ミステリー・ロマンを追いかけたい
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001 2025/03/15(土) 20:38:56 ID:JzYu3BkoTQ
歴史のミステリーを解き明かしたくないですか?追いかけたくないですか?
なんかいい題材ない?もしくは自分なりに研究してる人とかいますか?
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108 2026/10/25(日) 09:16:37 ID:gJzow8c/V2
>>107 なぜなら、振根の根は、崇神天皇紀同挿話に出てくる飯入根や物部十千根の根と同じだからだ。
フル=物部氏の本拠地の布留、ひふみ祓詞(布瑠の言)の布留こそ銅鐸。
「一二三四五六七八九十、布瑠部 由良由良止 布瑠部」
の布留こそ銅鐸の古称。布瑠の言で振られるのは十種の神宝ではなく、十個の銅鐸=布留であったはず。
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109 2026/10/25(日) 13:13:22 ID:gJzow8c/V2
713年に奈良県宇陀(長岡)で見つかった布留が、史料に書かれた2番目に古いの銅鐸記事で、銅の鐸(すず、鐘)である事は即座に見抜かれていた。「銅鐸」という言葉の初出でもある。
「四月癸丑。大和国宇陀郡人。無位村君東人。於長岡野地中。得銅鐸一。高三尺。口径一尺。其声清明。形状異常。献之。」
(※『続日本紀』巻第六、元明天皇・和銅六年四月条より)
天智天皇688年扶桑略記には最も古い記事がある。
(『扶桑略記』天智天皇七年正月条など)
こちらは近江国である。
「近江国崇福寺地、掘出古鐸。」
さらに詳細な史料(『催馬楽(さいばら)』の注釈や古記録など)には、以下のような具体的な状況が伝わっている。
天智天皇御宇、近江国滋賀郡、崇福寺地を穿つ(ほる)に、一つの鐸を得たり。大きさ三尺、其の声清明なり。
鐸である事はこの時にも理解されていた。
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