集団失踪事件【総合1】


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001 2016/05/07(土) 07:54:21 ID:uJs/HvYsGQ


まずは、『大塚団地集団失踪事件』から

1995年、滋賀県東近江市の大塚団地で不可解な事件が発生。
突然、団地住人が全員いなくなる。
一週間後には近くの森で老婆の遺体が発見。
さらに一週間後には行方不明だっ団地住人が自殺。
この事件をきっかけに心霊スポットとして有名に。
肝試しにきた大学生グループの一人が何者かによって日本刀で惨殺される。

https://www.youtube.com/watch?v=pB9mVpuy5J...


.

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※省略されてます すべて表示...
010 2016/05/07(土) 12:11:59 ID:cDLmeVAZr2
軍艦島は違うのね・・・

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011 2016/05/07(土) 12:49:24 ID:Kd.gmdLDIo
>>9
怖えーそれ

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012 2016/05/07(土) 13:33:54 ID:c08feH99ho
14世紀中ごろの貞治5(1366)年の興福寺六万衆評定事所によると、山伏によって稚児が大袋に入れられて誘拐された事件が少なくなかったという。
恐らく男色が目的であったとされている。

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013 2016/05/07(土) 22:19:06 ID:9cYk2kT.3.
真相が判明?謎のメッセージを残して集団失踪をとげた「ロアノーク植民地集団失踪事件」

16世紀後半、現在のアメリカのノースカロライナ州には、ロアノーク島という植民地があった。
この小さな島には開拓民が二度に渡って派遣されたという。
http://enigma-calender.blogspot.jp/2014/04/lost-colony.htm...

1587年、測量士兼画家であったジョン・ホワイトが指揮を執る植民者遠征隊が派遣されたが、
その後ホワイトは本国に帰らなければならず、ロアノーク島には115人の男女の植民者が残された。
再びホワイトがロアノーク島に戻ってきたのはその3年後の1590年8月18日だった。

ところがその時、ロアノーク植民地には、人が一人もいなくなっていた。
彼らの行方はわからぬまま、残された謎のメッセージだけが発見されたのだ。
この謎多き失踪事件に関しては、近年になって驚くべき発見がされたという。
果たして彼らはどこへ消えてしまったのか?

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014 2016/05/07(土) 22:21:40 ID:9cYk2kT.3.
●消えた30人のエスキモー
1930年12月、北カナダのモウンティ町から北の方へ600?ほど行ったところにある小さなエスキモーの村を、一人の猟師と騎馬警官隊が訪れた。
だが、不思議なことに、この村には大人と子供を合わせて30人くらいのエスキモーが住んでいたはずなのに、人っ子一人おらず、村は完全に静まり返っていた。

そして村の小屋や、テントの中には、火にかけて、食べかけの鍋の中身がそのまま残っていて、
すでに凍りついていた。また、エスキモーの人々が、寒さをしのぐアザラシの毛皮の上着もそれぞれの小屋に全部残されていた。

また、エスキモーにとっては命綱とも言えるライフル銃も全て残されてあり、数十頭の犬は木につながれたまま餓死していた。
また、ソリや船もそのまま残されてあり、これら、生活にとって大変貴重な物を全て残したまま、30人全員がどこへ消えたのか今だに判明していない。


●3000人の中国兵
第二次世界大戦中の1939年10月。3000人の中国兵が汽車で南京の近くの広野に運ばれ、夜になって約3?に渡って、兵士たちは配置された。
そして兵士の配置も完了し終わって数時間後、司令官が宿舎から、再びその前線に戻ってみると、さっきまでいた、3000人の兵士たちが全て忽然と姿を消していた。
野原には、焚き火が燃え続けており、銃は全て投げ出され、また、地平線に至るまで、一つの足跡も発見出来なかったという。

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015 2016/05/07(土) 22:49:05 ID:9cYk2kT.3.
全員が謎の失踪を遂げた「マリー・セレスト号」の怪異

1872年12月4日、イギリスのグラチア号が、大西洋上を漂う一隻の帆船(はんせん = 帆で動く船)を発見した。
その船の名前は「マリー・セレスト号」。だが、どこかに向かっているような様子はなく、
完全に海の上を漂っているような状態だったので、ひょっとしたら乗組員たちに何かあったのではないかと思い、
グラチア号は、マリー・セレスト号に近づいて声をかけてみた。

