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怖い島・いわくつきの村・総合


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001 2011/04/18(月) 12:36:00 ID:lqbrx3Wq/c
日本全国に点在する、神秘的かつホラーな島や気味の悪い村を挙げるスレです。
もしや、あなたのご近所にもあるのではないでしょうか?

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002 2011/04/18(月) 12:38:44 ID:lqbrx3Wq/c
数多くのタブーが存在する禁断の人魚を祭る島『新城島』(あらぐすくじま)

美しい海に浮かぶ沖縄県・新城島は、数多くのタブーが存在する禁断の島と言われている。
御嶽(うたき)と呼ばれる撮影禁止、入ることも許されない人魚神社……島民以外は参加することが許されない謎の儀式。
島民も鳥居の奥に何があるか、中で何が行われるのか、決して語ってはならない。
万が一、掟に背き無断で中に入ってしまったら、その人間に災いが降りかかり、原因不明の体調不良で苦しみ、死に至る者もいるという……。

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003 2011/04/18(月) 12:47:01 ID:jBK7TQ2K8o
昔、「じゅっぱん」と呼ばれる集落があって
首つり小屋や犬の死体たくさん放置されてるとか
子供の間で噂になってて誰も近寄らなかったよ

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004 2011/04/18(月) 13:00:14 ID:IXRaRvUU7s
ここかな
今は 取り壊されてしまったけど
http://b-spot.seesaa.net/article/38297592.htm...
近くに 土地を買って小さな小屋を建てて
夏 海など 遊びに来てたりしてたんだけど
この建物に気づくまで2〜3年かかった

中に入った事はなかったけど とにかく不気味だったな・・・

主が時々外に居て 挨拶したりした

主が亡くなって 取り壊しする時 壁から主の嫁の白骨死体が出てきたらしく
やっぱり キティな人・・・だったな・・・

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005 2011/04/18(月) 13:04:08 ID:lqbrx3Wq/c
     その無人島は『海の火葬場』

岡山県笠岡市の沖合いに浮かぶ高島、白石島、北木島、真鍋島の4島を笠岡諸島という。
北木島と白石島のちょうど中間に、地元の人が通称『タテ』と呼ぶ小島がある。
地図上では正式名を『縦島』といい、たった40メートルほどの岩場だらけの無人島にすぎない。
実は平成13年まで、この『タテ』では海上の火葬場として使われていたのだ。

火葬場の施設があるわけではない。タブと呼ばれる木(クスノキ科)でヤグラを組み、その上に遺体を寝かせ、
松ヤニを油代わりに野焼きしたという。大抵は夜半から明け方にかけて、なるべく風のない日が選ばれたものの、
夏場は遺体が傷まぬうちに焼く必要があったため風向きは気にしていられない。強攻策に出ることもめずらしくなかったらしい。
そんな日は風に乗って、髪の毛の焼けるイヤな臭いや、焼け焦げる動物臭が諸島一帯に漂った。
だからといって島民は不満を訴えたりはしない。諸島に古くから根付く不文律が存在したのだ。
島に渡らずとも、通常の火葬施設はある。なぜわざわざ『タテ』に運んでまで焼く必要があったのか?

明治12年と同28年に笠岡諸島でコレラが大流行した。致死率50%の死の伝染病は一帯で猛威をふるい、
岡山全県では9千人が罹病し、うち5千人が亡くなった。島内の火葬場では遺体の焼却が追いつかず、
ついには『タテ』が選ばれ、火葬場として使われるようになったわけだ。

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006 2011/04/18(月) 13:04:54 ID:lqbrx3Wq/c
     戒名の彫られた墓石が投げ込まれている      

洋上の火葬場は『タテ』だけではない。北木島の西にも『横辺島』……島民は『ヨコ』と呼ぶ無人島でも遺体を焼いた。
奇しくも『タテ』と『ヨコ』。まるで対で存在するかのような火葬用の島。

コレラによる被害者だけでなく、スネに傷をもつ出稼ぎ労働者までもがここで処理された。
北木島では花崗岩を産出することで古くから知られ、石切り場が至るところにある。
江戸時代の初めごろから明治中期にかけて石材採掘が盛んに行われたそうで、島外から石切り職人が流れてきた。
危険がつきものの仕事だけに報酬は陸でのそれに比べ、ほぼ倍の賃金を得ることができるものの、
職人の多くは刹那的な生き方を好んだ。酒や女にバクチ。中にはやくざ者や犯罪者もいた。
そんな身寄りのない訳ありの者が亡くなると、そこで焼かれた。
むろん遺骨の引き取り手はいるはずもなく、満潮時に波がすべてをかき消していくままにされた。

