あの世の素晴らしさ


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001 2017/07/06(木) 20:21:45 ID:TCEhRo3L/2
あの世は素晴らしい!
なんと言ってもカネを必要としないのが素晴らしい!
カネの支配から解放された世界、カネの心配をしないで済む世界、カネを稼ぐ必要がない世界!
考えれば考えるほど「あの世」は素晴らしいではないか!

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159 2018/04/08(日) 11:09:36 ID:pM3DJM/SL2
>>158
そのとおり!

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160 2018/04/08(日) 18:37:56 ID:RntBWS0msE
人間は死んだらそれで終わりなのではない
死んだ後のあの世の生活が待ち受けている
これは死んでみれば判ることだが、だからと言って安易な自殺行為は止めるべき
自殺者は暗黒の世界に据え置かれるものの、その期間は永久ではない
自殺の動機によっては情状酌量の余地が働く。

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161 2018/04/08(日) 18:50:27 ID:AK3VJ0V.W2
あのよーw
死の先にあるのは無に決まってるだろw
人間だろがミミズだろがオケラだろが同じ無から生まれて無に還るだけ
あの世だ天国だ地獄だは死への恐怖や願望から生まれた
人間様に都合のいい妄想、想像に過ぎんよ

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162 2018/04/08(日) 22:49:22 ID:DMcXNYqgv2
近年では、自殺者の大半がうつ病を患っており、そのうち7割〜8割は心療内科や精神科を受診せず、
適切な治療を受けていなかったことがわかってきました。

うつ病になると、しばしば「希死念慮」という症状が現れます。
希死念慮というのは、「死にたい」、「死ぬほど辛い」、「消えてしまいたい」といった気持ちのことです。
これは、うつ病によって正常さを失った脳から直接発せられるため、本人の意思で抑え込むことは困難です。

そして、急に強い希死念慮に襲われ、たまたまその場所に自殺を可能とするような条件が揃っていた場合に、
実際に自殺を遂げてしまいます。

そもそも希死念慮は、あくまでもうつ病という病気に伴う“症状”であり、自らが本当に自殺を望んでいるわけではありません。
うつ病さえ寛解すれば、希死念慮は嘘のように消えてしまいます。

そのため、うつ病による自殺は「病死」と考えるのが適切です。

このように、その実態は病死である自殺者を「神に背いた罪人」扱いするのは、医学が未発達で未だ脳のメカニズムが
解明されていなかった時代に生まれた、未熟で野蛮で、病死者とその遺族に鞭打つ残酷な思想です。

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163 2018/04/09(月) 10:39:47 ID:D04r33.VYs
>あのよーw
>死の先にあるのは無に決まってるだろw
いいえ、死んだ先には霊界があります。
貴殿も死んでみれば判ることです
死んだときに自分の死体を見て混乱するでしょう
死体がありながら自分の意識が存在している、ということは自分は死んではいない、まだ生きている
このような思考が自分の死を認めずに浮遊霊となってこの世を徘徊するのです。
そうなりたくなかったら、自分の死体を見たとき自分は死んだんだと認めましょう。
自分の死を認めたときにあの世からのお迎えが来ますから素直にそれに従いましょう、

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164 2018/04/09(月) 21:36:27 ID:9arVkVAfQY
あの世というのは生きてる人が考えて作ったもの
神様が考えたものでも無ければ作ったものでも無い
現代人より知識も教養も劣る古い時代の人

その考えて作った死後の世界も脳の記憶学習で差が出る
日本では言い伝えなどの固定観念で三途の川出て来て渡るけれど
外国は三途の川概念がないので出てきません
十人十色で死後の世界は違います
悪いことをすれば地獄、良いことをすればすれば天国などの神話、あの世は
死んだ人のためではなく、生きてる人のために作ったもの

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165 2018/04/10(火) 06:52:54 ID:g4lA5BCZ32
あの世とは神が創造した自然界の一部です
自然界を物質世界のみと見做しているのは現代科学の狭量で愚かな思考に過ぎません
自然界には物質世界と精神世界に大別されます
物質界で死ぬと霊(意識あるエネルギー)が物質(肉体)から切り離されて自然界の一部である霊界(精神世界)に移ります。
こうしたことは死んでみれば判ることです。
どうか死んだら迷わず成仏してください
自分が死んだことに気が付かずにこの世を徘徊する浮遊霊になってはなりません。

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166 2018/04/10(火) 07:11:19 ID:3sm/34noLE
死人に口なし

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167 2018/04/10(火) 19:19:29 ID:033SgX66tw
あの世が素晴らしいとするなら、治らない病気で苦しむ人には神の様な言葉かもしれない。
だけど、うつ病で苦しむ人には最悪、自殺の怖さがある。
安易な書き込みは無責任ではないか。

