...
山の神と人間がともに食事する『神人共食』の神事 蓋井島(ふたおいじま)
蓋井島は山口県下関市吉母の北西約6kmの響灘に浮かぶ島だ。古くから海上交通の要衝として九州や大陸方面との交流があり、
神功皇后にちなんだ地名が島内に多いことから大陸との関係を思わせる。
周辺海域は海流の影響も手伝い海産物の宝庫で、アワビ、サザエ、ウニなどの海の幸が豊富に採れる。
蓋井島にとって特筆すべきは、伝統行事である『山ノ神神事』である。これが3日間にわたって行われる。
『山ノ神』の森で6年ごと(辰年と戌年のみ)の11月に催される神事で、日本古来の山神信仰の原型を残すものとして、
全国の民俗学の研究者たちがこぞって取材しにやって来るほど非常に貴重とされている。
その概要はこうだ。
集落の裏手にある原生林の中には、普段は枯れ枝を拾うどころか、決して足を踏み入れてはならない神聖な森がある。ここに神霊が宿ると信じられているという。
地元ではその森を単に『山』と呼び、『一の山』から『四の山』まで4つに定め、それぞれの山にはそれぞれの『山の神』がいるとされている。
神事の1日目は、まずは神迎えの日。山ごとに決められた『当元家』がそれぞれの山で神事を執り行う。
当元は代々世襲され、山の神に奉仕する慣わしで、これを『山の組』と呼ぶ。
神事の準備は島民総出で森の道づくりや山さらい、祭礼用具の作製などが行われ、古くからの伝承・風習に基づき進行していく。
2日目には晴れて、『山の組』に属する人々および神宮が山の神をもてなし、ともに食事をする。この神事の肝だろう。
3日目は神送りの神事で、ふたたび山へ帰ってもらうためのものである。
別スレ『地域の伝説やまじない・風習』の>>90でも書いたが、石川県奥能登の農家に伝わる民間信仰『アエノコト』もまた神(ここでは田の神)を招き入れ、
熱烈に歓待し、その神が口にしたとされる膳のお下がりを頂くということは、神と同じものを食べることで神の霊力を人間の体内に取り込み、そして守護を得る。
これは民俗学でいう『神人共食』の儀礼を意味する。神社で行われる祭典後の直会で、お供えしていた御神酒を下げて一同で飲み合うのも、共食の考え方に基づいている。
それどころか、よく母親や祖母の世代が口癖のように言った、「頂いたお土産やお菓子は、先に仏壇のご先祖に供えてからお上がりなさい」という考えも同義であろう。
神人共食というと、なにか仰々しくておっかないイメージがあるが、実際はわりと賑やかに飲み食いしているにすぎない。へべれけになれば見えざる神もそっちのけかも
しれない。日本の神々は怒らせたら怖いが、里に下りて来られたら一緒に食事させてくれる懐の広い庶民派が多いのかもしれない。
なお、この『山の神』の森は1960(昭和35)年、国の重要有形民俗文化財、『山ノ神神事』は1970(昭和45)年、市の無形民俗文化財に指定され、
2009年、同神事は、国土交通省が定める『島の宝100景』に選ばれている。
蓋井島ホームページ〜ようこそ蓋井島へ〜
http://www.futaoi.com/index.htm...
山口県/中山間地域づくり推進課/離島・蓋井島
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a11500/island/futaoijima.h...
城山蓋井島(しろやま)・大山(おおやま)山口県下関市
http://houshizaki.web.fc2.com/ooyama-siroyama.ht...
☆のりのり小屋☆ ☆山の神神事☆
http://ameblo.jp/min0monta/entry-11423909162.ht...
Blue'n BLUE bLOG 蓋井島「山ノ神神事」のお手伝い
http://blog.blue-n-blue.com/?eid=56855...
Blue'n BLUE bLOG 「山ノ神神事」お手伝い2日目
http://blog.blue-n-blue.com/?eid=56869...
Blue'n BLUE bLOG 「山ノ神神事」お手伝い最終日
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奥能登アエノコト 田の神をもてなす、奥能登の伝統行事
http://www.ricepaper88.com/backnumber/vol05/matsuri...
日本政策研究センター アエノコトに見る「農の多面的価値」
http://www.seisaku-center.net/node/54...
神社本庁 おまつりのいろは 直会について
http://www.jinjahoncho.or.jp/iroha/matsuri/index8.htm...
蓋井島は山口県下関市吉母の北西約6kmの響灘に浮かぶ島だ。古くから海上交通の要衝として九州や大陸方面との交流があり、
神功皇后にちなんだ地名が島内に多いことから大陸との関係を思わせる。
周辺海域は海流の影響も手伝い海産物の宝庫で、アワビ、サザエ、ウニなどの海の幸が豊富に採れる。
蓋井島にとって特筆すべきは、伝統行事である『山ノ神神事』である。これが3日間にわたって行われる。
『山ノ神』の森で6年ごと(辰年と戌年のみ)の11月に催される神事で、日本古来の山神信仰の原型を残すものとして、
全国の民俗学の研究者たちがこぞって取材しにやって来るほど非常に貴重とされている。
その概要はこうだ。
集落の裏手にある原生林の中には、普段は枯れ枝を拾うどころか、決して足を踏み入れてはならない神聖な森がある。ここに神霊が宿ると信じられているという。
地元ではその森を単に『山』と呼び、『一の山』から『四の山』まで4つに定め、それぞれの山にはそれぞれの『山の神』がいるとされている。
神事の1日目は、まずは神迎えの日。山ごとに決められた『当元家』がそれぞれの山で神事を執り行う。
当元は代々世襲され、山の神に奉仕する慣わしで、これを『山の組』と呼ぶ。
神事の準備は島民総出で森の道づくりや山さらい、祭礼用具の作製などが行われ、古くからの伝承・風習に基づき進行していく。
2日目には晴れて、『山の組』に属する人々および神宮が山の神をもてなし、ともに食事をする。この神事の肝だろう。
3日目は神送りの神事で、ふたたび山へ帰ってもらうためのものである。
別スレ『地域の伝説やまじない・風習』の>>90でも書いたが、石川県奥能登の農家に伝わる民間信仰『アエノコト』もまた神(ここでは田の神)を招き入れ、
熱烈に歓待し、その神が口にしたとされる膳のお下がりを頂くということは、神と同じものを食べることで神の霊力を人間の体内に取り込み、そして守護を得る。
これは民俗学でいう『神人共食』の儀礼を意味する。神社で行われる祭典後の直会で、お供えしていた御神酒を下げて一同で飲み合うのも、共食の考え方に基づいている。
それどころか、よく母親や祖母の世代が口癖のように言った、「頂いたお土産やお菓子は、先に仏壇のご先祖に供えてからお上がりなさい」という考えも同義であろう。
神人共食というと、なにか仰々しくておっかないイメージがあるが、実際はわりと賑やかに飲み食いしているにすぎない。へべれけになれば見えざる神もそっちのけかも
しれない。日本の神々は怒らせたら怖いが、里に下りて来られたら一緒に食事させてくれる懐の広い庶民派が多いのかもしれない。
なお、この『山の神』の森は1960(昭和35)年、国の重要有形民俗文化財、『山ノ神神事』は1970(昭和45)年、市の無形民俗文化財に指定され、
2009年、同神事は、国土交通省が定める『島の宝100景』に選ばれている。
蓋井島ホームページ〜ようこそ蓋井島へ〜
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