仏教ってどういう意味で人を救ってくれるの?


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001 2017/04/13(木) 23:28:09 ID:fnYg5pdZEU
心の病だとは思うけど、つまりどういう例で救われるの。
身近な例でも、たとえ話でもいいから簡単に教えて。

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259 2024/05/10(金) 17:29:36 ID:vq8qA7Etgg
なぜ仏教は解脱を説いたのか?
輪廻転生が苦だからだと言われる。それは、実は逆だ。この世が苦に満ち満ちているから、輪廻転生が必要とされてしまう。輪廻転生を解脱せねばならないのは、輪廻転生を必要としてしまう苦海としての現世を改善しなければならないからだ。つまり、現世の苦を、苦の原因を退治せよという教えが仏教なのだ。これは、十年や百年で解消できるものではないから、仏教の悟りを得るには何万、何億年もかかるという比喩で表現される。悟りは、一人、一個体、一身体の上に起こる現象ではないのだが、身体により体験的に、可能だと理会するために、瞑想の行をする。実際には、社会的に、苦の退治をなさねばならない社会改革運動なのだ。眼の前の悲惨を諦めて来世や輪廻の反復につけ回しすることなく、現世において解決せよと不可能なくらいに高い理想を「行動で実現すること」を仏教は命じる。

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260 2024/05/10(金) 17:42:44 ID:vq8qA7Etgg
仏教は、救ってくれるのではない。他力本願は間違い。そうではなく、仏教者は、衆生を救わなければならない。なぜなら、この世は苦に溢れているから。釈迦牟尼は、自ら悟りを開いて後、もう死んでもいいと思ったが、梵天勧請で心を改めて説法に赴く。何故なら、何一つ悲惨や、苦がこの世から消えてはいないから。悟りや解脱の比喩なることを自ら知ったのだ。

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261 2024/05/11(土) 11:44:29 ID:7vd/.GJF06
世の悲惨を見て自ら行動を起こせる者は菩薩である。この世の中には何世代にも渡り、何人もの菩薩が現れては道半ばにして倒れたことだろう。世の悲惨を見過ごせないと思うことが機縁。そして行動を起こすことが、行である。四門出遊は、釈迦牟尼による社会悪の発見であり、真実の悟りは社会悪の根絶だから、己1人解脱することはありえない。
例えば空海、彼は解脱できたか?答えは否。
空海は即身成仏はしたが、解脱はしてないとされる。おそらくは即身成仏もできてはおらず、即身成仏が不可能では無いことを確信できただけだろう。なぜなら、即身成仏は実証実験に過ぎないからだ。また、 解脱できなかったのではなく、一切衆生救済のために敢えて解脱しなかったとされている。 空海の「入定」とは人々の記憶に永劫に刻まれることだ。 大菩薩は迷える衆生を置き去りにして解脱しない。

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262 2024/05/11(土) 11:53:58 ID:7vd/.GJF06
大乗仏教は、般若経でも、唯識(ゆいしき)でも、自利(自分の喜びで満足する)をとって修行を終わりとせず、利他行を実践することを強調した。その一つが「無住処涅槃」(むじゅうしょねはん)である。利他行を積み重ねるの本意は、苦の原因を取り除く行動に他ならない。社会悪の除去、社会改良だ。

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263 2024/05/14(火) 20:10:32 ID:7NwpoYQHl.
■読みやすい文章は「デザイン」が優れている


村上春樹さんや林真理子さん、糸井重里さん、『嫌われる勇気』の古賀史健さん。
彼ら彼女らの文章は、スルスルと読める。
とっても読みやすい。

その「読みやすさ」の正体ってなんだろう? と考えてみる。

読みやすい文章は、パッとその文章を見た瞬間に「読みやすそう!」と思える。
これは「文章の中身」というよりも「デザイン」に近いのではないかと思う。

漢字とひらがなのバランス、改行の位置、「(会話文)」の割合などを計算し、
「ビジュアルとして」読みやすくデザインされているのではないか。

文章の中身が大切なのは言わずもがなだけれど、それ以前に、パッと見の
デザインが秀逸なのだ。

たとえば、村上春樹さんの文章。


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 彼女の名前は忘れてしまった。

 死亡記事のスクラップをもう一度ひっぱり出して思い出すこともできるの
だけれど、今となっては名前なんてどうでもいい。僕は彼女の名前を忘れて
しまった。それだけのことなのだ。