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168 2018/04/11(水) 08:22:49 ID:sHrToSnecw
その自覚がないバカだから、実にしょーもなくイタい
オカルト思想を押し付けがましい長文で書き込めるんだろね
そんな思想に影響される脳足らずが一定数いるワケで
坊主や神主、占い師が儲けて外車乗り回してウハウハな筈だわな

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169 2018/04/22(日) 11:29:58 ID:a7TMIO1LO.
死に関わるバイアスは 次の様に作用します。

人は、いつか死ぬという事実に直面すると、それを否定する話を何でも信じてしまい、
本当は永遠に生きられると思い込みます。
これはバイアスの中でも最大のものでしょう。400件以上の研究で実証されていますから。
研究方法は巧妙かつシンプルです。説明しましょう。

まず、あらゆる面で似通った人々を2グループに分けます。
片方には、皆いつか死ぬことを伝え、他方には何も伝えず行動を比較します。
こうすれば、死を意識することで行動にどんな影響があるかを観察できます。

何度やっても結果は同じです。
自分の死を意識したグループは、死から逃れて永遠に生きられる話を信じる傾向が強くなります。
最近の研究を例にあげると、不可知論者、すなわち特定の宗教的信条を持たない人を2グループに分け、
一方には自分が死んだ時のこと、他方には、孤独な時のことについて考えてもらいます。

その後、再び宗教的信条をたずねます。
死後のことを考えたグループは、神とキリストへの信仰を表明した人が2倍にのぼりました。2倍です。
実験前は全員が不可知論者でした。
でも、死の恐怖を与えるとキリストにすがるようになったのです。

死を考えると証拠の有無とは関係なく、信条にバイアスがかかることがわかりました。
これは宗教だけでなく、不死を約束する信念体系なら、どんなものにも作用します。
後世に名を残すことや、子どもをもつこと、 大きな集団の一部として生き続けることを約束する国家主義にまで作用します。
これは人類の歴史の過程で形作られてきたバイアスです。

これらの実験におけるバイアスの基礎となる理論は「存在脅威管理理論」と呼ばれます。
発想は単純です。私達が培ってきた世界観、すなわち、この世界や自分の居場所について私達が語る物語とは、
死の恐怖をコントロールするために存在します。
不死の物語は、何千もの表現方法がありますが、一見多様に見えても実際にはたった4つの基本形式しかないと考えています。
そして、歴史の中で基本形式は繰り返され、時代ごとの言葉を反映して、わずかな違いが生じているだけだと考えます。

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170 2018/04/22(日) 18:50:24 ID:lrH./LG4bY
あの世の存在は死んだら判ります
生きている間には判りません
かといって死に急ぐのは神に背く罪業です
与えられた地球時間を生きることこそ人生です

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171 2018/04/22(日) 20:19:31 ID:a7TMIO1LO.
1.永遠に生きる「不死」

1つ目の物語はとてもシンプルです。
死を避けることを望み、自分の体のまま、この世界で生き続けるという夢が最初の最もシンプルな不死の物語です。

信じられないかも知れませんが、実際、人類の歴史上ほとんど全ての文化に、不老不死の薬や若さの泉といった、
私達に永遠の命を与えるものの神話や伝説が残されています。
古代のエジプトや バビロン インドにもありました
欧州でも錬金術師の著書に記されています。

今でもこの物語は信じられていますが、科学の言葉を使って語られる点だけが違います。
だから100年前にホルモンが発見された時、ホルモン治療で老化や病気を治せると期待されたのです。
今、期待されているのは幹細胞遺伝子操作、ナノ・テクノロジーです。
ただ、科学が死を止められるという発想は、不死の薬の物語に新たな一章を加えるに過ぎず、
文明と同じくらい長い歴史があるのです。

一方、霊薬を見つけて永遠に生きるという発想にすべてをかけるのは危険なことです。
歴史を振り返ると、過去に不死の薬を求めた人々は、共通して皆死んでいるのです。


2.「復活」して生き返る

だから次の手が必要になります。
それにうってつけなのが2番目の不死の物語 ? 「復活」です。

その根底ある考え方とは、自分に身体があることです。
私達が死すべき存在であっても、復活して生き返れるのです。キリストと同じです。
キリストは死後3日間、墓の中にいて、その後復活をとげました。
誰もが復活できるという考え方は、キリスト教徒だけでなく、ユダヤ教徒やイスラム教徒にも見られます。

復活を信じる気持ちは、あまりに深く根づいているので、科学の時代に合わせて新たに語り直されています。
例えば人体冷凍保存です。
これは人の死後、身体を冷凍し、テクノロジーが進歩してから解凍し、治療して復活させるのです。

