漂白の民『山窩(サンカ)』について語ろう
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057 2025/01/14(火) 21:36:04 ID:KRAZqGpbjg
傀儡女なんかと同じ仲間。
傀儡女は歌と売春を主業とし、遊女の一種だった』。『寺社に抱えられたことにより、一部は公家や武家に庇護された。後白河天皇は今様の主な歌い手であった傀儡女らに歌謡を習い、『梁塵秘抄』を遺したことで知られる。また、青墓宿の傀儡女、名曳(なびき)は貴族との交流を通じて『詞花和歌集』にその和歌が収録された』。『傀儡子らの芸は、のちに猿楽に昇華し、操り人形はからくりなどの人形芝居となり、江戸時代に説経節などの語り物や三味線と合体して人形浄瑠璃に発展し文楽となり』、『その他の芸は能楽(能、式三番、狂言)や歌舞伎へと発展していった。または、そのまま寺社の神事として剣舞や相撲などは、舞神楽として神職によって現在も伝承されている』。『寺社に抱えられなかった多くも、寺社との繋がりは強くなっていき、祭りや市の隆盛もあり、旅芸人や渡り芸人としての地位を確立していった。寺社との繋がりや禊や祓いとしての客との褥から、その後の渡り巫女(歩巫女、梓巫女、市子)として変化していき、そのまま剣舞や辻相撲や滑稽芸を行うもの、大神楽や舞神楽を行う芸人やそれらを客寄せとした街商(香具師・矢師)など現在の古典芸能や幾つかの古式床しい生業として現在も引き継がれている』とあり、また、『その源流の形態を色濃く残すものとして、サンカ(山窩)との繋がりを示唆する研究者もいる』 とし、白柳秀湖の、傀儡子というのは大陸のロマ族のような大道芸を生業とした被差別者集団が『中国・朝鮮などを経て渡来した漂泊の民族で』あったが、後に『時代が下り、その芸能を受け継いだ浮浪の』人々へと変容したもので、『民族的なものではない』という説、『その他に、「奈良時代の乞食者の後身であり、古代の漁労民・狩猟民である」とする林屋辰三郎説、「芸能を生地で中国人か西域人に学んだ朝鮮からの渡来人である」とする滝川政次郎説、「過重な課役に耐えかねて逃亡した逃散農民である」とする角田一郎説などがある』とする。
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