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怖い島・いわくつきの村・総合


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001 2011/04/18(月) 12:36:00 ID:lqbrx3Wq/c
日本全国に点在する、神秘的かつホラーな島や気味の悪い村を挙げるスレです。
もしや、あなたのご近所にもあるのではないでしょうか?

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421 2013/09/08(日) 18:21:58 ID:525LnydpNg
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422 2013/09/08(日) 18:25:00 ID:525LnydpNg
     殺された海賊の呪い 牧の島

長崎の佐世保市、平戸市にかけての北松浦半島西岸に連なるリアス式海岸の群島をまとめて九十九島(くじゅうくしま)と呼ぶ。
島数99どころか、公式には208もあるとされている(これは佐世保市等の『九十九島の数調査研究会』の見解によるものであるが、
島の定義を満たしていないものも含まれるので、必ずしも208が正確な数ではない)。こんなにあればさぞかしネタの宝庫であろう。

今回は九十九島の1つ、牧の島をご紹介。松浦藩時代に放牧場であったのが島名の由来とされている。
天然・養殖ともに牡蠣の生産地であり、冬場には地元漁協によるイベントも行われる。
そんな牧の島は海賊にまつわる話が残されている。島の東側にある小さな入り江は昔、海賊船の集合地であったという。
あるとき、地元の者がここに潜伏していた1隻の海賊船を奪取し、金銀財宝を強奪したうえ、海賊たちに石の重しをつけて海中に投じた。
その際、海賊の1人がもがき苦しみながら海面に顔を出し、「よくもやってくれたな……。この恨み、7代のあとまで祟ってやる」と、言い残し沈んでいった。

本来、海賊とは心身ともに頑強そうだが、襲撃した方がさらに上を行く猛者だったのだろう。特殊部隊そこのけである。
皮肉にもその呪詛のとおり、海賊を襲った者の家系には身体の不自由な子が生まれたという。
一説では、この伝説における人物は『「地の者』『海賊』ではなく源平合戦の、平家に加担していた松浦水軍が落ち延びてきたとき、
源氏に寝返った者が、財宝の警護をしていた平家の武士を襲ったとの説がある。
またそれとは別に、夜間にこの付近の海上を通ると舟幽霊につけられて遭難したとも噂されている。それゆえ船頭たちはここを『魔の浦』と呼んで恐れるという。


西海パールシーリゾート 西海国立公園九十九島の紹介
http://www.pearlsea.jp/99islands/island.htm...
揺りかごから酒場まで☆少額微動隊 長崎(6)南九十九島でやんす
http://okab.exblog.jp/13301797...

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423 2013/09/14(土) 16:51:55 ID:0kuEBQesDg
     姉弟神のいつく島 フデ岩

>>291でアカマター伝説がある八重干瀬(やびじ・やえびし) を紹介したが、それより東へ約9.5kmに無人島がある。それがフデ岩だ。
宮古列島に属する。周辺はカツオの漁場だ。
このフデ岩には姉弟の神が一帯を守っているという神話が伝えられている。それがこんなお話。

八重干瀬には渡賀殿(とうがどぅね)という男神がいて、対する東の洋上に佇むフデ岩には美雅真良(みがほら)という美しい女神がいた。
渡賀殿が弟にあたり、美雅真良が姉だった。

八重干瀬は広大な珊瑚礁であり、豊富な魚介類、海藻が採れる漁場として知られ、『海の畑(インヌパリ)』と呼ばれていた。
水産資源を求めて人間たちが漁をしに訪れた。しかし弟の男神は、人間の船が近づくたび、お冠になる。
「私のニラ畑(神の畑)を狙って、黒牛が荒らしに来たに違いあるまい!」と言って、神通力をもって船を暗礁に叩きつけようとする。
「まあ! あなたと来たら気が短すぎます。暴力はいけませんよ」と、姉はなだめ、どうにか気を引こうと知恵を働かせた。
姉は機に織りかけてあるプス(カスリ模様の布)をわざと織りそこねた。そして弟に向かって言った。「弟よ、機織りをしくじってしまったようです。
私の力では手直しできませんから、あなたの助けがいります。早くこっちへ来なさい」

日ごろ粗野な弟でも、姉の願いとあるならばと、大至急フデ岩に駆けつけた。その間に船は難破を逃れて無事航海できるというもの。
それで船乗りはこの難所にさしかかったら、『プナリサズ』なる布を鉢巻きにし、旅栄の歌を歌って女神に感謝したとのこと。


宮古島観光ツーリスト 池間の由来と歴史
http://mikatatourist.com/ikemajima.htm...

