ちなみに他スレのこれもワイ。
2023/07/24(月) 20:28:31 ID:TM99fLp1Pg
すべての生きとし生けるものの個我は、区別がつかない。
ここで言う個我とは、さまざまな身体組織的なユニークな条件や構造を捨象した末に残る自意識の核、私という意識の最も下のベースにある基盤みたいな意味だ。
わたしにもあり、あなたにも、イヌネコはおろか、蚊や細菌、もしかしたら路傍の石ころにもあるかもしれない自他を差異化する他とは決して交わらず、重複しないこの世界次元における唯一無二の座標点みたいなものにまで純化した私のことだ。
そんなものとしての個我ならば、おそらくは、差異化している構造的な唯一性の根拠のくせに、あなたのそれとわたしのそれ、蝿蚊のそれと、細菌のそれ、全ては実は区別のしようがないのではないか?区別がつかないのに存在が交わらず、交換できないから、それぞれは同一ではなく違うとする根拠にもなっている。
これはどうしたものか?単に位置座標が異なるだけで、中身は同一だといってはまずいのだろうか?
仮に、たしかに位置は異なるけれどもそれだけのことだと言い切るなら、私が私だとする基盤と、あなたがあなただとする基盤とは区別ができないから同一とみなせる。みなしてしまえ。同一だが、位置が異なる。この場合の位置とは何だろうか?時空上の座標だろうか?何次元の?特別なのは位置、場所だけ。入れ替わらないけど同じ2つのものは同じなのだから入れ替わらなくても同じ。ならば、入れ替われると考えても構わない。
ゆえに、この同一性を表現するに、転生というメタファーも可能ではないか?
つまり、考え方一つで常に転生は起きている。
004 2023/07/24(月) 20:59:43 ID:TM99fLp1Pg
>>3 転生のメタファーは100万回生きた猫型メタファーだが、他には、葉っぱのフレディ型のメタファーも可能だ。
100万回生きた猫は自分よりも大切なものを知り、もはや転生などには興味が無くなった。葉っぱのフレディは、自分の固有性よりも大いなる命のつながりの大切さを知りつつ散る。
005 2023/07/25(火) 12:52:21 ID:nkh4dErqCs
>>4 我執は輪廻転生タイプに妄想が固着する。自分よりも大切なものに出会うことで猫は我執を去り、解脱したのだな。子をなすことで自らを捨身できる境地に到れる女人は往生できる。女人成仏は容易い。だが、男は修行をせねば解脱できない。このことを勘違いして女性に五障ありなどと誤り続けたのを正したのが『法華経』「提婆達多品」の竜女の成仏である。
返信する