サイズが 480KB を超えています。500KB を超えると書きこめなくなるよ。

続・怖い島・いわくつきの村


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001 2013/10/13(日) 18:57:55 ID:/PiSTRs3Ps
全国に散らばる、おっかない伝承伝説が伝わる離島専用スレッド第2弾です(若干ながら村ネタもあり)。
もちろん島の奇祭や神秘の風習、島のみならずワケあり岩礁や奇岩なども含み、いかがわしいオカルトにとどまらず、
れっきとした民俗学としての側面を持ち合わせています。島ネタに関して異常に特化したソレを目指すつもりです。

……前スレが500レスに達する前に続編を立てた理由は、サイズが500KBを超過してしまい書き込めなくなったためです。
せっかく満杯になるまで文字で埋め尽くし、有終の美を飾ろうとしたのにカウンターストップとは……。いささか文章がボリューミーすぎたかも。
まあ、めげずにご要望に応え、続・怖い島と行きましょう。

ちなみに……スレ自体を保存し、あとで読む方法をお教えします。
書き込みできなくなったスレは後ろへ流れてしまい、新スレが立ち上がるたび、古いものから消えてしまいます。
そうなる前に貴重なスレは永久保存しておきましょう。前スレはネット世界は広しといえど、近年類を見ない極上の資料スレですぞ。
以下は、その手順。

任意のスレ内の適当な空白で右クリック→プロパティ→アドレスをコピー→画面上部のアドレス直接入力枠にペースト→そのアドレスへ飛ぶ→
このスレが表示される→ファイル→名前を付けて保存。

※スレ画は前スレ>>188で紹介した、愛知県蒲郡市、三河大島にある仏島(島というより岩礁だが)。


癒されたい僕のブログ カヤック編 三河大島へ
http://blog.livedoor.jp/usa_usao5/archives/1697874.htm...

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002 2013/10/13(日) 19:04:15 ID:/PiSTRs3Ps
     13代続く島守だけが住んでいた島 妻ヶ島

長崎県の壱岐島にある石田町印通寺港の南、約500mにある島を妻ヶ島という。
この島は前スレ、>>62で紹介した平野仁右衛門一家だけが住む仁右衛門島と同じく、1世帯だけの『島守』のみが住む島だ。
住人である百崎(ももざき)さんは江戸時代から数えて13代目。聞くところによると、松浦の殿様の側室付き人の血脈だとか。
百崎夫婦はおしどり夫婦として名が知られ、かつては島の暮らしぶりを描いた著書も出版された。島では牛を飼い、自給自足の生活をしていたとのこと。
もっともその百崎夫婦も高齢になられ、平成14年になって壱岐本島に転居しており、現在、妻ヶ島は無人となってしまったそうだ。

また島には百崎さんの生家と厩舎だけでなく、衣通姫(そとおりひめ)神社もある。祀られている神、衣通姫とはなんであろうか? ウィキにはこうある。
記紀(古事記と日本書紀との総称)では絶世の美女と伝承される人物で、あまりにも美しさで衣を通して輝くことからこの名がある。
本朝三美人の1人とも称される。
古事記と日本書紀では衣通姫の設定が異なる。古事記には、允恭天皇(いんぎょうてんのう・在位412〜453年)皇女であり、
同母兄である軽太子(かるのひつぎのみこ)との兄妹による許されざる恋に落ちる。それが原因で天皇崩御のあと、軽太子は群臣に背かれて失脚。
伊予へ流刑となるが、衣通姫もそれを追い、再会した2人は心中する。これを衣通姫伝説として伝えている。

また日本書紀においては、允恭天皇の皇后忍坂大中姫(おしさかのおおなかつのひめ)の妹・弟姫(おとひめ)とされ、允恭天皇に寵愛された妃として描かれる。
近江坂田から迎えられ入内し、藤原宮(奈良県橿原市)に住んだが、皇后の嫉妬を理由に河内の茅渟宮(ちぬのみや、大阪府泉佐野市)へ移り住み、
天皇は遊猟にかこつけて衣通郎姫の許に通い続ける。皇后がこれをいさめ諭すと、以後の行幸は稀になったという。
いずれにせよ、島の歴史や生誕につきものの女の悲劇がここにも見受けられる。しかも衣通姫のソレは、あまりの美人がゆえの受難であった。
なぜこうも女の悲劇譚が多いのか、近いうち言及するつもりだ。

余談だが、嫁ヶ島は2010年にテレビ番組の企画で話題となった。
テレビ朝日系の、『いきなり!黄金伝説。』の中の企画、よゐこ・濱口の「獲ったどー!」で有名な『無人島0円生活』で舞台となったことがあるのだ。
百崎夫人自らが濱口あてに手紙を送り、そこから実現した。文面には妻ヶ島での生活を懐かしく思い、もう一度島のおいしいお米や野菜を食べられるようにして
欲しいと綴られており、その切なる願いが通じたようだ。

文明の利器が普及しておらず、いくら生活に支障をきたすほど不便でも、長年住み慣れた土地は離れ難いものだ。
島守であった人の心にはいつまでも『島』が浮かび、『島』こそ全世界だったにちがいない。
小さな『島』であったけれど、百崎さん夫婦にとって世界は広かったはずだ。伝統を守り続けたことを誇りに持って欲しい。


司馬遼太郎が見た壱岐の風景 唐人神
http://mtv17.ninpou.jp/iki2/kaidou/kaidou.htm...
印通寺散策
http://www.ikishi.sakura.ne.jp/intuuzi.htm...
衣通姫伝説wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A3%E9%80%9A%E5%A7%...
ザ・テレビジョン 「黄金伝説」がついに無人島の開拓に成功!? 濱口優が「今までにない伝説になった」と自信
http://news.thetv.jp/article/18290...

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003 2013/10/13(日) 19:39:17 ID:LnSe8g1X12
     7月11日にしか上陸できない秘境島 小築海島(こづくみじま)

三重の鳥羽湾、および県内ではもっとも大きい島である答志島から、さらに北上したところには小築海島という無人島がある。
周辺は禁漁区に指定されており、普段は人が立ち入ることができない。
小築海島は古くから秘境の島と呼ばれていた。島には神社があり、祠や石の祭壇が祀られており、毎年祭りが催される。
7月11日だけ地元の漁師だけが島に上がることが許されるという。そして答志島の八幡神社に供えるアワビを漁協青年部が採らねばならない。
代わりに小築海島から答志島へ桑やススキの葉を持ち帰り、八幡神社に採ったアワビを奉納し、海上安全と大漁祈願をする。
また小築海島の近くには洞窟があり、その洞窟は『9人ぼうら』と呼ばれている。名称は遭難者9人がこの洞窟で発見されたからだそうだ。


Archive.is - webpage capture 答志島海岸線調査
http://archive.is/vYKD...
海女のまつり
http://www.city.toba.mie.jp/kikaku/ama/documents/ama54-55....

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