漂流者にとって島の先住者・長平は鬼として映ったか? 鳥島(伊豆鳥島) 3
天明5(1785)年の2月某日。片道わずか7里半(30km)の短い航海になるはずだった。
仕事を終えた帰り道、にわかに北西の風が吹き始めて、24歳の長平以下船乗り4人が乗った船は、たちまち沖へ流される。
自然の猛威を前に、なす術がない。次から次へと襲いくる激浪に揉まれて船が壊されていく。もはや浮いているのが奇跡なぐらいの有様であった。
10日間の漂流の末、命からがら未知の島に上陸。そこは岩だらけの不毛の土地で、およそ樹木が見当たらない。植物はせいぜい萱(かや=ススキなどのイネ科・
カヤツリグサ科の植物)が自生している程度。
驚くべきことに平坦部にはおびただしい数のアホウドリがいた。広げた翼の長さが8尺(2.42m)、重さ2貫匁(7.5kg)、クチバシの長さも5寸(15cm)以上
もある巨大な鳥だ。
長平たちは初め、アホウドリを棒で撲殺し、それを海水で揉み洗いして生で食べていたのだが、4月下旬から5月上旬になるとアホウドリの習性として
島から渡ってしまう恐れが浮上した。そして9月に入るまで帰ってくることはない。アホウドリは古くから地球上に棲息している最大の海鳥で、
冬期に鳥島でヒナを育てると遠くカリフォルニアの沿岸へ渡る。そして反転すると、赤道の北側を西に飛び、秋に鳥島へ帰ってくるわけである。
当初はアホウドリの卵と肉ばかり食べ、たまに釣り糸(船材から抜いた釘で作った)にかかる魚を刺身にしたり、磯で貝や海草を採ったりして
食に変化をつけていた。
湧き水すら湧かない島だったので、飲料水はアホウドリの比較的大きな空の卵を容器とし、雨水を溜めた。定期的に雨が降る島だったので、
渇きに苦しめられることはなかった。卵1つにつき3合の水が蓄えることができる。それをズラリと並べ、貯水池とした。
アホウドリが渡ってしまう前に干し肉を作って、これを貯蔵。また鳥の脂肪は塗り薬として使えば化膿止めの効果があり、それもかき集めた。
数日を要して島を探索した結果、人が住んでいない無人島であることが判明した。とすれば、自分たちの力で命をつなぐより他ない。
とはいえ単調で目的意識の見出せない生活から、いつしか移住拠点である洞穴で日がな1日寝転んだまますごすようになる。するとたちまち健康を害した。
原因は運動不足と栄養の偏り(ビタミン不足)。その間、健康状態をどうチェックするかというと、爪の付け根に現れる白い半月があるか否かで知り得る。
爪に半月が現れれば身体に栄養が行き渡っていることを示し、それが消えれば状態が芳しくない証拠だという(……と、作中では語られているが、
医学的に必ずしもそうとは限らないらしい)。
メンバーが1人、また1人と死んでしまい、長平のみが生き残る。悶絶しそうな孤独に打ちのめされ、彼は激しく取り乱す。
死んだはずの仲間の声が幻聴となって聞こえたり、鳥を蹴飛ばして罵声を浴びせたり、そうかと思うと石塊で殴り殺した鳥を抱きしめて泣くこともあった。
眠ると夢の中では好きだった娘が現れ、そのたびに性欲をもてあました彼は娘を押し倒すものの、コトに及ぼうとした瞬間、夢から醒めてしまう。
ついに自殺を決意し、入水しようとするのだが、なまじ幼少のころより泳ぎに長けていただけに死にきれない。
いつしか長平は神仏にすがるようになる。長平は常に念仏を唱えるようにした。すると精神統一され、心が乱されることもなくなった。
さんざん苦しんだ挙句、ふんぎりがつく。いっそ生き続けてみるか……。それは諦観だった。
長平が漂着して奇しくもちょうど3年後の2月、大坂北堀江の船が漂着する。さらに2年後、今度は薩摩国の船が流れ着く。
そのファースト・コンタクトの際、漂流者たちは鳥島の先住者をひと目見るなり、ギクリとする。
その姿こそ
>>85の冒頭で描写したように、髪やヒゲはボーボー、身体にはアホウドリの白い羽で作った蓑(みの)をまとい、
皮膚は赤黒く日焼けしており、何より過酷な無人島生活では生への執念が不可欠で、おのずと眼はギラギラしているのだ。
そんな異様な姿を見た遭難者は、思わず鬼に出くわしてしまったと錯覚し、恐慌をきたして逃げようとする。
それを呼び止めようとする長平の姿は哀切と言えるし、不謹慎だが滑稽ともとれる。
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