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怖い島・いわくつきの村・総合


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001 2011/04/18(月) 12:36:00 ID:lqbrx3Wq/c
日本全国に点在する、神秘的かつホラーな島や気味の悪い村を挙げるスレです。
もしや、あなたのご近所にもあるのではないでしょうか?

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002 2011/04/18(月) 12:38:44 ID:lqbrx3Wq/c
数多くのタブーが存在する禁断の人魚を祭る島『新城島』(あらぐすくじま)

美しい海に浮かぶ沖縄県・新城島は、数多くのタブーが存在する禁断の島と言われている。
御嶽(うたき)と呼ばれる撮影禁止、入ることも許されない人魚神社……島民以外は参加することが許されない謎の儀式。
島民も鳥居の奥に何があるか、中で何が行われるのか、決して語ってはならない。
万が一、掟に背き無断で中に入ってしまったら、その人間に災いが降りかかり、原因不明の体調不良で苦しみ、死に至る者もいるという……。

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003 2011/04/18(月) 12:47:01 ID:jBK7TQ2K8o
昔、「じゅっぱん」と呼ばれる集落があって
首つり小屋や犬の死体たくさん放置されてるとか
子供の間で噂になってて誰も近寄らなかったよ

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004 2011/04/18(月) 13:00:14 ID:IXRaRvUU7s
ここかな
今は 取り壊されてしまったけど
http://b-spot.seesaa.net/article/38297592.htm...
近くに 土地を買って小さな小屋を建てて
夏 海など 遊びに来てたりしてたんだけど
この建物に気づくまで2〜3年かかった

中に入った事はなかったけど とにかく不気味だったな・・・

主が時々外に居て 挨拶したりした

主が亡くなって 取り壊しする時 壁から主の嫁の白骨死体が出てきたらしく
やっぱり キティな人・・・だったな・・・

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005 2011/04/18(月) 13:04:08 ID:lqbrx3Wq/c
     その無人島は『海の火葬場』

岡山県笠岡市の沖合いに浮かぶ高島、白石島、北木島、真鍋島の4島を笠岡諸島という。
北木島と白石島のちょうど中間に、地元の人が通称『タテ』と呼ぶ小島がある。
地図上では正式名を『縦島』といい、たった40メートルほどの岩場だらけの無人島にすぎない。
実は平成13年まで、この『タテ』では海上の火葬場として使われていたのだ。

火葬場の施設があるわけではない。タブと呼ばれる木(クスノキ科)でヤグラを組み、その上に遺体を寝かせ、
松ヤニを油代わりに野焼きしたという。大抵は夜半から明け方にかけて、なるべく風のない日が選ばれたものの、
夏場は遺体が傷まぬうちに焼く必要があったため風向きは気にしていられない。強攻策に出ることもめずらしくなかったらしい。
そんな日は風に乗って、髪の毛の焼けるイヤな臭いや、焼け焦げる動物臭が諸島一帯に漂った。
だからといって島民は不満を訴えたりはしない。諸島に古くから根付く不文律が存在したのだ。
島に渡らずとも、通常の火葬施設はある。なぜわざわざ『タテ』に運んでまで焼く必要があったのか?

明治12年と同28年に笠岡諸島でコレラが大流行した。致死率50%の死の伝染病は一帯で猛威をふるい、
岡山全県では9千人が罹病し、うち5千人が亡くなった。島内の火葬場では遺体の焼却が追いつかず、
ついには『タテ』が選ばれ、火葬場として使われるようになったわけだ。

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006 2011/04/18(月) 13:04:54 ID:lqbrx3Wq/c
     戒名の彫られた墓石が投げ込まれている      

洋上の火葬場は『タテ』だけではない。北木島の西にも『横辺島』……島民は『ヨコ』と呼ぶ無人島でも遺体を焼いた。
奇しくも『タテ』と『ヨコ』。まるで対で存在するかのような火葬用の島。

コレラによる被害者だけでなく、スネに傷をもつ出稼ぎ労働者までもがここで処理された。
北木島では花崗岩を産出することで古くから知られ、石切り場が至るところにある。
江戸時代の初めごろから明治中期にかけて石材採掘が盛んに行われたそうで、島外から石切り職人が流れてきた。
危険がつきものの仕事だけに報酬は陸でのそれに比べ、ほぼ倍の賃金を得ることができるものの、
職人の多くは刹那的な生き方を好んだ。酒や女にバクチ。中にはやくざ者や犯罪者もいた。
そんな身寄りのない訳ありの者が亡くなると、そこで焼かれた。
むろん遺骨の引き取り手はいるはずもなく、満潮時に波がすべてをかき消していくままにされた。

画像からは確認できないが、今でも一枚岩には焼け焦げた跡が見られるそうだ。
無縁仏となった者を悼んだのか、波打ち際だけでなく、周辺の海底には戒名のついた墓石が無造作に投げ込まれているという。

とはいえ、こんな悲しい歴史がありながら、渡船をチャーターして磯釣りに訪れる人は多い。釣りキチは恐れ知らずだ。
チヌやメバルがよく釣れるという。

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007 2011/04/18(月) 14:03:41 ID:.H0zWQ..mE

いわくつきと言うよりも実証されているので怖くて言えない場所がある

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008 2011/04/18(月) 15:11:09 ID:QEgPbs5KLU
大久野島でググれ。

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009 2011/04/18(月) 15:26:25 ID:A2N4xYenkE
人売りで有名になった三重の○○○島は?
逃げ出すにも島だから逃げ出せないらしいね。
このことについて取材していた記者が行方不明になった。

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010 2011/04/18(月) 15:48:03 ID:lqbrx3Wq/c
[YouTubeで再生]
     女人禁制の『海の正倉院』沖ノ島

九州本土から約60キロ離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロの孤島、沖ノ島。

島には宗像大社沖津宮があり、宗像三女神の田心姫神(たごりひめのかみ)を祀っている。日本書紀に記されるほど古の時代から縁ある土地なのだ。
人口は、沖津宮に常駐する宮司がたった1人のみ。それも、福岡県宗像市の宗像大社からわざわざ派遣され、10日勤務の交代制だそう。

