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続・怖い島・いわくつきの村


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001 2013/10/13(日) 18:57:55 ID:/PiSTRs3Ps
全国に散らばる、おっかない伝承伝説が伝わる離島専用スレッド第2弾です(若干ながら村ネタもあり)。
もちろん島の奇祭や神秘の風習、島のみならずワケあり岩礁や奇岩なども含み、いかがわしいオカルトにとどまらず、
れっきとした民俗学としての側面を持ち合わせています。島ネタに関して異常に特化したソレを目指すつもりです。

……前スレが500レスに達する前に続編を立てた理由は、サイズが500KBを超過してしまい書き込めなくなったためです。
せっかく満杯になるまで文字で埋め尽くし、有終の美を飾ろうとしたのにカウンターストップとは……。いささか文章がボリューミーすぎたかも。
まあ、めげずにご要望に応え、続・怖い島と行きましょう。

ちなみに……スレ自体を保存し、あとで読む方法をお教えします。
書き込みできなくなったスレは後ろへ流れてしまい、新スレが立ち上がるたび、古いものから消えてしまいます。
そうなる前に貴重なスレは永久保存しておきましょう。前スレはネット世界は広しといえど、近年類を見ない極上の資料スレですぞ。
以下は、その手順。

任意のスレ内の適当な空白で右クリック→プロパティ→アドレスをコピー→画面上部のアドレス直接入力枠にペースト→そのアドレスへ飛ぶ→
このスレが表示される→ファイル→名前を付けて保存。

※スレ画は前スレ>>188で紹介した、愛知県蒲郡市、三河大島にある仏島(島というより岩礁だが)。


癒されたい僕のブログ カヤック編 三河大島へ
http://blog.livedoor.jp/usa_usao5/archives/1697874.htm...

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002 2013/10/13(日) 19:04:15 ID:/PiSTRs3Ps
     13代続く島守だけが住んでいた島 妻ヶ島

長崎県の壱岐島にある石田町印通寺港の南、約500mにある島を妻ヶ島という。
この島は前スレ、>>62で紹介した平野仁右衛門一家だけが住む仁右衛門島と同じく、1世帯だけの『島守』のみが住む島だ。
住人である百崎(ももざき)さんは江戸時代から数えて13代目。聞くところによると、松浦の殿様の側室付き人の血脈だとか。
百崎夫婦はおしどり夫婦として名が知られ、かつては島の暮らしぶりを描いた著書も出版された。島では牛を飼い、自給自足の生活をしていたとのこと。
もっともその百崎夫婦も高齢になられ、平成14年になって壱岐本島に転居しており、現在、妻ヶ島は無人となってしまったそうだ。

また島には百崎さんの生家と厩舎だけでなく、衣通姫(そとおりひめ)神社もある。祀られている神、衣通姫とはなんであろうか? ウィキにはこうある。
記紀(古事記と日本書紀との総称)では絶世の美女と伝承される人物で、あまりにも美しさで衣を通して輝くことからこの名がある。
本朝三美人の1人とも称される。
古事記と日本書紀では衣通姫の設定が異なる。古事記には、允恭天皇(いんぎょうてんのう・在位412〜453年)皇女であり、
同母兄である軽太子(かるのひつぎのみこ)との兄妹による許されざる恋に落ちる。それが原因で天皇崩御のあと、軽太子は群臣に背かれて失脚。
伊予へ流刑となるが、衣通姫もそれを追い、再会した2人は心中する。これを衣通姫伝説として伝えている。

また日本書紀においては、允恭天皇の皇后忍坂大中姫(おしさかのおおなかつのひめ)の妹・弟姫(おとひめ)とされ、允恭天皇に寵愛された妃として描かれる。
近江坂田から迎えられ入内し、藤原宮(奈良県橿原市)に住んだが、皇后の嫉妬を理由に河内の茅渟宮(ちぬのみや、大阪府泉佐野市)へ移り住み、
天皇は遊猟にかこつけて衣通郎姫の許に通い続ける。皇后がこれをいさめ諭すと、以後の行幸は稀になったという。
いずれにせよ、島の歴史や生誕につきものの女の悲劇がここにも見受けられる。しかも衣通姫のソレは、あまりの美人がゆえの受難であった。
なぜこうも女の悲劇譚が多いのか、近いうち言及するつもりだ。

余談だが、嫁ヶ島は2010年にテレビ番組の企画で話題となった。
テレビ朝日系の、『いきなり!黄金伝説。』の中の企画、よゐこ・濱口の「獲ったどー!」で有名な『無人島0円生活』で舞台となったことがあるのだ。
百崎夫人自らが濱口あてに手紙を送り、そこから実現した。文面には妻ヶ島での生活を懐かしく思い、もう一度島のおいしいお米や野菜を食べられるようにして
欲しいと綴られており、その切なる願いが通じたようだ。

文明の利器が普及しておらず、いくら生活に支障をきたすほど不便でも、長年住み慣れた土地は離れ難いものだ。
島守であった人の心にはいつまでも『島』が浮かび、『島』こそ全世界だったにちがいない。
小さな『島』であったけれど、百崎さん夫婦にとって世界は広かったはずだ。伝統を守り続けたことを誇りに持って欲しい。


司馬遼太郎が見た壱岐の風景 唐人神
http://mtv17.ninpou.jp/iki2/kaidou/kaidou.htm...
印通寺散策
http://www.ikishi.sakura.ne.jp/intuuzi.htm...
衣通姫伝説wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A3%E9%80%9A%E5%A7%...
ザ・テレビジョン 「黄金伝説」がついに無人島の開拓に成功!? 濱口優が「今までにない伝説になった」と自信
http://news.thetv.jp/article/18290...

