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怖い島・いわくつきの村・総合


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194 2012/09/08(土) 17:14:48 ID:Ip2wO8um/2
     悲しき口減らし 八丈島の『人捨穴』

東京から287km離れた絶海の孤島、八丈島。
かつて日本では罪人に対する刑罰『流罪』があった。言うまでもなく流罪は別名『島流しの刑』であり、
最高刑である死罪に次ぐ重い刑だった。
八丈島が流刑の地として選ばれた理由のひとつに、黒潮の流れが速いことから『島破り』『島抜け』
(島からの脱走)が困難だったためとされている。

関ヶ原の戦いで西軍石田三成方に属した宇喜多秀家を筆頭に、その後、
明治初期に流罪が廃止されるまで八丈島には1900人近くの流人が送られてきた。
流刑地といえば聞こえは悪いが、流罪を言い渡される罪人は暴力犯よりも政治犯がほとんどであった。
そして政治犯の多くは文化人であり、元は貴族等位の高い者であった。

したがって、そのような人物が大勢流される島には豊かな文化が伝えられ、栄える事例もめずらしくなかったが、
それには流人を温かく迎え入れた島民の寛大な心のおかげだったからこそである。
むしろ島民の方こそ情報が欲しくて、積極的に流人を招き入れたほどであった。

さて、その八丈島と言えども、かつては食べるに困り、泣く泣く家族を口減らしにした悲しき歴史があった。
陸の孤島はただですら食料が乏しい。1822(文政5年)、新島からさつまいもが八丈島に伝播するまで慢性的飢饉が続き、
ついに島民は緊急避難として家族を間引きすることを決意したのだ。
三原山を分け入った先にその穴はあるという。『人捨穴』と呼ばれる穴が。

その昔、島では高齢を迎えた老人たちが男女問わずここへ連れてこられ放置された(ほとんどが自主的だったとも)。
穴に入れられた老人たちは何も口にせず、ただ死を待つのみであった。

はたして暗闇の向こうに、島の希望の灯火が見えたのだろうか?


西高東低波高し!!温泉だらけの八丈島旅行 part6 人捨穴
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聖堂の詩その7—人捨て穴
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