沖ノ島は古くから航路の道標とされると同時に、島全体が御神体とされ、今でも女人禁制の伝統を守っている。
とはいっても、男性ですら毎年5月27日に開かれる大祭以外の上陸は許されず、その数も250人程度に制限されているほどだ。
上陸前には海中で全裸になり、みそぎを済ましてからでないと立ち入ってはならない掟がある。
それは派遣されてくる宮司とて同じ。真冬の玄界灘は身が切られんばかりに冷たい。

今も禁忌は残っている。
海中でのみそぎだけでなく、島に上陸したとしても島にあるものは一木一草一石たりと持ち出すのは許されない。
さらに島で見聞きしたことでさえ、口にしてはいけないという過酷な掟があったため、周辺の漁師たちは畏怖をこめて、
島の別名を『御不言様』(おいわずさま)と呼んだ。

1954年(昭和29年)以来、十数年かけて沖ノ島の発掘調査が行われ、4・5世紀から9世紀までの石舞台や古代装飾品などの大量の祭祀遺物が発見された。
このことから、沖ノ島は俗に『海の正倉院』と呼ばれている。古代から信仰の対象とされていた所以だ。
また、中国・朝鮮の歴代王朝との交易で栄えていた。九州を中心に沖ノ島を世界遺産にする運動が起こり、
2009年1月5日に沖津宮・中津宮・辺津宮及び沖津宮遥拝所と沖ノ島全体を含めて宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成遺産として、
世界遺産暫定リストに掲載された。

それだけでなく、島は国の史跡に指定されているとともに、原生林は亜熱帯植物の北限地として国の天然記念物に、
海鳥の集団繁殖地として国の鳥獣保護区にも指定されるなど、自然環境の面からも保護を受けている。

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011 2011/04/18(月) 15:55:13 ID:lqbrx3Wq/c
[YouTubeで再生]
仏島は何やら不気味な島だ。

『まんが日本昔ばなし』にもネタにされてる島で(まんま『仏島』ってタイトル)、
かなりホラーな内容の伝説があるようだ。

今はどこの動画も削除されてるので観られない……

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012 2011/04/18(月) 17:56:13 ID:D80o01JGaY
>>2 一昨年行ったけどさ、信仰うんたらの恐怖よりも島民と元島民の利権の争いの方がこえーよ

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013 2011/04/18(月) 19:53:45 ID:lqbrx3Wq/c
>>12
詳しくお願いします。

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014 2011/04/18(月) 21:05:58 ID:BP2jAxz0ag
渡鹿野島・・・

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015 2011/04/19(火) 00:49:09 ID:Q4jXfd/NZE
都市伝説と違ってシャレにならないからコワい。

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017 2011/04/19(火) 19:51:24 ID:W6l1dajZHo
[YouTubeで再生]
>>8

大久野島 良いね♡

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018 2011/04/20(水) 01:11:34 ID:dTYq3J/C/o
>>4
某廃墟系サイトで突入してたっけな 懐かしい

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019 2011/04/21(木) 10:48:55 ID:DoEzwiPrZA
削除(by投稿者)

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020 2011/04/23(土) 00:09:12 ID:q9NTXmz5bM
     血族結婚の村

石川県の某集落には、いまだに血族結婚の風習が残ってる。
村民の多くは同じ苗字を名乗り、顔は老人から子供までどこか似ており、仕草まで同じ特徴が見られるという。

現代日本では血族結婚は倫理的にも法律的にもタブーとされている。
しかしながら日本国憲法においては、『本人』『直系血族』『3親等内の傍系血族(兄と妹、姉と弟、おじと姪、おばと甥)』
『直系姻族(婚姻関係終了後も継続)』『養親とその直系尊属及び養子とその直系卑属(離縁後も適用)』との婚姻届は受理されないものの、
憲法第24条には「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」とあるだけで近親者間の性交そのものを禁止しているわけではない。
すなわち、近親者同士であっても事実婚は阻害されないと、ちゃんと定められているのだ。

とはいえ、血が濃くなると障害をもった子供が生まれる確率が高くなったり、犯罪に手を染めやすいといった昔ながらの先入観もあるだろう。
ところが、この村の人々の特徴は、IQや運動能力がズバ抜けて高く、ほとんど病気知らずらしい。
あるマスコミ関係者は言う。「某村の人々が病気にならないのは、通常では考えられないような強い免疫力を持っているからに違いありません。
突発的に、住人の1人が突然変異によって獲得した『特殊能力』が血族結婚によって守られ、代々受け継がれてきたのではないでしょうか」
唯一のマイナス面といえば80歳で胃癌で亡くなる遺伝傾向があるそうだが、そこまで生きられれば御の字だろう。


ではなぜ、今もなお血族結婚の風習が廃れることなく続いているのか。
村を出たという元住人の証言によれば……
数百年前、村は飢饉の打撃を受け、村人のほとんどが餓死する窮地に陥った。
この危機的状況を打開すべく、村人らは一計を案じた。村へ嫁ぎに来た女性を『民の花嫁』とするのだ。
一個人に捧げるのではなく、村の男全員に奉仕する役目を負わせたわけだ。
つまり、花嫁は万が一、夫との間に子供ができなくても、村人の誰かの子種を宿すことができれば確率的に子孫繁栄しやすくなる。
一の矢がはずれても、二の矢、三の矢で的を射るべし、ということだ。
婚礼の前日、たった一人実家に残された花嫁は、次から次へと訪れる村の男と交わねばならないという。
新郎はそれを指をくわえて見守るしか術がなかったそうだ。

この『民の花嫁』の風習のおかげで、某村はかつての活気を取り戻したうえ、予期せぬ副産物も得ることができた。
上述した『知能・運動神経が秀でており、なおかつ病気に強い』遺伝子を獲得するに至ったというわけだ。

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021 2011/04/23(土) 00:15:22 ID:q9NTXmz5bM
     『クロ宗』の鉄の掟