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424 2013/09/14(土) 16:54:18 ID:0kuEBQesDg
     雨乞いの神事が行われた島 星神島(ほしのかみしま)

島根県の日本海側沖には隠岐諸島が点在しており、島前(どうぜん)に属する無人島が星神島である。
ホシノカミシマと読む。なにやら意味ありげな島名だ。それに関連してか、かつて島には星神神社が設けられ、祭神は鹿賀瀬雄命が祀られていたのだ。
鹿賀瀬雄命とは、香香背男(かがせお)ともいわれ日本神話に登場する天津甕星(あまつみかぼし)のこと。
つまり星の神様だ。島名もそれに倣ったにちがいあるまい。
もっとも、星神神社は明治39年12月に原内相の下で出された通達『神社合祀』で比奈麻治比売神社に統合され、これを機に島の星神神社は幕を下ろしたという。

それとは別に、星神島は『雨乞いの島』として信仰を集め、島全体を御神体として崇めているのだ。
島の頂上には何人たりとも見てはいけないという小さな池があり、日照りが続くときには、宇賀地区の『宮前』なる家の当主が1人参詣するのが慣わしだった。
当主は羽織、袴姿で正装し、手にした柄杓で池の水をくみ上げて祈れば、明くる日には必ず雨が降ったそうだ。
言い伝えでは、竜が天に昇るのにこの池の水がないと困るので、代わりに雨を降らせるのだという。

雨乞いの神事は実際に昭和の中ごろまで行われていた。
当時を知る人の談によると、男は船に乗って島の近くまで行って船上から祈願し、女は済(すみ・星神島の南にある西ノ島の西北端)にある比奈麻治比売命神社跡
(星神神社はここから移設した)へ行き、そこから祈った。この神様に祈願すると、遅くても2〜3日後には必ず雨が降ったらしい。
雨乞いは地区だけでなく、物井地区では集落の上の山頂へ行き、星神島が見渡せる場所から願かけした。その周辺を『雨乞い山』と呼んだ。
雨を降らせる池と星神(これは悪神だという)の取り合わせ。なんだか近寄りがたい島である。


牧畑と運河のあるまち 星の神探検
http://blogs.yahoo.co.jp/kakuichi23/folder/927080.html?...
古代史の謎を解く ヒナ族と比奈麻治比売命神社(1)
http://blogs.yahoo.co.jp/bebz2006/7574289.htm...
天津甕星(あまつみかぼし)wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%94%...
天文古玩 「宿曜経」の話(2)…参(しん)は猛悪にして血を好むか?天文古玩
http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/07/18/651512...

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425 2013/09/16(月) 09:48:20 ID:.CL6tkImOk
     ハニートラップで鬼退治? 鬼餅(ウニムーチー)の由来 那覇市(旧・大里村) 1

昔、首里金城にある兄妹がいて、やがて兄だけが大里村に移り住むようになった。
兄は夜な夜な村を襲撃し、鶏や山羊、牛を盗み、挙句の果てには人間までも食らう『大里鬼』と変貌し、洞窟に住み着いているとの噂が広まった。
妹としては、まさか兄が鬼に変わり果てているなど信じられず、真相を確かめるべく大里の洞窟に足を運ぶことにした。

「兄さん、私です。いれば答えて」と、洞窟の入口で叫んだ。声はむなしく反響するだけ。どうやら兄は不在のようだ。
とにかく兄の寝床だけでもこの眼で確かめておこうと、洞窟の中に入っていった。
奥に行くにしたがい、鼻をつく異臭。奥の部屋には家畜の、まだ肉のこびりついた死骸が散乱していた。
部屋の一端には大鍋がグツグツ煮えたぎっていた。恐る恐る鍋を覗き込んでみると、ブツ切りにした人間の手足やワタが茹であがっていた。
やはりあの優しかった兄が鬼と落ちぶれてしまったのだろうか? 妹には知る由もなかった。