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003 2013/10/13(日) 19:39:17 ID:LnSe8g1X12
     7月11日にしか上陸できない秘境島 小築海島(こづくみじま)

三重の鳥羽湾、および県内ではもっとも大きい島である答志島から、さらに北上したところには小築海島という無人島がある。
周辺は禁漁区に指定されており、普段は人が立ち入ることができない。
小築海島は古くから秘境の島と呼ばれていた。島には神社があり、祠や石の祭壇が祀られており、毎年祭りが催される。
7月11日だけ地元の漁師だけが島に上がることが許されるという。そして答志島の八幡神社に供えるアワビを漁協青年部が採らねばならない。
代わりに小築海島から答志島へ桑やススキの葉を持ち帰り、八幡神社に採ったアワビを奉納し、海上安全と大漁祈願をする。
また小築海島の近くには洞窟があり、その洞窟は『9人ぼうら』と呼ばれている。名称は遭難者9人がこの洞窟で発見されたからだそうだ。


Archive.is - webpage capture 答志島海岸線調査
http://archive.is/vYKD...
海女のまつり
http://www.city.toba.mie.jp/kikaku/ama/documents/ama54-55....

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004 2013/10/13(日) 19:44:20 ID:LnSe8g1X12
     百日通いの九十九日目の悲劇 お初伝説 初島

初島は静岡県熱海市の網代から東へ約6kmの海上に浮かぶ静岡県内最大の有人島である。
今から1万年前の氷河期終息による海面上昇で、現在の網代辺りと切り離されるように残ったのが初島であり、島内からは7千年前の土器や石器、
また初木神社社殿下からは古墳時代の祭祀場跡が見つかるなど、古代人との関わりがあったことが知られている。

集落は島の北側に集中しているが、この集落がいつごろできたのかは不明。東明寺の建立が西暦800年ごろ、初木神社の創建は鎌倉時代の始めあるいはそれ以前、
竜神宮もそれに順ずる古いものだとされ、鎌倉期にはすでに小規模な集落ができていたと考えられている。
漁業と、限られた土地を耕す生活が連綿と続き、江戸時代後半になると耕作地や水源、漁獲を島民で均等に分け合う共同体生活が営まれるようになり、
初島特有の、「次男以降は島を出て、跡取りがいない家は婿養子をとる」という決まりごとが頑なに守られ、江戸時代から現代に至るまで40戸前後の
家と島の平和が維持されてきた。

そんな初島には、これまた女の悲劇譚が後世に語り継がれている。それが『お初伝説』である。
昔、初島にはまだ住人が6軒家族しかない淋しい島だった。
17才の美しい娘が伊豆山(伊豆半島・熱海)の祭りで、右近という若者と出会い、好きになった。 
「百夜通ってくれば結婚しよう」という約束を結び、お初は毎晩タライに乗って3里もの距離を渡って通ったのだが、99日目の夜、
なんとお初に横恋慕を抱いていた男が灯台の火を消してしまう。お初は海を渡りきれず、波に飲まれて命を落とした。
それを知った右近の悲しみはいかばかりか。右近は彼女を弔うため、いつ帰ると知れたものではない諸国巡礼の旅に出たという。
因果なことに、灯台の火を消した男は7日7晩、苦しんだ挙句死んだそうだ。

集落のそばには『お初の松』と名付けられた松の木が佇み、こんな悲しい歌が添えられている。
『島の乙女のはや胸に、秘めて高鳴る琴の緒の断たれて悲しい恋の火よ』


初島にいこうよ。
http://www.hatsushima.jp/find/legend.htm...
伊豆:初島
http://hobbyland.sakura.ne.jp/Kacho/tabi_yukeba/2008/2008_07...
百夜通い(ももよがよい)wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%A4%9C%E9%80%...
とっしーのツイッターまとめ blog 百夜通いの謎を推理する(1)
http://toshiey.cocolog-nifty.com/twitter/2012/02/post-d3a1.htm...

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005 2013/10/14(月) 07:48:32 ID:IlhFosf6t.
     百夜通い伝説の亜種 百夜月(ももよづき)集落

実は>>4の小野小町の『百夜通い伝説』とそっくりな伝説がある集落が、僕の地元からそう遠くないところにある。
それが『百夜月』というちっぽけな集落で、その惹きつけられる地名のとおり、ロマンチックな伝説が残されているから印象深い。
それも併せて収録しておきたい(もっとも、別スレ『地域の伝説やまじない・風習』の>>70で書いたのだが、個人的趣味で再収録)。
若干、スレチになるかもしれないが、村ネタということでご容赦を。

三重県熊野市紀和町花井(けい)に、上述した百夜月という風情ある地区がある。
北山川沿いにあり、今どき対岸の和歌山県新宮市熊野川町九重から、渡し船で渡ってでしか行き来できない陸の孤島のような集落である。
そこに百夜月と名付けられる元となった伝説が残されているのだ。

かつて、そこには光月山紅梅寺という寺があった。寺には若くて美しい1人の尼僧が住み、 仏道修行に励んでいた。
美人の尼僧は近隣村の若者たちの憧れの的でもあった。
対岸に住むある若者が彼女に会いたいと思い立ち、昼間では村人に知られるとなると尼僧に迷惑をかけてしまうので、夜陰に乗じて川を渡って会いに行こうと決意。
ところが川を渡ろうとするも、山の上に姿を見せた月があまりに明るいため、これでは村人に露見してしまう。結局その晩は行くのを諦め、家に引き返した。

