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怖い島・いわくつきの村・総合


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001 2011/04/18(月) 12:36:00 ID:lqbrx3Wq/c
日本全国に点在する、神秘的かつホラーな島や気味の悪い村を挙げるスレです。
もしや、あなたのご近所にもあるのではないでしょうか?

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427 2013/09/23(月) 08:17:27 ID:vaCzwrSX2I
     「鎮守の森の破壊は、心の破壊だ!」南方熊楠が命懸けで守った島 神島(かしま) 1

和歌山県田辺市の田辺港の沖合に浮かぶ無人島、神島。潮が満ちているとき、一見単体の島に見えるが、干潮時にはトンボロ現象が見られ、
2つの島から形成されていることがわかる。大きい島を『おやま』、もう片方を『こやま』と呼ぶ。

田辺にはこの神島と、さらに北の南部沖の、これまた鹿島(かしま)にまつわる伝説がある。
昔、巨人が島を天秤棒で担いでいて、その天秤棒が折れて海に落ち、この2つの『かしま』になったという。
一説には神島の名が現われる最古の文献は『万葉集』であるとされる。遣新羅使人の歌に「月よみの光を清み、神島の磯間の浦に船出すわれは」が
この島を指すとの説がある(ただし、この歌の『神島』は岡山県とも、あるいは広島県のものとする2通りの説がある)。
また江戸時代には『紀伊続風土記』などいくつかの書物に名勝としてその名が挙げられ、紹介されている。
そこでは「祀られている神は不詳」とされているが、新庄村の史蹟登録には祭神について『健御雷之男命、武夷鳥命』とある。

現在では法的保護の下におかれているために島へは立ち入り禁止であり、上陸を希望するなら田辺市教育委員会の許可が必要である。
もっとも周辺の岩礁は釣りによく用いられ、そこへ行き来する船は近くにある磯間漁港などから出ている。
神島は全体が照葉樹林に覆われ、古来より神の島として信仰され、人の手がほとんど入らない自然の森が残る島として維持されてきた。
ところが1909(明治42)年7月に神社合祀が決定。>>424でも触れたが、神社合祀とは明治政府が国家神道の権威を高めるという名目のもと、
各集落にある神社を1村1社にまとめ、日本書紀など古文書に記載された神だけを残すということだった。この結果、和歌山では3700あった神社が強制的に600に統合。
実はこれは金を産んだ。神社の森は樹齢千年という巨木もあり、高値で取引されたのだ。境内の森は容赦なく伐採され、ことごとく金に換えられた。
神島も例外ではなく、神体のなくなった島の森は切り倒してよいということで伐採が始まってしまう。まず『こやま』の森に手がつけられ、
多くの斧が『おやま』の木の幹に打ちかかろうとしていた。
それを田辺市が誇る偉大なる学者、南方熊楠(生誕地は和歌山市だが、田辺は市をあげて今でも南方を称えている)が、待ったをかけた。

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428 2013/09/23(月) 08:21:21 ID:vaCzwrSX2I
     「鎮守の森の破壊は、心の破壊だ!」南方熊楠が命懸けで守った島 神島(かしま) 2

南方の学者としての肩書きは驚異的なまでに多岐にわたるが、生物学(なかでも菌類学)上の好奇心から、
1902(明治35)年に初めてこの島に渡り、生物採集を行っていた。
その2年後には田辺に移住。神島を含む周辺の生物研究に没頭した。神島の粘菌については『植物学雑誌』に報文を寄せたほど。
そんな経緯もあって南方は激しく反対運動を起こす。地元の協力を得て中央の研究者や役人に働きかけ、法律的な保護がつくに至った。
樹齢を重ねた神島の森にはまだ未解明の苔・粘菌が多く存在し、伐採されると絶滅する恐れがあった。
南方は『エコロジー(生態学)』という概念を提唱した。つまり、「生物はたがいにつながっており、目に見えない部分で全生命が結ばれている」という、
生態系を守るという立場から、政府の傲慢なやり方を糾弾。南方こそが『日本初のエコロジスト』と呼ばれる由縁である。
氏はまた、民俗学、宗教学を通して人間と自然の関わりを説いており、「人々の生活に密着した神社の森は、子どものころに遊んだり、祭りの思い出があったり、
ただの木々ではない。鎮守(ちんじゅ)の森の破壊は、心の破壊だ」と憤慨したという。

