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怖い島・いわくつきの村・総合
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ここかな
今は 取り壊されてしまったけど
http://b-spot.seesaa.net/article/38297592.htm...
近くに 土地を買って小さな小屋を建てて
夏 海など 遊びに来てたりしてたんだけど
この建物に気づくまで2〜3年かかった
中に入った事はなかったけど とにかく不気味だったな・・・
主が時々外に居て 挨拶したりした
主が亡くなって 取り壊しする時 壁から主の嫁の白骨死体が出てきたらしく
やっぱり キティな人・・・だったな・・・
今は 取り壊されてしまったけど
http://b-spot.seesaa.net/article/38297592.htm...
近くに 土地を買って小さな小屋を建てて
夏 海など 遊びに来てたりしてたんだけど
この建物に気づくまで2〜3年かかった
中に入った事はなかったけど とにかく不気味だったな・・・
主が時々外に居て 挨拶したりした
主が亡くなって 取り壊しする時 壁から主の嫁の白骨死体が出てきたらしく
やっぱり キティな人・・・だったな・・・
その無人島は『海の火葬場』
岡山県笠岡市の沖合いに浮かぶ高島、白石島、北木島、真鍋島の4島を笠岡諸島という。
北木島と白石島のちょうど中間に、地元の人が通称『タテ』と呼ぶ小島がある。
地図上では正式名を『縦島』といい、たった40メートルほどの岩場だらけの無人島にすぎない。
実は平成13年まで、この『タテ』では海上の火葬場として使われていたのだ。
火葬場の施設があるわけではない。タブと呼ばれる木(クスノキ科)でヤグラを組み、その上に遺体を寝かせ、
松ヤニを油代わりに野焼きしたという。大抵は夜半から明け方にかけて、なるべく風のない日が選ばれたものの、
夏場は遺体が傷まぬうちに焼く必要があったため風向きは気にしていられない。強攻策に出ることもめずらしくなかったらしい。
そんな日は風に乗って、髪の毛の焼けるイヤな臭いや、焼け焦げる動物臭が諸島一帯に漂った。
だからといって島民は不満を訴えたりはしない。諸島に古くから根付く不文律が存在したのだ。
島に渡らずとも、通常の火葬施設はある。なぜわざわざ『タテ』に運んでまで焼く必要があったのか?
明治12年と同28年に笠岡諸島でコレラが大流行した。致死率50%の死の伝染病は一帯で猛威をふるい、
岡山全県では9千人が罹病し、うち5千人が亡くなった。島内の火葬場では遺体の焼却が追いつかず、
ついには『タテ』が選ばれ、火葬場として使われるようになったわけだ。
岡山県笠岡市の沖合いに浮かぶ高島、白石島、北木島、真鍋島の4島を笠岡諸島という。
北木島と白石島のちょうど中間に、地元の人が通称『タテ』と呼ぶ小島がある。
地図上では正式名を『縦島』といい、たった40メートルほどの岩場だらけの無人島にすぎない。
実は平成13年まで、この『タテ』では海上の火葬場として使われていたのだ。
火葬場の施設があるわけではない。タブと呼ばれる木(クスノキ科)でヤグラを組み、その上に遺体を寝かせ、
松ヤニを油代わりに野焼きしたという。大抵は夜半から明け方にかけて、なるべく風のない日が選ばれたものの、
夏場は遺体が傷まぬうちに焼く必要があったため風向きは気にしていられない。強攻策に出ることもめずらしくなかったらしい。
そんな日は風に乗って、髪の毛の焼けるイヤな臭いや、焼け焦げる動物臭が諸島一帯に漂った。
だからといって島民は不満を訴えたりはしない。諸島に古くから根付く不文律が存在したのだ。
島に渡らずとも、通常の火葬施設はある。なぜわざわざ『タテ』に運んでまで焼く必要があったのか?
明治12年と同28年に笠岡諸島でコレラが大流行した。致死率50%の死の伝染病は一帯で猛威をふるい、
岡山全県では9千人が罹病し、うち5千人が亡くなった。島内の火葬場では遺体の焼却が追いつかず、
ついには『タテ』が選ばれ、火葬場として使われるようになったわけだ。
戒名の彫られた墓石が投げ込まれている
洋上の火葬場は『タテ』だけではない。北木島の西にも『横辺島』……島民は『ヨコ』と呼ぶ無人島でも遺体を焼いた。
奇しくも『タテ』と『ヨコ』。まるで対で存在するかのような火葬用の島。
コレラによる被害者だけでなく、スネに傷をもつ出稼ぎ労働者までもがここで処理された。
北木島では花崗岩を産出することで古くから知られ、石切り場が至るところにある。
江戸時代の初めごろから明治中期にかけて石材採掘が盛んに行われたそうで、島外から石切り職人が流れてきた。
危険がつきものの仕事だけに報酬は陸でのそれに比べ、ほぼ倍の賃金を得ることができるものの、
職人の多くは刹那的な生き方を好んだ。酒や女にバクチ。中にはやくざ者や犯罪者もいた。
そんな身寄りのない訳ありの者が亡くなると、そこで焼かれた。
むろん遺骨の引き取り手はいるはずもなく、満潮時に波がすべてをかき消していくままにされた。
画像からは確認できないが、今でも一枚岩には焼け焦げた跡が見られるそうだ。
無縁仏となった者を悼んだのか、波打ち際だけでなく、周辺の海底には戒名のついた墓石が無造作に投げ込まれているという。
とはいえ、こんな悲しい歴史がありながら、渡船をチャーターして磯釣りに訪れる人は多い。釣りキチは恐れ知らずだ。
チヌやメバルがよく釣れるという。
洋上の火葬場は『タテ』だけではない。北木島の西にも『横辺島』……島民は『ヨコ』と呼ぶ無人島でも遺体を焼いた。
奇しくも『タテ』と『ヨコ』。まるで対で存在するかのような火葬用の島。
コレラによる被害者だけでなく、スネに傷をもつ出稼ぎ労働者までもがここで処理された。
北木島では花崗岩を産出することで古くから知られ、石切り場が至るところにある。
江戸時代の初めごろから明治中期にかけて石材採掘が盛んに行われたそうで、島外から石切り職人が流れてきた。
危険がつきものの仕事だけに報酬は陸でのそれに比べ、ほぼ倍の賃金を得ることができるものの、
職人の多くは刹那的な生き方を好んだ。酒や女にバクチ。中にはやくざ者や犯罪者もいた。
そんな身寄りのない訳ありの者が亡くなると、そこで焼かれた。
むろん遺骨の引き取り手はいるはずもなく、満潮時に波がすべてをかき消していくままにされた。
画像からは確認できないが、今でも一枚岩には焼け焦げた跡が見られるそうだ。
無縁仏となった者を悼んだのか、波打ち際だけでなく、周辺の海底には戒名のついた墓石が無造作に投げ込まれているという。
とはいえ、こんな悲しい歴史がありながら、渡船をチャーターして磯釣りに訪れる人は多い。釣りキチは恐れ知らずだ。
チヌやメバルがよく釣れるという。
いわくつきと言うよりも実証されているので怖くて言えない場所がある
大久野島でググれ。
[YouTubeで再生]
女人禁制の『海の正倉院』沖ノ島
九州本土から約60キロ離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロの孤島、沖ノ島。
島には宗像大社沖津宮があり、宗像三女神の田心姫神(たごりひめのかみ)を祀っている。日本書紀に記されるほど古の時代から縁ある土地なのだ。
人口は、沖津宮に常駐する宮司がたった1人のみ。それも、福岡県宗像市の宗像大社からわざわざ派遣され、10日勤務の交代制だそう。
沖ノ島は古くから航路の道標とされると同時に、島全体が御神体とされ、今でも女人禁制の伝統を守っている。
とはいっても、男性ですら毎年5月27日に開かれる大祭以外の上陸は許されず、その数も250人程度に制限されているほどだ。
上陸前には海中で全裸になり、みそぎを済ましてからでないと立ち入ってはならない掟がある。
それは派遣されてくる宮司とて同じ。真冬の玄界灘は身が切られんばかりに冷たい。
今も禁忌は残っている。
海中でのみそぎだけでなく、島に上陸したとしても島にあるものは一木一草一石たりと持ち出すのは許されない。
さらに島で見聞きしたことでさえ、口にしてはいけないという過酷な掟があったため、周辺の漁師たちは畏怖をこめて、
島の別名を『御不言様』(おいわずさま)と呼んだ。
1954年(昭和29年)以来、十数年かけて沖ノ島の発掘調査が行われ、4・5世紀から9世紀までの石舞台や古代装飾品などの大量の祭祀遺物が発見された。
このことから、沖ノ島は俗に『海の正倉院』と呼ばれている。古代から信仰の対象とされていた所以だ。
また、中国・朝鮮の歴代王朝との交易で栄えていた。九州を中心に沖ノ島を世界遺産にする運動が起こり、
2009年1月5日に沖津宮・中津宮・辺津宮及び沖津宮遥拝所と沖ノ島全体を含めて宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成遺産として、
世界遺産暫定リストに掲載された。
それだけでなく、島は国の史跡に指定されているとともに、原生林は亜熱帯植物の北限地として国の天然記念物に、
海鳥の集団繁殖地として国の鳥獣保護区にも指定されるなど、自然環境の面からも保護を受けている。
女人禁制の『海の正倉院』沖ノ島
九州本土から約60キロ離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロの孤島、沖ノ島。
島には宗像大社沖津宮があり、宗像三女神の田心姫神(たごりひめのかみ)を祀っている。日本書紀に記されるほど古の時代から縁ある土地なのだ。
人口は、沖津宮に常駐する宮司がたった1人のみ。それも、福岡県宗像市の宗像大社からわざわざ派遣され、10日勤務の交代制だそう。
沖ノ島は古くから航路の道標とされると同時に、島全体が御神体とされ、今でも女人禁制の伝統を守っている。
とはいっても、男性ですら毎年5月27日に開かれる大祭以外の上陸は許されず、その数も250人程度に制限されているほどだ。
上陸前には海中で全裸になり、みそぎを済ましてからでないと立ち入ってはならない掟がある。
それは派遣されてくる宮司とて同じ。真冬の玄界灘は身が切られんばかりに冷たい。
今も禁忌は残っている。
海中でのみそぎだけでなく、島に上陸したとしても島にあるものは一木一草一石たりと持ち出すのは許されない。
さらに島で見聞きしたことでさえ、口にしてはいけないという過酷な掟があったため、周辺の漁師たちは畏怖をこめて、
島の別名を『御不言様』(おいわずさま)と呼んだ。
1954年(昭和29年)以来、十数年かけて沖ノ島の発掘調査が行われ、4・5世紀から9世紀までの石舞台や古代装飾品などの大量の祭祀遺物が発見された。
このことから、沖ノ島は俗に『海の正倉院』と呼ばれている。古代から信仰の対象とされていた所以だ。
また、中国・朝鮮の歴代王朝との交易で栄えていた。九州を中心に沖ノ島を世界遺産にする運動が起こり、
2009年1月5日に沖津宮・中津宮・辺津宮及び沖津宮遥拝所と沖ノ島全体を含めて宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成遺産として、
世界遺産暫定リストに掲載された。
それだけでなく、島は国の史跡に指定されているとともに、原生林は亜熱帯植物の北限地として国の天然記念物に、
海鳥の集団繁殖地として国の鳥獣保護区にも指定されるなど、自然環境の面からも保護を受けている。
[YouTubeで再生]
仏島は何やら不気味な島だ。
『まんが日本昔ばなし』にもネタにされてる島で(まんま『仏島』ってタイトル)、
かなりホラーな内容の伝説があるようだ。
今はどこの動画も削除されてるので観られない……
仏島は何やら不気味な島だ。
『まんが日本昔ばなし』にもネタにされてる島で(まんま『仏島』ってタイトル)、
かなりホラーな内容の伝説があるようだ。
今はどこの動画も削除されてるので観られない……
渡鹿野島・・・
削除(by投稿者)
血族結婚の村
石川県の某集落には、いまだに血族結婚の風習が残ってる。
村民の多くは同じ苗字を名乗り、顔は老人から子供までどこか似ており、仕草まで同じ特徴が見られるという。
現代日本では血族結婚は倫理的にも法律的にもタブーとされている。
しかしながら日本国憲法においては、『本人』『直系血族』『3親等内の傍系血族(兄と妹、姉と弟、おじと姪、おばと甥)』
『直系姻族(婚姻関係終了後も継続)』『養親とその直系尊属及び養子とその直系卑属(離縁後も適用)』との婚姻届は受理されないものの、
憲法第24条には「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」とあるだけで近親者間の性交そのものを禁止しているわけではない。
すなわち、近親者同士であっても事実婚は阻害されないと、ちゃんと定められているのだ。
とはいえ、血が濃くなると障害をもった子供が生まれる確率が高くなったり、犯罪に手を染めやすいといった昔ながらの先入観もあるだろう。
ところが、この村の人々の特徴は、IQや運動能力がズバ抜けて高く、ほとんど病気知らずらしい。
あるマスコミ関係者は言う。「某村の人々が病気にならないのは、通常では考えられないような強い免疫力を持っているからに違いありません。
突発的に、住人の1人が突然変異によって獲得した『特殊能力』が血族結婚によって守られ、代々受け継がれてきたのではないでしょうか」
唯一のマイナス面といえば80歳で胃癌で亡くなる遺伝傾向があるそうだが、そこまで生きられれば御の字だろう。
ではなぜ、今もなお血族結婚の風習が廃れることなく続いているのか。
村を出たという元住人の証言によれば……
数百年前、村は飢饉の打撃を受け、村人のほとんどが餓死する窮地に陥った。
この危機的状況を打開すべく、村人らは一計を案じた。村へ嫁ぎに来た女性を『民の花嫁』とするのだ。
一個人に捧げるのではなく、村の男全員に奉仕する役目を負わせたわけだ。
つまり、花嫁は万が一、夫との間に子供ができなくても、村人の誰かの子種を宿すことができれば確率的に子孫繁栄しやすくなる。
一の矢がはずれても、二の矢、三の矢で的を射るべし、ということだ。
婚礼の前日、たった一人実家に残された花嫁は、次から次へと訪れる村の男と交わねばならないという。
新郎はそれを指をくわえて見守るしか術がなかったそうだ。
この『民の花嫁』の風習のおかげで、某村はかつての活気を取り戻したうえ、予期せぬ副産物も得ることができた。
上述した『知能・運動神経が秀でており、なおかつ病気に強い』遺伝子を獲得するに至ったというわけだ。
石川県の某集落には、いまだに血族結婚の風習が残ってる。
村民の多くは同じ苗字を名乗り、顔は老人から子供までどこか似ており、仕草まで同じ特徴が見られるという。
現代日本では血族結婚は倫理的にも法律的にもタブーとされている。
しかしながら日本国憲法においては、『本人』『直系血族』『3親等内の傍系血族(兄と妹、姉と弟、おじと姪、おばと甥)』