全知全能の神が復活させてくれると信じる人がいる一方で、全知全能の科学者を信じる人もいるのです。

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172 2018/04/22(日) 20:22:38 ID:a7TMIO1LO.
3.精神的な「魂」の不死

ただ、「生き返って墓から出てくるという」発想自体がB級ゾンビ映画のようだと思う人もいます。
そんな人達にとって、身体は汚らわしく頼りないので、永遠の命を保障できそうにありません。
だから3つ目の、より精神的な不死の物語に希望を託します。

死後 身体を置き去りにして「魂」が生き続けるという考え方です。
この世の大部分の人が魂の存在を信じており、多くの宗教で教義の中心です。

ただ、魂という考え方が、今の形であれ伝統的な形であれ広く信じられているにもかかわらず、
デジタル時代に合った形で語り直されています。
例えば、身体を残して、精神・本質・本当の自分をコンピュータにアップロードし、
アバターとしてエーテルの中で生きるという考え方です。


4.後世に残す「遺産」

これには懐疑的な人もいます。
科学的な根拠の中でも、神経科学を検討すると、精神や本質や本当の自分は身体の特定の部分 — つまり脳に存在するからです。

そんな懐疑主義者達は、4つ目の不死の物語 — 後世に残す「遺産」に安らぎを見いだします。

これは、現世に生きた証を残すという発想で、ギリシャの偉大な戦士アキレスが、トロイ戦争で命と引き換えに、
不滅の栄誉を得ようとしたことに似ています。

名誉の追求は現在も 広く受け入れられています。デジタル時代では名誉は得やすくなっています。
偉大な戦士や王様や 英雄である必要はなく、インターネットとネコの動画さえあればいいのです。

もっと具体的に、生物として子孫を残したいと考える人もいます。
あるいは、国家や家族、部族といった、より大きな集団の遺伝子プールの一部として生き続けることを望む人もいます。
それにも懐疑的な人は、「遺産」を残すことが本当に不死と呼べるか疑っています。

ウディ・アレンの言葉です。
「ぼくは国民の心の中に生き続けるより、自分のアパートで生き続けたい」

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173 2018/04/25(水) 21:30:28 ID:O5eOrxGL6o
死んだらどうなるのか考えてるうちは永遠に幸せにはなれないんだよ
本当に幸せになりたいなら辛くても生きなくちゃいけないんだよ
生きるのはつらいよな。。。死ぬことばっかり考えててもつらいよな。。。俺つらいよ

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174 2018/08/14(火) 21:19:51 ID:.FZJ5mZFNE
人間いつかは死ぬ
生きている間にあの世を知っておくのも悪くはない
自分が死んだことに気付かない、認められない、生きていると思い込んでこの世を彷徨う浮遊霊にならないためにも
あの世を知っておくべき

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175 2018/08/14(火) 22:44:28 ID:lAlRdwQUg2
釈迦:「無記」

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176 2018/08/15(水) 17:01:15 ID:VCR3d6Bkio
熟睡している時は無だろ。死とはそれが永遠に続く。
快楽も苦しみも何もない極楽なのだよ。

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177 2018/08/17(金) 16:03:23 ID:KHDxxxhes6
無とはなんぞや?

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178 2018/08/17(金) 17:43:31 ID:xx3yM3PEy2
>>177
汝の頭

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179 2018/08/17(金) 18:24:06 ID:N1T5BuHB6s
人間は誰しも自分の死を経験として記憶できない。
自分の死は他者から見て初めて「死」となる。
他者の経験においてのみ他者としての自分の死がある。
生きている限り、死んでいくのは過去も未来も周りにいる他者である。

この世界とは異なる世界という意味での「あの世」というものはない。
自分が死ねば、自分のいなくなった世界から、
自分が生存していること以外まったく同じ世界に移行するだけである。
現在過去未来、自分の人生のどのポイントに移行するかはわからない。
そもそもこの宇宙には現在も過去も未来もないのだから。
自分に死の記憶はなく、ほんの少しずれた世界を未来永劫繰り返し生き続ける。

ニーチェはこのことに気付きこれを永劫回帰と言った。
輪廻といわれるものの正体も同じだ。
仏教においては輪廻を忌み嫌いそこからの解脱(悟り)を目標とする。

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180 2018/08/18(土) 18:11:31 ID:.kHaExQUDU
ニーチェなどクソの役にも立たん

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181 2018/08/30(木) 12:23:10 ID:aVFX3icymU
無などあり得ない。