そのとき、背後に異様な気配を憶えた。それは地鳴りのような唸り声を発した。
「誰かと思えば、おまえか。本来ならばおれの住処を知られたからには生かしちゃおかねえが、たった1人の肉親を手にかけるわけにはいくまいな」
兄は隆々たる筋肉の塊となり、赤黒い毛に覆われた姿をしていた。口は裂け牙が飛び出し、眼は炉にくべられたコークスのように輝き、狂気を宿していた。
あまりの恐ろしさに妹はとっさに逃げようとしたが、兄に首根っこをつかまえられ、部屋に押し戻された。
「なぜ逃げる。腹がすいたろ。どれ、人肉を振舞ってやろう。これが病みつきになる味なんだ」
「兄さん、待ってください。外で用を足したいので一度ここから出ます。すぐ戻ってきますので」と言い逃れたが、しょせんは見え透いた嘘だった。
「なにを申すのだ、声が震えておるぞ。まさか、おれが怖いのか? 里の者が恐れるように、やはり妹ですらおれを忌避するのか?」
「そんなことはありません。長年連れ添った間柄ではありませんか」
「だったら信用しよう……と言いたいところだが、怪しいな。なんにせよ、小便ひりに外へ出してやる。だが、代わりにこの縄紐を手首に巻けい」
「どうしてこんなことを」
「兄妹の絆というものを形で顕したまでにすぎん」

妹は縄紐を縛られたまま、どうにか洞窟の外に出ることができた。すぐ縄紐をほどき木に縛りつけると、死に物狂いで逃げた。
洞窟内で縄の一端を握った鬼は待ち侘びた。「遅い。女の小便にしては長すぎる」と、縄をグイと引っ張っると、ちゃんと抵抗はある。
引き寄せようとたぐると、ある一定量までしか引くことができない。鬼はもしや……と思い、外に出てみると、案の定であった。

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426 2013/09/16(月) 09:54:09 ID:.CL6tkImOk
     ハニートラップで鬼退治? 鬼餅(ウニムーチー)の由来 那覇市(旧・大里村) 2

それから数日後、鬼は仕返しをするべく首里金城の妹の家へやってきた。
妹はそれを予期して準備を整えていた。こんな日が来ようかと、餅(ムーチー)をこねて待っていたのだ。ただし自身が食べる餅はちゃんとしたものだが、
鬼に与える餅は鉄を仕込んだものだった。
「この前は逃げたりしてごめんなさい。だってあの優しかった兄さんが変わり果ててしまったのですもの。私の気持ちを察してください」
「それもそうよな。おれは人肉の味を憶えたケダモノだ。しかし逃げることはなかろうに」
「私自身があなたに食べられるわけにはいきません。お詫びに餅を用意しました。以前は大好きだったですものね」
「ムーチーか。悪くない。あのころを偲んで一緒に食べようか」

妹は言葉巧みに誘い出し、崖の近くまでおびき寄せた。
妹は先に餅を口にする。それにならって鬼も食べようとしたが、鉄が仕込んであるので噛み切れるはずがない。
鬼のアゴの咀嚼力をもってさえ噛み切れぬ餅を、妹はいとも簡単に、しかも美味そうに食べる様子に、鬼は驚くしかなかった。
すると、妹は次の瞬間、着物の裾をめくりあげた。下着はつけておらず、エロティックなホー(陰部)がむき出しになった。
「お、おまえの下の口はいったいなんだ? おれみたいにチンポコがついていないとは……」と、鬼は訝しんで妹の股ぐらを覗き込んだ。
「上の口は餅を食べる口。下の口は鬼を噛み殺す口です」と、妹は着物をめくったまま迫った。そして「ホーハイ、ホーハイ!」とはやし立てる。
不意をつかれた鬼は飛び退いた拍子に、足を踏み外し崖下へ転落してしまった。そして岩場に叩きつけられ即死した。

……首里金城町の御嶽(ウタキ)には、その死んだと言われる鬼の角を葬っており、そこはホーハイウタキと呼ばれて鬼餅伝説の拝所と知られている。
鬼退治したのが旧暦の12月8日なので、沖縄ではその日を厄払いの日として鬼餅(ウニムーチー)を作って食べるようになったという。
それはそうと那覇市の大里村といえば、ガッキーの地元であるが、まさかこんなオドロオドロしくも淫靡な伝説が残されていようとは……。


ムーチーwikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%...
スーちゃんの妖怪通信 鬼餅の由来
http://www.rg-youkai.com/tales/ja/47_okinawa/06_onimoch...
沖縄の鬼退治の話「鬼餅(ウニムーチー)」凄すぎワロタwww
http://brow2ing.doorblog.jp/archives/1705134.htm...
餅つきについて
http://www.bunsugi.ed.jp/pasodou/dento/mochituki.ht...
Yahoo!知恵袋 「正月についた餅は、その日のうちに食べてはいけない」と聞いたのですが、何故なのでしょう?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q147879164...
名字と始祖伝説 1〜10 (※名字と始祖伝説〈9〉の『餅なし正月』という禁忌伝承を参考されたし)
http://www.news-cs.jp/satelliteworld/minzoku/myouji/...
鬼とは何か
http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-40.htm...