『直系姻族(婚姻関係終了後も継続)』『養親とその直系尊属及び養子とその直系卑属(離縁後も適用)』との婚姻届は受理されないものの、
憲法第24条には「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」とあるだけで近親者間の性交そのものを禁止しているわけではない。
すなわち、近親者同士であっても事実婚は阻害されないと、ちゃんと定められているのだ。
とはいえ、血が濃くなると障害をもった子供が生まれる確率が高くなったり、犯罪に手を染めやすいといった昔ながらの先入観もあるだろう。
ところが、この村の人々の特徴は、IQや運動能力がズバ抜けて高く、ほとんど病気知らずらしい。
あるマスコミ関係者は言う。「某村の人々が病気にならないのは、通常では考えられないような強い免疫力を持っているからに違いありません。
突発的に、住人の1人が突然変異によって獲得した『特殊能力』が血族結婚によって守られ、代々受け継がれてきたのではないでしょうか」
唯一のマイナス面といえば80歳で胃癌で亡くなる遺伝傾向があるそうだが、そこまで生きられれば御の字だろう。
ではなぜ、今もなお血族結婚の風習が廃れることなく続いているのか。
村を出たという元住人の証言によれば……
数百年前、村は飢饉の打撃を受け、村人のほとんどが餓死する窮地に陥った。
この危機的状況を打開すべく、村人らは一計を案じた。村へ嫁ぎに来た女性を『民の花嫁』とするのだ。
一個人に捧げるのではなく、村の男全員に奉仕する役目を負わせたわけだ。
つまり、花嫁は万が一、夫との間に子供ができなくても、村人の誰かの子種を宿すことができれば確率的に子孫繁栄しやすくなる。
一の矢がはずれても、二の矢、三の矢で的を射るべし、ということだ。
婚礼の前日、たった一人実家に残された花嫁は、次から次へと訪れる村の男と交わねばならないという。
新郎はそれを指をくわえて見守るしか術がなかったそうだ。
この『民の花嫁』の風習のおかげで、某村はかつての活気を取り戻したうえ、予期せぬ副産物も得ることができた。
上述した『知能・運動神経が秀でており、なおかつ病気に強い』遺伝子を獲得するに至ったというわけだ。
『クロ宗』の鉄の掟
今から400年前、キリスト教徒が江戸幕府によって迫害されていたころの話。
島原の乱に敗れたあと、彼らは幕府からの厳しい弾圧を逃れるべく、鹿児島県、下甑島(しもこしきじま)に流れ着いた。
離島であるがゆえに、幕府の追及も届かない。ようやく安住の地を得た彼らはこの島にTという集落をもうけ、
なおもキリスト教を信仰し続けた。
とはいえ世間から孤立することにより、キリスト教本来の教えとは異なる独自の宗教を編み出すに至る。
それが『クロ宗』だった。
クロス(十字架)が語源といわれ、外部との接触を完全に拒んだ秘密結社的な概念。
驚くべきことに、隠れキリシタンの末裔たちによって、今もなお受け継がれているそうだ。
『クロ宗』の最たる特徴は、死の儀式にある。
信者が生命の危機に瀕した場合、『サカヤ』と呼ばれる司祭のもとに運ばれ、まだ息があるにもかかわらず、
生き血と生き胆を摘出するというのだ。
信じがたい話だが、その取り出したるモノを信者全員で食べ、飲み干すという……。
ある大学の民俗学教授は言う。
「宗教儀式の中には、死者の魂を取り込むため、身体の一部を食するというものは存在します。
ですが、生きているうちから血と肝を抜くというのは稀ではないでしょうか。
サカヤ(司祭)の家から出される遺体は白い布でグルグル巻きにされ、
その布には血が滲んでいるというのですから、恐ろしい儀式ですよね」
とはいうものの、この禁断の儀式は詳細がいまだ明らかにされていない。
『クロ宗』を信仰するT集落の住人は、よそ者を完全に拒み、話しかけても相手にすらされない。取材にも一切応じない。
家屋は全部で20戸ほどの小集落にすぎない。しかもそれぞれの家が、3メートル前後ものブロック塀で囲まれており、
異様な雰囲気を醸し出している。
『クロ宗』信者には集落内での出来事を一切口外してはならないという鉄の掟があり、
それを破った者は命を取られるのではないかともウワサされている。
※明治時代まで肝食いをやっていただの、集落に近づけさせないためのデマにすぎないとの諸説がある。あまり真に受けないように。
今から400年前、キリスト教徒が江戸幕府によって迫害されていたころの話。
島原の乱に敗れたあと、彼らは幕府からの厳しい弾圧を逃れるべく、鹿児島県、下甑島(しもこしきじま)に流れ着いた。
離島であるがゆえに、幕府の追及も届かない。ようやく安住の地を得た彼らはこの島にTという集落をもうけ、
なおもキリスト教を信仰し続けた。
とはいえ世間から孤立することにより、キリスト教本来の教えとは異なる独自の宗教を編み出すに至る。
それが『クロ宗』だった。
クロス(十字架)が語源といわれ、外部との接触を完全に拒んだ秘密結社的な概念。
驚くべきことに、隠れキリシタンの末裔たちによって、今もなお受け継がれているそうだ。
『クロ宗』の最たる特徴は、死の儀式にある。
信者が生命の危機に瀕した場合、『サカヤ』と呼ばれる司祭のもとに運ばれ、まだ息があるにもかかわらず、
生き血と生き胆を摘出するというのだ。
信じがたい話だが、その取り出したるモノを信者全員で食べ、飲み干すという……。
ある大学の民俗学教授は言う。
「宗教儀式の中には、死者の魂を取り込むため、身体の一部を食するというものは存在します。
ですが、生きているうちから血と肝を抜くというのは稀ではないでしょうか。
サカヤ(司祭)の家から出される遺体は白い布でグルグル巻きにされ、
その布には血が滲んでいるというのですから、恐ろしい儀式ですよね」
とはいうものの、この禁断の儀式は詳細がいまだ明らかにされていない。
『クロ宗』を信仰するT集落の住人は、よそ者を完全に拒み、話しかけても相手にすらされない。取材にも一切応じない。
家屋は全部で20戸ほどの小集落にすぎない。しかもそれぞれの家が、3メートル前後ものブロック塀で囲まれており、
異様な雰囲気を醸し出している。
『クロ宗』信者には集落内での出来事を一切口外してはならないという鉄の掟があり、
それを破った者は命を取られるのではないかともウワサされている。
※明治時代まで肝食いをやっていただの、集落に近づけさせないためのデマにすぎないとの諸説がある。あまり真に受けないように。
地方新聞の記者の女の子がゆk
クブラバリ
沖縄県の与那国島には悲しい歴史がある。
久部良集落の高台にある久部良張り(クブラバリ)とは、幅2〜3メートル、深さ10数メートルほどの岩と岩の割れ目……クレバスだ。
その昔、八重山には琉球王府により、収穫量や能力を考慮することなく単純な頭数でかけられた人頭税なるものが存在した。
人頭税という制度は、「政府が要求する年貢は、島民1人につき、これだけ収めよ」という悪しきシステム。
与那国島で採れる作物量は限度があるし、年貢だけ収めててもギリギリの生活なのに、大家族だとますます首を絞められる。
この重税から逃れるため、島民は苦肉の策として口減らしを余儀なくされた。
なんと妊婦を集め、そのクブラバリ……岩と岩との割れ目をジャンプして飛び越えさせたというのだ。
失敗して転落死する女性、なんとか飛び越えられたとしても、恐怖のあまり流産する妊婦が出た……
つまり、これ以上島民を増さないよう、弱者の淘汰を促したのだ。
沖縄県の与那国島には悲しい歴史がある。
久部良集落の高台にある久部良張り(クブラバリ)とは、幅2〜3メートル、深さ10数メートルほどの岩と岩の割れ目……クレバスだ。
その昔、八重山には琉球王府により、収穫量や能力を考慮することなく単純な頭数でかけられた人頭税なるものが存在した。
人頭税という制度は、「政府が要求する年貢は、島民1人につき、これだけ収めよ」という悪しきシステム。
与那国島で採れる作物量は限度があるし、年貢だけ収めててもギリギリの生活なのに、大家族だとますます首を絞められる。
この重税から逃れるため、島民は苦肉の策として口減らしを余儀なくされた。
なんと妊婦を集め、そのクブラバリ……岩と岩との割れ目をジャンプして飛び越えさせたというのだ。
失敗して転落死する女性、なんとか飛び越えられたとしても、恐怖のあまり流産する妊婦が出た……
つまり、これ以上島民を増さないよう、弱者の淘汰を促したのだ。
日本の各地には「避け地」と呼ばれる、伝染病隔離地区が存在していました。
隔離された集落には、定期的に食料が支給されていたのですが、
太平洋戦争が激化し、食糧難に陥り、政府側は彼らを「見捨てた」のです。
その事実を政府は、例の臭い物に蓋的に隠し続けてきた歴史があるのです。
犬鳴村がそうであるとは言いませんが、日本には実際に存在する事は確かです。
皆さんの住んでいる近くで、山間部の人気がないところに、自衛隊のヘリが定期的に飛んでいる所が有るんじゃないですか?
この事は自衛隊内でもトップシークレットに属す事ですので、知っている人は少ないはずです。
因みに、「避け地」に行く陸路はほとんど無いと考えられます。
隔離された集落には、定期的に食料が支給されていたのですが、
太平洋戦争が激化し、食糧難に陥り、政府側は彼らを「見捨てた」のです。
その事実を政府は、例の臭い物に蓋的に隠し続けてきた歴史があるのです。
犬鳴村がそうであるとは言いませんが、日本には実際に存在する事は確かです。
皆さんの住んでいる近くで、山間部の人気がないところに、自衛隊のヘリが定期的に飛んでいる所が有るんじゃないですか?
この事は自衛隊内でもトップシークレットに属す事ですので、知っている人は少ないはずです。
因みに、「避け地」に行く陸路はほとんど無いと考えられます。
岡山県備前市の鶴島はキリシタンが流刑に処された島。
地元の人はここへは寄り付かないことで有名。いろいろと怖いウワサがあとを絶たない。
島の所有者がことごとく逃げ出している。詳細はあえて書かないでおく……
http://www.city.bizen.okayama.jp/kankou/guide/hinase/spot/tsuru...
地元の人はここへは寄り付かないことで有名。いろいろと怖いウワサがあとを絶たない。
島の所有者がことごとく逃げ出している。詳細はあえて書かないでおく……
http://www.city.bizen.okayama.jp/kankou/guide/hinase/spot/tsuru...
405 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2008/09/08(月) 21:06:39.35 ID:/nYwLP210
俺の親の実家にいまだに行われてる気味の悪い風習
親の実家は九州のとある島なんだけど、そこでいまだに信じられてる土着信仰があって、
なんでも死者は生者の血となり肉となり生きるってやつ
それは文字通り人が死んだら、その親族一同がその死者の肉の一部を食べるんだ
昔は骨までしゃぶる程やってたらしいけど、最近は流石に色々な問題があるらしく体の一部を切り取って
それを料理に混ぜて食べるって感じになってる
小学校の頃に初めて祖父の葬式でその儀式に立ち会ったけど、大きな肉きり包丁で右腕をひじの辺りまで切り取ってた
それを細かく切り分けてよく火を通してみんなで食べるんだけど、俺はどうしても無理で、
最終的に親父に無理矢理押さえつけられて食べさせられたのが今でもトラウマ
俺の親の実家にいまだに行われてる気味の悪い風習
親の実家は九州のとある島なんだけど、そこでいまだに信じられてる土着信仰があって、
なんでも死者は生者の血となり肉となり生きるってやつ
それは文字通り人が死んだら、その親族一同がその死者の肉の一部を食べるんだ
昔は骨までしゃぶる程やってたらしいけど、最近は流石に色々な問題があるらしく体の一部を切り取って
それを料理に混ぜて食べるって感じになってる
小学校の頃に初めて祖父の葬式でその儀式に立ち会ったけど、大きな肉きり包丁で右腕をひじの辺りまで切り取ってた
それを細かく切り分けてよく火を通してみんなで食べるんだけど、俺はどうしても無理で、
最終的に親父に無理矢理押さえつけられて食べさせられたのが今でもトラウマ
山賊村の村長はペテン師
三重県津市(以前は美里村だったが、2006年に津と合併。現在は津市美里町)の山中を進むと、
広大な土地が開けているのだが、僻地にふさわしくないペンションが乱立しているのだ。
ところが今では長年の風雨にさらされ、不気味な廃墟と化している。
近隣の地元の人は吐き捨てるように、こう呼んでいる。……『山賊村』と。
現在、山賊村では自らを『村長』と名乗る年老いた男がたった1人で住んでおり、ペンション経営をとうの昔に辞め、
自然食を食べさせてくれる『長寿郷協会』なる私設道場を開いている。
ネットで調べると、近くに同じ名前のアウトレットモールやレストランがあるらしく、
時折、県外の人たちが誤って足を踏み入れてしまうケースがあるそうだ。
しかし、あまりの異様な光景を目の当たりにし、慌てて逃げ出す人がほとんど。
村長の評判は最悪だ。
「あいつは大ペテン師だ」「あんな人間とかかわるのはやめた方がいい」「あの詐欺師に、まんまと嵌められた」
……などと、近隣住人が罵るにはワケがある。
過去になにがあったのだろうか? 近隣住人の1人が告白する。
「あそこはかつて村長の私有地だったのです。数十年前に、あの人にこう持ちかけられたんです。
『近いうち、この近くに空港が開発されることになった。とすれば、このあたりも観光地になるに違いない。
工事関係者から極秘に入手した新空港建設プロジェクトに乗っかり、私の所有する土地を山賊村と名づけて、
自然と触れ合えるテーマパークにしようじゃないか。土地を安く譲るから、ペンションを建てて儲けないか?』と」
村長は口が達者な男だったらしく、地元住人の多くが賛同し、こぞって山賊村予定地内に土地を購入した。
そのころから、山中には不釣合いなオシャレなペンションが林立していった。
ところがいくら月日が経っても、そんな僻地に空港が開発されるはずもない。
土地購入者たちはようやく騙されたことに気づいた。怒り狂い、みんなして村長のもとへ怒鳴りこみに行ったものの、
購入の際に契約書を作っておらず、口約束のみで資金を投入したので、ペテンにかけられたことを証明することにならなかったのだ。
騙された方も悪い。欲に目がくらんだ負い目があるだけに、裁判を起こすまでには至らず、泣き寝入りするしかなかった。
僻地のペンションなど、客が押し寄せ、繁盛するはずもない。廃墟と化すのに時間はかからなかった。
今でも村長は山賊村に居座っている。
※下記のURLは、山賊村に単独潜入を試みた猛者のブログ
http://blog.livedoor.jp/tokaimakai/archives/50190176.h...
