ある村の近くの山では、美しい紅葉を写真に収めようとしている一部の写真家に有名な場所がありました。
初老の男性は、休暇をとって写真撮影に向かいました。あまり交通の便が良くない場所だったので、観光地として栄えているわけではありませんでした。
男性がその村に来た時も、他には小太りの男性が一人いるだけでした。話してみると、二人共この村に来たのは初めてで、紅葉を写真に収めるためにやって来たそうです。
宿での食事の際に宿の主人である老人から、「明日、山に入るのならこの水筒に村の中央にある井戸の水を汲んで行きなされ。水は飲んでも構わないが、
決して村に戻るまでに飲み干してはいかんぞ」と言って、竹でできた水筒を渡してくれました。水筒には、蛙と思われる生き物が彫られていました。
翌日、男性は少し寝坊をしてしまい、朝食を済ませる頃には小太りの男性は既に出発した後でした。渡された水筒に井戸水を汲み、男性も山に入って行きました。
山の紅葉は美しく、男性は時間を忘れて写真撮影を楽しみました。時間を忘れただけでなく、食事も忘れる程だったので、持ってきた水筒の水にも一切手を付けませんでした。
日が暮れる前には村に戻ってきた男性は、宿にもう一泊してから帰る予定でした。1日中歩き回ったせいですぐに寝てしまいました。
翌日、またしても寝坊してしまった男性は朝食を急いで済ませ、水筒を返してからすぐさま村を出ました。帰りの飛行機に間に合わなくなる可能性があったからです。
慌ただしくしていたので、初日の夜以降、小太りの男性には会っていませんでした。それから数年後、男性は再びその村を訪れました。
同じ宿に泊まったとき、宿の主人にあの小太りの男性のことを聞いてみました。よくよく考えると、初日以降に姿を見ていなかったので、少し気になったのです。
宿の主人は「あの男なら、山から戻っとらんよ」と言いました。
男性が驚いていると「水筒の水を飲み干してしまったか、水筒を落としたんじゃろう」と言いました。
なぜそれで戻ってこないのかを聞くと、「あの山には蛙の神様がおってな、昔、この村の人間に世話になったお礼に、あの山から来る野盗なんかを退治してくれてたんじゃ。
ただ、村人と野盗の区別ができんかったから、この村の井戸水を水筒に入れて持っとる人間を村人と判断して、井戸水を持っておらん人間を野盗と判断して食ってしまうんじゃ」という話です。
「もし、今年も山に入るんなら、また水筒に井戸水を入れていきなさい。決して、飲み干すでないぞ」と言い、アノ日と同じ水筒を渡されました。
竹でできた水筒に彫られている蛙が、どことなく恐ろしいものに見えてきました。
返信する