今から400年前、キリスト教徒が江戸幕府によって迫害されていたころの話。
島原の乱に敗れたあと、彼らは幕府からの厳しい弾圧を逃れるべく、鹿児島県、下甑島(しもこしきじま)に流れ着いた。
離島であるがゆえに、幕府の追及も届かない。ようやく安住の地を得た彼らはこの島にTという集落をもうけ、
なおもキリスト教を信仰し続けた。
とはいえ世間から孤立することにより、キリスト教本来の教えとは異なる独自の宗教を編み出すに至る。
それが『クロ宗』だった。
クロス(十字架)が語源といわれ、外部との接触を完全に拒んだ秘密結社的な概念。
驚くべきことに、隠れキリシタンの末裔たちによって、今もなお受け継がれているそうだ。

『クロ宗』の最たる特徴は、死の儀式にある。
信者が生命の危機に瀕した場合、『サカヤ』と呼ばれる司祭のもとに運ばれ、まだ息があるにもかかわらず、
生き血と生き胆を摘出するというのだ。
信じがたい話だが、その取り出したるモノを信者全員で食べ、飲み干すという……。

ある大学の民俗学教授は言う。
「宗教儀式の中には、死者の魂を取り込むため、身体の一部を食するというものは存在します。
ですが、生きているうちから血と肝を抜くというのは稀ではないでしょうか。
サカヤ(司祭)の家から出される遺体は白い布でグルグル巻きにされ、
その布には血が滲んでいるというのですから、恐ろしい儀式ですよね」

とはいうものの、この禁断の儀式は詳細がいまだ明らかにされていない。
『クロ宗』を信仰するT集落の住人は、よそ者を完全に拒み、話しかけても相手にすらされない。取材にも一切応じない。
家屋は全部で20戸ほどの小集落にすぎない。しかもそれぞれの家が、3メートル前後ものブロック塀で囲まれており、
異様な雰囲気を醸し出している。

『クロ宗』信者には集落内での出来事を一切口外してはならないという鉄の掟があり、
それを破った者は命を取られるのではないかともウワサされている。

※明治時代まで肝食いをやっていただの、集落に近づけさせないためのデマにすぎないとの諸説がある。あまり真に受けないように。

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022 2011/04/23(土) 00:22:32 ID:Yr4u.CGh2Y
地方新聞の記者の女の子がゆk

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023 2011/04/23(土) 10:55:29 ID:q9NTXmz5bM
     クブラバリ

沖縄県の与那国島には悲しい歴史がある。

久部良集落の高台にある久部良張り(クブラバリ)とは、幅2〜3メートル、深さ10数メートルほどの岩と岩の割れ目……クレバスだ。
その昔、八重山には琉球王府により、収穫量や能力を考慮することなく単純な頭数でかけられた人頭税なるものが存在した。
人頭税という制度は、「政府が要求する年貢は、島民1人につき、これだけ収めよ」という悪しきシステム。
与那国島で採れる作物量は限度があるし、年貢だけ収めててもギリギリの生活なのに、大家族だとますます首を絞められる。

この重税から逃れるため、島民は苦肉の策として口減らしを余儀なくされた。
なんと妊婦を集め、そのクブラバリ……岩と岩との割れ目をジャンプして飛び越えさせたというのだ。
失敗して転落死する女性、なんとか飛び越えられたとしても、恐怖のあまり流産する妊婦が出た……
つまり、これ以上島民を増さないよう、弱者の淘汰を促したのだ。

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024 2011/04/23(土) 10:57:43 ID:q9NTXmz5bM
     トゥングダ

同じく与那国島。今から200年もの前の話。
祖納の人舛田(トゥングダ)では、ある日突然、ホラやドラが打ち鳴らされたら合図。
それを耳にした男たち(15歳以上)は、仕事中だろうがなんだろうが、すべてを投げ捨て、
一目散に人桝田めがけて走り、我先に飛びこまなければならない。
その田んぼに入りきれずあぶれた者、たどり着けなかった者(ケガ人・病人・老人など)は、
島民の合意のもと、殺害されたという。

舛(マス)で人を計り、あふれた者を処分する。
そうでもしなければ人頭税は納めきれなかったそうだ。

現在はサトウキビ畑として名残りをとどめている。

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025 2011/04/23(土) 17:37:28 ID:q9NTXmz5bM
日本の各地には「避け地」と呼ばれる、伝染病隔離地区が存在していました。
隔離された集落には、定期的に食料が支給されていたのですが、
太平洋戦争が激化し、食糧難に陥り、政府側は彼らを「見捨てた」のです。
その事実を政府は、例の臭い物に蓋的に隠し続けてきた歴史があるのです。
犬鳴村がそうであるとは言いませんが、日本には実際に存在する事は確かです。
皆さんの住んでいる近くで、山間部の人気がないところに、自衛隊のヘリが定期的に飛んでいる所が有るんじゃないですか?
この事は自衛隊内でもトップシークレットに属す事ですので、知っている人は少ないはずです。
因みに、「避け地」に行く陸路はほとんど無いと考えられます。

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026 2011/04/23(土) 19:27:40 ID:WZBvYjn5eA
027 2011/04/24(日) 00:23:33 ID:Bba2kWODZ.
>>25
避け地に行く陸路がないような場所にどうやって伝染病患者を集められたのですか?
戦前陸路がないような場所にどうやって定期的に食糧を届けてたのですか?
戦前からヘリなんてあったっけ?

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028 2011/04/24(日) 00:43:52 ID:N3w9.rmqMs
>>27
2ちゃんのコピペです
信憑性は高くないと思われ

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029 2011/04/24(日) 00:54:05 ID:N3w9.rmqMs
岡山県備前市の鶴島はキリシタンが流刑に処された島。

地元の人はここへは寄り付かないことで有名。いろいろと怖いウワサがあとを絶たない。
島の所有者がことごとく逃げ出している。詳細はあえて書かないでおく……
http://www.city.bizen.okayama.jp/kankou/guide/hinase/spot/tsuru...

