「臨死体験は死後の世界が存在することの証明だ」と主張する人もいますが、
たとえば死の直前に見るといわれる走馬灯(パノラマ的記憶再現)は、
別に臨死体験に特有のものではありません。
側頭葉に病因を持つてんかん患者では、しばしばパノラマ的回想が見られます。
一方、てんかんの研究中に脳の各部を電気刺激する方法を開発したウィルダー・ペンフィールド博士は、
側頭葉のシルヴィウス溝を刺激すると過去の様々な記憶を思い出すことを発見しています。
しかし、臨死体験のパノラマ的回想には鮮明な情感が伴うので、これが特徴だという人もいますが、
ペンフィールド博士の研究では、側頭葉を刺激した際の記憶の再現にも強い情感を伴うことがある
と述べているので、これも必ずしも臨死体験だけに見られる特徴ではないようです。
つまるところ、臨死体験の際のパノラマ的記憶再現も、側頭葉の電気刺激による記憶再現と
同じシステムで発動する脳の機能であり、極端な危機に対して反応的に側頭葉が刺激され、
いろいろなことを鮮明に思い出すことにより、本人が死に瀕する不安や苦痛から
逃れようとしていると考えられるのです。
もう一つ注目すべきことは、過去を回想することは老人によく見られるということです。
アイオワ大学のラッセル・ノイエス博士は、この点に注目しています。
老人の場合、過去の回想はその意味を確かめるという役割も担っています。
つまり、老人が現実の生活や社会から離れて過去に意味を見出そうとする行為に
臨死体験のパノラマ的回想が似ていると言うのです。
それによって限りある人生(=死)を受け入れ、心の平安を保とうとするのです。
死の恐怖で危機に瀕した人は「時のない瞬間」に安全を求めると思われます。
人が自分の過去の体験の中に入り込んでいる時には、死は存在しなくなります。
このため、過去の経験、特に喜びに満ちた体験は意識に不安をのぼらせません。
殊に子供の時の想い出はそうです。
その頃は体験も強烈で、人生の中でも悩みを知らない頃だからです。
このように自分の意識を想い出にのめりこませることには、離脱現象も伴います。
つまり、自分は事故現場では第三者になっているのです。
死んだ自分や嘆き悲しむ家族を自分は雲の上から見ることによって、
死の恐怖を自分のものではない事として考えることにより、
不安を和らげようとするのだと考えられます。
この「体から抜け出て自分を見下ろしている」という感覚は解離性障害の症状ですが、
この現象もまた側頭葉への電気刺激によって人工的に再現することも出来ます。
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