本来は斐伊川=簸の川は初瀬川(大和川、三輪川)ではなかったか?
『夕さらず 河蝦鳴くなる 三輪川の 清(さや)き瀬の音(と)を聞かくし良しも』と万葉集に歌われた三輪川である。
この大和川の伝説を遠く離れた出雲の斐伊川の話に付け替えたと見立てるべきなのではないか?大和川も氾濫を繰り返す河川だ。
猿田彦とヤマタノオロチとは描写が似ており、最も際立った共通点は、両者の「目が赤カガチ(ホオズキ)のように赤く光る」という共通の形容表現だ。
古事記・日本書紀において「赤カガチ」という比喩が使われるのは、全編を通してもほぼこの両者(およびそれに関連する火・蛇の神性)に限られる。
さらに、広域支配を表す八の表現。
ヤマタノオロチ:八つの頭、八つの尾、八つの谷、八つの峰。
猿田彦:八咫鏡(やたのかがみ)のような目、天の八衢(あめのやちまた:八方に分岐する道の交差点)に立ち塞がる。
また、猿田彦の「口や尻が赤く光る」、オロチの「腹が血で赤く爛れている」という描写も、朱(水銀朱・丹)や鉄(鉱物資源)、あるいは縄文的な身体装飾・塗彩の記憶を象徴している点で共通している。ちなみに中央構造線が走るがゆえに、三輪山初瀬山に隣接する宇陀には朱(辰砂)が出る大和水銀鉱山がある。
これらから言えることは、両者がほぼ同じ特徴を有することと、辰砂に因む地域を拠点として身体装飾に朱を用いる大きな爛々たる目を持つ人であったこと。私はこれを朱を産する山を支配した先住縄文系豪族を表していると解釈する。ヤマタノオロチとは、ヤマトノオロチであり、三輪山の山容がとぐろを巻いた蛇体であることからの連想で、ズバリ三輪山の大物主の事である。
猿田彦は道案内だというが、先住縄文系からすれば裏切り者にほかならず、伊勢の海(阿良加の海)に沈められて謀殺された。伊勢の海は、現存する最古の相撲部屋の名称であるばかりではなく、荒ぶる縄文系海民が漁る海としてのイメージがあり、伊勢から東への海路、伊勢から信濃方面への陸路が走る中央構造線が生み出す地溝、この二つの東への起点だ。伊勢の海は猿田彦終焉の地であり、猿田彦を鎮める役目も帯びたのが伊勢神宮。ヤマトノオロチから、伊勢の海へと、内治政策の力点シフトが7世紀に起きたのだな。
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