● 世田谷一家殺人事件(2000年12月31日)
2000年の大晦日、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の宮澤みきおさん(当時44)宅で、
宮澤さんと妻・泰子さん(同41)、長女にいなちゃん(同8)、長男礼ちゃん(同6)が
殺害されているのが見つかった。
捜査員一同、声を失ったのが現場の凄惨さだ。
犯人は子供も容赦なくめった刺しにした上、死後も執ように切りつけていた。
さらに犯行後も長時間現場に居残り、冷蔵庫にあったアイスクリームやメロン、
麦茶を飲食していたことが判明。その異常性に戦慄が走った。
● 福島女性教員宅便槽内怪死事件(1989年2月28日)
1989年2月28日福島県田村郡都路村(現在の田村市)で女性教員宅の便槽内から若い男性の
怪死遺体が発見された。怪死状態で発見されたのは、同じ村内に住む菅野直之さん(当時26)。
菅野さんは福島第2原発の作業員であり、主任を勤めていた。
発見者はこの便槽がある教員住宅の住人で、都路村立古道小学校の女性教員(当時23)。
トイレに入って何気なく中を覗くと靴のようなものが見えたことから、発見に至ったという。
便槽内で発見された菅野さんの遺体だが、事件の最大の謎は「どうやって中に入ったか?」だ。
便槽内への入り口とされる建物外の汲み取り口の直径は36センチしかなく、
普通に考えて成人男性が入ることは不可能。
捜査当局も便槽内から遺体を取り出せず、重機を用いて便槽を破壊するしかなかった。
死因は「凍え兼胸部循環障害」。当時取材した記者によると「警察は状況からして、
覗き目的で菅野さんが女性宅の便槽内に侵入。寒さと窒息で死亡したと発表したが、
菅野さんに覗き趣味はなく、地域でも正義感の強い男性として評判だったため、
警察には真相究明の再捜査を求める声が殺到しました」という。
しかし、当局は「事件性はなく、再捜査の必要なし」の一点張り。不可解な点もあるのにだ。
●赤城神社主婦失踪事件(1998年5月3日)
1998年5月3日、千葉県白井市の主婦・志塚法子さん(当時48)は、家族(夫・娘・孫・叔父・叔母・義母)と
群馬県宮城村三夜沢(現前橋市三夜沢町)の赤城神社へツツジ見物に訪れていた。
あいにくの雨のため、神社へ行く夫と叔父以外は駐車場に停めた車の中で待つことに。
しかししばらくして法子さんは「折角だから、賽銭をあげてくる」と、財布からお賽銭用に101円だけを取り出し、
神社への参道を登っていった。ところが、待てども待てども法子さんは帰ってこない。
娘は駐車場から法子さんが境内とは別方向の場所でたたずむ姿を目撃していたが、
法子さんが車に戻ってくることはなかった。
家族の通報を受け、警察は10日間で100人余りを投入し、付近を捜索。
参道は山道ながらもよく整備され、崖などの危険な場所や道に迷う箇所もない。
また、ゴールデンウィーク中で神社には沢山の人が訪れていたが、不審な人物や物音を聞いた人はいなかった。
事件当日、法子さんは赤い傘を差し、ピンクのシャツに黒のスカートという派手ないでたちだった。
https://tocana.jp/2019/04/post_90900_entry.htm...
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