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427 2013/09/23(月) 08:17:27 ID:vaCzwrSX2I
     「鎮守の森の破壊は、心の破壊だ!」南方熊楠が命懸けで守った島 神島(かしま) 1

和歌山県田辺市の田辺港の沖合に浮かぶ無人島、神島。潮が満ちているとき、一見単体の島に見えるが、干潮時にはトンボロ現象が見られ、
2つの島から形成されていることがわかる。大きい島を『おやま』、もう片方を『こやま』と呼ぶ。

田辺にはこの神島と、さらに北の南部沖の、これまた鹿島(かしま)にまつわる伝説がある。
昔、巨人が島を天秤棒で担いでいて、その天秤棒が折れて海に落ち、この2つの『かしま』になったという。
一説には神島の名が現われる最古の文献は『万葉集』であるとされる。遣新羅使人の歌に「月よみの光を清み、神島の磯間の浦に船出すわれは」が
この島を指すとの説がある(ただし、この歌の『神島』は岡山県とも、あるいは広島県のものとする2通りの説がある)。
また江戸時代には『紀伊続風土記』などいくつかの書物に名勝としてその名が挙げられ、紹介されている。
そこでは「祀られている神は不詳」とされているが、新庄村の史蹟登録には祭神について『健御雷之男命、武夷鳥命』とある。

現在では法的保護の下におかれているために島へは立ち入り禁止であり、上陸を希望するなら田辺市教育委員会の許可が必要である。
もっとも周辺の岩礁は釣りによく用いられ、そこへ行き来する船は近くにある磯間漁港などから出ている。
神島は全体が照葉樹林に覆われ、古来より神の島として信仰され、人の手がほとんど入らない自然の森が残る島として維持されてきた。
ところが1909(明治42)年7月に神社合祀が決定。>>424でも触れたが、神社合祀とは明治政府が国家神道の権威を高めるという名目のもと、
各集落にある神社を1村1社にまとめ、日本書紀など古文書に記載された神だけを残すということだった。この結果、和歌山では3700あった神社が強制的に600に統合。
実はこれは金を産んだ。神社の森は樹齢千年という巨木もあり、高値で取引されたのだ。境内の森は容赦なく伐採され、ことごとく金に換えられた。
神島も例外ではなく、神体のなくなった島の森は切り倒してよいということで伐採が始まってしまう。まず『こやま』の森に手がつけられ、
多くの斧が『おやま』の木の幹に打ちかかろうとしていた。
それを田辺市が誇る偉大なる学者、南方熊楠(生誕地は和歌山市だが、田辺は市をあげて今でも南方を称えている)が、待ったをかけた。

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428 2013/09/23(月) 08:21:21 ID:vaCzwrSX2I
     「鎮守の森の破壊は、心の破壊だ!」南方熊楠が命懸けで守った島 神島(かしま) 2

南方の学者としての肩書きは驚異的なまでに多岐にわたるが、生物学(なかでも菌類学)上の好奇心から、
1902(明治35)年に初めてこの島に渡り、生物採集を行っていた。
その2年後には田辺に移住。神島を含む周辺の生物研究に没頭した。神島の粘菌については『植物学雑誌』に報文を寄せたほど。
そんな経緯もあって南方は激しく反対運動を起こす。地元の協力を得て中央の研究者や役人に働きかけ、法律的な保護がつくに至った。
樹齢を重ねた神島の森にはまだ未解明の苔・粘菌が多く存在し、伐採されると絶滅する恐れがあった。
南方は『エコロジー(生態学)』という概念を提唱した。つまり、「生物はたがいにつながっており、目に見えない部分で全生命が結ばれている」という、
生態系を守るという立場から、政府の傲慢なやり方を糾弾。南方こそが『日本初のエコロジスト』と呼ばれる由縁である。
氏はまた、民俗学、宗教学を通して人間と自然の関わりを説いており、「人々の生活に密着した神社の森は、子どものころに遊んだり、祭りの思い出があったり、
ただの木々ではない。鎮守(ちんじゅ)の森の破壊は、心の破壊だ」と憤慨したという。

