ミステリー・ロマンを追いかけたい
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001 2025/03/15(土) 20:38:56 ID:JzYu3BkoTQ
歴史のミステリーを解き明かしたくないですか?追いかけたくないですか?
なんかいい題材ない?もしくは自分なりに研究してる人とかいますか?
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106 2026/10/24(土) 12:41:22 ID:HG0b7J1t92
>>101 これは、末子相続を表しているとされ、応神天皇までは皇統も末子相続で行われてきたと理解されたりする。
以下wiki引用
日本では邇邇芸命、彦火火出見尊など神話時代から応神天皇の時代にまでおける末子相続がみられる。これらの相続について、古事記や日本書紀には兄が死亡したり、怖気づいたりして弟に皇位を譲るという伝承があるが、これは末子相続による継承を不可解に思った後世の人物の付会である。また古代出雲族に末子相続の習慣があったとされている。
葛城王朝説を唱えた鳥越憲三郎は、著書「神々と天皇の間」において、神話時代から葛城王朝および三輪王朝の古代天皇までは第二子相続であり、長子は神官となって一定の権威を保持していたが妻帯せず、後代になって神官の役割が重視されなくなることによって長子の事績の記録が失われたものであり、仁徳天皇の代以降になると、第二子相続が守られなくなることによって兄弟の相続争いが頻発するようになったとする説を展開しているが、神八井耳命、大彦命、豊城入彦命など多くの皇室の長兄は子孫がおり、当然妻帯していたはずで彼の理論には疑問がある。
引用終わり
大国主命も末子相続であるから、天孫系に限らず、古代日本の習俗としての末子相続は、広く普及していたようだ。仁徳天皇以降は儒教思想が影響してか、長幼の序で相続の譲り合いが始まるとされる。
末子相続は、非農業民に見られがちな文化で、後世でも漁撈民にはその習慣が残存した例が多い。縄文時代からの慣習なのだろう。
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107 2026/10/25(日) 08:57:15 ID:gJzow8c/V2
108 2026/10/25(日) 09:16:37 ID:gJzow8c/V2
>>107 なぜなら、振根の根は、崇神天皇紀同挿話に出てくる飯入根や物部十千根の根と同じだからだ。
フル=物部氏の本拠地の布留、ひふみ祓詞(布瑠の言)の布留こそ銅鐸。
「一二三四五六七八九十、布瑠部 由良由良止 布瑠部」
の布留こそ銅鐸の古称。布瑠の言で振られるのは十種の神宝ではなく、十個の銅鐸=布留であったはず。
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109 2026/10/25(日) 13:13:22 ID:gJzow8c/V2
713年に奈良県宇陀(長岡)で見つかった布留が、史料に書かれた2番目に古いの銅鐸記事で、銅の鐸(すず、鐘)である事は即座に見抜かれていた。「銅鐸」という言葉の初出でもある。
「四月癸丑。大和国宇陀郡人。無位村君東人。於長岡野地中。得銅鐸一。高三尺。口径一尺。其声清明。形状異常。献之。」
(※『続日本紀』巻第六、元明天皇・和銅六年四月条より)
天智天皇688年扶桑略記には最も古い記事がある。
(『扶桑略記』天智天皇七年正月条など)
こちらは近江国である。
「近江国崇福寺地、掘出古鐸。」
さらに詳細な史料(『催馬楽(さいばら)』の注釈や古記録など)には、以下のような具体的な状況が伝わっている。
天智天皇御宇、近江国滋賀郡、崇福寺地を穿つ(ほる)に、一つの鐸を得たり。大きさ三尺、其の声清明なり。
鐸である事はこの時にも理解されていた。
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