次の日もその次の日も、若者は尼僧に会いにいくべく川まで下りるのだが、いずれも月明かりがまぶしくて行くことができない。
「今晩で何度目だろうか……」と、数えてみると、九十九夜目であった。
とぼとぼ家に帰り、母にそのことを打ち明けると、母は「あの方は仏様をお守りしている方だから、きっとお前が好きになってはいけない人なんだよ。
お月様の光は人々が悪さしないように、いつもあたりを照らしているんだね。だから百夜通っても想いは届かないってことさ。もう諦めなさい」と諭した。
それからというもの、この土地を百夜月と呼ぶようになった。

……そんな百夜月も、最近までたった1戸残っていた老人も今はいなくなってしまったようだ。というわけで完全に廃村となったわけだ。
百夜月集落はこれから朽ち果てていく一方なんだろう。こんな叙情的な伝説がありながら、なんともったいない……。


〜東紀州情報発信ブログ&twitter〜 ☆尼僧伝説 百夜月☆
http://blog.livedoor.jp/higashikishu/tag/%E7%99%BE%E5%...
百夜月
http://www.momoyoduki.com/momoyoduki.htm...
三重・熊野ふるさとBlog 川を渡る梅!!!!!
http://blog.murablo.jp/kiwafurusato/kiji/244253.htm...

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006 2013/10/14(月) 07:50:47 ID:IlhFosf6t.
     悪さする犬を断崖から投じた『犬の門蓋』 徳之島

徳之島は南西諸島の奄美群島に属する離島の1つ。鹿児島県内では奄美群島は奄美大島を中心とする、奄美地方という地区に分類される。
面積は約247.77km2、周囲およそ80km。日本では北方領土の色丹島よりやや小さく、14番目の面積を有する。人口約27,000人の島だ。

徳之島には平土野集落から南側へ入ってそんなに遠くない場所に、犬の門蓋(いんのじょうふた)と呼ばれる景勝地がある。
それは洞門状の奇岩で、穴は隆起した珊瑚が季節風や東シナ海の荒波によって浸食されたものらしい。
なぜ犬の門蓋なる地名なのだろうか? その由来となった話がこうだ。

昔、大飢饉が猛威をふるったことがあった。そのときに人間だけではなく獣たちも飢えた。
犬の群れが集落に出没しては人畜を襲い、それを食らったため、島民は頭を悩ませた。
ついに決断することになる。犬の群れを生け捕りしては断崖から投じて始末したというのだ。
それ以来、この地は犬の門蓋と名付けられたという。

門蓋は西向きに屹立しているので、この穴越しに眺める夕日は美しいとの評判。
そんな絶景の裏には、まさかこんな極限状況で生まれた陰惨な話が横たわっているとは……。


『島の散歩』 犬の門蓋(徳之島)
http://shimanosanpo.com/churajima11/tokuno00/innojyouf...
かごしま検定をめざす鹿児島案内 徳之島の畔プリンスビーチ
http://blogs.yahoo.co.jp/kagoshimaboy_2009/folder/59623...
徳之島町の史跡・聖地めぐり(PDF:2553KB)
http://www.tokunoshima-town.org/shakaikyoikuka/kurashi/kyoiku/...

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007 2013/10/14(月) 08:22:58 ID:1z.n8nYH3U
     見てはいけない男子禁制の秘祭『祖神祭』(ウヤガン) 大神島 1

沖縄県宮古島市に属する宮古列島の1つである大神島。面積は0.24km2、人口は約40人足らず。
前スレ>>79で海賊キャプテン・キッドが大神島に自身の財宝を隠したという伝説を書いたが、島にはそれ以外に秘密のベールに包まれたウヤガンなる
祖神祭があると知ったとなると、いやがうえにも興味をソソられるのは浅ましき人の業と言うべきか。

大神集落は港がある島の南部に固まっている。また島中央には標高75mほどの高台があり、宮古島、池間島などを一望することができる。
眺望は素晴らしく、とりわけサンゴ礁の海に描かれるエメラルド色のラグーンは、この世の楽園もかくやと思われるほど美しい。
この高台を遠見台(とおみばる)と呼ぶ。この地はかつて琉球王朝時代には、外国船の往来を知らせる狼煙台の役目を担ってきた。
ふだんの日は誰でも上にあがることが可能なものの、祭祀に関わる特別な日になると極端に立ち入りが制限される。
というのも、遠見台のはるか上には神が宿るとされる巨岩があり、神域として指定されているからだ。

実は大神島には上述したような神聖な場所が無数に存在する。それが森の中の洞窟であったり水辺であったりもする。
そのような聖域は御嶽(うたき・琉球神話に記された神々が来訪したり存在する場所で、祖先神を祀る場所)として崇められている。
大げさに言えば、集落以外のほとんどが聖域だといっても過言ではない。
沖縄は観光する分には開けた感があるが、宮古は特殊であると言う人は少なくない。ましてや大神島は観光地化されておらず(宿泊施設はおろか売店すらない)、
古くから周囲の島の人々から『神の島』(それにしてもこう冠された島の多いこと!)、もしくは島そのものがご神体と言われ尊ばれてきた。
国内最大級の聖地だとする声もあるほどだ。