そして来たるべき1929年、氏は62歳。なんと昭和天皇が神島に訪問することとなった。そこで陛下への御進講役に白羽の矢が立ったのだ。
昭和天皇はかねてから公務のかたわら、ヒドロ虫(ヒドロゾア)・変形菌などを、生物学研究者として勤しんでいたので、おたがいは必然ともいえる出会いでもあった。
南方は粘菌や海中生物についての御前講義を行ない、終わりに粘菌標本を陛下に献上した。戦前の天皇は神そのものであったから、献上物は桐箱など最高級のものに
納められるのが常であったにもかかわらず、南方はキャラメル(森永ミルクキャラメル)の空箱に入れて献上した。それには現場に居合わせた者全員が唖然とした。
のちに側近は「かねてから熊楠は奇人・変人と聞いていたので覚悟はしていた」とのこと。
後年、南方が他界したとき、昭和天皇は「あのキャラメル箱のインパクトは忘れられない」と語ったという。
1962年、昭和天皇は33年ぶりに和歌山を訪れ、神島を見てこう詠んだ。「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」

神島は1930(昭和5)年には和歌山県の天然記念物に選ばれ、1936(昭和10)年にはついに悲願、国の天然記念物に指定された。


あの人の人生を知ろう〜南方熊楠
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic32.htm...
日本珍スポット100景 超童貞&最強ニート「南方熊楠記念館」【和歌山】
http://b-spot.seesaa.net/article/26203567.htm...
【中二病妄想を具現化させた偉人たち】南方熊楠の脳は現在ホルマリン漬けで保存中!しかもイケメン
http://konifar.com/83...
南方熊楠顕彰会 神島
http://minakatakumagusu.web.fc2.com/01kashima.htm...
AGARA紀伊民報 熊楠が愛した神島を守る顕彰会が清掃活動
http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?...
東アジア黙示録 先帝陛下の至福の一日…神島行幸と南方熊楠
http://dogma.at.webry.info/200701/article_4.htm...

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429 2013/09/29(日) 14:29:57 ID:QOEVq5ugn6
     『殺生禁断』漁師のいない島 佐木島(さぎじま)

広島県の三原港の南、約4kmにある有人島が佐木島である。
その佐木島の向田野浦の海岸には、不思議な磨崖仏(まがいぶつ・天然の岩壁や巨石を素材とし、直接ノミを入れて造られた石仏)がある。
向田港の波打ち際にその花崗岩の巨岩が鎮座しており、その側面には磨崖和霊石地蔵(まがいわれいしじぞう)が彫られているのだ。
潮が干いたときこそ姿を現しているものの、満潮時には地蔵の肩のあたりまで沈んでしまう。なんとも場違いな設置に見えるが……。

巨岩は幅約4.7m、高さ約2.7m、厚さ約4m。西の面に舟形の輪郭内に地蔵菩薩が刻まれている。像高95cm。
頭部の背後には円光背が表現され、右手に錫杖を持ち、左手には宝珠を乗せている。また地蔵を挟む形で花瓶が浮き彫りにされている。
この地蔵は1300(正安2)年に平茂盛が仏師・念心に彫らせたものだという。さすがに700年以上もの前の作なので波による摩耗も見られるが、
いまだ精巧な刻跡をとどめている。
また銘文には『東西南北各1町(町=約109m)を未来にわたり殺生禁断(生き物を殺してはならない)』と添えられている。

この教えのとおり、佐木島では漁業は行わず、もっぱら麓の段々畑で栽培される柑橘類、メロン、スイカ、ワケギなどを特産品として出荷し生計を立てている。
漁師がいない島なんてそうそう類を見るまい。その言いつけを守った島民も実直である。
磨崖和霊石地蔵は県重要文化財に指定されている。


愛しきものたち 広島県三原市鷺浦町 向田野浦和霊石磨崖仏
http://blog.goo.ne.jp/pzm4366/e/232c0ea61461fe711950...
磨崖仏wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%A8%E5%B4%96%E4%BB%...