画像からは確認できないが、今でも一枚岩には焼け焦げた跡が見られるそうだ。
無縁仏となった者を悼んだのか、波打ち際だけでなく、周辺の海底には戒名のついた墓石が無造作に投げ込まれているという。

とはいえ、こんな悲しい歴史がありながら、渡船をチャーターして磯釣りに訪れる人は多い。釣りキチは恐れ知らずだ。
チヌやメバルがよく釣れるという。

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007 2011/04/18(月) 14:03:41 ID:.H0zWQ..mE

いわくつきと言うよりも実証されているので怖くて言えない場所がある

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008 2011/04/18(月) 15:11:09 ID:QEgPbs5KLU
大久野島でググれ。

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009 2011/04/18(月) 15:26:25 ID:A2N4xYenkE
人売りで有名になった三重の○○○島は?
逃げ出すにも島だから逃げ出せないらしいね。
このことについて取材していた記者が行方不明になった。

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010 2011/04/18(月) 15:48:03 ID:lqbrx3Wq/c
[YouTubeで再生]
     女人禁制の『海の正倉院』沖ノ島

九州本土から約60キロ離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロの孤島、沖ノ島。

島には宗像大社沖津宮があり、宗像三女神の田心姫神(たごりひめのかみ)を祀っている。日本書紀に記されるほど古の時代から縁ある土地なのだ。
人口は、沖津宮に常駐する宮司がたった1人のみ。それも、福岡県宗像市の宗像大社からわざわざ派遣され、10日勤務の交代制だそう。

沖ノ島は古くから航路の道標とされると同時に、島全体が御神体とされ、今でも女人禁制の伝統を守っている。
とはいっても、男性ですら毎年5月27日に開かれる大祭以外の上陸は許されず、その数も250人程度に制限されているほどだ。
上陸前には海中で全裸になり、みそぎを済ましてからでないと立ち入ってはならない掟がある。
それは派遣されてくる宮司とて同じ。真冬の玄界灘は身が切られんばかりに冷たい。

今も禁忌は残っている。
海中でのみそぎだけでなく、島に上陸したとしても島にあるものは一木一草一石たりと持ち出すのは許されない。
さらに島で見聞きしたことでさえ、口にしてはいけないという過酷な掟があったため、周辺の漁師たちは畏怖をこめて、
島の別名を『御不言様』(おいわずさま)と呼んだ。

1954年(昭和29年)以来、十数年かけて沖ノ島の発掘調査が行われ、4・5世紀から9世紀までの石舞台や古代装飾品などの大量の祭祀遺物が発見された。
このことから、沖ノ島は俗に『海の正倉院』と呼ばれている。古代から信仰の対象とされていた所以だ。
また、中国・朝鮮の歴代王朝との交易で栄えていた。九州を中心に沖ノ島を世界遺産にする運動が起こり、
2009年1月5日に沖津宮・中津宮・辺津宮及び沖津宮遥拝所と沖ノ島全体を含めて宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成遺産として、
世界遺産暫定リストに掲載された。

それだけでなく、島は国の史跡に指定されているとともに、原生林は亜熱帯植物の北限地として国の天然記念物に、
海鳥の集団繁殖地として国の鳥獣保護区にも指定されるなど、自然環境の面からも保護を受けている。

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011 2011/04/18(月) 15:55:13 ID:lqbrx3Wq/c
[YouTubeで再生]
仏島は何やら不気味な島だ。

『まんが日本昔ばなし』にもネタにされてる島で(まんま『仏島』ってタイトル)、
かなりホラーな内容の伝説があるようだ。

今はどこの動画も削除されてるので観られない……

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012 2011/04/18(月) 17:56:13 ID:D80o01JGaY
>>2 一昨年行ったけどさ、信仰うんたらの恐怖よりも島民と元島民の利権の争いの方がこえーよ

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013 2011/04/18(月) 19:53:45 ID:lqbrx3Wq/c
>>12
詳しくお願いします。