三重県津市(以前は美里村だったが、2006年に津と合併。現在は津市美里町)の山中を進むと、
広大な土地が開けているのだが、僻地にふさわしくないペンションが乱立しているのだ。
ところが今では長年の風雨にさらされ、不気味な廃墟と化している。
近隣の地元の人は吐き捨てるように、こう呼んでいる。……『山賊村』と。
現在、山賊村では自らを『村長』と名乗る年老いた男がたった1人で住んでおり、ペンション経営をとうの昔に辞め、
自然食を食べさせてくれる『長寿郷協会』なる私設道場を開いている。
ネットで調べると、近くに同じ名前のアウトレットモールやレストランがあるらしく、
時折、県外の人たちが誤って足を踏み入れてしまうケースがあるそうだ。
しかし、あまりの異様な光景を目の当たりにし、慌てて逃げ出す人がほとんど。
村長の評判は最悪だ。
「あいつは大ペテン師だ」「あんな人間とかかわるのはやめた方がいい」「あの詐欺師に、まんまと嵌められた」
……などと、近隣住人が罵るにはワケがある。
過去になにがあったのだろうか? 近隣住人の1人が告白する。
「あそこはかつて村長の私有地だったのです。数十年前に、あの人にこう持ちかけられたんです。
『近いうち、この近くに空港が開発されることになった。とすれば、このあたりも観光地になるに違いない。
工事関係者から極秘に入手した新空港建設プロジェクトに乗っかり、私の所有する土地を山賊村と名づけて、
自然と触れ合えるテーマパークにしようじゃないか。土地を安く譲るから、ペンションを建てて儲けないか?』と」
村長は口が達者な男だったらしく、地元住人の多くが賛同し、こぞって山賊村予定地内に土地を購入した。
そのころから、山中には不釣合いなオシャレなペンションが林立していった。
ところがいくら月日が経っても、そんな僻地に空港が開発されるはずもない。
土地購入者たちはようやく騙されたことに気づいた。怒り狂い、みんなして村長のもとへ怒鳴りこみに行ったものの、
購入の際に契約書を作っておらず、口約束のみで資金を投入したので、ペテンにかけられたことを証明することにならなかったのだ。
騙された方も悪い。欲に目がくらんだ負い目があるだけに、裁判を起こすまでには至らず、泣き寝入りするしかなかった。
僻地のペンションなど、客が押し寄せ、繁盛するはずもない。廃墟と化すのに時間はかからなかった。
今でも村長は山賊村に居座っている。
※下記のURLは、山賊村に単独潜入を試みた猛者のブログ
http://blog.livedoor.jp/tokaimakai/archives/50190176.h...
人肉鍋の村「食っちゃった」
1945年2月、太平洋戦争末期に群馬と長野の県境に位置する尾沢村で起こった事件。
ただでさえ食糧難の時代背景にくわえ、山間部の痩せた土地である村で極貧生活をしいられていた家族がいた。
それが天野朝吉と、妻の秋子。2人は再婚同士ではあったが、ともに知的障害者だった。
また子供は4人おり、そのうち3人は秋子の連れ子で、一番年長(17歳)のトラが朝吉の連れ子だった。
トラも同じく、人と話ができないほどの重度の知的障害をもっていた。
夫の朝吉は怠け者でろくに仕事もせず、生活は日に日に悲惨な状況になっていくばかり。
秋子も内職をして家計を助けるほどの機転がきくわけでもなく、無為にすごしていた。
いくら戦時中とはいえ、山村ならば畑へ出て汗水を流して精を出せば、ヒエ、アワ、コンニャクぐらいは採れたものを、
近所から野菜くずを恵んでもらうなどして飢えをしのいできたにすぎない。
しだいに施しを受けていた近所からも見放されるようになる。
たった1本の大根が唯一の食料となったとき、秋子は夫がいない隙に決断する。
長女のトラは以前から持て余していた。重い障害をかかえただけでなく、図体ばかり大きいうえ飯は人一倍食べるし、
これまた家でゴロゴロするしか能がない。
食いぶちを減らすだけではない。その肉を食ってやろうと秋子の頭をよぎったのだ。
他の子供らを外に追い払うと、トラを絞殺。ノコギリと包丁で娘の身体を解体した。
ワタは庭先に埋め、バラした肉片を煮えたぎる鍋の中に放りこみ、残り少ない塩と醤油で味付けした。
鍋からは黄色い脂がアクとなって浮き出してくる。彼女は夢中になってそれを取り除き、なおも煮続けているうちに、
得もいえぬうまそうな香りが立ち込めてきた。
やがてすきっ腹をかかえて子供たちが帰ってきた。鍋を見て叫んだ。「かあちゃん、うまそうな鍋だな。なんの肉だ?」
秋子は満面の笑みを見せて、「ヤギの肉だべ。さあ一緒に食べよ!」と言った。
その後、終戦を迎え10月。村に戸籍調査に巡査がやってきた。空襲や移動などで、行方不明者の数が多かったせいだ。
巡査が天野家をたずねると、子供が3人しか見当たらない。
「長女トラはどこへ行った?」と巡査が問いただすと、秋子と朝吉は要領を得ない返事。
不審に思った巡査は署に連絡し、警部補を呼んだ。
警部補が取調べしたところ、天野夫婦の話が破綻だらけであることが発覚し、なおも追及。
頃合を見計らって、警部補は秋子を怒鳴りつけた。
「おい秋子! おまえウソをついておるな? トラはどうして殺害したんだ!」
秋子はビクリとし、しばらく言葉も出ず俯いていたが、やがて声をしぼり出し、こう言った。
「食っちゃった」
天野秋子は心神喪失を認められず、懲役15年の刑に処された。
※画像はイメージです。
1945年2月、太平洋戦争末期に群馬と長野の県境に位置する尾沢村で起こった事件。
ただでさえ食糧難の時代背景にくわえ、山間部の痩せた土地である村で極貧生活をしいられていた家族がいた。
それが天野朝吉と、妻の秋子。2人は再婚同士ではあったが、ともに知的障害者だった。
また子供は4人おり、そのうち3人は秋子の連れ子で、一番年長(17歳)のトラが朝吉の連れ子だった。
トラも同じく、人と話ができないほどの重度の知的障害をもっていた。
夫の朝吉は怠け者でろくに仕事もせず、生活は日に日に悲惨な状況になっていくばかり。
秋子も内職をして家計を助けるほどの機転がきくわけでもなく、無為にすごしていた。
いくら戦時中とはいえ、山村ならば畑へ出て汗水を流して精を出せば、ヒエ、アワ、コンニャクぐらいは採れたものを、
近所から野菜くずを恵んでもらうなどして飢えをしのいできたにすぎない。
しだいに施しを受けていた近所からも見放されるようになる。
たった1本の大根が唯一の食料となったとき、秋子は夫がいない隙に決断する。
長女のトラは以前から持て余していた。重い障害をかかえただけでなく、図体ばかり大きいうえ飯は人一倍食べるし、
これまた家でゴロゴロするしか能がない。
食いぶちを減らすだけではない。その肉を食ってやろうと秋子の頭をよぎったのだ。
他の子供らを外に追い払うと、トラを絞殺。ノコギリと包丁で娘の身体を解体した。
ワタは庭先に埋め、バラした肉片を煮えたぎる鍋の中に放りこみ、残り少ない塩と醤油で味付けした。
鍋からは黄色い脂がアクとなって浮き出してくる。彼女は夢中になってそれを取り除き、なおも煮続けているうちに、
得もいえぬうまそうな香りが立ち込めてきた。
やがてすきっ腹をかかえて子供たちが帰ってきた。鍋を見て叫んだ。「かあちゃん、うまそうな鍋だな。なんの肉だ?」
秋子は満面の笑みを見せて、「ヤギの肉だべ。さあ一緒に食べよ!」と言った。
その後、終戦を迎え10月。村に戸籍調査に巡査がやってきた。空襲や移動などで、行方不明者の数が多かったせいだ。
巡査が天野家をたずねると、子供が3人しか見当たらない。
「長女トラはどこへ行った?」と巡査が問いただすと、秋子と朝吉は要領を得ない返事。
不審に思った巡査は署に連絡し、警部補を呼んだ。
警部補が取調べしたところ、天野夫婦の話が破綻だらけであることが発覚し、なおも追及。
頃合を見計らって、警部補は秋子を怒鳴りつけた。
「おい秋子! おまえウソをついておるな? トラはどうして殺害したんだ!」
秋子はビクリとし、しばらく言葉も出ず俯いていたが、やがて声をしぼり出し、こう言った。
「食っちゃった」
天野秋子は心神喪失を認められず、懲役15年の刑に処された。
※画像はイメージです。
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312 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/06/27(金) 03:08:27.94 ID:0LIngHwWO
母の友人が二十年以上、○TAMA医科大学で看護婦で婦長かなんかをしているんだけれど
その人から聞いた話。○TAMA医科大学よりも人里離れた山奥に鉄格子のある建物で
奇形の人達を隔離して治療している施設があると言ってた。実際その人も行ったことがあると。
細胞の病気で複数の目がある人や、人間の容姿とは言えないような容姿の方が沢山いるらしい。
327 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/06/27(金) 03:13:02.74 ID:9dujutiqO
>>312その話はガチだ
380 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/06/27(金) 03:25:08.12 ID:BNtL6KHTO
>>312
うちのカーチャンが俺を産んだ時の入院中に、病院の隔離された部屋の近くで凄い奇形児見たって言ってた。
廊下の隔離部屋の近くにストレッチャーに乗せられてて、普通に赤ちゃんだと思って見たら奇形だったらしい。
隔離部屋から出てきた看護婦が慌てて、カーチャンを叱って隔離部屋に持ってったそうな。
隔離部屋は、冷暗室付近の階みたく一般人が立ち寄り禁止の一角で、カーチャンは迷って立ち入ったらしい。
冷暗室は別の場所だから、あの奇形は行きてた事になるからその後が気になる
出産入院中のママ友達はちゃんとした子供産んでたから、だれが母親だったのか気になる
ってカーチャンが言ってた。
母の友人が二十年以上、○TAMA医科大学で看護婦で婦長かなんかをしているんだけれど
その人から聞いた話。○TAMA医科大学よりも人里離れた山奥に鉄格子のある建物で
奇形の人達を隔離して治療している施設があると言ってた。実際その人も行ったことがあると。
細胞の病気で複数の目がある人や、人間の容姿とは言えないような容姿の方が沢山いるらしい。
327 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/06/27(金) 03:13:02.74 ID:9dujutiqO
>>312その話はガチだ
380 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/06/27(金) 03:25:08.12 ID:BNtL6KHTO
>>312
うちのカーチャンが俺を産んだ時の入院中に、病院の隔離された部屋の近くで凄い奇形児見たって言ってた。
廊下の隔離部屋の近くにストレッチャーに乗せられてて、普通に赤ちゃんだと思って見たら奇形だったらしい。
隔離部屋から出てきた看護婦が慌てて、カーチャンを叱って隔離部屋に持ってったそうな。
隔離部屋は、冷暗室付近の階みたく一般人が立ち寄り禁止の一角で、カーチャンは迷って立ち入ったらしい。
冷暗室は別の場所だから、あの奇形は行きてた事になるからその後が気になる
出産入院中のママ友達はちゃんとした子供産んでたから、だれが母親だったのか気になる
ってカーチャンが言ってた。
夜、道に迷って入った集落があった。
すごい深い森のすごい急斜面に9軒ほどの集落があったんだが、
その集落の入る手前に大きな岩があって注連縄がされてあった。
その集落から先には進めないようだったので、引きかえしたが、
あとになって住宅地図でその集落のところを探すと、
家自体は地図には載ってるけど、世帯の名前や番地が書いてなかった。
(集落の地名は書いてあったが…)
上にあったレスでそういう集落は航空写真では修正されているとあったので、
googleで航空写真をみると山影で真っ黒くなってる。
その集落へ続く道はちゃんと写真に写ってるのにね。
すごい深い森のすごい急斜面に9軒ほどの集落があったんだが、
その集落の入る手前に大きな岩があって注連縄がされてあった。
その集落から先には進めないようだったので、引きかえしたが、
あとになって住宅地図でその集落のところを探すと、
家自体は地図には載ってるけど、世帯の名前や番地が書いてなかった。
(集落の地名は書いてあったが…)
上にあったレスでそういう集落は航空写真では修正されているとあったので、
googleで航空写真をみると山影で真っ黒くなってる。
その集落へ続く道はちゃんと写真に写ってるのにね。
49 :天之御名無主:03/11/26 07:14
俺の実家あたりの村でわ
八月初旬の祭日に村人総出で
山道を登ります
峠にさしかかるとお祈りを捧げ
お社(道祖神?)の裏にある小路に入ります
この小路は草と木と岩に隠されており
一般人にわ決して見つけられません
しばらく歩くと森の中に小さな火葬場があり、土俵があります
消防らはそこで黙々と相撲をとります
大人も声援してわいけません
全員相撲を取り終えたら
行列を作り村まで無言で帰ります
途中でこの奇祭を部外者に見られたら村長が
「お馬周り二百石、大場宇兵衛様のお弔いで御座います」
と説明する。が、意味不明w
俺の実家あたりの村でわ
八月初旬の祭日に村人総出で
山道を登ります
峠にさしかかるとお祈りを捧げ
お社(道祖神?)の裏にある小路に入ります
この小路は草と木と岩に隠されており
一般人にわ決して見つけられません
しばらく歩くと森の中に小さな火葬場があり、土俵があります
消防らはそこで黙々と相撲をとります
大人も声援してわいけません
全員相撲を取り終えたら
行列を作り村まで無言で帰ります
途中でこの奇祭を部外者に見られたら村長が
「お馬周り二百石、大場宇兵衛様のお弔いで御座います」
と説明する。が、意味不明w
新島。かいなんほうし。
ハンセン病患者を隔離した島
明治時代から最近まで、伝染病患者を収容する施設が全国あちこちに存在したのは知られているが、
まるごと隔離施設として使われた島がいまだにある。それが香川県高松市庵治町にある大島だ。
高松港から8キロ先の沖合いに浮かぶ、大島とはいいながら面積わずか61ヘクタールほどの小さな島にすぎない。
そこに国立ハンセン病療養所、『大島青松園』が建っている。
過去に、ハンセン(らい)病患者が収容とは名ばかりに、隔離施設として使われてきた負の歴史があるのだ。
ハンセン病とは、抗酸菌の一種であるらい菌が末梢神経細胞内に寄生することによって引き起こされる病。
顔面や手足などの変形を伴うことから偏見の目で見られ、患者たちはいわれもない差別を受けてきた。
かつては効果的な治療法がなく、空気感染する(現在では完治でき、感染力も非常に弱いことが明らかになっている)と恐れられたことから、
日本全国に13か所の国立療養所と2か所の私立療養所がつくられ、患者たちは無理やり押し込められていたのだ。
大島への交通手段は、庵治町と大島青松園間は専用フェリーが運航しており、無料で行き来できる。
今でこそ往来は便利になったとはいえ、1907年に開園して以来、長きにわたって島と外部との接触は制限されてきた。
島に『隔離』されたまま人知れず息を引き取った入所者は2000人を下らないといわれており、いかに大島が、
