>>1 いい加減なのは「目」じゃなくて「脳」なんだけどね。
たとえば、目を閉じて君が好きな人を想像してごらん。
その人の顔は実物として「見えてない」けど脳内では「見えてる」でしょ。
また、カレーの匂いを嗅げば、カレー実物が脳内で再生されるでしょ。
「見る」ってのは「脳内処理の結果」であって「目」だけが原因じゃないんだよ。
たとえば、夜トイレに起きた時、気付くか気付かないかのレベルで懐かしい匂いを嗅いで、
はるか以前に亡くなったお爺さんを急に思い出したとする。
そうしたら、寝ぼけ眼にお爺さんを「見る」事はあると思うんだ。
それを霊現象と本人が認識したとして、他人には到底理解出来ない水準でお爺さんを見たと理解する。
これは他人に立証する事も証明する事も出来ないが、本人は確信できる体験談だと思うんだよ。
他人が「はあ?幻覚だろw」と嘲笑しようと、本人にとっては大切な思い出になると思うんだ。
つまりそういう事は、「愛」や「感動」と同じように、他人に根拠を示して説得するようなものではないと思うんだよ。
もちろん、感動を伝える評論家は言葉を尽くす必要はあるし、霊は居ると霊否定派を納得させたいなら根拠を出す必要はあるが、
「俺は霊を見たよ」というだけなら主観の問題なんだから、他人に根拠を示す必要性なんかまったくないって事だ。
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