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030 2011/04/24(日) 08:20:19 ID:N3w9.rmqMs
405 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2008/09/08(月) 21:06:39.35 ID:/nYwLP210

俺の親の実家にいまだに行われてる気味の悪い風習
親の実家は九州のとある島なんだけど、そこでいまだに信じられてる土着信仰があって、
なんでも死者は生者の血となり肉となり生きるってやつ
それは文字通り人が死んだら、その親族一同がその死者の肉の一部を食べるんだ
昔は骨までしゃぶる程やってたらしいけど、最近は流石に色々な問題があるらしく体の一部を切り取って
それを料理に混ぜて食べるって感じになってる
小学校の頃に初めて祖父の葬式でその儀式に立ち会ったけど、大きな肉きり包丁で右腕をひじの辺りまで切り取ってた
それを細かく切り分けてよく火を通してみんなで食べるんだけど、俺はどうしても無理で、
最終的に親父に無理矢理押さえつけられて食べさせられたのが今でもトラウマ

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031 2011/04/24(日) 08:49:27 ID:N3w9.rmqMs
     山賊村の村長はペテン師

三重県津市(以前は美里村だったが、2006年に津と合併。現在は津市美里町)の山中を進むと、
広大な土地が開けているのだが、僻地にふさわしくないペンションが乱立しているのだ。
ところが今では長年の風雨にさらされ、不気味な廃墟と化している。
近隣の地元の人は吐き捨てるように、こう呼んでいる。……『山賊村』と。

現在、山賊村では自らを『村長』と名乗る年老いた男がたった1人で住んでおり、ペンション経営をとうの昔に辞め、
自然食を食べさせてくれる『長寿郷協会』なる私設道場を開いている。
ネットで調べると、近くに同じ名前のアウトレットモールやレストランがあるらしく、
時折、県外の人たちが誤って足を踏み入れてしまうケースがあるそうだ。
しかし、あまりの異様な光景を目の当たりにし、慌てて逃げ出す人がほとんど。

村長の評判は最悪だ。
「あいつは大ペテン師だ」「あんな人間とかかわるのはやめた方がいい」「あの詐欺師に、まんまと嵌められた」
……などと、近隣住人が罵るにはワケがある。

過去になにがあったのだろうか? 近隣住人の1人が告白する。
「あそこはかつて村長の私有地だったのです。数十年前に、あの人にこう持ちかけられたんです。
『近いうち、この近くに空港が開発されることになった。とすれば、このあたりも観光地になるに違いない。
工事関係者から極秘に入手した新空港建設プロジェクトに乗っかり、私の所有する土地を山賊村と名づけて、
自然と触れ合えるテーマパークにしようじゃないか。土地を安く譲るから、ペンションを建てて儲けないか?』と」

村長は口が達者な男だったらしく、地元住人の多くが賛同し、こぞって山賊村予定地内に土地を購入した。
そのころから、山中には不釣合いなオシャレなペンションが林立していった。

ところがいくら月日が経っても、そんな僻地に空港が開発されるはずもない。
土地購入者たちはようやく騙されたことに気づいた。怒り狂い、みんなして村長のもとへ怒鳴りこみに行ったものの、
購入の際に契約書を作っておらず、口約束のみで資金を投入したので、ペテンにかけられたことを証明することにならなかったのだ。

騙された方も悪い。欲に目がくらんだ負い目があるだけに、裁判を起こすまでには至らず、泣き寝入りするしかなかった。
僻地のペンションなど、客が押し寄せ、繁盛するはずもない。廃墟と化すのに時間はかからなかった。
今でも村長は山賊村に居座っている。


※下記のURLは、山賊村に単独潜入を試みた猛者のブログ
http://blog.livedoor.jp/tokaimakai/archives/50190176.h...

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032 2011/04/24(日) 09:19:12 ID:N3w9.rmqMs
     通夜島

和歌山県串本町大島に寄り添うようにある面積が0.3km2しかない無人島。
縁起が悪い島名だが、葬式とは関係ない。
三韓征伐で知られる神功皇后が忍熊皇子(おしくまのみこ)に謀反を企てられ、
この島に身を隠したときに住人が夜を徹して見守ったところから通夜島と名づけられたという言い伝えがある。

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033 2011/04/24(日) 13:57:28 ID:f5Punyj9Mc
>>23-24
その話読みたかったんだ。ありがとうSさん。

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034 2011/04/24(日) 14:13:49 ID:Y6KhihCOxw
>>31
近所だがそんな話、聞いたこともない

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035 2011/04/24(日) 15:09:44 ID:N3w9.rmqMs
>>33
どういたしてまして。
お久しぶりです。諸星大二郎のスレでも書き込んでましたね。
僕にはあなたが誰だか、ちゃんとわかってますよ。

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036 2011/04/24(日) 20:54:31 ID:N3w9.rmqMs
     人肉鍋の村「食っちゃった」

1945年2月、太平洋戦争末期に群馬と長野の県境に位置する尾沢村で起こった事件。
ただでさえ食糧難の時代背景にくわえ、山間部の痩せた土地である村で極貧生活をしいられていた家族がいた。
それが天野朝吉と、妻の秋子。2人は再婚同士ではあったが、ともに知的障害者だった。
また子供は4人おり、そのうち3人は秋子の連れ子で、一番年長(17歳)のトラが朝吉の連れ子だった。
トラも同じく、人と話ができないほどの重度の知的障害をもっていた。

夫の朝吉は怠け者でろくに仕事もせず、生活は日に日に悲惨な状況になっていくばかり。
秋子も内職をして家計を助けるほどの機転がきくわけでもなく、無為にすごしていた。
いくら戦時中とはいえ、山村ならば畑へ出て汗水を流して精を出せば、ヒエ、アワ、コンニャクぐらいは採れたものを、
近所から野菜くずを恵んでもらうなどして飢えをしのいできたにすぎない。

しだいに施しを受けていた近所からも見放されるようになる。
たった1本の大根が唯一の食料となったとき、秋子は夫がいない隙に決断する。

長女のトラは以前から持て余していた。重い障害をかかえただけでなく、図体ばかり大きいうえ飯は人一倍食べるし、
これまた家でゴロゴロするしか能がない。
食いぶちを減らすだけではない。その肉を食ってやろうと秋子の頭をよぎったのだ。