刑務所並の厳重な管理体制が敷かれていたかが窺える。
以前はこの島から脱走できないよう、施設の周囲は有刺鉄線で張り巡らされ、財産もすべて没収されたうえ、
代わりに大島内でしか使用できない特殊通貨(主に貨幣)が支給されていたという。
現在でも、大島では50歳から100歳までの患者が200人近くが入所している。2004年度の調べで平均年齢が76.5歳。
高齢化が進み、年々老衰で亡くなる人の数が増える一方だそうだ。
必要な治療を続けるかたわら、各々が自由な暮らしを送ることができる。
ここでは早朝5時から一日の生活が始まる。元気な者は朝から農園へ出かけ、畑仕事に精を出してもよい。
8時の朝食を終えると、治療したい人は治療棟へ出かけて傷の手当てを受け、リハビリ室で運動したりして、
11時ごろには部屋に戻ることができる。
反対に、身体が不自由な人は午前中に職員の介助で入浴し、元気な人でも午後から共同浴場へ行ける。
(ハンセン病の民間療法として、入浴と熱を加える治療法がある。その昔、草津の湯がハンセン病に有効成分が
含まれ、全国から患者が集まったことがあったらしい。全生病院では、『風呂場外科』という科も存在する)
12時の昼食を終えると、リハビリや百寿会、クラブ活動(ゲートボールや手芸・陶芸など)に参加したり、
職員の付き添いつきで散歩に出かけたり、畑仕事の続きをしたりして、各自自由にすごすことができる。
午後4時に早めの夕食をとったあとは、ラジオ、テレビに興じ、8時には床に就くという規則正しい生活を送っている。
明治時代から最近まで、伝染病患者を収容する施設が全国あちこちに存在したのは知られているが、
まるごと隔離施設として使われた島がいまだにある。それが香川県高松市庵治町にある大島だ。
高松港から8キロ先の沖合いに浮かぶ、大島とはいいながら面積わずか61ヘクタールほどの小さな島にすぎない。
そこに国立ハンセン病療養所、『大島青松園』が建っている。
過去に、ハンセン(らい)病患者が収容とは名ばかりに、隔離施設として使われてきた負の歴史があるのだ。
ハンセン病とは、抗酸菌の一種であるらい菌が末梢神経細胞内に寄生することによって引き起こされる病。
顔面や手足などの変形を伴うことから偏見の目で見られ、患者たちはいわれもない差別を受けてきた。
かつては効果的な治療法がなく、空気感染する(現在では完治でき、感染力も非常に弱いことが明らかになっている)と恐れられたことから、
日本全国に13か所の国立療養所と2か所の私立療養所がつくられ、患者たちは無理やり押し込められていたのだ。
大島への交通手段は、庵治町と大島青松園間は専用フェリーが運航しており、無料で行き来できる。
今でこそ往来は便利になったとはいえ、1907年に開園して以来、長きにわたって島と外部との接触は制限されてきた。
島に『隔離』されたまま人知れず息を引き取った入所者は2000人を下らないといわれており、いかに大島が、
刑務所並の厳重な管理体制が敷かれていたかが窺える。
以前はこの島から脱走できないよう、施設の周囲は有刺鉄線で張り巡らされ、財産もすべて没収されたうえ、
代わりに大島内でしか使用できない特殊通貨(主に貨幣)が支給されていたという。
現在でも、大島では50歳から100歳までの患者が200人近くが入所している。2004年度の調べで平均年齢が76.5歳。
高齢化が進み、年々老衰で亡くなる人の数が増える一方だそうだ。
必要な治療を続けるかたわら、各々が自由な暮らしを送ることができる。
ここでは早朝5時から一日の生活が始まる。元気な者は朝から農園へ出かけ、畑仕事に精を出してもよい。
8時の朝食を終えると、治療したい人は治療棟へ出かけて傷の手当てを受け、リハビリ室で運動したりして、
11時ごろには部屋に戻ることができる。
反対に、身体が不自由な人は午前中に職員の介助で入浴し、元気な人でも午後から共同浴場へ行ける。
(ハンセン病の民間療法として、入浴と熱を加える治療法がある。その昔、草津の湯がハンセン病に有効成分が
含まれ、全国から患者が集まったことがあったらしい。全生病院では、『風呂場外科』という科も存在する)
12時の昼食を終えると、リハビリや百寿会、クラブ活動(ゲートボールや手芸・陶芸など)に参加したり、
職員の付き添いつきで散歩に出かけたり、畑仕事の続きをしたりして、各自自由にすごすことができる。
午後4時に早めの夕食をとったあとは、ラジオ、テレビに興じ、8時には床に就くという規則正しい生活を送っている。
2001年に国が隔離政策は誤りだったことを正式に認めるまで、そして罪を後世に残さない意図で、
書物による記録が残されていないので今となっては過去に患者たちがどんな扱いを受けてきたのか知るには
直接、聞き出すしか術がない。
昔の患者の扱いはひどいものだった。
治療は二の次で、『楽土建設』という名目で患者たちは重労働を強いられた。
乏しい食料費を自分たちでまかなうべく自給自足の農作や畜産。
住まいも6畳間に夫婦が仕切りなしで2組生活させられ、単身者の場合だと12畳に8人が押し込められた。
れっきとした国の医療機関であるにもかかわらず、医者や看護婦の数が足りず、注射は患者同士で打ち、
身体が不自由な者の世話も、元気な患者が交代で行わなければならなかったほどだ。
施設内には『監禁室』があり、言うことを聞かない患者が収容された。
とりわけ一番の罪は逃亡罪であり、たとえ内地にいる親の死に目に会いたくてもご法度とされた。
人権侵害の最たるものが、患者同士、夫婦になることを認められるこそすれ、有無を言わさず強制断種手術を施され、
子供を生むことは許されなかったことだ。
祖国浄化の名の下に、天皇の赤子として『健康であること』がすなわち『日本民族』の条件とされ、
障害者や病人は植民地政策になんの役にも立たない国の邪魔者とされ、人として認められず、強制隔離もやむなしというわけだった。
病む者がすがるべきは『療養所』であるのに、罪人としての扱いを受け、まさに国辱として社会から抹殺するかのようだった。
島の南端は断崖絶壁で、そこは自殺の名所だった。
当時の入所者は将来に絶望し、毎日のようにここから身を投げたらしい。
※画像は当時の名残をとどめる監房跡。
書物による記録が残されていないので今となっては過去に患者たちがどんな扱いを受けてきたのか知るには
直接、聞き出すしか術がない。
昔の患者の扱いはひどいものだった。
治療は二の次で、『楽土建設』という名目で患者たちは重労働を強いられた。
乏しい食料費を自分たちでまかなうべく自給自足の農作や畜産。
住まいも6畳間に夫婦が仕切りなしで2組生活させられ、単身者の場合だと12畳に8人が押し込められた。
れっきとした国の医療機関であるにもかかわらず、医者や看護婦の数が足りず、注射は患者同士で打ち、
身体が不自由な者の世話も、元気な患者が交代で行わなければならなかったほどだ。
施設内には『監禁室』があり、言うことを聞かない患者が収容された。
とりわけ一番の罪は逃亡罪であり、たとえ内地にいる親の死に目に会いたくてもご法度とされた。
人権侵害の最たるものが、患者同士、夫婦になることを認められるこそすれ、有無を言わさず強制断種手術を施され、
子供を生むことは許されなかったことだ。
祖国浄化の名の下に、天皇の赤子として『健康であること』がすなわち『日本民族』の条件とされ、
障害者や病人は植民地政策になんの役にも立たない国の邪魔者とされ、人として認められず、強制隔離もやむなしというわけだった。
病む者がすがるべきは『療養所』であるのに、罪人としての扱いを受け、まさに国辱として社会から抹殺するかのようだった。
島の南端は断崖絶壁で、そこは自殺の名所だった。
当時の入所者は将来に絶望し、毎日のようにここから身を投げたらしい。
※画像は当時の名残をとどめる監房跡。
[YouTubeで再生]
1996年に『らい予防法』が廃止され、 2001年には『らい予防法』違憲国家賠償請求訴訟で原告が勝訴し、
国は控訴を断念し判決が確定した。
これを受けて、退所者給与金制度などが設けられた。しかし、「せめてもう10歳若かったら社会復帰も考えないではないが、
もうこの歳になると……」とか、「今になって帰ってもよいと言われても、親はすでに亡くなっており、兄弟姉妹もかなりの歳であり、
また子供もいないので、帰るところがない」といった入所者の声がある。
いずれにせよ、入所者たちは歳をとりすぎた。
それに加え、2003年11月に起きた熊本県の黒川温泉のホテルによる療養所入所者の宿泊拒否や、
それをめぐって入所者に向けられた誹謗・中傷の電話や手紙などの背景があったことから、
世の中には、いまだハンセン病に対する理解が得られておらず、偏見・差別などが根強く残っていることを再認識せざるを得ない。
さらに、ハンセン病による後遺症としての重複した障害があることなどにより、医療に対する不安もあり、
社会復帰はほとんど進んでいないのが現状だ。
大島で亡くなった患者たちの亡骸は、本州を見渡せる高台にある慰霊塔に葬られる。
慰霊塔『風の舞い』は、亡くなられた方を火葬にし納骨した残りの骨を治めている場所で、
平成4年、約1000人のボランティアで造られたモニュメント。
2つのモニュメントはそれぞれ天上・天下をイメージし、海に向かって据えられている。
亡くなっても故郷に帰れない人がほとんどだった。
せめて死後、魂は風にのって島を離れ、自由に解き放たれますようにという願いがこめられているという。
※動画は、東村山にある国立ハンセン病療養所多摩全生園から、元患者が68年ぶりに帰郷するもの。参考に。
1996年に『らい予防法』が廃止され、 2001年には『らい予防法』違憲国家賠償請求訴訟で原告が勝訴し、
国は控訴を断念し判決が確定した。
これを受けて、退所者給与金制度などが設けられた。しかし、「せめてもう10歳若かったら社会復帰も考えないではないが、
もうこの歳になると……」とか、「今になって帰ってもよいと言われても、親はすでに亡くなっており、兄弟姉妹もかなりの歳であり、
また子供もいないので、帰るところがない」といった入所者の声がある。
いずれにせよ、入所者たちは歳をとりすぎた。
それに加え、2003年11月に起きた熊本県の黒川温泉のホテルによる療養所入所者の宿泊拒否や、
それをめぐって入所者に向けられた誹謗・中傷の電話や手紙などの背景があったことから、
世の中には、いまだハンセン病に対する理解が得られておらず、偏見・差別などが根強く残っていることを再認識せざるを得ない。
さらに、ハンセン病による後遺症としての重複した障害があることなどにより、医療に対する不安もあり、
社会復帰はほとんど進んでいないのが現状だ。
大島で亡くなった患者たちの亡骸は、本州を見渡せる高台にある慰霊塔に葬られる。
慰霊塔『風の舞い』は、亡くなられた方を火葬にし納骨した残りの骨を治めている場所で、
平成4年、約1000人のボランティアで造られたモニュメント。
2つのモニュメントはそれぞれ天上・天下をイメージし、海に向かって据えられている。
亡くなっても故郷に帰れない人がほとんどだった。
せめて死後、魂は風にのって島を離れ、自由に解き放たれますようにという願いがこめられているという。
※動画は、東村山にある国立ハンセン病療養所多摩全生園から、元患者が68年ぶりに帰郷するもの。参考に。
削除(by投稿者)
御蔵島 [忌の日の明神]
鉄の下駄を履き、赤い衣をまとった恐ろしい形相の神様が、1月20日に御前に上陸して歩き回り、24日の夜になると村にやってくるため、この日は決して家の外には出てはならないとされている。1月24日の夜は今でも島中がひっそりと静まりかえっている。
鉄の下駄を履き、赤い衣をまとった恐ろしい形相の神様が、1月20日に御前に上陸して歩き回り、24日の夜になると村にやってくるため、この日は決して家の外には出てはならないとされている。1月24日の夜は今でも島中がひっそりと静まりかえっている。
ごめん。猪木が赤いタオル首にかけて、あのテンションで歩いてるところ想像しちゃった。
訳ありの者たちが流れ着く島と流刑村
屋久島と奄美大島の間には、北東から南西にかけて点在する島々がある。有人島が7つと無人島が5つ連なり、
これをトカラ列島と呼ぶ。トカラ列島すべての島は、鹿児島県鹿児島郡十島村の行政区域となる。
人口は全島で1000人にも満たないほどの過疎地帯。交通手段は、たった一隻の村営フェリー『としま』が、
鹿児島と奄美大島の間の島々を週2回往復するだけ。病院といえば、小さな診療所こそ全島にあるものの、
手術を要する急患の場合、鹿児島にある自衛隊鹿屋基地からヘリコプターが飛んできて、患者を鹿児島の病院まで運ぶしかない。
どの島にもヘリポートは必須ということになる。
さて、トカラ列島のS島にはいわくつきの村がある。S島はこれといって観光名所があるわけではない。
集落の外れにバブル時代に建てられ、廃墟と化したリゾートホテルがあるのだが、ここへは迂闊に足を踏み入れてはならない。
廃墟では、訳あり連中が共同生活をしているというのだ。……片腕のないカタ〇、背中に刺青の入った者、小指が欠けているなんてザラ。
『組』から絶縁を言い渡され、本島から追放された元やくざたちが最後に流れ着く島がここなのだ。
もちろんS島には純粋な島民も暮らしているが、最近では流刑人の数の方が多いらしい。
屋久島と奄美大島の間には、北東から南西にかけて点在する島々がある。有人島が7つと無人島が5つ連なり、
これをトカラ列島と呼ぶ。トカラ列島すべての島は、鹿児島県鹿児島郡十島村の行政区域となる。
人口は全島で1000人にも満たないほどの過疎地帯。交通手段は、たった一隻の村営フェリー『としま』が、
鹿児島と奄美大島の間の島々を週2回往復するだけ。病院といえば、小さな診療所こそ全島にあるものの、
手術を要する急患の場合、鹿児島にある自衛隊鹿屋基地からヘリコプターが飛んできて、患者を鹿児島の病院まで運ぶしかない。
どの島にもヘリポートは必須ということになる。
さて、トカラ列島のS島にはいわくつきの村がある。S島はこれといって観光名所があるわけではない。
集落の外れにバブル時代に建てられ、廃墟と化したリゾートホテルがあるのだが、ここへは迂闊に足を踏み入れてはならない。
廃墟では、訳あり連中が共同生活をしているというのだ。……片腕のないカタ〇、背中に刺青の入った者、小指が欠けているなんてザラ。
『組』から絶縁を言い渡され、本島から追放された元やくざたちが最後に流れ着く島がここなのだ。
もちろんS島には純粋な島民も暮らしているが、最近では流刑人の数の方が多いらしい。
悪石島(あくせきじま)とプリミティヴな異形の神ボゼ
鹿児島トカラ列島にある悪石島。なんてオドロオドロしい島名だろう。
『悪』とつく地名は他に類を見るまい。たしかにこの島の周囲は断崖絶壁となっており、海に向かって石が転がり落ちることから
名づけられたともいう。トカラ列島には平家の落人伝説が残されている。平家の落人が源氏の追っ手から逃れるために、
『悪石』と呼んで近寄り難くしたとの説もある。
この島には、現代文明では考えられないような風変わりな伝統行事がある。
旧暦の7月7日から16日まで盆踊りがあり、最終日に太鼓の音が響き渡ると島の古老がこう叫ぶ。「ボゼが出っど!」
それを合図に、『仮面神ボゼ』なる不気味な衣装に身を包んだ島民が3人が登場し、幕引きの役目を担うのだ。
画像が問題のボゼだ。
いかがだろう? とても現代日本では考えられないような出で立ちではないか。
