『見るなの座敷』という昔話がある。
昔々、ある男が山奥で迷っていると、1軒の家があった。今晩だけでも泊めてもらおうと思い、戸を叩いた。
すると、見目麗しい女が出迎えてくれ、酒やごちそうなどの歓待を受けた。
その後、女は家を辞退する際、「ここには13の座敷がありますが、決して13番目の座敷には入ってはいけません」と釘を刺し、出かけた。
男は好奇心に駆られ障子を開けてみることにした。それぞれの座敷に入ってみると、どれ敷も美しい景色が広がっていた。
最後に13番目の座敷が残されたが、男はどうしても見たくなり、ついに障子を開けてしまった。
そこにはウグイスが鳴いているだけの光景が広がっていた。だが、ウグイスは男が座敷を覗いてみまったことを知ると、いずこかへ飛び去ってしまった。
あとには家もなく、男は何もない森の中で立ち尽くすだけだった……。
イザナギが黄泉の国へ出かけ、ヨモツヘグイを食べたイザナミがいる玄室を覗いてしまうのも同様と言える。
玄室にはウジにたかられた腐乱した妻の姿が恨めし気に佇んでいたのは有名な神話であろう。
それどころか旧約聖書『創世記』ではイヴが禁断の果実を口にしてしまうし(『見るな』の変化球)、堕落の町ソドムとゴモラが滅ぼされるとき、ロトの妻が神の約束を破り、
後ろを振り返ってしまう。周知のとおり、ロトの妻は罰を受けたかのように、塩の柱と化す。
『鶴の恩返し』然り。変化した形では『浦島太郎』、『雪女』、『安達ヶ原の鬼婆』と枚挙に暇がない。
見るな、開けるなと禁じられると、人はなおさらタブーを犯したくなる。このような心理をカリギュラ効果といい、あらゆる物語での人(とくに男)はタブーを破ってしまうい、
とりわけ日本においては、ロクな結果を招かない。にもかかわらず、なぜ人は禁止されているタブーを犯してしまうのか、それを考察するスレです。
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