補陀落渡海追記6
記念碑には那智から船出した25人の僧の名を列挙しているが、
実際は人知れず志願した者もいたりして正確な数字がわかっていないらしい。
修験者の方も含まれていた。修行する者にとって、補陀落渡海に出るということは大変名誉なことだった。
いずれにせよ、どれもが謎に包まれ、研究家の推測の域を脱していないのが現状である。
ひとつわかっているのは、当時の民衆は僧の渡海を望んでいたことだ。
時代が混迷し、人々が生きることに絶望したとき、本尊に祀ってある千手観音菩薩に救済を求めた。
そんな思いを背負って僧たちは船に乗り込んだにちがいない。
ところが、いくら僧とて人の子。
渡海に出かけるまで、いろんなドラマがあったであろう。
那智の浜から南方に、仏に仕える者や民衆の理想郷、常世があったとされる。
伝説によると、インドのはるか南方の海上にあり、八角の形状をした山であるといわれる。常世はそこを示唆するのか?
おじさんとの談義は有意義なものとなった。その話も書くと長くなりすぎるから割愛する。
また近いうち、ここを訪れるだろう。
帰り際、車窓から那智浦沖に見える岩礁を眺めた。
頼りなげな金光坊島(こんこぶじま)が波間に見え隠れしていた。
……思いっきり、個人的なブログにしてしまい、相すまぬ。
画像は那智参詣曼荼羅。
返信する