赤土と墨で塗られた奇怪な仮面をかぶり、ビロウという葉の腰ミノを巻き、手首や足にシュロの皮をあててボゼに扮している。
手にはボゼマラという長い棒を持っており、それを振り回しながら人々を追い回すのだ。
盆になると、先祖の霊とともに悪霊も現世にやって来るといわれている。その悪霊を追い払い、新しい世界へと導くのがボゼ神の役目だ。
まさしく悪石島だけの(人口は100人にも満たない)奇習であり、マニアックな嗜好の観光客を呼ぶ英雄的存在でもある。
民俗学者の間では、パプアニューギニアやインドネシアなどの祭に出てくる神の姿と酷似していることから、
起源を南方系から流れてきたのだとする説があるが、いまだ確証は得られていない。
秋田のナマハゲを彷彿とさせるものの、関連はないらしい。ナマハゲと決定的に違うところが1つある。
それがボゼマラによる突っつき攻撃だ。『マラ』から連想できるようにペニスの象徴で、棒の先端も心なしか亀頭の形をしている。
ボゼが登場するとともに、念入りに女子供が追いかけられ(本気で泣き出す子供もいる)、赤土の泥がついたボゼマラで突っつかれる。
泥がつけられた女性は子宝に恵まれ、子供の場合は健康に育つといわれている。
おっかない姿ではあるけれども、島民にとっては歓迎すべき神様なのだ。
祭のクライマックスでは悲鳴と泣き声、歓声に包まれ、楽しく幕を下ろす。
鹿児島トカラ列島にある悪石島。なんてオドロオドロしい島名だろう。
『悪』とつく地名は他に類を見るまい。たしかにこの島の周囲は断崖絶壁となっており、海に向かって石が転がり落ちることから
名づけられたともいう。トカラ列島には平家の落人伝説が残されている。平家の落人が源氏の追っ手から逃れるために、
『悪石』と呼んで近寄り難くしたとの説もある。
この島には、現代文明では考えられないような風変わりな伝統行事がある。
旧暦の7月7日から16日まで盆踊りがあり、最終日に太鼓の音が響き渡ると島の古老がこう叫ぶ。「ボゼが出っど!」
それを合図に、『仮面神ボゼ』なる不気味な衣装に身を包んだ島民が3人が登場し、幕引きの役目を担うのだ。
画像が問題のボゼだ。
いかがだろう? とても現代日本では考えられないような出で立ちではないか。
赤土と墨で塗られた奇怪な仮面をかぶり、ビロウという葉の腰ミノを巻き、手首や足にシュロの皮をあててボゼに扮している。
手にはボゼマラという長い棒を持っており、それを振り回しながら人々を追い回すのだ。
盆になると、先祖の霊とともに悪霊も現世にやって来るといわれている。その悪霊を追い払い、新しい世界へと導くのがボゼ神の役目だ。
まさしく悪石島だけの(人口は100人にも満たない)奇習であり、マニアックな嗜好の観光客を呼ぶ英雄的存在でもある。
民俗学者の間では、パプアニューギニアやインドネシアなどの祭に出てくる神の姿と酷似していることから、
起源を南方系から流れてきたのだとする説があるが、いまだ確証は得られていない。
秋田のナマハゲを彷彿とさせるものの、関連はないらしい。ナマハゲと決定的に違うところが1つある。
それがボゼマラによる突っつき攻撃だ。『マラ』から連想できるようにペニスの象徴で、棒の先端も心なしか亀頭の形をしている。
ボゼが登場するとともに、念入りに女子供が追いかけられ(本気で泣き出す子供もいる)、赤土の泥がついたボゼマラで突っつかれる。
泥がつけられた女性は子宝に恵まれ、子供の場合は健康に育つといわれている。
おっかない姿ではあるけれども、島民にとっては歓迎すべき神様なのだ。
祭のクライマックスでは悲鳴と泣き声、歓声に包まれ、楽しく幕を下ろす。
47 :番組の途中ですが名無しです :2006/01/09(月) 18:26:53
145 名前: 避け地って 投稿日: 1999/12/16(木) 16:51
本当にあるよ 和歌山の山ん中、田辺市から熊野のほうにずっと入った所
親戚のばあちゃんから聞いた
140さんの書いたような理由で放置された部落があるって言ってた。
戦後、町に出てきたその部落の人がいたそうだが、よってたかって殴り殺され、
死体は焼かれたという事 田辺界隈の老人のあいだではタブーになってる話だ
今もその部落は残ってるが、やはり自給自足で10世帯があるかないからしい
(30年くらい前のうわさで)
電気もなにも無く、行くには国道から(和歌山の山深い国道は、舗装もしてない所多い)
けもの道に入り、1000メートル級の山を越えなくてはいけないという事だ。
このほかにも数ヶ所あるらしい
知ってるかぎりでは、福井県敦賀市の山奥にもそれらしい村がある、
そこは「部落民以外はこの奥入るな!」とかんばんが立っている
入らずに、入り口で車を止めてただけなのに
奥からあらわれた血走った目のおやじ数人に追い払われた(実話)
145 名前: 避け地って 投稿日: 1999/12/16(木) 16:51
本当にあるよ 和歌山の山ん中、田辺市から熊野のほうにずっと入った所
親戚のばあちゃんから聞いた
140さんの書いたような理由で放置された部落があるって言ってた。
戦後、町に出てきたその部落の人がいたそうだが、よってたかって殴り殺され、
死体は焼かれたという事 田辺界隈の老人のあいだではタブーになってる話だ
今もその部落は残ってるが、やはり自給自足で10世帯があるかないからしい
(30年くらい前のうわさで)
電気もなにも無く、行くには国道から(和歌山の山深い国道は、舗装もしてない所多い)
けもの道に入り、1000メートル級の山を越えなくてはいけないという事だ。
このほかにも数ヶ所あるらしい
知ってるかぎりでは、福井県敦賀市の山奥にもそれらしい村がある、
そこは「部落民以外はこの奥入るな!」とかんばんが立っている
入らずに、入り口で車を止めてただけなのに
奥からあらわれた血走った目のおやじ数人に追い払われた(実話)
57 :番組の途中ですが名無しです :2006/01/09(月) 18:30:14
153 名前: トトメス 投稿日: 1999/12/17(金) 11:20
140の者です。
「避け地」に対する食料物資搬送は主に航空自衛隊(離島の場合は海上自衛隊)の
「特殊救難隊」が行っている(いた)ようです。「避け地」の人々は高齢化が進んでおり、
自給自足をしていたのは20年ほど前までです。
彼らのほとんどは「らい病」ですので、食料搬送と同時に、軍医(?)の診察も受けます。
小説に出てくるような「排他的で、攻撃的な」部落はもう存在しません。
安心して行って来て下さい。 犬鳴村なんか無いと思いますが・・・。
153 名前: トトメス 投稿日: 1999/12/17(金) 11:20
140の者です。
「避け地」に対する食料物資搬送は主に航空自衛隊(離島の場合は海上自衛隊)の
「特殊救難隊」が行っている(いた)ようです。「避け地」の人々は高齢化が進んでおり、
自給自足をしていたのは20年ほど前までです。
彼らのほとんどは「らい病」ですので、食料搬送と同時に、軍医(?)の診察も受けます。
小説に出てくるような「排他的で、攻撃的な」部落はもう存在しません。
安心して行って来て下さい。 犬鳴村なんか無いと思いますが・・・。
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兵庫県淡路島
古くは“阿波路”と書き、文字通り畿内から阿波の国へ渡る中継地であった
それは、死国(しこく)へと誘う島でもあった・・・
四国八十八箇所巡礼の旅とは生への執着を捨て殺す旅でもあり、
四国に赴く巡礼者たちは皆、明石海峡を渡り鳴門海峡に至るまでに浮世の未練を捨て去ったと云う
己殺(おのころ)島と呼ばれる所以である・・・
はじめにイザナギとイザナミはこの世に地を創った
淡道之穂之狭別の嶋(あわじのほのさわけのしま)、即ち淡路島である・・・
はじまりにして終わりの地
淡路には、嫁の出産時に村の長老が棺桶を持参して赤子の誕生を祝う習わしがあるという
この地で生まれた赤子が天寿を全うし、再びこの地に眠るという願いをこめた風習であり、
現在も淡路各地で行われているという・・・
[YouTubeで再生]
ニライカナイに近い神の島
沖縄の久高島と来れば、神秘の神事『イザイホー』が有名。
琉球伝説で知られる『ニライカナイ』とは、あの世、常世の国、どこかにあるはずの理想郷として
沖縄県や鹿児島県奄美群島の各地の人々に今もなお伝わる概念だ。
そして久高島こそ、もっともニライカナイに近い島だと信じられている。
イザイホーとは12年ごとに訪れる丑年の旧暦11月15日から4日間執り行われる行事。
島の女性たちが神女になれるかどうかが試される通過儀礼であり、選ばれた神女はその他の祭祀を一任させられるという。
イザイホーに参加できる女性は、『ナムチュ』と呼ばれ、細かく厳しい条件を必要とする。
そしてさまざまな通過儀礼を経て、晴れて祖母霊と呼ばれる霊力を授かるのだ。
史料に記録される限り600年以上の歴史を持ち、来訪神信仰の儀礼として日本の祭祀の原型を留めているとされ、
多くの学者の関心を集めて、1966年、1978年のイザイホーには、本土からも多くの民俗学者、取材陣が久高島に駆けつけた。
しかしながら現代では島の過疎化が進み、1990年はナムチュの条件を満たす女性の不在と、
儀式の段取りをもっともよく知る久高ノロウメーギ(神職名。久高ノロの補佐役)の逝去のために行われていない。
2002年もナムチュになる女性の不在などの問題により中止され、1978年を最後に現在に至るまで行われておらず、
その存続が危ぶまれている。
http://www.kudakajima.jp/ima/index.htm...
ニライカナイに近い神の島
沖縄の久高島と来れば、神秘の神事『イザイホー』が有名。
琉球伝説で知られる『ニライカナイ』とは、あの世、常世の国、どこかにあるはずの理想郷として
沖縄県や鹿児島県奄美群島の各地の人々に今もなお伝わる概念だ。
そして久高島こそ、もっともニライカナイに近い島だと信じられている。
イザイホーとは12年ごとに訪れる丑年の旧暦11月15日から4日間執り行われる行事。
島の女性たちが神女になれるかどうかが試される通過儀礼であり、選ばれた神女はその他の祭祀を一任させられるという。
イザイホーに参加できる女性は、『ナムチュ』と呼ばれ、細かく厳しい条件を必要とする。
そしてさまざまな通過儀礼を経て、晴れて祖母霊と呼ばれる霊力を授かるのだ。
史料に記録される限り600年以上の歴史を持ち、来訪神信仰の儀礼として日本の祭祀の原型を留めているとされ、
多くの学者の関心を集めて、1966年、1978年のイザイホーには、本土からも多くの民俗学者、取材陣が久高島に駆けつけた。
しかしながら現代では島の過疎化が進み、1990年はナムチュの条件を満たす女性の不在と、
儀式の段取りをもっともよく知る久高ノロウメーギ(神職名。久高ノロの補佐役)の逝去のために行われていない。
2002年もナムチュになる女性の不在などの問題により中止され、1978年を最後に現在に至るまで行われておらず、
その存続が危ぶまれている。
http://www.kudakajima.jp/ima/index.htm...
軍艦島に寄り添う火葬用の島
長崎県端島と言えば、キング・オブ・廃墟として知名度の高い、通称『軍艦島』だ。
かつては日本でも屈指の良質な炭鉱が存在し、ピーク時には約41万トンもの石炭を産出した。
我が国の高度成長期を支え、時代とともに風化していったのは周知であろう。
当時、世界一の人口密度を誇った東京に比べ、優に9倍以上もの5000人を超える炭鉱夫とその家族、そして商売人たちが生活していた。
端島には炭鉱施設や住宅のほか、銭湯、小中学校、病院、寺、映画館、理髪店、美容院、パチンコ店、雀荘、スナックなど……
ありとあらゆる店舗・施設がひしめき、島内だけで完結した都市機能がそろっていたといわれる。
(もっともその栄華も、主要エネルギーが石炭から石油に取って代わられると1974年を最後に見捨てられる)
光あたるところに影あり。炭鉱都市として設備が整った島でありながら、意図的につくられなかった施設があった。
それが火葬場と墓場だった。物理的に土地が足りなかったせいでもあるが、死と隣り合わせの炭鉱夫にとって、
マイナスをイメージさせるそれらは忌避され、ひっそりと端島の北に位置する中ノ島に設けられた。
現在、中ノ島には、端島と同じく炭鉱施設と思われるレンガ造りの構造物、展望台跡、公園跡、納骨堂跡、火葬場跡などが残っている。
長崎市により管理されている端島は立ち入り禁止区域があるが、中ノ島は誰でも上陸することができる。
ここも>>5>>6の縦島・横辺島と同じく釣り人がよく訪れるそうだ。
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/dcd595be47473cfe3...
長崎県端島と言えば、キング・オブ・廃墟として知名度の高い、通称『軍艦島』だ。
かつては日本でも屈指の良質な炭鉱が存在し、ピーク時には約41万トンもの石炭を産出した。
我が国の高度成長期を支え、時代とともに風化していったのは周知であろう。
当時、世界一の人口密度を誇った東京に比べ、優に9倍以上もの5000人を超える炭鉱夫とその家族、そして商売人たちが生活していた。
端島には炭鉱施設や住宅のほか、銭湯、小中学校、病院、寺、映画館、理髪店、美容院、パチンコ店、雀荘、スナックなど……
ありとあらゆる店舗・施設がひしめき、島内だけで完結した都市機能がそろっていたといわれる。
(もっともその栄華も、主要エネルギーが石炭から石油に取って代わられると1974年を最後に見捨てられる)
光あたるところに影あり。炭鉱都市として設備が整った島でありながら、意図的につくられなかった施設があった。
それが火葬場と墓場だった。物理的に土地が足りなかったせいでもあるが、死と隣り合わせの炭鉱夫にとって、
マイナスをイメージさせるそれらは忌避され、ひっそりと端島の北に位置する中ノ島に設けられた。
現在、中ノ島には、端島と同じく炭鉱施設と思われるレンガ造りの構造物、展望台跡、公園跡、納骨堂跡、火葬場跡などが残っている。
長崎市により管理されている端島は立ち入り禁止区域があるが、中ノ島は誰でも上陸することができる。
ここも>>5>>6の縦島・横辺島と同じく釣り人がよく訪れるそうだ。
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/dcd595be47473cfe3...
平野仁右衛門さん一家だけが住む島
仁右衛門島(にえもんじま)は千葉県房総半島南部、鴨川市の沖合200メートル向こうにある個人所有の島だ。
代々島主は平野仁右衛門を名乗り、現在の島主で推定38代目。なんと800年以上前から襲名してきたことになる。
治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れたあの源頼朝が安房に逃れたとき、初代仁右衛門に助けられ、
この島で平家軍から一時身を隠し、巻き返しを図ったという伝説が残っているのだ。
命を助けてもらったお礼として、頼朝はこの島一帯の漁業権を初代仁右衛門に与えて以来、
現在に至るまで平野一族がこの島を守り伝えているという。
現在の平野家家屋は、宝永元年(1704年)に建て直されたもので、観光客にも公開されている。
http://niemonjima.web.fc2.com/newpage1.htm...