船を横付けして、マリー・セレスト号に、船長以下、数人の乗組員か乗り込んで行った。だが、
その船の中には人っ子一人いない。海賊に襲われたにしても、伝染病が流行って乗組員全員が死亡したにしても、
死体があるはずだ。だが、生存者も死体も何一つ発見されない。

すぐにグラチア号は、この船をジブラルタルに運び、港湾警察で調べてもらうことにした。
すると次々と奇怪なことが分かったのである。
この、無人で漂流していた「マリー・セレスト号」は、乗組員9名を乗せて11月7日にニューヨーク港を出航していたことが分かった。
そして発見されたのが12月4日の朝。

船長室のテーブルに置かれた朝食は食べかけのままで、コーヒーはまだ暖かく、湯気を立てていた。
そしてかたわらに置いてある、赤ん坊のミルクビンは、少し飲みかけのままであった。
また、船の倉庫にはたくさんの食料や飲み水もあり、8万ドル相当のアルコールの樽も置いてあったが何も盗まれた気配がない。

救命ボートも全部そのままで綱をほどいた形跡もなかった。
また、調理室では、火にかけた鍋がグツグツと煮立っており、水夫の部屋では食べかけの鳥の丸焼きと、シチューがそのまま残っていた。
洗面所では、あたかも今までヒゲを剃っていたかのような形跡があり、別の水夫の部屋には血のついたナイフが置いてあった。
そして船長の航海日誌には「12月4日、我が妻、マリーが」と走り書きがされていた。

12月4日の朝、この船に何が起こったのか。そして9人の乗組員は、何もかもやりかけのまま、どこへ消えてしまったのか、今だに謎のままである。

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016 2016/05/08(日) 06:50:37 ID:rnhTniBV0k
>>1が怖いな

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017 2016/05/08(日) 07:40:28 ID:l7cscnA2WA
八甲田山の雪中行軍事件

昔のはなしだけど、日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が忽然と消息をたちどこかへと消えていったらしい

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018 2016/05/08(日) 08:27:15 ID:yKkcH7bQJM
>>17
あれはヒューマンエラーによる遭難だろ。それに遺体も回収されている。新田次郎の本で詳しく描かれているぞ。

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019 2016/05/09(月) 22:34:41 ID:Y5.h6MofHM
『サンチアゴ航空513便事件』

1989年10月12日、ブラジルのポルトアレグレ空港に
一機の旅客機(ロッキード・スーパーコンステレーション)が、管制塔の許可を得ずに着陸した。

機内を調べたところ、旅客乗員あわせて92名全員が白骨死体となっていた。
フライトレコーダーを調べてみると、同機は1954年9月4日、旧西ドイツのアーヘン空港からポルトアレグレ空港に向かっている途中で
行方不明になっていたサンチアゴ航空513便だと判明したのだという…。

突然現れて着陸したので、その時の空港は騒動になったようです。
35年もの間、どのように飛行していたのか、全く判っておりません。

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020 2016/05/09(月) 22:47:37 ID:Y5.h6MofHM
『アイリーン・モア灯台事件』

1899年12月、フラナン諸島最大の島・アイリーン・モア島(Eilean M?r:「大きな島」の意)に灯台が建造された。
アイリーン・モア島には侵入者を歓迎しない妖精がいるという伝説が古くから語り継がれてきたが、
この付近の海は難所として知られており、付近を航行する船の安全を確保するのが目的だった。

その灯台には3人の男、ジェームズ・デュカット、ドナルド・マッカーサー、トマス・マーシャルが灯台守として常駐していた。
しかし、1900年12月15日、ヘブリディーズ諸島の沖を航行していた貨物船アーチャー号が船の向きを変えようとして現在位置を確かめるべく、
アイリーン・モア灯台の光を探したが、奇妙な事に光はどこにも見当たらず、応答もなかった