他の子供らを外に追い払うと、トラを絞殺。ノコギリと包丁で娘の身体を解体した。
ワタは庭先に埋め、バラした肉片を煮えたぎる鍋の中に放りこみ、残り少ない塩と醤油で味付けした。
鍋からは黄色い脂がアクとなって浮き出してくる。彼女は夢中になってそれを取り除き、なおも煮続けているうちに、
得もいえぬうまそうな香りが立ち込めてきた。

やがてすきっ腹をかかえて子供たちが帰ってきた。鍋を見て叫んだ。「かあちゃん、うまそうな鍋だな。なんの肉だ?」
秋子は満面の笑みを見せて、「ヤギの肉だべ。さあ一緒に食べよ!」と言った。

その後、終戦を迎え10月。村に戸籍調査に巡査がやってきた。空襲や移動などで、行方不明者の数が多かったせいだ。
巡査が天野家をたずねると、子供が3人しか見当たらない。
「長女トラはどこへ行った?」と巡査が問いただすと、秋子と朝吉は要領を得ない返事。
不審に思った巡査は署に連絡し、警部補を呼んだ。
警部補が取調べしたところ、天野夫婦の話が破綻だらけであることが発覚し、なおも追及。

頃合を見計らって、警部補は秋子を怒鳴りつけた。
「おい秋子! おまえウソをついておるな? トラはどうして殺害したんだ!」
秋子はビクリとし、しばらく言葉も出ず俯いていたが、やがて声をしぼり出し、こう言った。
「食っちゃった」

天野秋子は心神喪失を認められず、懲役15年の刑に処された。


※画像はイメージです。 

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037 2011/04/25(月) 03:32:13 ID:Mq1gTFJLPc
削除(by投稿者)

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038 2011/04/25(月) 15:22:13 ID:ISgApb4nNk
312 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/06/27(金) 03:08:27.94 ID:0LIngHwWO
母の友人が二十年以上、○TAMA医科大学で看護婦で婦長かなんかをしているんだけれど
その人から聞いた話。○TAMA医科大学よりも人里離れた山奥に鉄格子のある建物で
奇形の人達を隔離して治療している施設があると言ってた。実際その人も行ったことがあると。
細胞の病気で複数の目がある人や、人間の容姿とは言えないような容姿の方が沢山いるらしい。


327 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/06/27(金) 03:13:02.74 ID:9dujutiqO
>>312その話はガチだ


380 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/06/27(金) 03:25:08.12 ID:BNtL6KHTO
>>312
うちのカーチャンが俺を産んだ時の入院中に、病院の隔離された部屋の近くで凄い奇形児見たって言ってた。
廊下の隔離部屋の近くにストレッチャーに乗せられてて、普通に赤ちゃんだと思って見たら奇形だったらしい。
隔離部屋から出てきた看護婦が慌てて、カーチャンを叱って隔離部屋に持ってったそうな。
隔離部屋は、冷暗室付近の階みたく一般人が立ち寄り禁止の一角で、カーチャンは迷って立ち入ったらしい。
冷暗室は別の場所だから、あの奇形は行きてた事になるからその後が気になる
出産入院中のママ友達はちゃんとした子供産んでたから、だれが母親だったのか気になる
ってカーチャンが言ってた。

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039 2011/04/25(月) 15:26:26 ID:ISgApb4nNk
夜、道に迷って入った集落があった。
すごい深い森のすごい急斜面に9軒ほどの集落があったんだが、
その集落の入る手前に大きな岩があって注連縄がされてあった。

その集落から先には進めないようだったので、引きかえしたが、
あとになって住宅地図でその集落のところを探すと、
家自体は地図には載ってるけど、世帯の名前や番地が書いてなかった。
(集落の地名は書いてあったが…)

上にあったレスでそういう集落は航空写真では修正されているとあったので、
googleで航空写真をみると山影で真っ黒くなってる。
その集落へ続く道はちゃんと写真に写ってるのにね。

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040 2011/04/26(火) 07:22:56 ID:3/EMguLFmY
[YouTubeで再生]
旧日本軍の基地へとつづく放射能漏れ?のトンネルがあって
そこで日本兵が今もいるらしい

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041 2011/04/26(火) 08:33:22 ID:Y3i4Td3qno
49 :天之御名無主:03/11/26 07:14
俺の実家あたりの村でわ
八月初旬の祭日に村人総出で
山道を登ります
峠にさしかかるとお祈りを捧げ
お社(道祖神?)の裏にある小路に入ります
この小路は草と木と岩に隠されており
一般人にわ決して見つけられません
しばらく歩くと森の中に小さな火葬場があり、土俵があります
消防らはそこで黙々と相撲をとります
大人も声援してわいけません
全員相撲を取り終えたら
行列を作り村まで無言で帰ります
途中でこの奇祭を部外者に見られたら村長が
「お馬周り二百石、大場宇兵衛様のお弔いで御座います」
と説明する。が、意味不明w

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042 2011/04/26(火) 09:22:08 ID:Y3i4Td3qno
>>21
芥川賞作家、堀田善衛が「鬼無鬼島」でクロ宗をモチーフに小説を書いてる。
http://d.hatena.ne.jp/oyama_noboruko/20060810/p...