大神島の御嶽の場合、祭祀を執り行う関係者……選ばれた女性しか立ち入ることができないのだ。
それは伝統的な祭祀である祖神祭(ウヤガン)になると、タブーはより厳しいものなる。これは旧暦6月〜10月の間、毎月12〜14ごろから4、5日間、
計5回行われる祭りで、豊穣や健康を祈るものだ。男子禁制であり、島外者にすら公開されない秘祭中の秘祭である。
公開どころか、その内容を説明することさえタブーとされている。関係者である女性たちは、家族にすら語ってはいけないのだとか。
もしも禁を破ったものなら、恐ろしい祟りがあると信じられているという……。
祖神祭自体は大神島だけではなく、宮古島の狩俣(かりまた)、島尻(しまじり)でも行われるが、島尻は1997年まで、狩俣では2001年まで行われたのを最後に、
祭祀関係者の女性の高齢化と、後継者の不在により中断されている。その中で唯一、大神島のソレだけが現在も引き継がれている。

祖神祭には何かとオカルト的な言い伝えが散見される。こんなことを書くのは、いささか躊躇われるのだが……。
今から70年ほど前、ある大学教授が祖神祭の秘密を暴こうとして島へ渡り、祭りが行われている山中に忍び込んでその様子を撮影したらしい。
ところがその教授は島から戻ったとたん急死。教授を信用して撮影に協力した島民一家もまた次々と怪死を遂げたという。
また、過去に1人だけ祖神祭の全容を調査し、記録した女性の学者がいた。その女性学者は10年来の時間を費やして大神島を行き来し、
すっかり島民と打ち解けた仲になっていた。だが、調査内容は決して論文にまとめることをせず、記録をすべて封印した。
……と、こう書くと、なんとも芳ばしい香りがするが、その実、島の人いわく、なんの変哲もない豊年祭にすぎず特筆に値するほどのものではないと否定する。

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008 2013/10/14(月) 08:28:55 ID:1z.n8nYH3U
     見てはいけない男子禁制の秘祭『祖神祭』(ウヤガン) 大神島 2

見ると祟りがある秘匿性の高い祖神祭。それはどんな祭りなのだろうか。
ならば見ずして、どうにか祭祀の一部だけでも知ることができないかと探りを入れた結果、少なくとも以下のことだけはつかめた。
箇条書きだが、これが祭祀の準備から本番に至るまでの大まかな流れだ。

①祭祀を執り行うのは『ウヤガミ』と呼ばれる祭祀集団である。
②『ウヤガミ』は『ウヤガミ筋』なる血筋の家からしか現われることがない。
③ウヤガミは神がかりを受けた女性(主婦である場合がほとんど)しか選ばれない。祖神祭に参加できる人は、毎年11人ほど。
④祭祀の時期になると、ウヤガミはある日突然、神が憑依したとされ意識不明に陥るという。全員が同時刻に同じ神がかり体験をし、同じ日の夕方に家を抜け出す。
祭祀が行われている4〜5日の間は、断食状態になり帰宅すらしない。
⑤ウヤガミがひとたび山篭りすると、聖域(とくに祖神祭の中心となる大神御嶽)には誰も足を踏み入れてはならない。
⑥ウヤガミの女性たちは円陣を組み、フサ(神歌)を謡って踊る。フサはフサヌス(白装束の女性)の音頭取りで謡われ、そのあとを続いて他のウヤガミが謡い踊る。
⑦踊りはフサヌスを取り囲んで、立って手にしているテーフサ(手草)をこすり腰を振る。単調な踊りながら、場合によっては長時間続く。
⑧木の葉で編んだカウス(木の葉で編んだ帽子のような草の冠)を目深にかぶり、手に木の枝や杖を持つ。
⑨手にはテーフサをもち、腰には神の糸・アヤと呼ばれる五色の腰ヒダを吊るしている。
⑩島外者はもちろん祭祀に関係のない島内の人間や、ましてや男がウヤガミたちと出会ったり、真正面から見るなどもってのほかとされている。
⑪祭りはすべて神役の女たちで話し合われて執行されるため、男たちや身内にさえ一切秘密裏に行われる。

日本には古来より女性をカミ(=神)として位置づける考えがある。ここ大神島をはじめとする沖縄や奄美諸島、伊豆諸島などである。
沖縄などでは、村の女性が、ある年齢に達すると、『カミンチュ』としての役職を司る。
カミンチュは村の年中行事のすべてを携わらねばならない。また伊豆諸島の新島では、隠居した女性は、『ヤカミ(家神)衆』と呼ばれ、やはり祭事、仏事を司るのだ。
東北のイタコなども同義といえよう。
このように、女性は神や先祖を代弁する役割(シャーマン)として、共同体になくてはならない役目を担ってきた。
いずれにせよ、島は彼女たちの領域だ。土足で踏み荒らすなどあってはならない。好奇心も大概にしとけってことである。


Diving Mania ダイビングの気になるネタ 大神島の伝説と謎 〜大神島の祭祀〜
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沖縄ジョートー市場ブログ『ななろぐ』 神の島・大神島 〜宮古諸島
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STUDIO VOICE 比嘉康雄展「母たちの神」
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009 2013/10/20(日) 01:56:29 ID:XEWJx8j1BI
     骨まで貪り喰らった海獣の正体とは? 海獺島(あしかしま)

神奈川県横須賀市、東京湾フェリー久里浜近くの沖に浮かぶ海獺島という無人島がある。画像右の灯台のある方がそれだ。
字面から『らっこ島』とも読まれることも多いが、可愛いイメージがある反面、昔、この地にいたとされる海獣が獲物を血を滴らせ、
骨まで貪り喰ったことから『鬼畜島』とも呼ばれていたらしい……。いろいろ調べてみたが、これ以上詳細はわからなかった。
海獣の正体とはなんであったのだろうか?
また海獺島は、かつて日本海軍が砲撃練習の標的に利用された島として知られている。砲弾の先端には艦独自の染料が入っており、着弾時に色で識別したという。


あぁ〜つかれる!! 東京湾フェリー
http://blog.goo.ne.jp/a-y_2006/e/a7ca4ae683b2060842b...
満天☆の海-2 アシカ島(観音崎ー剣崎間)の危険海域
http://mantenbosi.exblog.jp/10573061...