そして来たるべき1929年、氏は62歳。なんと昭和天皇が神島に訪問することとなった。そこで陛下への御進講役に白羽の矢が立ったのだ。
昭和天皇はかねてから公務のかたわら、ヒドロ虫(ヒドロゾア)・変形菌などを、生物学研究者として勤しんでいたので、おたがいは必然ともいえる出会いでもあった。
南方は粘菌や海中生物についての御前講義を行ない、終わりに粘菌標本を陛下に献上した。戦前の天皇は神そのものであったから、献上物は桐箱など最高級のものに
納められるのが常であったにもかかわらず、南方はキャラメル(森永ミルクキャラメル)の空箱に入れて献上した。それには現場に居合わせた者全員が唖然とした。
のちに側近は「かねてから熊楠は奇人・変人と聞いていたので覚悟はしていた」とのこと。
後年、南方が他界したとき、昭和天皇は「あのキャラメル箱のインパクトは忘れられない」と語ったという。
1962年、昭和天皇は33年ぶりに和歌山を訪れ、神島を見てこう詠んだ。「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」

神島は1930(昭和5)年には和歌山県の天然記念物に選ばれ、1936(昭和10)年にはついに悲願、国の天然記念物に指定された。


あの人の人生を知ろう〜南方熊楠
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic32.htm...
日本珍スポット100景 超童貞&最強ニート「南方熊楠記念館」【和歌山】
http://b-spot.seesaa.net/article/26203567.htm...
【中二病妄想を具現化させた偉人たち】南方熊楠の脳は現在ホルマリン漬けで保存中!しかもイケメン
http://konifar.com/83...
南方熊楠顕彰会 神島
http://minakatakumagusu.web.fc2.com/01kashima.htm...
AGARA紀伊民報 熊楠が愛した神島を守る顕彰会が清掃活動
http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?...
東アジア黙示録 先帝陛下の至福の一日…神島行幸と南方熊楠
http://dogma.at.webry.info/200701/article_4.htm...

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429 2013/09/29(日) 14:29:57 ID:QOEVq5ugn6
     『殺生禁断』漁師のいない島 佐木島(さぎじま)

広島県の三原港の南、約4kmにある有人島が佐木島である。
その佐木島の向田野浦の海岸には、不思議な磨崖仏(まがいぶつ・天然の岩壁や巨石を素材とし、直接ノミを入れて造られた石仏)がある。
向田港の波打ち際にその花崗岩の巨岩が鎮座しており、その側面には磨崖和霊石地蔵(まがいわれいしじぞう)が彫られているのだ。
潮が干いたときこそ姿を現しているものの、満潮時には地蔵の肩のあたりまで沈んでしまう。なんとも場違いな設置に見えるが……。

巨岩は幅約4.7m、高さ約2.7m、厚さ約4m。西の面に舟形の輪郭内に地蔵菩薩が刻まれている。像高95cm。
頭部の背後には円光背が表現され、右手に錫杖を持ち、左手には宝珠を乗せている。また地蔵を挟む形で花瓶が浮き彫りにされている。
この地蔵は1300(正安2)年に平茂盛が仏師・念心に彫らせたものだという。さすがに700年以上もの前の作なので波による摩耗も見られるが、
いまだ精巧な刻跡をとどめている。
また銘文には『東西南北各1町(町=約109m)を未来にわたり殺生禁断(生き物を殺してはならない)』と添えられている。

この教えのとおり、佐木島では漁業は行わず、もっぱら麓の段々畑で栽培される柑橘類、メロン、スイカ、ワケギなどを特産品として出荷し生計を立てている。
漁師がいない島なんてそうそう類を見るまい。その言いつけを守った島民も実直である。
磨崖和霊石地蔵は県重要文化財に指定されている。


愛しきものたち 広島県三原市鷺浦町 向田野浦和霊石磨崖仏
http://blog.goo.ne.jp/pzm4366/e/232c0ea61461fe711950...
磨崖仏wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%A8%E5%B4%96%E4%BB%...