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014 2011/04/18(月) 21:05:58 ID:BP2jAxz0ag
渡鹿野島・・・

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015 2011/04/19(火) 00:49:09 ID:Q4jXfd/NZE
都市伝説と違ってシャレにならないからコワい。

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017 2011/04/19(火) 19:51:24 ID:W6l1dajZHo
[YouTubeで再生]
>>8

大久野島 良いね♡

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018 2011/04/20(水) 01:11:34 ID:dTYq3J/C/o
>>4
某廃墟系サイトで突入してたっけな 懐かしい

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019 2011/04/21(木) 10:48:55 ID:DoEzwiPrZA
削除(by投稿者)

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020 2011/04/23(土) 00:09:12 ID:q9NTXmz5bM
     血族結婚の村

石川県の某集落には、いまだに血族結婚の風習が残ってる。
村民の多くは同じ苗字を名乗り、顔は老人から子供までどこか似ており、仕草まで同じ特徴が見られるという。

現代日本では血族結婚は倫理的にも法律的にもタブーとされている。
しかしながら日本国憲法においては、『本人』『直系血族』『3親等内の傍系血族(兄と妹、姉と弟、おじと姪、おばと甥)』
『直系姻族(婚姻関係終了後も継続)』『養親とその直系尊属及び養子とその直系卑属(離縁後も適用)』との婚姻届は受理されないものの、
憲法第24条には「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」とあるだけで近親者間の性交そのものを禁止しているわけではない。
すなわち、近親者同士であっても事実婚は阻害されないと、ちゃんと定められているのだ。

とはいえ、血が濃くなると障害をもった子供が生まれる確率が高くなったり、犯罪に手を染めやすいといった昔ながらの先入観もあるだろう。
ところが、この村の人々の特徴は、IQや運動能力がズバ抜けて高く、ほとんど病気知らずらしい。
あるマスコミ関係者は言う。「某村の人々が病気にならないのは、通常では考えられないような強い免疫力を持っているからに違いありません。
突発的に、住人の1人が突然変異によって獲得した『特殊能力』が血族結婚によって守られ、代々受け継がれてきたのではないでしょうか」
唯一のマイナス面といえば80歳で胃癌で亡くなる遺伝傾向があるそうだが、そこまで生きられれば御の字だろう。


ではなぜ、今もなお血族結婚の風習が廃れることなく続いているのか。
村を出たという元住人の証言によれば……
数百年前、村は飢饉の打撃を受け、村人のほとんどが餓死する窮地に陥った。
この危機的状況を打開すべく、村人らは一計を案じた。村へ嫁ぎに来た女性を『民の花嫁』とするのだ。
一個人に捧げるのではなく、村の男全員に奉仕する役目を負わせたわけだ。
つまり、花嫁は万が一、夫との間に子供ができなくても、村人の誰かの子種を宿すことができれば確率的に子孫繁栄しやすくなる。
一の矢がはずれても、二の矢、三の矢で的を射るべし、ということだ。
婚礼の前日、たった一人実家に残された花嫁は、次から次へと訪れる村の男と交わねばならないという。
新郎はそれを指をくわえて見守るしか術がなかったそうだ。

この『民の花嫁』の風習のおかげで、某村はかつての活気を取り戻したうえ、予期せぬ副産物も得ることができた。
上述した『知能・運動神経が秀でており、なおかつ病気に強い』遺伝子を獲得するに至ったというわけだ。

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021 2011/04/23(土) 00:15:22 ID:q9NTXmz5bM
     『クロ宗』の鉄の掟

今から400年前、キリスト教徒が江戸幕府によって迫害されていたころの話。
島原の乱に敗れたあと、彼らは幕府からの厳しい弾圧を逃れるべく、鹿児島県、下甑島(しもこしきじま)に流れ着いた。
離島であるがゆえに、幕府の追及も届かない。ようやく安住の地を得た彼らはこの島にTという集落をもうけ、
なおもキリスト教を信仰し続けた。
とはいえ世間から孤立することにより、キリスト教本来の教えとは異なる独自の宗教を編み出すに至る。
それが『クロ宗』だった。
クロス(十字架)が語源といわれ、外部との接触を完全に拒んだ秘密結社的な概念。
驚くべきことに、隠れキリシタンの末裔たちによって、今もなお受け継がれているそうだ。