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010 2013/10/20(日) 01:59:23 ID:XEWJx8j1BI
     東洋のローレライ伝説 屋慶名(やかな)海峡

沖縄県うるま市に属する藪地島(やぶちじま)という無人島がある。勝連半島の東側に位置し、沖縄本島とは藪地大橋で結ばれている。
約300年前までは有人であったという。現在、島の一部は農地で、本島の住民が農業に従事している。

勝連半島と薮地島に挟まれた水路のことを屋慶名海峡と呼んでいる。さて、今回のネタは藪地島自体ではなく、むしろこの海峡にあり。
ドイツのライン川に伝わるローレライ伝説をご存知だろうか? 長大なる川の途中で水面から130mもの突出した岩山があり、川幅が狭くなっているうえ流れが速く、
浅瀬がそこかしこに潜んだ一番の難所であるため舟による転覆事故が後を絶たなかった。
それが転じて、「岩山に佇む美しい少女の姿と、その魔力を秘めた歌声で船頭を虜にするがため、舟が川の渦に飲み込まれてしまう」という伝説を作り上げた。
ローレライは岩山そのものであると同時に、この岩の妖精、あるいはセイレーンの一種であるという。

その伝説と酷似した話が、なんとこの屋慶名海峡にもあるというのだ。
「晴れた日には沈没した大和船(本土の船)の霊が和歌を歌い出す」だとか、「喪中の人が海峡を渡ると波が立つ」とかまことしやかに伝えられている。
もっともこの海峡には乙女こそ姿を現さないが、ここを通る船は岸辺にある、拝所『東大神(ヒガシウーカン)』の前で帆を降ろし、頭を下げてから船を走らせないと、
波が荒れ、この先を航行することができなかったとさえいう。

あるとき、このしきたりを知らない大和船がやってきて、こともあろうか拝所の香炉で刀を研いでしまった。
これが神の逆鱗に触れ、あっという間に船は転覆させられたと伝えられている。
それからというもの、晴天の日はどこからともなく櫓音とともに舟歌が聞こえてきたというのだ。


ローレライwikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%...
島の散歩 藪地島
http://shimanosanpo.com/churajima01/yabuchi00...
ジロの沖縄の徒然 東洋のローレライ
http://seseragijiro.at.webry.info/201302/article_6.htm...
ネオアイランド〜horizon〜 沖縄県うるま市与那城屋慶名・屋慶名海峡展望台(やけなかいきょうてんぼうだい)の下へ。
http://blogs.yahoo.co.jp/neoisland2/30808078.htm...

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011 2013/10/20(日) 02:25:35 ID:MTfFrTuV8M
     掟を破った者の末路……お浦と治作の悲恋物語 情島(なさけじま)

情島は広島県呉市阿賀港の南南西の沖合い約8kmに位置する有人島でありながら、世帯数は9、人口は10人にも満たず、
限界集落も瀬戸際まで立たされている。そんな情島にも『お浦と治作(おうらとじさく)』という哀れな男女の恋が引き裂かれる物語がある。

昔、瀬戸島(現在の倉橋島)の波多見(呉市音戸町)に、お浦という美しい娘がいた。
島の若者はお浦に言い寄るのだが、ことごとくあしらわれていた。袖にされた若者たちは、なぜ相手にされないのだろうと苛立つばかりであった。
どうにも納得のいかない。男たちはお浦の行動を監視することにした。
実はお浦には意中の人がいた。激しい恋に燃えてるのに他の男など眼中に入るはずもない。
月夜の晩、波多見の岬でお浦が1人待ち続けると、やがて小舟に乗って若者が渡ってきた。若者は浜に下り立つと、お浦をひしと抱きしめた。

「あの男は餘所村(よそむら)の治作じゃねえか!」見守っていた若者の1人が声を殺して言った。
「餘所だと? 夜中にコソコソとやってきて、お浦と逢引してたのか!」と、他の若者も激昂した。
「おれたちを差し置いて、餘所の男に取られてたまるか……」
瀬戸島の波多見では、餘所村の者と恋愛してはならないという厳しい掟があった。お浦と治作はその掟に背くことになる。
そんな若者たちの憤懣やるかたなき思いをよそに、2人は小舟に乗って沖に浮いた誰も住んでいない孤島に渡った。2人は毎夜、こうして逢瀬を重ねていたのだ。

ある日、若者たちは同じように波多見の岬で待ち伏せしてから、島に渡る前に灸を据えてやろうと決めた。
2人が揃ったのを見届けると、物陰から一斉に出て、お浦と治作を取り囲んだ。手には棒切れ。殺気を感じた治作はお浦を背中に回した。
「なんだ、おまえらは……おれたちをどうする気だ」と、治作。
「よくもぬけぬけと餘所から来たもんだな。掟を破ってお浦と乳くりあってたとは恐れ入るわ」
「掟がなにさ。治作さんとは別れるつもりはないわ」お浦は言った。
「うるさい。今からでも遅くない。お浦とは金輪際会うな。そして二度とこの島に来るんじゃねえ」

