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……実はこの名作の解釈について、かつてミステリー作家の有栖川有栖と北村薫の間で論争が起きている。
最後に家のドアの向こうにいたのは何だったか——。2人の見解には相違がある。
北村はそれを、「ゾンビのようなもの」だという。
死後1週間ほど経ってから母が、猿の手で息子が甦るかもしれないことに気づくのはなぜか?
「埋葬からの1週間は死体が傷むための1週間である」と北村は主張する。
これが一般的な『猿の手』理解で、大方の読者はこの意見に賛成するだろう。
それに対し、有栖川は異をとなえる。
「1週間というのは両親が悲しみのどん底まで沈んで、母親の心に魔が差すまでの期間であって、
死体がゾンビになるまでの期間ではない」と、指摘。ゆえにドアの外にいたのはゾンビではないと結論づける。
では何だったか? 元気なときのままの息子ハーバートである——と。
そこから有栖川は、死んだはずのハーバートが元気な姿で戻ってくるということは、実はハーバートは死んでいなかったのではないか、と持論をさらに発展させる。何しろ彼はこの論争を元に『猿の左手』(2008年7月、光文社刊、「妃は船を沈める」所収)
という推理小説を書いてしまったくらいである。
いずれ劣らぬ本格ミステリーの書き手だから、どちらの意見にも一理ある。
両者の見解の相違は、『猿の手』という作品の本質に迫っているようできわめて面白い。
確かに作者ジェイコブズは、超自然現象について一切描写していない。願いをかけるときに猿の手が動いた、というのも
ホワイト氏の主観に過ぎないし、最後にドアを叩いたのが果たしてゾンビなのか、元気な息子なのかも描かれていない。
そもそも本当にハーバートだったのかもわからない。
そして、あまりにも名作だからこれまで何の疑問も持たなかったのだが、実は最後の第3の願いがどんな内容であったのかも
書かれていないのである。
「間髪を入れず、老人は猿の手をさぐりあてた。そして狂乱のていで、3度目の最後の願いを祈った」の次は、
「とたんに、ノックの音がパッタリとやんだ」に続いている(平井呈一訳)。
ホワイト氏は果たして「息子を墓に戻せ」と言ったのだろうか?
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