仁右衛門島(にえもんじま)は千葉県房総半島南部、鴨川市の沖合200メートル向こうにある個人所有の島だ。
代々島主は平野仁右衛門を名乗り、現在の島主で推定38代目。なんと800年以上前から襲名してきたことになる。
治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れたあの源頼朝が安房に逃れたとき、初代仁右衛門に助けられ、
この島で平家軍から一時身を隠し、巻き返しを図ったという伝説が残っているのだ。
命を助けてもらったお礼として、頼朝はこの島一帯の漁業権を初代仁右衛門に与えて以来、
現在に至るまで平野一族がこの島を守り伝えているという。
現在の平野家家屋は、宝永元年(1704年)に建て直されたもので、観光客にも公開されている。
http://niemonjima.web.fc2.com/newpage1.htm...
泥仮面パーントゥはヘドロくさい臭気をプンプンさせて襲ってくる
旧暦9月の初めに、沖縄の宮古島では重要無形民俗文化財に指定されていながら、奇想天外な悪魔払いの伝統行事がある。
島尻地区の青年が3人選ばれ、パーントゥと呼ばれる泥神に扮し、新築の家や新生児の生まれた家々を主に回るのだが、
道中出会った人や車にも泥を塗りたくるという奇祭だ。
この泥には悪霊が憑くのを防ぎ、無病息災をもたらすありがたいものだという。
その祭りの賑々しいこと。パーントゥ役の青年たちも、したたか酒を引っかけているので足取りもおぼつかない。
パーントゥのビジュアルは強烈だ。不気味な面を片手で顔を隠し、『キャーン』と呼ぶ蔓草を全身にまとい、しかも泥でズブ濡れの状態で徘徊する。
しかも実際は、聖なる井戸に沈殿した泥を塗りたくっているのだが、これがヘドロのニオイそのもので鼻が曲がりそうなほどクサイ。
祭りに際し、地元住人はもとより、近年では観光客が押し寄せ、集落は人でごった返しているのものの、
誰彼かまわず容赦なく抱きつき、相手の顔にもべったり塗りつける。
旧暦9月の初めに、沖縄の宮古島では重要無形民俗文化財に指定されていながら、奇想天外な悪魔払いの伝統行事がある。
島尻地区の青年が3人選ばれ、パーントゥと呼ばれる泥神に扮し、新築の家や新生児の生まれた家々を主に回るのだが、
道中出会った人や車にも泥を塗りたくるという奇祭だ。
この泥には悪霊が憑くのを防ぎ、無病息災をもたらすありがたいものだという。
その祭りの賑々しいこと。パーントゥ役の青年たちも、したたか酒を引っかけているので足取りもおぼつかない。
パーントゥのビジュアルは強烈だ。不気味な面を片手で顔を隠し、『キャーン』と呼ぶ蔓草を全身にまとい、しかも泥でズブ濡れの状態で徘徊する。
しかも実際は、聖なる井戸に沈殿した泥を塗りたくっているのだが、これがヘドロのニオイそのもので鼻が曲がりそうなほどクサイ。
祭りに際し、地元住人はもとより、近年では観光客が押し寄せ、集落は人でごった返しているのものの、
誰彼かまわず容赦なく抱きつき、相手の顔にもべったり塗りつける。
木製の3つの面は微妙に表情が異なり、呼び名も違う。眼が鋭い顔が『ウヤ(親)パーントゥ』、優しい顔立ちの『ナカ(中)パーントゥ』、
そし童顔の『ツファ(子)パーントゥ』である。
この3つの面はそれぞれ異なる3軒の家が先祖代々から保管しており、パーントゥプナハ(祭りの正式な呼び名)が開催される以外は
人目に触れることがない。学者や研究者とて例外ではなく、部外者が手に取って観察することすらできない神聖なものなのだ。
http://www.churashima.net/shima/miyako/pantoo/index.htm...
そし童顔の『ツファ(子)パーントゥ』である。
この3つの面はそれぞれ異なる3軒の家が先祖代々から保管しており、パーントゥプナハ(祭りの正式な呼び名)が開催される以外は
人目に触れることがない。学者や研究者とて例外ではなく、部外者が手に取って観察することすらできない神聖なものなのだ。
http://www.churashima.net/shima/miyako/pantoo/index.htm...
子供の頃に「亡夫岩」だか「失夫岩」だか名前はよく覚えていないのだけど、周囲に何も無い海のど真中に異様に不気味な岩があって、非常に怖かった記憶がある。
[YouTubeで再生]
人々をニライカナイへ導くために……ミルク神
日本最南端の有人島が沖縄の波照間島だ。
波照間島のみならず、沖縄八重山諸島では旧盆の中日(旧暦7月14日)になると、『ムシャーマ』が執り行われる。
『ムシャーマ』とは島全体が3組にわかれ、島の中央にある広場に向けて島民らが仮装行列で歩く祭りだ。
この行列の先頭に立って、人々を先導するのがミルク神の役である。
ミルク神はユーモラスな表情の白い仮面を被り、黄色い着物に身を包み、ゆったりと練り歩く。
まわりには子供たちが付き従っているが、それはミルク神の子供だとされている。
ミルクとは弥勒が沖縄訛りになったものであり、本来の弥勒とは信仰の対象が大きく異なる。
弥勒の場合、釈迦入滅後56億7千万年後に仏陀になることが約束された未来仏なのに対し、
ミルクは過去にあった理想的な豊穣の世の中という意味だからだ。
『ムシャーマ』の本質は五穀豊穣に感謝し、次の夏の豊作を祈願するための豊年祭なのだが、
この祭りはホンワカした穏やかな雰囲気があり、微笑ましい。
http://www.kt.rim.or.jp/‾yami/hateruma/miruku.html
人々をニライカナイへ導くために……ミルク神
日本最南端の有人島が沖縄の波照間島だ。
波照間島のみならず、沖縄八重山諸島では旧盆の中日(旧暦7月14日)になると、『ムシャーマ』が執り行われる。
『ムシャーマ』とは島全体が3組にわかれ、島の中央にある広場に向けて島民らが仮装行列で歩く祭りだ。
この行列の先頭に立って、人々を先導するのがミルク神の役である。
ミルク神はユーモラスな表情の白い仮面を被り、黄色い着物に身を包み、ゆったりと練り歩く。
まわりには子供たちが付き従っているが、それはミルク神の子供だとされている。
ミルクとは弥勒が沖縄訛りになったものであり、本来の弥勒とは信仰の対象が大きく異なる。
弥勒の場合、釈迦入滅後56億7千万年後に仏陀になることが約束された未来仏なのに対し、
ミルクは過去にあった理想的な豊穣の世の中という意味だからだ。
『ムシャーマ』の本質は五穀豊穣に感謝し、次の夏の豊作を祈願するための豊年祭なのだが、
この祭りはホンワカした穏やかな雰囲気があり、微笑ましい。
http://www.kt.rim.or.jp/‾yami/hateruma/miruku.html
ままこ伝説
沖縄県宮古諸島にある下地島の『通り池』にまつわる話。
通り池とは2つの池が相接し、天然の橋によって通じている。東北側が直径約55mで水深約25m、
南西側が直径約75mで水深約25mあり、直径約10mの洞穴で海と通じており、両池は潮の干満で水深が変化する。
名勝地としても知られているが、濃紺の水をたたえた不気味なところだ。現在では自殺の名所としての側面を持つ。
この通り池には、地元の人は誰も近寄らないという。
誤って池に落ちようものなら、水面から地上まで10メートルもの絶壁で囲まれているため、
自力で這い上がるのはほぼ不可能だし、いろいろといわくがあるため躊躇させるのだろう。
この池には、継子と間違えて実子を池に突き落としたという伝説が残されている。
その昔、伊良部島に母と幼い息子2人が暮らしていた。弟の方は実子なのだが、兄は継子だった。
よくある話で、母は実子である弟ばかりを寵愛する一方、兄は軽んじ、憎しみすら抱いていた。
そんなある日、母は3人で散歩に行こうと誘う。子供たちは喜んで母のあとに。ついていった先が、例の下地島の『通り池』だった。
池のそばで昼食をとったあと、3人はうたた寝してしまった。真っ先に母が気づいたときには周囲はすでに日が落ちていた。
そのとき、彼女は積年の感情を噴火させる。
膝枕で寝かせていた弟を起こさぬよう下ろし、池のそばで顔を伏せて寝そべっている兄を抱きあげると、
池に放りこんでしまう。
すぐさま弟のもとへ引き返し、眠りから覚まそうと身体を揺さぶった。
だが、月明かりに照らされたのは、弟ではなく兄の方だった。
兄は母に疎ましく思われていたのは承知しており、いつかは殺害されるのではないかと予測していた。
母が寝ていたスキに弟の服をすり替え、弟に化けて寝たフリをしていたのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E3%82%8A%E6%B1%...
沖縄県宮古諸島にある下地島の『通り池』にまつわる話。
通り池とは2つの池が相接し、天然の橋によって通じている。東北側が直径約55mで水深約25m、
南西側が直径約75mで水深約25mあり、直径約10mの洞穴で海と通じており、両池は潮の干満で水深が変化する。
名勝地としても知られているが、濃紺の水をたたえた不気味なところだ。現在では自殺の名所としての側面を持つ。
この通り池には、地元の人は誰も近寄らないという。
誤って池に落ちようものなら、水面から地上まで10メートルもの絶壁で囲まれているため、
自力で這い上がるのはほぼ不可能だし、いろいろといわくがあるため躊躇させるのだろう。
この池には、継子と間違えて実子を池に突き落としたという伝説が残されている。
その昔、伊良部島に母と幼い息子2人が暮らしていた。弟の方は実子なのだが、兄は継子だった。
よくある話で、母は実子である弟ばかりを寵愛する一方、兄は軽んじ、憎しみすら抱いていた。
そんなある日、母は3人で散歩に行こうと誘う。子供たちは喜んで母のあとに。ついていった先が、例の下地島の『通り池』だった。
池のそばで昼食をとったあと、3人はうたた寝してしまった。真っ先に母が気づいたときには周囲はすでに日が落ちていた。
そのとき、彼女は積年の感情を噴火させる。
膝枕で寝かせていた弟を起こさぬよう下ろし、池のそばで顔を伏せて寝そべっている兄を抱きあげると、
池に放りこんでしまう。
すぐさま弟のもとへ引き返し、眠りから覚まそうと身体を揺さぶった。
だが、月明かりに照らされたのは、弟ではなく兄の方だった。
兄は母に疎ましく思われていたのは承知しており、いつかは殺害されるのではないかと予測していた。
母が寝ていたスキに弟の服をすり替え、弟に化けて寝たフリをしていたのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E3%82%8A%E6%B1%...
南海の最果てに常世の国を求めて……補陀落渡海(ふだらくとかい)
微妙にスレチだが、ニライカナイつながりで取り上げておきたい。
奇習……というと、当時の人の切実な願いを愚弄することになるので、オドロオドロしく語るつもりはない。
和歌山県那智勝浦に補陀洛山寺という天台宗の寺がある。補陀落渡海の発祥の地とされた根本道場だ。
紀伊山地の霊場の1つとして世界遺産に登録されている。
補陀落渡海とは、南海のかなたには補陀落浄土(常世の国・あるいはニライカナイを指したのであろう)があるとされ、
平安から江戸時代にかけて、この寺の代々の住職が生きながら船出し、往生する行のことを指した。
捨て身の行である即身仏に近い発想かもしれない。
南方にのぞむ海岸に、渡海船と呼ばれる小型の屋形船を浮かべて、住職や志願者である行者がたった1人で乗りこみ、そのまま沖に流すというのだ。
船には櫓、櫂などの動力装置はなく(せいぜい慰み程度の帆がかけられている。それも「南無阿弥陀仏」と書かれており不気味だ)、
出航したら最後、海流に乗って漂流するだけとなる。
しかもそれだけじゃない。キャビンに閉じ込められたうえ、外に出られないよう戸板で釘を打ち付けられた状態で船出するのだ。
つまり棺桶船である。その閉所の中で、住職や行者はえんえん念仏を唱え続けなければならない。
船内には1か月分の水と食料が備蓄されているが、そんなものは焼け石に水。
いずれ餓死するか、高波にでも襲われ転覆、海の藻屑と消えたことは想像に難くない。
寺の住職は60をすぎると渡海に行くよう風習化されていた。
もし、生に未練があって渡海しない者は、信者らに後ろ指をさされたという。
16世紀には渡海に出た金光坊という僧が、途中で屋形を破って逃げ出し付近の島に上陸したものの、
すぐに捕らえられて海に投げ込まれ死亡した事件もあり、この風習は廃れていった。
今でも補陀洛山寺の境内には渡海船の原寸大の模型が展示されており、間近で見学できる。
4つの鳥居がキャビンを取り囲むようにしてついた屋形船は異様な佇まいを見せている。
http://achikochitazusaete.web.fc2.com/fudaraku/tokai.htm...
微妙にスレチだが、ニライカナイつながりで取り上げておきたい。
奇習……というと、当時の人の切実な願いを愚弄することになるので、オドロオドロしく語るつもりはない。
和歌山県那智勝浦に補陀洛山寺という天台宗の寺がある。補陀落渡海の発祥の地とされた根本道場だ。
紀伊山地の霊場の1つとして世界遺産に登録されている。
補陀落渡海とは、南海のかなたには補陀落浄土(常世の国・あるいはニライカナイを指したのであろう)があるとされ、
平安から江戸時代にかけて、この寺の代々の住職が生きながら船出し、往生する行のことを指した。
捨て身の行である即身仏に近い発想かもしれない。
南方にのぞむ海岸に、渡海船と呼ばれる小型の屋形船を浮かべて、住職や志願者である行者がたった1人で乗りこみ、そのまま沖に流すというのだ。
船には櫓、櫂などの動力装置はなく(せいぜい慰み程度の帆がかけられている。それも「南無阿弥陀仏」と書かれており不気味だ)、
出航したら最後、海流に乗って漂流するだけとなる。
しかもそれだけじゃない。キャビンに閉じ込められたうえ、外に出られないよう戸板で釘を打ち付けられた状態で船出するのだ。
つまり棺桶船である。その閉所の中で、住職や行者はえんえん念仏を唱え続けなければならない。
船内には1か月分の水と食料が備蓄されているが、そんなものは焼け石に水。
いずれ餓死するか、高波にでも襲われ転覆、海の藻屑と消えたことは想像に難くない。
寺の住職は60をすぎると渡海に行くよう風習化されていた。
もし、生に未練があって渡海しない者は、信者らに後ろ指をさされたという。
16世紀には渡海に出た金光坊という僧が、途中で屋形を破って逃げ出し付近の島に上陸したものの、
すぐに捕らえられて海に投げ込まれ死亡した事件もあり、この風習は廃れていった。
今でも補陀洛山寺の境内には渡海船の原寸大の模型が展示されており、間近で見学できる。
4つの鳥居がキャビンを取り囲むようにしてついた屋形船は異様な佇まいを見せている。
http://achikochitazusaete.web.fc2.com/fudaraku/tokai.htm...
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海賊キッドの財宝が隠されているかもしれない島
世界中の海を股にかけ、暴れまわったウイリアム・キッドこと海賊キャプテン・キッドが
日本の離島に財宝を隠したという伝説は多い。
ウイリアム・キッドのWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%...