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043 2011/04/26(火) 12:00:16 ID:cQze0Rqkl6
新島。かいなんほうし。

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044 2011/04/27(水) 10:19:37 ID:mfJgqEOrRM
     ハンセン病患者を隔離した島

明治時代から最近まで、伝染病患者を収容する施設が全国あちこちに存在したのは知られているが、
まるごと隔離施設として使われた島がいまだにある。それが香川県高松市庵治町にある大島だ。
高松港から8キロ先の沖合いに浮かぶ、大島とはいいながら面積わずか61ヘクタールほどの小さな島にすぎない。
そこに国立ハンセン病療養所、『大島青松園』が建っている。
過去に、ハンセン(らい)病患者が収容とは名ばかりに、隔離施設として使われてきた負の歴史があるのだ。

ハンセン病とは、抗酸菌の一種であるらい菌が末梢神経細胞内に寄生することによって引き起こされる病。
顔面や手足などの変形を伴うことから偏見の目で見られ、患者たちはいわれもない差別を受けてきた。
かつては効果的な治療法がなく、空気感染する(現在では完治でき、感染力も非常に弱いことが明らかになっている)と恐れられたことから、
日本全国に13か所の国立療養所と2か所の私立療養所がつくられ、患者たちは無理やり押し込められていたのだ。

大島への交通手段は、庵治町と大島青松園間は専用フェリーが運航しており、無料で行き来できる。
今でこそ往来は便利になったとはいえ、1907年に開園して以来、長きにわたって島と外部との接触は制限されてきた。
島に『隔離』されたまま人知れず息を引き取った入所者は2000人を下らないといわれており、いかに大島が、
刑務所並の厳重な管理体制が敷かれていたかが窺える。
以前はこの島から脱走できないよう、施設の周囲は有刺鉄線で張り巡らされ、財産もすべて没収されたうえ、
代わりに大島内でしか使用できない特殊通貨(主に貨幣)が支給されていたという。

現在でも、大島では50歳から100歳までの患者が200人近くが入所している。2004年度の調べで平均年齢が76.5歳。
高齢化が進み、年々老衰で亡くなる人の数が増える一方だそうだ。

必要な治療を続けるかたわら、各々が自由な暮らしを送ることができる。
ここでは早朝5時から一日の生活が始まる。元気な者は朝から農園へ出かけ、畑仕事に精を出してもよい。
8時の朝食を終えると、治療したい人は治療棟へ出かけて傷の手当てを受け、リハビリ室で運動したりして、
11時ごろには部屋に戻ることができる。
反対に、身体が不自由な人は午前中に職員の介助で入浴し、元気な人でも午後から共同浴場へ行ける。
(ハンセン病の民間療法として、入浴と熱を加える治療法がある。その昔、草津の湯がハンセン病に有効成分が
含まれ、全国から患者が集まったことがあったらしい。全生病院では、『風呂場外科』という科も存在する)

12時の昼食を終えると、リハビリや百寿会、クラブ活動(ゲートボールや手芸・陶芸など)に参加したり、
職員の付き添いつきで散歩に出かけたり、畑仕事の続きをしたりして、各自自由にすごすことができる。
午後4時に早めの夕食をとったあとは、ラジオ、テレビに興じ、8時には床に就くという規則正しい生活を送っている。

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045 2011/04/27(水) 10:20:34 ID:mfJgqEOrRM
2001年に国が隔離政策は誤りだったことを正式に認めるまで、そして罪を後世に残さない意図で、
書物による記録が残されていないので今となっては過去に患者たちがどんな扱いを受けてきたのか知るには
直接、聞き出すしか術がない。

昔の患者の扱いはひどいものだった。
治療は二の次で、『楽土建設』という名目で患者たちは重労働を強いられた。
乏しい食料費を自分たちでまかなうべく自給自足の農作や畜産。
住まいも6畳間に夫婦が仕切りなしで2組生活させられ、単身者の場合だと12畳に8人が押し込められた。
れっきとした国の医療機関であるにもかかわらず、医者や看護婦の数が足りず、注射は患者同士で打ち、
身体が不自由な者の世話も、元気な患者が交代で行わなければならなかったほどだ。

施設内には『監禁室』があり、言うことを聞かない患者が収容された。
とりわけ一番の罪は逃亡罪であり、たとえ内地にいる親の死に目に会いたくてもご法度とされた。

人権侵害の最たるものが、患者同士、夫婦になることを認められるこそすれ、有無を言わさず強制断種手術を施され、
子供を生むことは許されなかったことだ。
祖国浄化の名の下に、天皇の赤子として『健康であること』がすなわち『日本民族』の条件とされ、
障害者や病人は植民地政策になんの役にも立たない国の邪魔者とされ、人として認められず、強制隔離もやむなしというわけだった。
病む者がすがるべきは『療養所』であるのに、罪人としての扱いを受け、まさに国辱として社会から抹殺するかのようだった。

島の南端は断崖絶壁で、そこは自殺の名所だった。
当時の入所者は将来に絶望し、毎日のようにここから身を投げたらしい。


※画像は当時の名残をとどめる監房跡。

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046 2011/04/27(水) 11:44:04 ID:mfJgqEOrRM
[YouTubeで再生]
1996年に『らい予防法』が廃止され、 2001年には『らい予防法』違憲国家賠償請求訴訟で原告が勝訴し、
国は控訴を断念し判決が確定した。
これを受けて、退所者給与金制度などが設けられた。しかし、「せめてもう10歳若かったら社会復帰も考えないではないが、
もうこの歳になると……」とか、「今になって帰ってもよいと言われても、親はすでに亡くなっており、兄弟姉妹もかなりの歳であり、
また子供もいないので、帰るところがない」といった入所者の声がある。
いずれにせよ、入所者たちは歳をとりすぎた。

それに加え、2003年11月に起きた熊本県の黒川温泉のホテルによる療養所入所者の宿泊拒否や、
それをめぐって入所者に向けられた誹謗・中傷の電話や手紙などの背景があったことから、
世の中には、いまだハンセン病に対する理解が得られておらず、偏見・差別などが根強く残っていることを再認識せざるを得ない。
さらに、ハンセン病による後遺症としての重複した障害があることなどにより、医療に対する不安もあり、
社会復帰はほとんど進んでいないのが現状だ。

大島で亡くなった患者たちの亡骸は、本州を見渡せる高台にある慰霊塔に葬られる。
慰霊塔『風の舞い』は、亡くなられた方を火葬にし納骨した残りの骨を治めている場所で、
平成4年、約1000人のボランティアで造られたモニュメント。
2つのモニュメントはそれぞれ天上・天下をイメージし、海に向かって据えられている。
亡くなっても故郷に帰れない人がほとんどだった。
せめて死後、魂は風にのって島を離れ、自由に解き放たれますようにという願いがこめられているという。