『クロ宗』の最たる特徴は、死の儀式にある。
信者が生命の危機に瀕した場合、『サカヤ』と呼ばれる司祭のもとに運ばれ、まだ息があるにもかかわらず、
生き血と生き胆を摘出するというのだ。
信じがたい話だが、その取り出したるモノを信者全員で食べ、飲み干すという……。

ある大学の民俗学教授は言う。
「宗教儀式の中には、死者の魂を取り込むため、身体の一部を食するというものは存在します。
ですが、生きているうちから血と肝を抜くというのは稀ではないでしょうか。
サカヤ(司祭)の家から出される遺体は白い布でグルグル巻きにされ、
その布には血が滲んでいるというのですから、恐ろしい儀式ですよね」

とはいうものの、この禁断の儀式は詳細がいまだ明らかにされていない。
『クロ宗』を信仰するT集落の住人は、よそ者を完全に拒み、話しかけても相手にすらされない。取材にも一切応じない。
家屋は全部で20戸ほどの小集落にすぎない。しかもそれぞれの家が、3メートル前後ものブロック塀で囲まれており、
異様な雰囲気を醸し出している。

『クロ宗』信者には集落内での出来事を一切口外してはならないという鉄の掟があり、
それを破った者は命を取られるのではないかともウワサされている。

※明治時代まで肝食いをやっていただの、集落に近づけさせないためのデマにすぎないとの諸説がある。あまり真に受けないように。

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022 2011/04/23(土) 00:22:32 ID:Yr4u.CGh2Y
地方新聞の記者の女の子がゆk

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023 2011/04/23(土) 10:55:29 ID:q9NTXmz5bM
     クブラバリ

沖縄県の与那国島には悲しい歴史がある。

久部良集落の高台にある久部良張り(クブラバリ)とは、幅2〜3メートル、深さ10数メートルほどの岩と岩の割れ目……クレバスだ。
その昔、八重山には琉球王府により、収穫量や能力を考慮することなく単純な頭数でかけられた人頭税なるものが存在した。
人頭税という制度は、「政府が要求する年貢は、島民1人につき、これだけ収めよ」という悪しきシステム。
与那国島で採れる作物量は限度があるし、年貢だけ収めててもギリギリの生活なのに、大家族だとますます首を絞められる。

この重税から逃れるため、島民は苦肉の策として口減らしを余儀なくされた。
なんと妊婦を集め、そのクブラバリ……岩と岩との割れ目をジャンプして飛び越えさせたというのだ。
失敗して転落死する女性、なんとか飛び越えられたとしても、恐怖のあまり流産する妊婦が出た……
つまり、これ以上島民を増さないよう、弱者の淘汰を促したのだ。

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024 2011/04/23(土) 10:57:43 ID:q9NTXmz5bM
     トゥングダ

同じく与那国島。今から200年もの前の話。
祖納の人舛田(トゥングダ)では、ある日突然、ホラやドラが打ち鳴らされたら合図。
それを耳にした男たち(15歳以上)は、仕事中だろうがなんだろうが、すべてを投げ捨て、
一目散に人桝田めがけて走り、我先に飛びこまなければならない。
その田んぼに入りきれずあぶれた者、たどり着けなかった者(ケガ人・病人・老人など)は、
島民の合意のもと、殺害されたという。

舛(マス)で人を計り、あふれた者を処分する。
そうでもしなければ人頭税は納めきれなかったそうだ。

現在はサトウキビ畑として名残りをとどめている。

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025 2011/04/23(土) 17:37:28 ID:q9NTXmz5bM
日本の各地には「避け地」と呼ばれる、伝染病隔離地区が存在していました。
隔離された集落には、定期的に食料が支給されていたのですが、
太平洋戦争が激化し、食糧難に陥り、政府側は彼らを「見捨てた」のです。
その事実を政府は、例の臭い物に蓋的に隠し続けてきた歴史があるのです。
犬鳴村がそうであるとは言いませんが、日本には実際に存在する事は確かです。
皆さんの住んでいる近くで、山間部の人気がないところに、自衛隊のヘリが定期的に飛んでいる所が有るんじゃないですか?
この事は自衛隊内でもトップシークレットに属す事ですので、知っている人は少ないはずです。
因みに、「避け地」に行く陸路はほとんど無いと考えられます。

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026 2011/04/23(土) 19:27:40 ID:WZBvYjn5eA

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