鹿児島県トカラ列島の有人島である宝島
http://home.f01.itscom.net/yaeno/Cap.Kidd05.htm...
沖縄県宮古諸島の北部にある大神島
http://www.okinawainfo.net/miyako/oogami-douro.ht...
なかなかロマン掻き立てられる島なのだが、やはり過去にはトレージャーハンターを夢見て島へ入り、
めぼしい洞窟内を荒らした観光客が後を絶たなかったそうだ。
特に沖縄の大神島は地元では神聖な島と崇められ、明治の頃まで風葬をおこなってきた歴史がある。
大神島の場合、風葬は風通しのいい島の洞窟で遺体を放置するのだ。
海賊キッドの財宝は、こういった人が近づき難いタブーのエリアに隠されているのではないかと推測されている。
お宝が見つからず、代わりの記念品として頭蓋骨を持ち帰った者もいるとのこと。
むやみに島を荒らすべきではない。
世界中の海を股にかけ、暴れまわったウイリアム・キッドこと海賊キャプテン・キッドが
日本の離島に財宝を隠したという伝説は多い。
ウイリアム・キッドのWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%...
鹿児島県トカラ列島の有人島である宝島
http://home.f01.itscom.net/yaeno/Cap.Kidd05.htm...
沖縄県宮古諸島の北部にある大神島
http://www.okinawainfo.net/miyako/oogami-douro.ht...
なかなかロマン掻き立てられる島なのだが、やはり過去にはトレージャーハンターを夢見て島へ入り、
めぼしい洞窟内を荒らした観光客が後を絶たなかったそうだ。
特に沖縄の大神島は地元では神聖な島と崇められ、明治の頃まで風葬をおこなってきた歴史がある。
大神島の場合、風葬は風通しのいい島の洞窟で遺体を放置するのだ。
海賊キッドの財宝は、こういった人が近づき難いタブーのエリアに隠されているのではないかと推測されている。
お宝が見つからず、代わりの記念品として頭蓋骨を持ち帰った者もいるとのこと。
むやみに島を荒らすべきではない。
七不思議 どこにも墓がない島
山口県柳井市から瀬戸内海に延びる大島大橋を渡ると、瀬戸内海に広がる周防大島諸島が見える。
そのなかでも、もっとも人口が少ない島が笠佐島(かささじま)だ。
その笠佐島には不思議なことに墓が存在しない。墓どころか寺すらないのだ。
では故人をどこに葬るのか?
人が亡くなると今日の日本では火葬場で荼毘に付すのが一般的な慣わしだが、
なんと笠佐島では畑が広がる野外の広場に運び、そこで野焼きにする習慣がいまだに続いているという。
しかも焼き終えたあと、灰と骨になった遺体はそのまま野ざらしにしておくのが島のやり方なのだ。
供養らしい供養といえば、わずかな骨のひとつまみを京都にある大谷本廟に納骨するだけだ。
当然、島に墓がないとなると、お盆やお彼岸に先祖の墓参りをするといった習慣もない。
笠佐島の人たちは無宗教なのか?と思いがちだが、むしろ熱心な浄土真宗の信者ばかりだという。
そもそも遺骨の一部を納める京都の大谷本廟も浄土真宗の墓地だったりする。
これは阿弥陀如来に一心に帰依し、それ以外の神仏、儀礼や風習を「気にしない」浄土真宗の教えから来ている。
したがって墓や葬儀などはいらないという発想なのだ。
このような風習ゆえに、いつのころからか周防大島と周辺地域では浄土真宗の信者は『かんまん宗』と呼ばれるようになった。
山口県の方言に「かんまん」という言葉がある。
「かまわない」が訛ったのは言うまでもあるまい。
小っちゃなことは気にしない。実はおおらかな心をもった懐深い風習なのだ。
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a123003/island/kasasajima....
山口県柳井市から瀬戸内海に延びる大島大橋を渡ると、瀬戸内海に広がる周防大島諸島が見える。
そのなかでも、もっとも人口が少ない島が笠佐島(かささじま)だ。
その笠佐島には不思議なことに墓が存在しない。墓どころか寺すらないのだ。
では故人をどこに葬るのか?
人が亡くなると今日の日本では火葬場で荼毘に付すのが一般的な慣わしだが、
なんと笠佐島では畑が広がる野外の広場に運び、そこで野焼きにする習慣がいまだに続いているという。
しかも焼き終えたあと、灰と骨になった遺体はそのまま野ざらしにしておくのが島のやり方なのだ。
供養らしい供養といえば、わずかな骨のひとつまみを京都にある大谷本廟に納骨するだけだ。
当然、島に墓がないとなると、お盆やお彼岸に先祖の墓参りをするといった習慣もない。
笠佐島の人たちは無宗教なのか?と思いがちだが、むしろ熱心な浄土真宗の信者ばかりだという。
そもそも遺骨の一部を納める京都の大谷本廟も浄土真宗の墓地だったりする。
これは阿弥陀如来に一心に帰依し、それ以外の神仏、儀礼や風習を「気にしない」浄土真宗の教えから来ている。
したがって墓や葬儀などはいらないという発想なのだ。
このような風習ゆえに、いつのころからか周防大島と周辺地域では浄土真宗の信者は『かんまん宗』と呼ばれるようになった。
山口県の方言に「かんまん」という言葉がある。
「かまわない」が訛ったのは言うまでもあるまい。
小っちゃなことは気にしない。実はおおらかな心をもった懐深い風習なのだ。
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a123003/island/kasasajima....
夢がないこと言ってやんなやw
猫だらけの島 犬を飼うのはタブー
宮城県石巻市牡鹿諸島に浮かぶ猫の楽園ともいうべき島、それが田代島。
フジテレビの朝の情報番組から派生したDVD『にゃんこ THE MOVIE』の舞台に選ばれ脚光を浴びると、
瞬く間に愛猫家の注目の島になった。
島民の約8割が漁業に従事している。漁村に猫はつき物だが、肝心の島民よりも猫の数の方が多いのもめずらしい。
もっとも人口は約110人で、その他の離島の例に漏れず、高齢化、過疎化が進んだ限界集落だ。
興味深いのが田代島の化け猫騒動だろう。
江戸時代後期の話である。
海も穏やかな日暮れどき、牡鹿半島の対岸からの渡し舟に、編み笠を深くかぶった武士姿の男が乗り合わせ、田代島に渡ってきた。
舟が二斗田の浜に着くと、男は船頭に船賃を渡すや否や、たちまち姿を消してしまった。
その直後、田代島では数々の異変が起こった。
集落では夜ごと青い怪光が現われ、その光を目にすると、恐怖のあまり寝込む者が相次いだ。
さらには家々で飼っていた犬が片っ端から喉を噛み千切られて殺され、島は騒然となった。
しばらくして、怪異の正体を目撃した者が現われた。
証言によれば、犬を殺したのは秋田犬より大きな虎毛の怪猫であり、カヤを両脇に倒しながらのっしのっしと歩いていた。
また、浜に置いていた50㎏もあるマグロを山中に引っ張っていって食っていたという。
その怪猫を見ただけで、言葉を発することもままならなくなるほどの病に冒されると噂され、怪猫の話を口に出すことそのものが禁忌とされた。
なぜ田代島にこの化け猫がやって来たのかは誰もわからなかったが、犬が殺されてからはこの化け猫騒動が静かになったので、
機嫌を損ねないように、島にいた犬をすべて殺したといわれる……
http://portal.nifty.com/2009/09/09/c...
牡鹿諸島といえば先の東日本大震災の被害が懸念される。
やはり田代島も10mクラスの津波に襲われたらしく、海岸周辺部の建物は甚大な被害を受けている。
当初、島民の1人が行方不明だったが、その後の調べで本土へ渡っていたそうで無事が確認された。
震災直後の猫好きの2ちゃんねるのスレッド(田代島関連の板)では、島民そっちのけで猫の安否を気遣う書き込みが目立ったのは、
あえて言うまい……
宮城県石巻市牡鹿諸島に浮かぶ猫の楽園ともいうべき島、それが田代島。
フジテレビの朝の情報番組から派生したDVD『にゃんこ THE MOVIE』の舞台に選ばれ脚光を浴びると、
瞬く間に愛猫家の注目の島になった。
島民の約8割が漁業に従事している。漁村に猫はつき物だが、肝心の島民よりも猫の数の方が多いのもめずらしい。
もっとも人口は約110人で、その他の離島の例に漏れず、高齢化、過疎化が進んだ限界集落だ。
興味深いのが田代島の化け猫騒動だろう。
江戸時代後期の話である。
海も穏やかな日暮れどき、牡鹿半島の対岸からの渡し舟に、編み笠を深くかぶった武士姿の男が乗り合わせ、田代島に渡ってきた。
舟が二斗田の浜に着くと、男は船頭に船賃を渡すや否や、たちまち姿を消してしまった。
その直後、田代島では数々の異変が起こった。
集落では夜ごと青い怪光が現われ、その光を目にすると、恐怖のあまり寝込む者が相次いだ。
さらには家々で飼っていた犬が片っ端から喉を噛み千切られて殺され、島は騒然となった。
しばらくして、怪異の正体を目撃した者が現われた。
証言によれば、犬を殺したのは秋田犬より大きな虎毛の怪猫であり、カヤを両脇に倒しながらのっしのっしと歩いていた。
また、浜に置いていた50㎏もあるマグロを山中に引っ張っていって食っていたという。
その怪猫を見ただけで、言葉を発することもままならなくなるほどの病に冒されると噂され、怪猫の話を口に出すことそのものが禁忌とされた。
なぜ田代島にこの化け猫がやって来たのかは誰もわからなかったが、犬が殺されてからはこの化け猫騒動が静かになったので、
機嫌を損ねないように、島にいた犬をすべて殺したといわれる……
http://portal.nifty.com/2009/09/09/c...
牡鹿諸島といえば先の東日本大震災の被害が懸念される。
やはり田代島も10mクラスの津波に襲われたらしく、海岸周辺部の建物は甚大な被害を受けている。
当初、島民の1人が行方不明だったが、その後の調べで本土へ渡っていたそうで無事が確認された。
震災直後の猫好きの2ちゃんねるのスレッド(田代島関連の板)では、島民そっちのけで猫の安否を気遣う書き込みが目立ったのは、
あえて言うまい……
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とりあえずage
ためになるね〜!
57 :番組の途中ですが名無しです :2006/01/09(月) 18:30:14
153 名前: トトメス 投稿日: 1999/12/17(金) 11:20
140の者です。
「避け地」に対する食料物資搬送は主に航空自衛隊(離島の場合は海上自衛隊)の
「特殊救難隊」が行っている(いた)ようです。「避け地」の人々は高齢化が進んでおり、
自給自足をしていたのは20年ほど前までです。
彼らのほとんどは「らい病」ですので、食料搬送と同時に、軍医(?)の診察も受けます。
小説に出てくるような「排他的で、攻撃的な」部落はもう存在しません。
安心して行って来て下さい。 犬鳴村なんか無いと思いますが・・・。
154 名前: >140 投稿日: 1999/12/17(金) 12:58
村の名前とかは教えられないの? 「避け地」で検索しても、なにもでてこなかったなー。
155 名前: >152〜154 避け地について(Ver.2) 投稿日: 1999/12/17(金) 19:00
「らい病」についての「避け地」のことなら、何年か前に夜のニュース番組
(ニュースステーションだったか?)の中で、特集を組んでやってたと思う。
特集の中では「避け地」という言葉は使っていたかどうかは記憶に無いけど、
昔「らい病」から国民を守る為に「らい病」ににかかった人を、
ある特定の地域に隔離したという話だった。 今もその場所は残っていて、人も住んでいる。
場所は確か瀬戸内で、本州の瀬戸内海の海岸寄りのどこかだったように思う。
海岸というより離れ小島だったかな。
なにせ、何年も前の番組なもんで、あまりよく憶えていないんだ。
だから、そういう地域がある事は確かなようだよ。 それに、そこの住民は温和な人だったよ。
153 名前: トトメス 投稿日: 1999/12/17(金) 11:20
140の者です。
「避け地」に対する食料物資搬送は主に航空自衛隊(離島の場合は海上自衛隊)の
「特殊救難隊」が行っている(いた)ようです。「避け地」の人々は高齢化が進んでおり、
自給自足をしていたのは20年ほど前までです。
彼らのほとんどは「らい病」ですので、食料搬送と同時に、軍医(?)の診察も受けます。
小説に出てくるような「排他的で、攻撃的な」部落はもう存在しません。
安心して行って来て下さい。 犬鳴村なんか無いと思いますが・・・。
154 名前: >140 投稿日: 1999/12/17(金) 12:58
村の名前とかは教えられないの? 「避け地」で検索しても、なにもでてこなかったなー。
155 名前: >152〜154 避け地について(Ver.2) 投稿日: 1999/12/17(金) 19:00
「らい病」についての「避け地」のことなら、何年か前に夜のニュース番組
(ニュースステーションだったか?)の中で、特集を組んでやってたと思う。
特集の中では「避け地」という言葉は使っていたかどうかは記憶に無いけど、
昔「らい病」から国民を守る為に「らい病」ににかかった人を、
ある特定の地域に隔離したという話だった。 今もその場所は残っていて、人も住んでいる。
場所は確か瀬戸内で、本州の瀬戸内海の海岸寄りのどこかだったように思う。
海岸というより離れ小島だったかな。
なにせ、何年も前の番組なもんで、あまりよく憶えていないんだ。
だから、そういう地域がある事は確かなようだよ。 それに、そこの住民は温和な人だったよ。
299 :本当にあった怖い名無し:2011/08/13(土) 11:28:24.87 ID:XZBk9m760
20年前、人口100人くらいの島の人と、教授の研究のため何年もかけて交流したことがある。
祭りの時期に合わせて、1ヶ月泊まりで教授の聞き取り調査なんかに同行した。
でも、ほとんど島の子供と遊んでただけ。
なんにもない島で、島の半分がお墓だからということで、その部分には島の子供は絶対に近寄らない。
海がすごくきれいで、島と島の間に干潮時は道ができて歩いて渡れる、すごくキレイで夢のような場所だった。
302 :本当にあった怖い名無し:2011/08/13(土) 11:38:06.89 ID:XZBk9m760
その島では奇祭があり、夜通し村の男の人がお面をかぶって白い衣装を着て、
太鼓のようなものを叩きながら、たいまつを持って村中を練り歩く。
教授から、「この祭りの夜は、絶対に一人で外に行ってはいけない」。
宿なんかないから、船着場の一室に寝泊りしていたんだけど、
「鍵をかけて、誰かきても絶対に入れたらいけない」と念を押されていた。
私たちの部屋には、一緒に行ってた男の子3人と、村の小学生の女の子2人と、私とあと二人の女の子がいた。
窓にはガラスが入ってなくて格子だけがあったから、外を歩いてる人の姿をちらちらと見ることはできる。
昼間に船に乗せて漁に連れて行ってくれたり、
他の日の夜に地元料理を教えてくれたりしたRさん(40代のおじさん・当時私は10代)の声で、
