一夜官女祭り
野里は昔から中津川が氾濫するたびに畑がやられて作物が育たず、村人は悲惨な暮らしを送っていた。
近隣の人々は野里のことを、『泣き村』と呼んでいた。
村人たちが占い師に占ってもらったところ、毎年決まった日に無垢の娘を神に捧げよ、とのご託宣があった。
村人たちはおののきつつも、これで村の難儀が救われるなら、と承知した。
主だった者が夜中に集まり、弓に白羽の矢をつがえて放つと、矢は暗い夜空を飛んで一軒の家に突き刺さった。
矢が突き刺さった家は泣く泣く娘を神のもとへ行かせるしかない。
1月19日の丑三つ時(現在の午前2時)、娘は美しく着飾られて唐櫃(かろうど)に入れられる。
村人たちに担がれて野里の住吉神社境内まで運ばれ、竜の池のそばに放置された。
唐櫃の前には餅、酒、小豆、干し柿、豆腐、ダイコン、それに中津川で獲れたコイ、フナ、ナマズなどが供えられた。
翌朝、村人たちがおそるおそる境内まで行ってみると唐櫃は破られて娘の姿はなく、供え物も食い荒らされていた。
不思議なことにその年、野里は雨風も少なく中津川も穏やかで、久々に豊作に恵まれた。
村人たちは神が生け贄に応えてくれたのだと信じた。
それからというもの野里では、矢の当たった家を『当家』(頭家・頭屋とも表記する場合もある)、
神に供える娘を『一夜官女』と呼び、毎年、娘を神に供えた。
こうして生身の娘を神に捧げ続けて7年目に、ひとりの武士が現われ、
「おかしな話よのう。拙者が娘の身代わりになって神の正体をたしかめてやろう」と言い、娘の着物をまとって唐櫃に入りこんだ。
村人たちは神の祟りを恐れながらも、身代わりの武士の入った唐櫃を神社境内の竜の池のほとりまで運び、逃げ帰った。
翌朝、空が白み始めるのを待って村人たちが境内に行ってみると、唐櫃は壊されて周囲に血が飛び散っており、武士の姿はなかった。
点々とついている血の跡をたどっていくと、隣の申村のはずれに、大きなヒヒが深手を負って絶命していた。
村人たちはこれが神の正体だったのかと言って悔しがった。
このときの武士が武者修行中の岩見重太郎だったといわれる。
武士の武勇はあっという間に広まり、以来、野里は悲しい事実を後世に伝える厄除けの祭りとして、
宮座の当番制により娘たちの命日である1月19日に一夜官女祭りを催すことになった。
同時に境内にある竜の池に乙女塚を建てて官女たちの霊をなぐさめた。
野里住吉神社は大阪市西淀川区にあり、600年も続く奇祭のひとつだ。
http://www.norichan.jp/jinja/shigoto2/nosatosumiyoshi...
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