それから10日余り経った12月26日、定期的に食料等を補給していたヘスペラス号が島に到着、船長のジム・ハーヴィーは汽笛と大砲の音で灯台に呼びかけてみたが、
何の応答もなかった[1]。船員達が調査のためボートに乗って灯台に向かったところ、灯台の中はきちんと整っており、
灯台のランプにも何の異常もなく、いつもの灯台の光景である。しかし、そこからは3人の灯台守の姿だけがなくなっていたのである。

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021 2016/05/11(水) 07:03:11 ID:GMB2447I6s
『集団』失踪事件って括りは、かなり制限されて、いずれネタ切れになるのでは?
これでは100レスにも届かないよ。

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022 2016/05/18(水) 21:46:09 ID:nvxZDP0BFA
>>21
すでに、力尽きた、、、、みんながネタを貼り付けてくれると思っていたのが間違いだった

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023 2016/05/18(水) 23:16:20 ID:64PGjYQ.eA
他力本願かい!
修行が足りんわ!

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024 2016/05/18(水) 23:24:45 ID:nvxZDP0BFA
ちょっと、ネタ探しにトカナいてくる

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025 2016/05/19(木) 03:57:58 ID:rsJYkk1PhY
大塚団地は某犬作教学会員のコミュニティ的な場所で
学会員同士の内ゲバ的な事件でもあったんじゃねーかと邪推してる
政教分離原則もすっ飛ばすあの邪教なら何かの事件が絡んでの集団失踪であったとしても
携帯やネット普及以前なら、事件モミ消しやマスコミ封じは比較的容易だったんじゃね?

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026 2016/05/19(木) 06:16:21 ID:C58/hI91fY
2014年メキシコ・イグアラ市学生集団失踪事件
オカルトじゃないが・・・ひどすぎ

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027 2016/05/19(木) 06:45:45 ID:k5CWzITWeA
>>26
犯人は市長だったという事件ですね
http://matome.naver.jp/odai/214140453386366250...

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028 2016/05/20(金) 19:34:40 ID:ZK0enPysSM
ちょっと援護

『レディ・ビー・グッド(Lady Be Good)』
レディ・ビー・グッド(Lady Be Good)は、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空軍(AAF)に就役していたB-24D リベレーター爆撃機の1機(AAFのシリアルナンバー:41-24301)である。
本機はスルーク(現在のリビアのスルーク空港とベニナ空港)にあるスルーク飛行場に駐屯していた第376爆撃航空団の第514爆撃隊所属機であり、1943年4月4日のイタリア本土ナポリへの爆撃任務から帰還しなかった。
当時この機体は地中海に墜落したと想定され、9名の搭乗員は戦闘中行方不明者として扱われた。

1958年5月16日の初の発見と6月15日に再度空中から目視されたのに続いて 1959年2月27日にイギリスの石油資源調査員ポール・ジョンソン(Paul Johnson)が
サルークの南東710 km (440 mi)の北緯26度42分45.7秒 東経24度01分27秒辺りで墜落機の残骸を目撃した。
1959年5月26日にウィーラス空軍基地から墜落現場へ最初の回収班が送り出された。
機体は2つに分割されていたが保存状態は良好で、機関銃や通信機は作動し、食料や水といった物資も残されていた。
発見された魔法瓶の中の紅茶はまだ飲める状態であった。機内や墜落地点付近に遺体は見当たらず、パラシュートも発見されなかった。
機内の状況は搭乗員が脱出したことを示しており、まさに初陣であった航法士ヘイズ少尉のログブックの記録はナポリで終わっていた。

ウィキ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%...

遺体とともに発見された搭乗員の手記。
http://www.cosmos.zaq.jp/t_rex/works/works_7_k.htm...

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029 2016/05/20(金) 20:20:17 ID:KospL5PCPo
>>28
すげー不思議 小説より奇なりって話!!!