※動画は、東村山にある国立ハンセン病療養所多摩全生園から、元患者が68年ぶりに帰郷するもの。参考に。

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047 2011/04/27(水) 11:52:37 ID:mfJgqEOrRM
削除(by投稿者)

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048 2011/04/28(木) 09:15:32 ID:mqrJMGuRWQ
「泥棒村」でググるべし。
いろんな意味でここで書くことが憚れる。

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049 2011/04/28(木) 20:30:35 ID:E0lZcnE5yA
御蔵島 [忌の日の明神]
鉄の下駄を履き、赤い衣をまとった恐ろしい形相の神様が、1月20日に御前に上陸して歩き回り、24日の夜になると村にやってくるため、この日は決して家の外には出てはならないとされている。1月24日の夜は今でも島中がひっそりと静まりかえっている。

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050 2011/04/28(木) 21:24:41 ID:rqL4eCPGe2
ごめん。猪木が赤いタオル首にかけて、あのテンションで歩いてるところ想像しちゃった。

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051 2011/04/29(金) 08:47:14 ID:mZdZCoHGjI
     訳ありの者たちが流れ着く島と流刑村

屋久島と奄美大島の間には、北東から南西にかけて点在する島々がある。有人島が7つと無人島が5つ連なり、
これをトカラ列島と呼ぶ。トカラ列島すべての島は、鹿児島県鹿児島郡十島村の行政区域となる。

人口は全島で1000人にも満たないほどの過疎地帯。交通手段は、たった一隻の村営フェリー『としま』が、
鹿児島と奄美大島の間の島々を週2回往復するだけ。病院といえば、小さな診療所こそ全島にあるものの、
手術を要する急患の場合、鹿児島にある自衛隊鹿屋基地からヘリコプターが飛んできて、患者を鹿児島の病院まで運ぶしかない。
どの島にもヘリポートは必須ということになる。

さて、トカラ列島のS島にはいわくつきの村がある。S島はこれといって観光名所があるわけではない。
集落の外れにバブル時代に建てられ、廃墟と化したリゾートホテルがあるのだが、ここへは迂闊に足を踏み入れてはならない。
廃墟では、訳あり連中が共同生活をしているというのだ。……片腕のないカタ〇、背中に刺青の入った者、小指が欠けているなんてザラ。
『組』から絶縁を言い渡され、本島から追放された元やくざたちが最後に流れ着く島がここなのだ。

もちろんS島には純粋な島民も暮らしているが、最近では流刑人の数の方が多いらしい。

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052 2011/04/29(金) 08:51:55 ID:mZdZCoHGjI
     悪石島(あくせきじま)とプリミティヴな異形の神ボゼ

鹿児島トカラ列島にある悪石島。なんてオドロオドロしい島名だろう。
『悪』とつく地名は他に類を見るまい。たしかにこの島の周囲は断崖絶壁となっており、海に向かって石が転がり落ちることから
名づけられたともいう。トカラ列島には平家の落人伝説が残されている。平家の落人が源氏の追っ手から逃れるために、
『悪石』と呼んで近寄り難くしたとの説もある。
 
この島には、現代文明では考えられないような風変わりな伝統行事がある。
旧暦の7月7日から16日まで盆踊りがあり、最終日に太鼓の音が響き渡ると島の古老がこう叫ぶ。「ボゼが出っど!」
それを合図に、『仮面神ボゼ』なる不気味な衣装に身を包んだ島民が3人が登場し、幕引きの役目を担うのだ。

画像が問題のボゼだ。
いかがだろう? とても現代日本では考えられないような出で立ちではないか。
赤土と墨で塗られた奇怪な仮面をかぶり、ビロウという葉の腰ミノを巻き、手首や足にシュロの皮をあててボゼに扮している。
手にはボゼマラという長い棒を持っており、それを振り回しながら人々を追い回すのだ。

盆になると、先祖の霊とともに悪霊も現世にやって来るといわれている。その悪霊を追い払い、新しい世界へと導くのがボゼ神の役目だ。
まさしく悪石島だけの(人口は100人にも満たない)奇習であり、マニアックな嗜好の観光客を呼ぶ英雄的存在でもある。
民俗学者の間では、パプアニューギニアやインドネシアなどの祭に出てくる神の姿と酷似していることから、
起源を南方系から流れてきたのだとする説があるが、いまだ確証は得られていない。

秋田のナマハゲを彷彿とさせるものの、関連はないらしい。ナマハゲと決定的に違うところが1つある。
それがボゼマラによる突っつき攻撃だ。『マラ』から連想できるようにペニスの象徴で、棒の先端も心なしか亀頭の形をしている。
ボゼが登場するとともに、念入りに女子供が追いかけられ(本気で泣き出す子供もいる)、赤土の泥がついたボゼマラで突っつかれる。
泥がつけられた女性は子宝に恵まれ、子供の場合は健康に育つといわれている。
おっかない姿ではあるけれども、島民にとっては歓迎すべき神様なのだ。
祭のクライマックスでは悲鳴と泣き声、歓声に包まれ、楽しく幕を下ろす。

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053 2011/04/30(土) 03:55:18 ID:EyBzF7dL0g
47 :番組の途中ですが名無しです :2006/01/09(月) 18:26:53  
145 名前: 避け地って 投稿日: 1999/12/16(木) 16:51
本当にあるよ 和歌山の山ん中、田辺市から熊野のほうにずっと入った所
親戚のばあちゃんから聞いた
140さんの書いたような理由で放置された部落があるって言ってた。
戦後、町に出てきたその部落の人がいたそうだが、よってたかって殴り殺され、
死体は焼かれたという事 田辺界隈の老人のあいだではタブーになってる話だ
今もその部落は残ってるが、やはり自給自足で10世帯があるかないからしい
(30年くらい前のうわさで)
電気もなにも無く、行くには国道から(和歌山の山深い国道は、舗装もしてない所多い)
けもの道に入り、1000メートル級の山を越えなくてはいけないという事だ。
このほかにも数ヶ所あるらしい

