こういう条件付の救いとか愛って、
普通の人にとっては、私は救われた、私は選ばれたという意識になる。
でも、条件が悪い人々にとっては、自分が除外されたことを、その条件によって知ってしまう。
私には、愛していると言う家族もないし友達もないとか、
修羅場の家族の中でどれほど父母や兄弟に実践しようとしても、弱点とみなされて攻撃されてしまうとか、
自分自身の沢山の棘で、すぐに怒りや絶望に呑まれてしまうとか。
ならば、
下流のものは、最高の愛を求めた方が良い。
神の愛は、無条件の愛だ。
たとえ自分の力が及ばずとも、うまくゆかなくても、
いっそのこと、神の無条件の愛を目指して実践した方が、良いのだと思う。
無条件の愛の中にならば、どれほど下の下の者でも居場所がある。
だから、それを、力を尽くして実践すれば良いのだと思う。
意外なことだけれども、
下の下の下の者は、無上の神の愛を目指す道になる。
最高の道、王道は、常に、すべての命に開かれているからだと思う。
でも、条件付の愛を説く者たちは、それを許さない場合が多い。
「お前には神を求める資格がないとか、神に値しないとか」
あらゆる条件を出してきて、鞭打ち、否定してくるかもしれない。
それでも、すべての者に対して、無条件に幸福を祈るように力を尽くすしかないのだと思う。
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