 昔の仲間に会って、何かの拍子に彼女の話が出ることがある。彼らもやは
り彼女の名前を覚えてはいない。ほら、昔さ、誰とでも寝ちゃう女の子がい
たじゃないか、なんて名前だっけ、すっかり忘れちゃったな、俺も何度か寝
たけどさ、今どうしているんだろうね、道でばったり会ったりしても妙なも
のだろうな。

 ――昔、あるところに、誰とでも寝る女の子がいた。

 それが彼女の名前だ。


『羊をめぐる冒険』より

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パッと見ただけで「読みやすい!」と感じないだろうか。
中身を読む前に「美しい」とわかる。

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264 2024/05/14(火) 20:13:47 ID:7NwpoYQHl.
ちなみに、こうなるとどうだろう?


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 彼女の名前は忘れてしまった。死亡記事のスクラップをもう一度ひっぱり出して思い出すことも出来るのだけれど、今となっては名前なんてどうでもいい。僕は彼女の名前を忘れてしまった。それだけの事なのだ。昔の仲間に会って、何かの拍子に彼女の話が出る事がある。彼らもやはり彼女の名前を覚えてはいない。ほら、昔さ、誰とでも寝ちゃう女の子が居たじゃないか、何て名前だっけ、すっかり忘れちゃったな、俺も何度か寝たけどさ、今どうしているんだろうね、道でばったり会ったりしても妙な物だろうな。昔、或る所に、誰とでも寝る女の子が居た。それが彼女の名前だ。
 
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見た瞬間に「うっ」となる。

もちろん村上春樹さんの文章なので、ちゃんと読めばめちゃくちゃ読みやすいのだけれど、
パッと見のデザイン的にはやっぱり「読もう」という感じにはならない。


■すぐマネできる「読みやすい文章」のつくりかた

というわけで、まあ、これは稚拙なノウハウだというのは自覚しているのだけれど、
すぐマネできる「読みやすい文章」のつくりかたというのをまとめてみた。

ポイントは中身以前に「ビジュアル重視」というところだ。


①ひらがなを増やす

ふつうの人は漢字が多くなりがちだ。
「何」「事」「僕」「今」などの漢字も「なに」「こと」「ぼく」「いま」などと
ひらがなにしてみよう(業界用語で「ひらく」と言います)。
グッとプロっぽくなるので試してほしい。

糸井重里さんの文章は「え、そこもひらがな?」ってくらい「ひらがな」である。
迷ったら「ひらがな」にする、と覚えておこう。


②4~5行以内に改行する

改行が多すぎる文章はポエムっぽくなってしまう。
一方で、改行なさすぎの文章は「読ませる」ためにパワーがいる。

文章力に自信がある人は改行なしでも問題ないが、文章力に不安がある人は読者が
「しんどいな」と思い始める4~5行くらいで改行するといい。

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265 2024/05/14(火) 20:33:12 ID:7NwpoYQHl.
③キャッチーな一文を入れる

これは「デザイン」とは少し外れるが、最後まで読ませる文章には
「印象的でわかりやすい一文」が1ページにひとつは入っている。
ダラダラと同じ調子の文が並ぶのではなくて、ビシッとインパクトのある
一文がスパイスのように混ざってるのだ。

上記の文章も冒頭からわかりやすく印象的だ。


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彼女の名前は忘れてしまった。

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そして、数行後にも、


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昔、あるところに、誰とでも寝る女の子がいた。

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とある。
ちょっと飽きかけたときに「ん?」「えっ?」となる一文があると
最後までスルスル読める文章ができあがる。

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