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430 2013/09/29(日) 14:41:14 ID:QOEVq5ugn6
     山の神と人間がともに食事する『神人共食』の神事 蓋井島(ふたおいじま)

蓋井島は山口県下関市吉母の北西約6kmの響灘に浮かぶ島だ。古くから海上交通の要衝として九州や大陸方面との交流があり、
神功皇后にちなんだ地名が島内に多いことから大陸との関係を思わせる。
周辺海域は海流の影響も手伝い海産物の宝庫で、アワビ、サザエ、ウニなどの海の幸が豊富に採れる。

蓋井島にとって特筆すべきは、伝統行事である『山ノ神神事』である。これが3日間にわたって行われる。
『山ノ神』の森で6年ごと(辰年と戌年のみ)の11月に催される神事で、日本古来の山神信仰の原型を残すものとして、
全国の民俗学の研究者たちがこぞって取材しにやって来るほど非常に貴重とされている。

その概要はこうだ。
集落の裏手にある原生林の中には、普段は枯れ枝を拾うどころか、決して足を踏み入れてはならない神聖な森がある。ここに神霊が宿ると信じられているという。
地元ではその森を単に『山』と呼び、『一の山』から『四の山』まで4つに定め、それぞれの山にはそれぞれの『山の神』がいるとされている。
神事の1日目は、まずは神迎えの日。山ごとに決められた『当元家』がそれぞれの山で神事を執り行う。
当元は代々世襲され、山の神に奉仕する慣わしで、これを『山の組』と呼ぶ。
神事の準備は島民総出で森の道づくりや山さらい、祭礼用具の作製などが行われ、古くからの伝承・風習に基づき進行していく。
2日目には晴れて、『山の組』に属する人々および神宮が山の神をもてなし、ともに食事をする。この神事の肝だろう。
3日目は神送りの神事で、ふたたび山へ帰ってもらうためのものである。

別スレ『地域の伝説やまじない・風習』の>>90でも書いたが、石川県奥能登の農家に伝わる民間信仰『アエノコト』もまた神(ここでは田の神)を招き入れ、
熱烈に歓待し、その神が口にしたとされる膳のお下がりを頂くということは、神と同じものを食べることで神の霊力を人間の体内に取り込み、そして守護を得る。
これは民俗学でいう『神人共食』の儀礼を意味する。神社で行われる祭典後の直会で、お供えしていた御神酒を下げて一同で飲み合うのも、共食の考え方に基づいている。
それどころか、よく母親や祖母の世代が口癖のように言った、「頂いたお土産やお菓子は、先に仏壇のご先祖に供えてからお上がりなさい」という考えも同義であろう。
神人共食というと、なにか仰々しくておっかないイメージがあるが、実際はわりと賑やかに飲み食いしているにすぎない。へべれけになれば見えざる神もそっちのけかも
しれない。日本の神々は怒らせたら怖いが、里に下りて来られたら一緒に食事させてくれる懐の広い庶民派が多いのかもしれない。

なお、この『山の神』の森は1960(昭和35)年、国の重要有形民俗文化財、『山ノ神神事』は1970(昭和45)年、市の無形民俗文化財に指定され、
2009年、同神事は、国土交通省が定める『島の宝100景』に選ばれている。


蓋井島ホームページ〜ようこそ蓋井島へ〜
http://www.futaoi.com/index.htm...
山口県/中山間地域づくり推進課/離島・蓋井島
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a11500/island/futaoijima.h...
城山蓋井島(しろやま)・大山(おおやま)山口県下関市
http://houshizaki.web.fc2.com/ooyama-siroyama.ht...
☆のりのり小屋☆ ☆山の神神事☆
http://ameblo.jp/min0monta/entry-11423909162.ht...
Blue'n BLUE bLOG 蓋井島「山ノ神神事」のお手伝い
http://blog.blue-n-blue.com/?eid=56855...
Blue'n BLUE bLOG 「山ノ神神事」お手伝い2日目
http://blog.blue-n-blue.com/?eid=56869...
Blue'n BLUE bLOG 「山ノ神神事」お手伝い最終日
http://blog.blue-n-blue.com/?eid=56938...
奥能登アエノコト 田の神をもてなす、奥能登の伝統行事
http://www.ricepaper88.com/backnumber/vol05/matsuri...
日本政策研究センター アエノコトに見る「農の多面的価値」
http://www.seisaku-center.net/node/54...
神社本庁 おまつりのいろは 直会について
http://www.jinjahoncho.or.jp/iroha/matsuri/index8.htm...

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