>オカルトの芽は目くじら立ててでも摘み取るべき
>第2第3のオウムを生まないためにも
摘み取るべきはオカルトの芽ではなく宗教利用の芽ですね。
カルト宗教を撲滅するためにも宗教利用こそ目の敵にすべきです。
仏典「スッタニパータ」には現代社会にも通用する仏陀の示唆的な言葉に溢れています。
例えば
悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい。
この言葉はカルト宗教について能々考えさせられる言葉です。
この善業を信仰に置き換えるとどうでしょうか?
悪魔は信仰の功徳を求める人々にこそ語るがよい。
こうしてみると宗教絡みの様々な諸問題の原因が見えてきそうです
さらに、この「悪魔」を「宗教利用者」に置き換えるとどうでしょうか
宗教利用者は信仰の功徳を求める人々にこそ騙るがよい。
こうしてみると、カルト宗教の齎す様々な諸問題の原因が解き明かされそうです。
信仰の功徳(商売繁盛家内安全)を求める人々がいる限り、そこに漬け込む宗教利用者が狙っている訳です。
こうして見ると宗教利用者と信仰の功徳を求める人々とは捕食関係にあるとも言えます。
宗教利用者は言葉巧みに近づいては信仰の功徳を求める人々に騙りかけ、功徳と言う餌をばら撒いてはそうした人々を?き集めて組織化しそこからお布施や財務と言う金銭的利得を吸い上げるだけでなく、政党まで作って政治に関与する。
功徳の現が現れなければ「信心が足らない」と一蹴すればいい。
功徳の現が現れれば「信心のお陰」と思い込ませればよい。
こうした在り様に異議を唱え批判する者は「敵」として扱われ組織的な人権侵害(様々なハラスメントや生活妨害)に晒されるわけです。
ここにカルトの原因が見て取れます。
カルトはカルトだけで成立するのではなく、信仰の功徳(商売繁盛家内安全)を求める人々がいて成立するものです。
逆に言えば、信仰の功徳(商売繁盛家内安全)を求める人々がいる限り、カルトは不滅であり、そうした人々を地獄へ引きずり込もうと狙っている訳です。
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