全員が謎の失踪を遂げた「マリー・セレスト号」の怪異 
   1872年12月4日、イギリスのグラチア号が、大西洋上を漂う一隻の帆船(はんせん = 帆で動く船)を発見した。 
 その船の名前は「マリー・セレスト号」。だが、どこかに向かっているような様子はなく、 
 完全に海の上を漂っているような状態だったので、ひょっとしたら乗組員たちに何かあったのではないかと思い、 
 グラチア号は、マリー・セレスト号に近づいて声をかけてみた。   
 船を横付けして、マリー・セレスト号に、船長以下、数人の乗組員か乗り込んで行った。だが、 
 その船の中には人っ子一人いない。海賊に襲われたにしても、伝染病が流行って乗組員全員が死亡したにしても、 
 死体があるはずだ。だが、生存者も死体も何一つ発見されない。   
 すぐにグラチア号は、この船をジブラルタルに運び、港湾警察で調べてもらうことにした。 
 すると次々と奇怪なことが分かったのである。 
 この、無人で漂流していた「マリー・セレスト号」は、乗組員9名を乗せて11月7日にニューヨーク港を出航していたことが分かった。 
 そして発見されたのが12月4日の朝。   
 船長室のテーブルに置かれた朝食は食べかけのままで、コーヒーはまだ暖かく、湯気を立てていた。 
 そしてかたわらに置いてある、赤ん坊のミルクビンは、少し飲みかけのままであった。 
 また、船の倉庫にはたくさんの食料や飲み水もあり、8万ドル相当のアルコールの樽も置いてあったが何も盗まれた気配がない。   
 救命ボートも全部そのままで綱をほどいた形跡もなかった。 
 また、調理室では、火にかけた鍋がグツグツと煮立っており、水夫の部屋では食べかけの鳥の丸焼きと、シチューがそのまま残っていた。 
 洗面所では、あたかも今までヒゲを剃っていたかのような形跡があり、別の水夫の部屋には血のついたナイフが置いてあった。 
 そして船長の航海日誌には「12月4日、我が妻、マリーが」と走り書きがされていた。   
 12月4日の朝、この船に何が起こったのか。そして9人の乗組員は、何もかもやりかけのまま、どこへ消えてしまったのか、今だに謎のままである。
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