漂白の民『山窩(サンカ)』について語ろう


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001 2013/04/03(水) 21:34:28 ID:SgQEWeFFls
否定する人もいるけど、爺様婆様の談によると、やはりいたとも言う。
結局、何なの山窩って?

サンカ (民俗学)wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%...

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061 2025/01/15(水) 14:04:25 ID:QFIlS9s4os
穹盧氈帳、水草を逐ひてもて移徙す。頗る北狄の俗(ナライ)に類(ニ)たり。
が、大陸の遊牧民、ロマ族やジプシーを思わせるが、日本の北狄=蝦夷を殊更に大陸北狄描写に準えただけ。
原文冒頭の「穹盧氈帳、水草を逐ひてもて移徙す。」は、『後漢書』の烏桓伝に「水草に随い放牧し、居に常処なし.穹盧を以って舎となす」とあり、やや下って『北史』の突厥伝には「穹盧氈帳,水草を随逐うして遷徙する」とあるように、北狄表現の決まり文句に過ぎない。
続く「男は皆弓馬を使へ、狩猟をもて事と為す」は、まんま蝦夷の描写に重なる。しかし、「東国は美濃・参川(三河)・遠江等の党を、豪貴と為す。山陽は播州、山陰は馬州等の党、これに次ぐ」とあるように、陸奥の蝦夷ではなく、陸奥から各地に移配後の俘囚蝦夷の成れの果てだから、分布が畿内を取り囲む西日本なのだ。
ゆえに>>59非農業民ゆえに遊芸や売春で繋がれなかった無戸籍者は、沈黙交易めいた接触を農村と保った、となる。
昭和の高度成長期前まで現存したサンカ(山窩)は、その末裔であろう。

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062 2025/01/15(水) 14:39:06 ID:QFIlS9s4os
彼らが蝟集したのが、飛鳥時代以来寺院が多かったため、奇術めいた技や舞踊 、唄、人形使いなどの芸を仏教文化と共に持ちきたった渡来人から学び仕込まれたかもしれぬが、それは寺院とともに生きんが為の方便であった。帰属支配が進むと取り込まれ、山伏や僧兵、或いは神社系統にならば、犬神人、清め、巫女となったものも出たが、こちらはやがて中世の被差別民として独立性を失い、寺社から役や役得を得る立場になる。あくまでも自由、独立を守り、国家秩序から距離をとって山の民、河川流域セブリの民として生きたのが山窩であった。

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063 2025/01/16(木) 11:33:36 ID:.x9lChG.GM
古墳時代の昔から、田を耕さぬものには役が与えられ、大抵はその役は先住民の中の非農業民が負わされた。陵戸なるものもそうした役を担わされた人々であった。冶金鍛冶、武具制作や馬の飼育も役であり、陸奥蝦夷が弓馬術に優れたのは、役から育まれた技能蓄積である。女性は行商から転じて遊行者になり、また、陵戸も古墳なき仏教時代に入ると門前に市をなす行商スタイルから市子(巫女)を輩出するに至る。とき恰も寺院に模して神社が建設される世に移行していた。
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064 2025/01/16(木) 11:52:59 ID:.x9lChG.GM
平安期から中世期に京を中心に、桂女、大原女、白川女などが名を知られるが、彼女らは、巫女にはならなかった商人系統とは言え、片方がもう片方の零落ならずも、時代を超え隔てたる同脈と言える。推して古代も知るべし、だ。

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065 2025/01/16(木) 21:49:45 ID:.x9lChG.GM
>>60
「傀儡子記」を著した大江匡房自身が土師氏である。土師氏は、菅原氏も輩出したと言うより、由緒ロンダリングに文章博士が有効なるを身をもって知った一族。土師氏は土師部で部民であったから、土師部の一部は皇陵を守る陵戸とされた可能性もあるが、野見宿禰などをでっち上げてまんまと氏姓になり仰せた。
由緒書が国史なりというのだから恐れ入ったものである。

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066 2025/01/16(木) 22:00:11 ID:.x9lChG.GM
川魚漁の巧みで知られる山窩は、桂女の夫と寸毫違わぬ生業だが、農業コミュニティとの距離感を異にする。行商、或いは閨事も辞さぬ営業接触など峻拒したるが山窩なり。
対人関係性だけに留まらない。
当時の貨幣経済の浸透、発達から見れば、桂女は街に現れ、金銭を求むるも、山窩は農村の生産物、現物しか当てにせず信用しなかったと言える。
そんな彼らが高度経済成長にあってはひとたまりもなく潰え去ったのも宜なるかな。

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067 2025/01/16(木) 22:27:47 ID:.x9lChG.GM
遊女、遊廓、歌舞伎、芸者、田楽、文楽、能の起源がまさかの蝦夷(縄文人)。その傍流が山窩。歴史は奇なり。

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068 2025/01/19(日) 04:28:17 ID:sBqSClkw8k
[YouTubeで再生]
1000年以上に渡り防人から逃れ、遊芸から逃れ、鉱山労働や開拓に使役されたる山住の俘囚の末裔が明治期の山林国有化事業で山間から追われて街場に出たものを山窩と称す。広島辺りが多かったようだ。都市部まで流れ出て、大阪天王寺の現アベノハルカスの場所にあったみかん山には、彼らが住み着いて部落をなした。付け加えるならば、蝦夷、傀儡子は人をとろけさせるほど歌が上手かったのだから、山窩も歌謡、舞踊は上手かったはず。往時をしのびアイヌ歌謡や琉球歌姫を物色するも一興か。

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069 2025/01/19(日) 08:09:22 ID:1Do2UbRYXw

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