
     ハンセン病患者を隔離した島   
 明治時代から最近まで、伝染病患者を収容する施設が全国あちこちに存在したのは知られているが、 
 まるごと隔離施設として使われた島がいまだにある。それが香川県高松市庵治町にある大島だ。 
 高松港から8キロ先の沖合いに浮かぶ、大島とはいいながら面積わずか61ヘクタールほどの小さな島にすぎない。 
 そこに国立ハンセン病療養所、『大島青松園』が建っている。 
 過去に、ハンセン(らい)病患者が収容とは名ばかりに、隔離施設として使われてきた負の歴史があるのだ。   
 ハンセン病とは、抗酸菌の一種であるらい菌が末梢神経細胞内に寄生することによって引き起こされる病。 
 顔面や手足などの変形を伴うことから偏見の目で見られ、患者たちはいわれもない差別を受けてきた。 
 かつては効果的な治療法がなく、空気感染する(現在では完治でき、感染力も非常に弱いことが明らかになっている)と恐れられたことから、 
 日本全国に13か所の国立療養所と2か所の私立療養所がつくられ、患者たちは無理やり押し込められていたのだ。   
 大島への交通手段は、庵治町と大島青松園間は専用フェリーが運航しており、無料で行き来できる。 
 今でこそ往来は便利になったとはいえ、1907年に開園して以来、長きにわたって島と外部との接触は制限されてきた。 
 島に『隔離』されたまま人知れず息を引き取った入所者は2000人を下らないといわれており、いかに大島が、 
 刑務所並の厳重な管理体制が敷かれていたかが窺える。 
 以前はこの島から脱走できないよう、施設の周囲は有刺鉄線で張り巡らされ、財産もすべて没収されたうえ、 
 代わりに大島内でしか使用できない特殊通貨(主に貨幣)が支給されていたという。   
 現在でも、大島では50歳から100歳までの患者が200人近くが入所している。2004年度の調べで平均年齢が76.5歳。 
 高齢化が進み、年々老衰で亡くなる人の数が増える一方だそうだ。   
 必要な治療を続けるかたわら、各々が自由な暮らしを送ることができる。 
 ここでは早朝5時から一日の生活が始まる。元気な者は朝から農園へ出かけ、畑仕事に精を出してもよい。 
 8時の朝食を終えると、治療したい人は治療棟へ出かけて傷の手当てを受け、リハビリ室で運動したりして、 
 11時ごろには部屋に戻ることができる。 
 反対に、身体が不自由な人は午前中に職員の介助で入浴し、元気な人でも午後から共同浴場へ行ける。 
 (ハンセン病の民間療法として、入浴と熱を加える治療法がある。その昔、草津の湯がハンセン病に有効成分が 
 含まれ、全国から患者が集まったことがあったらしい。全生病院では、『風呂場外科』という科も存在する)   
 12時の昼食を終えると、リハビリや百寿会、クラブ活動(ゲートボールや手芸・陶芸など)に参加したり、 
 職員の付き添いつきで散歩に出かけたり、畑仕事の続きをしたりして、各自自由にすごすことができる。 
 午後4時に早めの夕食をとったあとは、ラジオ、テレビに興じ、8時には床に就くという規則正しい生活を送っている。
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