1人の若者が治作の腕を取った。治作はすかさず前蹴りを相手に放つと、包囲網にほころびが生じた。お浦の手をつかむと円陣を突破した。
「逃がすか!」「追え、追うんだ!」
治作とお浦は追っ手をまこうとしたが、しかしながら多勢に無勢、相手の男たちは数が多すぎた。
そのうち岬の突端に追い詰められてしまい、万事休す。あろうことか治作は足を滑らせ、海に転落してしまった。
「治作さん! 治作!」お浦の悲鳴がむなしくこだました。

翌朝、治作の変わり果てた遺体が浜辺に打ち上げられた。
お浦は嘆きは深く、その夜、治作が落ちた岬から同じく身投げして命を絶ってしまった。
この悲劇の結末に波多見の人々はみずからの行為を後悔し、岬の上に祠を建てて2人の霊を弔った。その後、この岬は『お浦の鼻』と呼ばれるようになった。
また、お浦と治作が人目を忍んで逢瀬を重ねていた島を『情島』と名づけたという。


阿賀まちづくり推進協議会(まち協) まちしるべ 旧町名「情島」
http://26.pro.tok2.com/‾agamachi/photo/machishirube/nasakezima.htm
:Elliott-7さんの旅行ブログ 瀬戸内,気ままなヨットセーリング・・・・過疎の島で男の隠れ家発見!
http://4travel.jp/traveler/elliott-7/album/10513...
お浦と治作
http://homepage2.nifty.com/buchaneko/kure/minwa/ouratojis...

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012 2013/10/26(土) 11:43:38 ID:vH2suprj1o
     夫の無事をひたすら祈り待ち続けた妻と無蔵水 伊平屋島(いへやじま)

沖縄本島北端、辺戸岬の北西約33kmにある沖縄最北の有人島、伊平屋島。
太陽に照り輝く美しい島の意である『てるしのの島』と呼ばれ、さまざまな伝説、神事や伝統行事が継承されている。
島の歴史は古く、琉球王朝の第1尚王朝・尚巴志の祖先・屋蔵大主(やぐらうふぬし)生誕の地として知られ、
屋蔵墓や天の岩戸などの史跡や伝説など、琉球史を語るうえにおいて欠かすことのできない貴重な島だという。

その伊平屋島には無蔵水(んぞうみじ)と呼ばれる大岩があり、とある伝説が残されている。それが以下の内容である。
昔、田名村に若い夫婦がいた。
ある夏のときであった。夫は小舟で田名岬の沖へ釣りに出かけたはいいが、前触れもなく強風と高波に襲われて漂流してしまった。
2、3年の間、皆目行方が知れず、村人たちはもう助かってはいまいとあきらめていた。
妻はまわりから諭され、村一番の美人だっただけに再婚話を持ちかけられたが、彼女は頑として、
「きっと夫は生きています。私はあの人が帰るまで待ち続けるつもりです」と言って聞かなかった。

そして小山ほどの大岩の上で1日と欠かさず、夫が消息を絶った沖合の見える方角を見守り、ひたすら無事を祈った。
数年後、奇跡は実現した。夫が無事に妻のもとに帰ってきたのだ。その後、2人は仲睦まじく家を興し、立身出世したという。
当時の村人たちはこの妻の貞操を讃え、女性たちへの教訓歌を作り残している。

この岩のてっぺんにある周囲6m、深さ50cmの水たまりが無蔵水と言われているもの。
水は決して涸れることはなく、それはまさしく夫の無事をひたすら信じ抜いた、妻の無償の愛のように滾滾と湧き出ているそうだ。


てるしのNET 伊平屋村 役場観光ガイドマップ|伊平屋村ホームページ
http://www.vill.iheya.okinawa.jp/detail.jsp?id=12532&menuid=423...
離島の旅日本の旅 伊平屋島
http://islands.travelaround.jp/okinawa/iheya.ht...

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013 2013/11/04(月) 15:46:38 ID:D2Glt/ToHo
>>1 いつも感心しながら読んでます。 
ここまで調べているならサイト立ち上げて残してほしい。いや、マジで。

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014 2013/11/04(月) 20:55:11 ID:Rltr9sTrYk
>>13
そう言ってくれて感謝。
サイト立ち上げは考えたことがあるけど、あくまで余興でやってるだけだから勘弁ね。
飽きっぽい性格だから、たぶんモチベーションが持続しないと思う。それに最近はネタも枯渇しつつあるし、
このスレも続編を立てたはいいがどこまで続けることができるかどうか怪しかったり……。
そういう危ういバランスを保ったまま、這うように進んでいくだけです。


     罪人を突き落とした処刑場跡・三丁落鼻 与路島(よろしま)

鹿児島県は奄美群島に属する有人島の与路島。島には集落が1つしかない。
家々はサンゴを積み上げた石垣が連なり、南方系特有の景観が広がっている。標高297mの大勝山を中心に、ほとんどが山で形成されている。
そんな与路島には島の南側に『三丁落鼻』と呼ばれるいわくつきの断崖絶壁がある。ここはかつて藩政時代、罪人の処刑場だったのだ。
処刑法は罪人をこの断崖から突き落とすやり方。高さは優に100mを超える。落ちたらひとたまりもあるまい。

あるとき、役人が1人の罪人を引きつれて三丁落鼻に行き、刑を執行することになった。時刻はまさに太陽が東から昇ったばかりの早朝。
刑の執行前、罪人は役人に向かってこう言った。
「あんなきれいな太陽を前にして死んでいくのは忍び難い。どうせこの世から消え去るなら、せめてささやかな頼みを聞いてくれ。
どうか太陽を背にしておれを落としてくれ。そもそも海の方を向いて突き落とされるのは怖い」
「どちらに転んでも、もうすぐおまえは死ぬんだ。……よかろう」と、役人は了解した。

ところが突き落とす瞬間、罪人はとっさに役人の胸ぐらをつかむと抱きしめ、もろとも転落した。怒涛が2人をかき消した。
これ以来、三丁落鼻での処刑は行われなくなったという。


SIESTA 秘島・大島海峡クルージング
http://www.nippon-ocean.jp/plan/kakerom...
徒然なる奄美 与路島・海物語
http://amamiturezure.blog67.fc2.com/blog-entry-440.htm...
奄美ホライゾン日記blog
http://amahorizon.exblog.jp/i5/32...

