今も石塔が建っている仏島
愛知県蒲郡市、三河大島の南に位置する『仏島』。
なんともいわくありげな匂いがたちこめている。これはチェックせずにはいられないだろう。
案の定、こんな話が残っていた。
昔、三河の沖合に、干潮のときにだけ姿をあらわす岩礁だけの島があった。
この島の周りは潮の流れが速く、暗礁も多いことで知られ、たくさんの船が座礁、
もしくは沈没して多くの船乗りが命を落としていた。
それでこのあたりは『船の墓場』、『死者の海』と呼ばれ、誰ひとりとして近づく者はいなかった。
あるとき、兄弟の船乗りが村の石屋に頼まれて、大きな石塔を知多の村まで運ぶことになった。
この日は天気も潮の流れも良く、絶好の船出日和だった。
ところが、船が沖合にさしかかると、急に潮の流れが変わり、舵が利かなくなってしまう。
2人が乗った船は潮に流され、こともあろうに人々から恐れられている死者の海に来てしまった。
そのとき、積荷である石塔を結んだ綱が突然切れたかと思うと、船が傾いて石塔は海に落ち、
兄弟も海に投げ出されてしまった。
海に落ちた2人が島の方を見ると、なにやら島のてっぺんに人影が見える。
目を凝らして見れば、なんとそれは骸骨のような形相をした、恐ろしい亡者の群れが兄弟を手招きしている姿だったのだ。
これを見た2人は、死にもの狂いで泳ぎ、やっとの思いで浜にたどり着いた。
この恐ろしい出来事に懲りた兄弟は、次の航海では陸寄りの航路を取ることにした。
しかし、いざ出航するも、やはり途中から舵が利かなくなり、またぞろ死者の海へと流されてしまう。
今度ばかりは助からないだろうと、念仏を唱え出す兄弟であったが、恐る恐る島の方を見ると、
島の頂上には海に沈んだはずの石塔が建っているではないか。
これを見た兄弟は、ここで亡くなった船乗りの亡霊が、供養を求めて石塔を島に運んだのだと知った。
ここで亡くなった者たちが哀れに思え、村の衆にこの経緯を話し、石塔に供え物を捧げ、
坊さんにお経をあげてもらい、迷える死者の魂を慰めたのだった。
以来、この島は『仏島』と呼ばれるようになり、また不思議なことに、
あれほどあった暗礁も海中深くに沈み、引き潮のときだけ仏島が姿を見せるようになったという。
三河大島周辺をクルージング
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