「部屋のドアを開けろ」と言われた。
シャワー室があったんだけど、そこの窓から手を入れたり松明を投げ入れられたりした。
やさしいRさんの変貌ぶりに、女の子みんなでガクブルしてた。
20年前、人口100人くらいの島の人と、教授の研究のため何年もかけて交流したことがある。
祭りの時期に合わせて、1ヶ月泊まりで教授の聞き取り調査なんかに同行した。
でも、ほとんど島の子供と遊んでただけ。
なんにもない島で、島の半分がお墓だからということで、その部分には島の子供は絶対に近寄らない。
海がすごくきれいで、島と島の間に干潮時は道ができて歩いて渡れる、すごくキレイで夢のような場所だった。
302 :本当にあった怖い名無し:2011/08/13(土) 11:38:06.89 ID:XZBk9m760
その島では奇祭があり、夜通し村の男の人がお面をかぶって白い衣装を着て、
太鼓のようなものを叩きながら、たいまつを持って村中を練り歩く。
教授から、「この祭りの夜は、絶対に一人で外に行ってはいけない」。
宿なんかないから、船着場の一室に寝泊りしていたんだけど、
「鍵をかけて、誰かきても絶対に入れたらいけない」と念を押されていた。
私たちの部屋には、一緒に行ってた男の子3人と、村の小学生の女の子2人と、私とあと二人の女の子がいた。
窓にはガラスが入ってなくて格子だけがあったから、外を歩いてる人の姿をちらちらと見ることはできる。
昼間に船に乗せて漁に連れて行ってくれたり、
他の日の夜に地元料理を教えてくれたりしたRさん(40代のおじさん・当時私は10代)の声で、
「部屋のドアを開けろ」と言われた。
シャワー室があったんだけど、そこの窓から手を入れたり松明を投げ入れられたりした。
やさしいRさんの変貌ぶりに、女の子みんなでガクブルしてた。
303 :本当にあった怖い名無し:2011/08/13(土) 12:03:43.98 ID:XZBk9m760
一人の女の子が、あまりの怖さに「教授とそのほかの男の子を呼んでくる!」と外に飛び出していった。
その子をTちゃんとする。
Tちゃんが飛び出していったあと、急いでドアを閉めて鍵をかけた。
Tちゃんはすごくかわいい顔をした子で、Rさんの狙いはTちゃんだったみたいで、
彼はTちゃんを追いかけていった。
Rさんと一緒に来てた何人かの男の人も一緒に追いかけていったから、船着場はシーンとなった。
村は車が入れないような狭い路地がたくさん入り組んでいるような場所で、誰かと鉢合わせすると逃げられない。
村には街頭なんかもない。村人が持ってる松明の明かりだけが頼り。
でもそのおかげで、松明の明かりがちかづくと人がいるってことで、
物陰に身をひそめてやり過ごすことができたんだそう。
祭りのクライマックスは、村の真ん中にある祠に祈祷師が入っていて、祭りの間中何かを祈念するんだけど、
その神託?が降りたら、村の女性みんなでその祠を囲って一晩中踊り狂う。
その間中、男たちは松明を持って村を歩いてる。
私はTちゃんが心配になって、男の子2人と一緒に外に出た。
そのとき陰に隠れてた村の人が出てきて、私を見て「チッ」と言ったのが印象深い。
祭りをにこやかに楽しんでいた教授は、部屋の外に出てきてたTちゃんを見つけて血相変えて怒ってた。
私たちも後で合流して、祭りが終わるまでTちゃんと私を、教授と男の子で囲んで座ってた。
お酒や料理をいただいて村人とほがらかに話してた男の子や教授を見て、
なんで部屋から出るなって言ったのかな?なんて思ってた。
でも、お面かぶった村人を、絶対にTちゃんや私に近づけなかった。
一人の女の子が、あまりの怖さに「教授とそのほかの男の子を呼んでくる!」と外に飛び出していった。
その子をTちゃんとする。
Tちゃんが飛び出していったあと、急いでドアを閉めて鍵をかけた。
Tちゃんはすごくかわいい顔をした子で、Rさんの狙いはTちゃんだったみたいで、
彼はTちゃんを追いかけていった。
Rさんと一緒に来てた何人かの男の人も一緒に追いかけていったから、船着場はシーンとなった。
村は車が入れないような狭い路地がたくさん入り組んでいるような場所で、誰かと鉢合わせすると逃げられない。
村には街頭なんかもない。村人が持ってる松明の明かりだけが頼り。
でもそのおかげで、松明の明かりがちかづくと人がいるってことで、
物陰に身をひそめてやり過ごすことができたんだそう。
祭りのクライマックスは、村の真ん中にある祠に祈祷師が入っていて、祭りの間中何かを祈念するんだけど、
その神託?が降りたら、村の女性みんなでその祠を囲って一晩中踊り狂う。
その間中、男たちは松明を持って村を歩いてる。
私はTちゃんが心配になって、男の子2人と一緒に外に出た。
そのとき陰に隠れてた村の人が出てきて、私を見て「チッ」と言ったのが印象深い。
祭りをにこやかに楽しんでいた教授は、部屋の外に出てきてたTちゃんを見つけて血相変えて怒ってた。
私たちも後で合流して、祭りが終わるまでTちゃんと私を、教授と男の子で囲んで座ってた。
お酒や料理をいただいて村人とほがらかに話してた男の子や教授を見て、
なんで部屋から出るなって言ったのかな?なんて思ってた。
でも、お面かぶった村人を、絶対にTちゃんや私に近づけなかった。
304 :本当にあった怖い名無し:2011/08/13(土) 12:04:43.27 ID:XZBk9m760
あとから教授と一緒に祭りに参加してた男の人に、
あの祭りのときは、男性が女性をむりやり犯してもいい日なんだと聞いた。
だから、女の子には外に出るなと言われていたみたい。
小学生の女の子は地元の子だったけど、
そういえばその子たちのお母さんたちは、深刻な顔でうちの教授に頭を下げていたの思い出した。
怖いのが、その祭りの日に身ごもった子供は、
名前も付けられずに戸籍も作られずに、島の半分のあるところで育てられて、一生差別されて生きるとか。
狭い島で、上も下もなく人がみんな50歩100歩の村で生きていくことは人間にはできないから、
そうやって差別される人間を作ることで、精神の安定を図っていたと聞いた。
今はそういう子供たちはいないらいしいけど、ほんの50年前まではいたとか。人間て怖いな〜と思った。
この話、書いていいのかどうか迷ったけど、もっと詳しい人いないかな?と思ったので投下してみる。
20年ずっと心にひっかかってたんだ。
ちなみに、教授の手伝いしてたのは男の子だけで、その彼女たちが付いてきてただけなので、
女性陣は何にも知らなかったんだ〜。
あとから教授と一緒に祭りに参加してた男の人に、
あの祭りのときは、男性が女性をむりやり犯してもいい日なんだと聞いた。
だから、女の子には外に出るなと言われていたみたい。
小学生の女の子は地元の子だったけど、
そういえばその子たちのお母さんたちは、深刻な顔でうちの教授に頭を下げていたの思い出した。
怖いのが、その祭りの日に身ごもった子供は、
名前も付けられずに戸籍も作られずに、島の半分のあるところで育てられて、一生差別されて生きるとか。
狭い島で、上も下もなく人がみんな50歩100歩の村で生きていくことは人間にはできないから、
そうやって差別される人間を作ることで、精神の安定を図っていたと聞いた。
今はそういう子供たちはいないらいしいけど、ほんの50年前まではいたとか。人間て怖いな〜と思った。
この話、書いていいのかどうか迷ったけど、もっと詳しい人いないかな?と思ったので投下してみる。
20年ずっと心にひっかかってたんだ。
ちなみに、教授の手伝いしてたのは男の子だけで、その彼女たちが付いてきてただけなので、
女性陣は何にも知らなかったんだ〜。
瀬戸内海のとある島の風習
52:天之御名無主 [] :02/02/08 06:17
15年ぐらい前にNHKで見たレポートで、瀬戸内海のとある島ではいまだにある風習が
続いていて、それはその島の子供が16歳になると、絶対にセックスをしなくては
ならないものでした。
ルールはこう。
その祭りは一定期間内に行われるもので、祭りになると男・女それぞれ3〜4人
同士でとある家に集まり、3日ぐらい共同生活を続けます。
そこで気の合う同士で事を行うのですが、選択権があるのは男子だけで、指名を
受けた女子には拒否権がありません。
可愛い1番人気の子には、当然、バッティングもあり得るのですが、そうなると
親同士の話し合いで、決着を付けなければなりません。
引き下がった男子は、他の女子を指名しなくてはなりません。
例え相手が凄いブサイクでもセックスしなくては一家の恥なのですから。
すなわち、何が何でもペアにならなくてはならないのです。
セックスする順番にもルールがあったはずなのですが、忘れてしまいました。
ペアになると両家の親同士があつまり、隣の部屋でセックスする自分たちの
子供の様子を伺うそうです。
親たちは伺いながら興奮するどころか、上手く仲良くなれるかが心配で仕方ない
とかなんとか言ってたことを覚えています。
勿論、TVではセックスの場面などは映すわけが無く、家に集まった子供たちが
ダベリあってる場面とか、親たちの顔を写してるだけでしたが、この放送を
見た当時はまじでショックでした。
どうしてこの島に生まれなかったのだろうかと。
だれかこの話に心当たりがある人、見てないかな?
52:天之御名無主 [] :02/02/08 06:17
15年ぐらい前にNHKで見たレポートで、瀬戸内海のとある島ではいまだにある風習が
続いていて、それはその島の子供が16歳になると、絶対にセックスをしなくては
ならないものでした。
ルールはこう。
その祭りは一定期間内に行われるもので、祭りになると男・女それぞれ3〜4人
同士でとある家に集まり、3日ぐらい共同生活を続けます。
そこで気の合う同士で事を行うのですが、選択権があるのは男子だけで、指名を
受けた女子には拒否権がありません。
可愛い1番人気の子には、当然、バッティングもあり得るのですが、そうなると
親同士の話し合いで、決着を付けなければなりません。
引き下がった男子は、他の女子を指名しなくてはなりません。
例え相手が凄いブサイクでもセックスしなくては一家の恥なのですから。
すなわち、何が何でもペアにならなくてはならないのです。
セックスする順番にもルールがあったはずなのですが、忘れてしまいました。
ペアになると両家の親同士があつまり、隣の部屋でセックスする自分たちの
子供の様子を伺うそうです。
親たちは伺いながら興奮するどころか、上手く仲良くなれるかが心配で仕方ない
とかなんとか言ってたことを覚えています。
勿論、TVではセックスの場面などは映すわけが無く、家に集まった子供たちが
ダベリあってる場面とか、親たちの顔を写してるだけでしたが、この放送を
見た当時はまじでショックでした。
どうしてこの島に生まれなかったのだろうかと。
だれかこの話に心当たりがある人、見てないかな?
硫黄島が未だに、民間開放されてないのはなぜか。
社会常識としては、硫黄島が軍事上の重要拠点になってるから。
真相は単純。その原理は、旅館の開かずの間と同じだ。出るんだよ。
夥しい数の英霊が。それも、日米混合で。
硫黄島がベトナム戦争並みの激戦区だったのは、
戦後に左翼とかが頑張ったせいかあまり知られていない。
新しくて『密度』がハンパじゃない古戦場。しかも、出るのが英霊。
オカルトだけでなく、政治や軍人遺家族等が織り成す人間的要素が加味される。
それも、日米はもちろん東アジアからも詣でられる。
こういう離島は、硫黄島ほどじゃないけどアラスカ州のアリューシャン列島にもある。
こちらの方は、島の面積も広いし要所要所を米国側がきちんとしてて民間人も住んでる。
硫黄島の海みたいに、大きな戦艦の幽霊船みたいなのが出現したりしないしな。
もし、ゴム筏か何かであの艦船に近づいていったら今頃どうしてるところだったのかな。
だから、硫黄島から基地が移転することは無い。
何十年経っても、たとえ防衛省が民営化される日が来ようと
海運系の華僑や日本の漁師ですら移住できるかは微妙。
社会常識としては、硫黄島が軍事上の重要拠点になってるから。
真相は単純。その原理は、旅館の開かずの間と同じだ。出るんだよ。
夥しい数の英霊が。それも、日米混合で。
硫黄島がベトナム戦争並みの激戦区だったのは、
戦後に左翼とかが頑張ったせいかあまり知られていない。
新しくて『密度』がハンパじゃない古戦場。しかも、出るのが英霊。
オカルトだけでなく、政治や軍人遺家族等が織り成す人間的要素が加味される。
それも、日米はもちろん東アジアからも詣でられる。
こういう離島は、硫黄島ほどじゃないけどアラスカ州のアリューシャン列島にもある。
こちらの方は、島の面積も広いし要所要所を米国側がきちんとしてて民間人も住んでる。
硫黄島の海みたいに、大きな戦艦の幽霊船みたいなのが出現したりしないしな。
もし、ゴム筏か何かであの艦船に近づいていったら今頃どうしてるところだったのかな。
だから、硫黄島から基地が移転することは無い。
何十年経っても、たとえ防衛省が民営化される日が来ようと
海運系の華僑や日本の漁師ですら移住できるかは微妙。
1. 利島
[海難法師(かんなんぼうし)]
利島の1月24日は海難法師の日とされ、海には海難法師の船が走っていて、
それを見ると死んでしまうという言い伝えがある。
昔、その海難法師の日、水を汲むために、じいさまや母親の止めるのもきかず、
湧き水の出る浜川まで出かけてしまった息子がいた。その夜の村は明かりがみんな消され、
あたりは真っ暗であった。
息子は桶いっぱいに水を汲むと、家に帰ろうかと思い振り返ったとき、
思わず海を見てしまったのである。「あっ、海にかいなん・・・・・」
無我夢中で家に帰ろうとするのだが、足を早めたくてもガタガタからだが震えてちっとも思うように歩けない。
やっとの思いで家の前まで来て、大戸を開けてツボオ(土間)へ飛び込み、
「かかあ、たらいのような船が、赤や青の帆を立てて、カケンマ沖を走っていったっけ」というと、
ドサッと倒れて死んでしまったという。
2. 新島
[海難法師]
江戸時代、伊豆諸島は韮山代官所の管轄下にあった。
あるとき、代官が島を巡る途中、大島から新島に渡る船が転覆して溺死した。
その後この日に島で人が死ぬなど凶事が続いた。
それ以後、1月24日の夜更けになると海難法師が通り、もし出会えば凶事が起こるとされている。
この夜は大声を慎み早寝をする。
3. 式根島
[海難法師]
昔、島の人々を苦しめた代官様を海に沈め、その霊が1月24日になると海から現れるといわれ、
その日は戸口にトベラの木をさし、夜はトイレに行かないようにお餅を食べて早く寝る習慣がある。
4. 神津島
[海難法師]
新島、式根島同様に神津島でも海難法師の言い伝えがあり、この習わしを無視して一晩中騒いだ若者3人は、
その後皆、不審な死に方をしたという。
5. 御蔵島
[忌の日の明神]
鉄の下駄を履き、赤い衣をまとった恐ろしい形相の神様が、1月20日に御前に上陸して歩き回り、
24日の夜になると村にやってくるため、この日は決して家の外には出てはならないとされている。
1月24日の夜は今でも島中がひっそりと静まりかえっている。
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