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030 2016/05/21(土) 18:39:09 ID:McsPryPhqU
「集団失踪」じゃなくて「謎の失踪事件」なら
レスはいくらでもつくと思うんだが…

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031 2016/05/21(土) 18:41:05 ID:vQXtKa3Wq.
まあ、定期的に長文を書き連ねるのが、いかに大変かわかりますね^^
必要なのは本人の熱いモチベーションと、サービス精神です。

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032 2016/05/21(土) 20:22:33 ID:iqYtZ.0xHk
『スペイン継承戦争集団失踪事件』

1711年、スペイン継承戦争の際、十分な訓練を受けた完全武装の兵士がピレネー山脈へ遠征した
山脈の小さな流れの川岸で一晩野営した軍隊と合流し、総勢4000人の大部隊は隊列を組んで丘陵地帯へ進軍して行ったのである。
しかし、最初の夜の野営もせぬまま、さほど険しくもなく、しかもよく知っているはずの土地で一人残らず行方をくらましてしまった。

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033 2016/05/21(土) 22:01:28 ID:j1gEYNq5Yw
>>30
それな

スレタイに大失敗した感があるね

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034 2016/05/22(日) 07:46:02 ID:yC5Gaf40wg
>>30
集団失踪の方が興味深いけどね
ちょっと無理があったわな 

まー何か見つけたら貼ってあげるけど

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035 2016/05/23(月) 17:39:35 ID:4XWRipthqs
失踪ではないけど不思議な事件

熊取町7人連続怪死事件—初七日に友が呼ぶ

http://okakuro.org/kumatori-seven...

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036 2016/05/28(土) 16:18:13 ID:S9bmKyCtig
[YouTubeで再生]
>>35
それならこれも
「真実の行方 28 日本ではあまり知られていないロシア最大のミステリー」

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037 2016/06/01(水) 19:54:46 ID:7W2InKlXcU
【一人だけの謎の失踪】

5分後に忽然と姿を消す
警察犬が微妙だに動かず首をかしげている!? 

http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/547570...

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039 2016/06/02(木) 22:30:24 ID:FCPcPgpKhw
昔、失踪事件が発生したときの捜索には、ある『約束』があった。
子供などの行方不明が出たとき、人々は神隠しにあったのではないかと判断して、家人だけではなく、
村人たちも総出で、村のなかはもちろん、近くの山や谷、野原などを探し回った。
このとき多くの地域で、鉦や太鼓を鳴らしながら探すのが『約束』であった。

なぜ鉦や太鼓を鳴らすのか。もちろん、拡声器のない時代において、鉦や太鼓の音が人工音としてはもっとも大きく、
したがって遠くまで届く音だったからである。道に迷ったり、神隠しにあったりした者がその音に気付いて、
音の方にやってくるのではないかと考えたのであった。
たとえば高知県吾川郡池川町の用居という部落にいた春代という娘が神隠しにあったときに、
『部落の者たちが、夜も昼も鉦太鼓で探し続け、6日も続けたが見つからなかった。
7日目のこと、春代の母親が何気なく押入れを開けてみると、つづれ(ぼろきれ)の中に隠れて、体中にかかれたような傷があり、
着物は何もかもぼろぼろになってうずくまっていた。』(桂井和雄『仏トンボ去来』)

柳田国男は、この約束ごとにも注意を払っていて、次のように書いている。
『神隠しという語を用いぬ地もすでにあるが、狐に騙されて連れていかれるといい、または天狗にさらわれるといっても、
これを捜索する方法はほぼ同じであった。単に迷子と名付けた場合でも、やはり鉦太鼓の叩き方は、
コンコンチキチコンチキチの囃子で、芝居で「釣狐などというものの外には出なかった。しかもそれ以外になお叩く物があって、
各府県の風習は互いによく似ていたのである。』

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040 2016/07/05(火) 05:13:08 ID:/BWmVy033k
さらしage

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041 2016/08/28(日) 09:51:37 ID:FCPcPgpKhw
なぜ誰も書かぬ。

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042 2016/08/28(日) 19:56:14 ID:kJwYUiqRi6
>>39
金属器に対する信仰から、鉦の音は「あの世に届くもの」とも思われていたみたいだね。
梵鐘を叩く役目の人間が差別されていたなんて話もなかったっけ。

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043 2016/08/29(月) 00:44:00 ID:mr1uREYUOU
ttp://jiken.crap.jp/?p=7
このサイトによると
>>1
大塚団地集団失踪事件は不幸な事件と
偶然近くにあった廃墟を掛け合わせた創作混じりの都市伝説だった。

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044 2018/08/06(月) 18:02:07 ID:cPmrJQxGbc
スレ主失踪事件。

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