昔、失踪事件が発生したときの捜索には、ある『約束』があった。  
  子供などの行方不明が出たとき、人々は神隠しにあったのではないかと判断して、家人だけではなく、  
  村人たちも総出で、村のなかはもちろん、近くの山や谷、野原などを探し回った。  
 このとき多くの地域で、鉦や太鼓を鳴らしながら探すのが『約束』であった。    
 なぜ鉦や太鼓を鳴らすのか。もちろん、拡声器のない時代において、鉦や太鼓の音が人工音としてはもっとも大きく、  
 したがって遠くまで届く音だったからである。道に迷ったり、神隠しにあったりした者がその音に気付いて、  
  音の方にやってくるのではないかと考えたのであった。  
 たとえば高知県吾川郡池川町の用居という部落にいた春代という娘が神隠しにあったときに、  
  『部落の者たちが、夜も昼も鉦太鼓で探し続け、6日も続けたが見つからなかった。  
 7日目のこと、春代の母親が何気なく押入れを開けてみると、つづれ(ぼろきれ)の中に隠れて、体中にかかれたような傷があり、  
  着物は何もかもぼろぼろになってうずくまっていた。』(桂井和雄『仏トンボ去来』)    
 柳田国男は、この約束ごとにも注意を払っていて、次のように書いている。  
  『神隠しという語を用いぬ地もすでにあるが、狐に騙されて連れていかれるといい、または天狗にさらわれるといっても、  
 これを捜索する方法はほぼ同じであった。単に迷子と名付けた場合でも、やはり鉦太鼓の叩き方は、  
 コンコンチキチコンチキチの囃子で、芝居で「釣狐などというものの外には出なかった。しかもそれ以外になお叩く物があって、  
  各府県の風習は互いによく似ていたのである。』
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