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015 2013/11/04(月) 21:00:18 ID:Rltr9sTrYk
     サバイバルの殿様、リベンジャーとなり生還を果たす 玄界島(げんかいじま)

玄界島は福岡湾の出入口に浮かぶ離島だ。標高218mの遠見山を中心に斜面が海岸線まで続き、平地はほとんどなく、
港がある南側の斜面に集落が張り付くように軒を並べている。
玄界島には太古より『百合若伝説』が伝えられており、それにまつわる小鷹神社が鎮座している。
百合若伝説は日本八大伝説の1つで、室町時代には幸若舞として脚色され、のちに近松門左衛門の浄瑠璃に影響を与えているという。
その伝説とは以下のとおりである。

昔、豊後の国主である百合若大臣という巨漢の殿様がいた。百合若は唯一、鉄の弓を引くことができる名人でもあった。
あるとき遠征に出かけた際、部下である別府貞澄の裏切りに遭い、当時は無人島であった玄界島に1人取り残されてしまう。
しかし強靭な意志をもつ百合若は、必ず故国に帰ることを誓い、木で作った弓で魚を射ては、それを食って生き抜いた。
とはいえ島での忍従生活は無味乾燥なものだった。耳に入るのは波が打ち寄せる音だけ。目にするものは大海原と空のみ。
夜、寝そべり、夜空の星を数えるでしか無聊を慰めるしかない。いつしか孤独に打ちのめされ、心が折れそうになる。
しだいに着ている服はボロ同然となり、髪もひげも伸び放題、肌は真っ赤に日焼け、さながら赤鬼のように変わり果てた。
かつての地位は見る陰もなかった。

しばらく経ったある日、百合若が獲物を狙っていると、空から1羽の鷹が飛んでくるではないか。
紛れもない。それはかつて百合若が可愛がっていた『緑丸』に相違ない。幾百の孤独の日々に耐え忍んできた百合若にとって、
愛鷹との再会は天にも昇るようであった。
百合若はさっそく着物の端をちぎってそれを紙とし、指を切って血文字で自身の無事をつづり、妻宛にと緑丸の足に手紙をくくりつけた。
あとは緑丸が無事豊後の国に帰り、妻に届けてくれるよう願うしかあるまい。
ところが待てど暮らせど緑丸は戻ってこない。ある日、島を散策していると、波打ち際に緑丸が力尽きて死んでいるのを発見する。
百合若は嘆き悲しんだが、緑丸の足に妻からの伝言が結わえてあるのを見つけると、むさぼるようにそれを読んだ。
手紙によると、裏切り者、貞澄は大臣になっていた。しかも百合若の妻を奪った挙句、牢に閉じ込めたうえ、民衆には重税を課し、
自身を含め権力者たちは贅沢の限りを尽くしていた。民はいま、絶望に打ちひしがれているという。

百合若の身内に沸々とマグマのような怒りがこみ上げてきた。
このまま野垂れ死にしてなるものか。必ずや豊後へ舞い戻り、妻を奪還し、奴に復讐の一矢を突き立ててやる。
その願いが天に届いたか、1艘の難破船が漂着した。百合若はそれを修繕し、ついに玄界島を脱出。一路、故国を目指す。
折しも豊後の国では、貞澄が力自慢の部下を集めて、鉄の弓を引かせる催しに戯れていた。みごと弓を引けた者には褒美を取らすという。
部下はこぞって挑戦するものの、鉄弓はビクともしない。何人束になってかかろうがまるでダメ。
そのとき、屋敷の屋根の上で、呵々大笑する巨漢が現われた。その姿は髪もひげも伸び放題の汚い男。
「その弓はおれにしか引けん。どれ、やらせてみろ」と、男は言った。
時ならぬ狼藉者に貞澄は激怒した。「たわけたことを。だったら引いてみるがよい。もしも引けぬなら打ち首にしてやるぞ!」
巨漢は鉄弓を手にすると、やすやすと引き絞った。そして貞澄に矢を向けてこう言った。「貞澄、待たせたな、地獄の底から這い戻ってきたぞ。
このおれが誰だかわかるか!」
「……ま、まさか百合若? 生きていたのか!」
「貞澄、おれをひと思いに殺さなかったのが運の尽きだ!」百合若は言うと、矢を放った。矢は貞澄の心臓を射抜き、仇は桟敷から転落した。
その後、百合若は妻と再会を果たし、ふたたび大臣と返り咲いた。時間はかかったが国はもとの平穏を取り戻した。


百合若大臣wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%90%88%E8%8B%...
日本語と日本文化 幸若舞「百合若大臣」(日本版「オデッセー」の物語)
http://japanese.hix05.com/Performing/kowaka/kowaka02.htm...
Dailymotion動画 0126 百合若大臣
http://www.dailymotion.com/video/xkoef0_0126-%E7%99%BE%E5...
福岡県島めぐり 玄界島
http://www.yado.co.jp/sima/genkai/genkai.ht...