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430 2013/09/29(日) 14:41:14 ID:QOEVq5ugn6
     山の神と人間がともに食事する『神人共食』の神事 蓋井島(ふたおいじま)

蓋井島は山口県下関市吉母の北西約6kmの響灘に浮かぶ島だ。古くから海上交通の要衝として九州や大陸方面との交流があり、
神功皇后にちなんだ地名が島内に多いことから大陸との関係を思わせる。
周辺海域は海流の影響も手伝い海産物の宝庫で、アワビ、サザエ、ウニなどの海の幸が豊富に採れる。

蓋井島にとって特筆すべきは、伝統行事である『山ノ神神事』である。これが3日間にわたって行われる。
『山ノ神』の森で6年ごと(辰年と戌年のみ)の11月に催される神事で、日本古来の山神信仰の原型を残すものとして、
全国の民俗学の研究者たちがこぞって取材しにやって来るほど非常に貴重とされている。

その概要はこうだ。
集落の裏手にある原生林の中には、普段は枯れ枝を拾うどころか、決して足を踏み入れてはならない神聖な森がある。ここに神霊が宿ると信じられているという。
地元ではその森を単に『山』と呼び、『一の山』から『四の山』まで4つに定め、それぞれの山にはそれぞれの『山の神』がいるとされている。
神事の1日目は、まずは神迎えの日。山ごとに決められた『当元家』がそれぞれの山で神事を執り行う。
当元は代々世襲され、山の神に奉仕する慣わしで、これを『山の組』と呼ぶ。
神事の準備は島民総出で森の道づくりや山さらい、祭礼用具の作製などが行われ、古くからの伝承・風習に基づき進行していく。
2日目には晴れて、『山の組』に属する人々および神宮が山の神をもてなし、ともに食事をする。この神事の肝だろう。
3日目は神送りの神事で、ふたたび山へ帰ってもらうためのものである。

別スレ『地域の伝説やまじない・風習』の>>90でも書いたが、石川県奥能登の農家に伝わる民間信仰『アエノコト』もまた神(ここでは田の神)を招き入れ、
熱烈に歓待し、その神が口にしたとされる膳のお下がりを頂くということは、神と同じものを食べることで神の霊力を人間の体内に取り込み、そして守護を得る。
これは民俗学でいう『神人共食』の儀礼を意味する。神社で行われる祭典後の直会で、お供えしていた御神酒を下げて一同で飲み合うのも、共食の考え方に基づいている。
それどころか、よく母親や祖母の世代が口癖のように言った、「頂いたお土産やお菓子は、先に仏壇のご先祖に供えてからお上がりなさい」という考えも同義であろう。
神人共食というと、なにか仰々しくておっかないイメージがあるが、実際はわりと賑やかに飲み食いしているにすぎない。へべれけになれば見えざる神もそっちのけかも
しれない。日本の神々は怒らせたら怖いが、里に下りて来られたら一緒に食事させてくれる懐の広い庶民派が多いのかもしれない。

なお、この『山の神』の森は1960(昭和35)年、国の重要有形民俗文化財、『山ノ神神事』は1970(昭和45)年、市の無形民俗文化財に指定され、
2009年、同神事は、国土交通省が定める『島の宝100景』に選ばれている。


蓋井島ホームページ〜ようこそ蓋井島へ〜
http://www.futaoi.com/index.htm...
山口県/中山間地域づくり推進課/離島・蓋井島
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a11500/island/futaoijima.h...
城山蓋井島(しろやま)・大山(おおやま)山口県下関市
http://houshizaki.web.fc2.com/ooyama-siroyama.ht...
☆のりのり小屋☆ ☆山の神神事☆
http://ameblo.jp/min0monta/entry-11423909162.ht...
Blue'n BLUE bLOG 蓋井島「山ノ神神事」のお手伝い
http://blog.blue-n-blue.com/?eid=56855...
Blue'n BLUE bLOG 「山ノ神神事」お手伝い2日目
http://blog.blue-n-blue.com/?eid=56869...
Blue'n BLUE bLOG 「山ノ神神事」お手伝い最終日
http://blog.blue-n-blue.com/?eid=56938...
奥能登アエノコト 田の神をもてなす、奥能登の伝統行事
http://www.ricepaper88.com/backnumber/vol05/matsuri...
日本政策研究センター アエノコトに見る「農の多面的価値」
http://www.seisaku-center.net/node/54...
神社本庁 おまつりのいろは 直会について
http://www.jinjahoncho.or.jp/iroha/matsuri/index8.htm...

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