知ってるかぎりでは、福井県敦賀市の山奥にもそれらしい村がある、
そこは「部落民以外はこの奥入るな!」とかんばんが立っている
入らずに、入り口で車を止めてただけなのに
奥からあらわれた血走った目のおやじ数人に追い払われた(実話)

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054 2011/04/30(土) 03:58:48 ID:EyBzF7dL0g
57 :番組の途中ですが名無しです :2006/01/09(月) 18:30:14  
153 名前: トトメス 投稿日: 1999/12/17(金) 11:20

140の者です。
「避け地」に対する食料物資搬送は主に航空自衛隊(離島の場合は海上自衛隊)の
「特殊救難隊」が行っている(いた)ようです。「避け地」の人々は高齢化が進んでおり、
自給自足をしていたのは20年ほど前までです。
彼らのほとんどは「らい病」ですので、食料搬送と同時に、軍医(?)の診察も受けます。
小説に出てくるような「排他的で、攻撃的な」部落はもう存在しません。
安心して行って来て下さい。 犬鳴村なんか無いと思いますが・・・。

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055 2011/04/30(土) 06:11:31 ID:3PfA2lhi/k

巌流島とかどう?

対馬の化物島とか

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056 2011/04/30(土) 12:28:08 ID:WOKrW9s2xs
対馬は美女村だな。

美女塚伝説異聞
http://www1.ocn.ne.jp/‾kurose/minwa05.htm(音量注意。このサイトは音楽が流れてる)

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057 2011/05/01(日) 19:27:36 ID:pcMaqOjNFU
削除(by投稿者)

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058 2011/05/02(月) 03:10:57 ID:AMSNQJG4GQ
削除(by投稿者)

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059 2011/05/02(月) 03:12:38 ID:AMSNQJG4GQ

­
­





兵庫県淡路島
古くは“阿波路”と書き、文字通り畿内から阿波の国へ渡る中継地であった

それは、死国(しこく)へと誘う島でもあった・・・
四国八十八箇所巡礼の旅とは生への執着を捨て殺す旅でもあり、
四国に赴く巡礼者たちは皆、明石海峡を渡り鳴門海峡に至るまでに浮世の未練を捨て去ったと云う
己殺(おのころ)島と呼ばれる所以である・・・

はじめにイザナギとイザナミはこの世に地を創った
淡道之穂之狭別の嶋(あわじのほのさわけのしま)、即ち淡路島である・・・

はじまりにして終わりの地
淡路には、嫁の出産時に村の長老が棺桶を持参して赤子の誕生を祝う習わしがあるという
この地で生まれた赤子が天寿を全うし、再びこの地に眠るという願いをこめた風習であり、
現在も淡路各地で行われているという・・・

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060 2011/05/02(月) 09:11:47 ID:S.erbHXoe6
[YouTubeで再生]
     ニライカナイに近い神の島

沖縄の久高島と来れば、神秘の神事『イザイホー』が有名。
琉球伝説で知られる『ニライカナイ』とは、あの世、常世の国、どこかにあるはずの理想郷として
沖縄県や鹿児島県奄美群島の各地の人々に今もなお伝わる概念だ。
そして久高島こそ、もっともニライカナイに近い島だと信じられている。

イザイホーとは12年ごとに訪れる丑年の旧暦11月15日から4日間執り行われる行事。
島の女性たちが神女になれるかどうかが試される通過儀礼であり、選ばれた神女はその他の祭祀を一任させられるという。
イザイホーに参加できる女性は、『ナムチュ』と呼ばれ、細かく厳しい条件を必要とする。
そしてさまざまな通過儀礼を経て、晴れて祖母霊と呼ばれる霊力を授かるのだ。

史料に記録される限り600年以上の歴史を持ち、来訪神信仰の儀礼として日本の祭祀の原型を留めているとされ、
多くの学者の関心を集めて、1966年、1978年のイザイホーには、本土からも多くの民俗学者、取材陣が久高島に駆けつけた。
しかしながら現代では島の過疎化が進み、1990年はナムチュの条件を満たす女性の不在と、
儀式の段取りをもっともよく知る久高ノロウメーギ(神職名。久高ノロの補佐役)の逝去のために行われていない。
2002年もナムチュになる女性の不在などの問題により中止され、1978年を最後に現在に至るまで行われておらず、
その存続が危ぶまれている。
http://www.kudakajima.jp/ima/index.htm...

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061 2011/05/02(月) 12:01:41 ID:S.erbHXoe6
     軍艦島に寄り添う火葬用の島

長崎県端島と言えば、キング・オブ・廃墟として知名度の高い、通称『軍艦島』だ。
かつては日本でも屈指の良質な炭鉱が存在し、ピーク時には約41万トンもの石炭を産出した。
我が国の高度成長期を支え、時代とともに風化していったのは周知であろう。
当時、世界一の人口密度を誇った東京に比べ、優に9倍以上もの5000人を超える炭鉱夫とその家族、そして商売人たちが生活していた。
端島には炭鉱施設や住宅のほか、銭湯、小中学校、病院、寺、映画館、理髪店、美容院、パチンコ店、雀荘、スナックなど……
ありとあらゆる店舗・施設がひしめき、島内だけで完結した都市機能がそろっていたといわれる。
(もっともその栄華も、主要エネルギーが石炭から石油に取って代わられると1974年を最後に見捨てられる)

光あたるところに影あり。炭鉱都市として設備が整った島でありながら、意図的につくられなかった施設があった。
それが火葬場と墓場だった。物理的に土地が足りなかったせいでもあるが、死と隣り合わせの炭鉱夫にとって、
マイナスをイメージさせるそれらは忌避され、ひっそりと端島の北に位置する中ノ島に設けられた。

現在、中ノ島には、端島と同じく炭鉱施設と思われるレンガ造りの構造物、展望台跡、公園跡、納骨堂跡、火葬場跡などが残っている。
長崎市により管理されている端島は立ち入り禁止区域があるが、中ノ島は誰でも上陸することができる。
ここも>>5>>6の縦島・横辺島と同じく釣り人がよく訪れるそうだ。
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/dcd595be47473cfe3...

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