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016 2013/11/10(日) 07:32:34 ID:PVkXY47n6Q
     時間厳守の島 六島(むしま)

長崎県の野崎島から北約1kmにある小島を六島と呼ぶ。人口は年々減り、今では30人ほどしか住んでいない。
小中学校分校はすでに廃校となり、診療所もないどころか1台の車すらないんだとか。
野崎島の東南にある小値賀島の笛吹港から定期船が出ており、六島にも寄るのだが降りる人も乗る人もほとんどいない。

そんな六島であるが、1つだけ他とは異なる『島憲法』がある。というのも、六島は時間厳守の島として知られているのだ。
ここでは自治会長(1年交替制)が決められ、漁業の入金、公共料金の支払いなど、島のお金の出入りはすべて会長が一括して行っており、
いわゆる共和制度を今も残している。
そもそも時間に厳しくなったにはわけがある。明治時代に発生したある事故がきっかけとなったという。
昔から六島の周囲は潮の流れが速く、港の出入りは苦労が絶えなかった。あるとき、1人の島民が船の出発時刻に遅れ、
その間に潮の流れが変わってしまい、船が潮に揉まれるうちに転覆事故を起こした。
以来、六島では時間に遅れることは御法度となったという。

それゆえ、こんなエピソードも生まれた。ある日、葬式をするため別の島へ僧侶を迎えに行ったはいいが、
約束した時刻に僧侶が間に合わなかったので船はそのまま六島に引き返してしまった……。
厳しい自然環境に囲まれているからこそルールは厳格に守る。生きることはかくも真剣なのだ。


上五島・小値賀ポータルサイト 時間厳守の島 島憲法もある時間厳守の島・六島
http://www.japan-island.info/portal/guide?cntnts_id=59&gnre...
五島の歴史(パート7)
http://members3.jcom.home.ne.jp/honnjyo/120rekisi.ht...

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017 2013/11/10(日) 07:35:50 ID:PVkXY47n6Q
     哀れ白縫姫、蛇体となりて行方をくらます……『白縫姫伝説』 蛇島(じゃじま)

かつて長崎県佐世保市の九十九島に属する五島灘に、蛇島と呼ばれる無人島があった。
島には悲しくも不思議な伝説が語り継がれているが、今やそれも忘却の彼方に押しやられようとしている。

時は戦国の世。まさに争乱の時代。ここ佐世保城主の遠藤但馬守に白縫姫(しらぬいひめ)という美しい娘がいた。
あるときのこと、主筋にあたる相浦の飯盛城主・松浦丹後守親九郎親が、烏帽子岳の狩りの帰りに、この但馬館の門を叩いた。
他ならぬ丹後守の訪問とあっては歓待せねばなるまい。但馬館では酒席を設け、姫に舞いを披露させもてなした。

このとき、丹後守はあでやかに舞う姫の姿を一目見るなり虜となり、ぜひとも自身の側室にと申し入れた。
さりとて姫には赤崎伊予という婚約者がすでにおり、ましてや間もなく嫁いでいく身。
時の支配者、平戸の松浦鎮信の弟でもある丹後守といえば、遠藤但馬守にとって平伏せざるえない存在であったが、
娘のことを思えばこそ、丹後守のしつこい申し出に首を振り続けた。
丹後守は諦めきれない。どうしても白縫姫を我が物にしたかった。ついには但馬守に対して怒りを憶えた。

やがて横恋慕は、但馬謀叛にかこつけて但馬館を急襲し、姫を力づくで奪おうとまでエスカレートしてしまう。
不意をつかれた但馬館はたちまち炎上。戦闘もあえなく片付き、ついに落ちた。
ところが丹後守は血眼になって館を探すものの、白縫姫の姿は見当たらない。
兵士たちも姫の行方を追って将冠岳の頂上近く来たとき、突然、岩穴の中から白い煙とともに1匹の白い大蛇が這い出た。
そして兵士たちが驚嘆しているのをよそに悠然と山をおり、佐世保浦のあたりから海に入って、赤崎館の方へ向かって泳いでいった。

しかしその蛇体は途中の小島でふっつりと消え、二度と姿を現すことはなかった。
これを目撃した人々は、きっと姫の一念が蛇の姿に変え、愛しい赤崎伊予がいる赤崎館に向かって渡ろうとしたが、
力尽きて無人島で死んでしまったに違いないと思った。それからというもの、誰がともなくこの島を蛇島と呼ぶようになった。

とはいえ1905(明治38)年、この島を利用して大繋船池が作られると、巨大なコンクリート岸壁の下に埋もれて、
蛇島は見る陰もない姿に変わり果てた。そういうわけで、この伝説もいずれ忘れられていくのだろう……。


佐世保人グスタフの熱情と冷静の間 蛇島伝説①
http://sasebodaisuki.blog38.fc2.com/blog-entry-123.htm...
長崎県佐世保市の民話 福娘童話集 きょうの新作昔話 蛇島(じゃじま)
http://hukumusume.com/douwa/new/2014/07/21.ht...
がんばらんば! 佐世保民商 佐世保と、その周辺(15)「島の伝説・昔話」・・・巻さんのコラム
http://sasebominsho.blog123.fc2.com/blog-entry-164.htm...

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018 2013/11/10(日) 15:14:00 ID:uyAVWtO8d2
この膨大かつ貴重な資料を
ここだけにとどめておくにはあまりに惜しい
自分もサイトを作って欲しいと思う
ここに記した情報をまとめるだけでいいからさ
片手間にでもやってもらいたい

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スレッドタイトル:続・怖い島・いわくつきの村

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