古代人の生の理想は長寿をまっとうしたあげく、自然死することであった。長寿は神としてあがめられ、生きながら常世(とこよ)の神とみなされた。
それに比べて、何らかの事故で死んだ者は最も忌むべき死に方として嫌悪された。
次項の表にあげた死者は若死の者を含めて、すべて異常死者である。この異常死者は長寿をまっとうすることができなかった
恨みを現世に残していく。
そのための鎮魂が必要であったが、その鎮魂に用いるやりかた言葉でも行為でも、ふつうの病死者のように、おだやかものではなかった。
南島では、事故死者が生者にわざわいを与えることのないようにさまざま手段が講じられた。
沖縄本島の国頭(くにがみ)では溺死した水夫、やけどで死んだ老婆は逆さに埋葬した。
再生しないための措置である。土地の人は、こういうところを通過するには、かならず木の枝を折ってその上に投げねばならないとしていた。
宮古群島の池間島では、生まれて2.3ヶ月のうちに死んだ子供の身体は、アクマと呼び、海岸べりの洞穴に投げ捨ててかえりみない。
明治の末頃までは、頭に釘を打った。また斧や刀で切りきざみ、「二度と生まれてくるな」と言いながら、
夜中に島の北の青龍(あおぐむい)と呼ばれる洞穴にそっともっていった。
大神島でも溺死者や夭死者、伝染病で亡くなった者は墓に入れなかった。
生をまっとうしなかった異常死者を沖縄では、ひっくるめてキガズン(怪我死)と呼んでいる。
(谷川健一著、『古代歌謡と南島歌謡・歌の源泉を求めて』)
返信する