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182 2018/10/16(火) 14:00:20 ID:PxUafDnn7c
あの世は非物質世界だから食べ物を食べる必要がない、というより食べ物が存在しない
食べ物だけではなくお金も家も服も必要ない。
衣食住の全ては思念で賄える

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183 2018/10/20(土) 18:46:36 ID:rJlXI97f/2
全ての物に最後に寿命、無がある、永遠は存在しない
人が住むための大地、地球も最後は寿命がきて無くなるのだ

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184 2018/11/30(金) 15:17:02 ID:EAoTvJzGfU
あの世は素晴らしい
それが証拠にあの世から戻ってきた者は誰もいない

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185 2018/11/30(金) 18:42:58 ID:K3lrJXViro
>>182
…という願望を、過酷な生活を送っていた昔の人たちは夢想したんだろうなあ

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186 2019/01/04(金) 15:27:00 ID:3bHaUNhh0o
睡眠中に見る夢はあの世を見ている場合があるそうな
だから貴方は今夜も睡眠中にあの世を見てくるかも知れません

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187 2019/02/07(木) 17:18:30 ID:ZueJ.Fpzr6
どのような人間でも必ずあの世へ戻る

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188 2019/02/07(木) 19:16:20 ID:EopSpOX0QA
人間とはヒト族のことを指しているのだろうか。
ヒト亜族とするならば、チンパンジー亜族は含まれないということなのだろうか。
また、ヒト亜族にしても、ホモ・サピエンス・サピエンスから進化を遡って、二足歩行よりも樹上に適応していたと考え
られるご先祖様のホモ・ハビリスも含まれるのか。
我々と混血の痕跡があるとされるホモ・ネアンデルターレンシスはどうなのか。
そのあたりの細かい設定を考えているのかどうかが気になる。

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189 2019/03/10(日) 15:07:44 ID:PuIjsBI.k.
あの世とは元々の居場所であり、死後に戻る所である

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190 2019/03/22(金) 19:06:32 ID:K0R/BwwXOA
あの世が素晴らしい世界となるか否かは今生の生き方次第である。
妬みや嫉妬、悪意や利己的な考えで人を操り利用し、或いは騙し罠に陥れ、或いは邪魔し足を引っ張り妨害し、或いは虐め、或いは貶め辱め、或いは悪人に仕立て上げたり、或いは自殺へと追い込んだり、このような罪業を行った者は「類は友を呼ぶ」法則通りにその者の性根に相応しい世界へと吸い寄せられていく。
それがどんな世界かは判らないが、少なくとも善良な人間なら御免被りたい世界であることは間違いないだろう。
あらゆる宗教が異口同音に教えるように、この世の生き方に能々注意すべきだろう。
どうなるかは貴方の生き方次第である事を肝に銘じる事だろう。

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191 2019/03/22(金) 20:36:40 ID:Cti04dmO/o
「集団や社会的序列の中で生活する動物の脳には妬みの感情を抱く回路が組み込まれており、人間もその例外ではない」のです。
これは、犬などペットを飼っている方は動物の嫉妬する場面に出くわすことがあるためよくお分かりかもしれません。

しかし、前述したように人間が妬みの感情を持っているからといって、それは悪い心であるわけではありません。
進化の過程で、生物は生存競争のために互いに食物や異性を奪い合ってきました。
結果的に見れば、他者の不幸は自分の幸福につながり、自らが子孫を残す可能性が高まるため、他者を妬み、他者の不幸を喜ぶことが必要でした。
だから、妬みは本能といってもいい。否定するものではないのです。

また、fMRI(機能的磁気画像共鳴法)の出現によって、「心」を直接見ることができるようになりました。
ヒトの脳が働いている部位では大量に酸素が消費されることで、それを補うために血液量(酸化型ヘモグロビン含む)も増え、
相対的に還元型ヘモグロビンが少なくなります。
この変化がMRI信号に影響を与えることを利用して脳の活動を視覚化するのがfMRIの仕組みです。

fMRIによって、妬ましい他人に不幸が起こった場合には、脳の深い部分にある前部帯状回の痛みがやわらぎ、それと同時に
おいしい食べ物やお金を得たときのように、無意識に自然と喜びが湧き上がってくることがわかってきました。
これは、理性を司る部位よりもずっと深い部分にあり、無意識的に喜びが沸き上がるため理性による制御は難しいです。
本能的な反応と言えます。

宗教的・倫理的にどのような主張をしようが、「他人の不幸は蜜の味」というのは、自己欺瞞によって覆い隠しようがない
厳然たる事実なのです。

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192 2019/03/30(土) 13:42:46 ID:II5o.S56H6
あの世は素晴らしい、但し、善人に限るが・・・。

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193 2019/04/24(水) 14:52:43 ID:h9nEAYy7qk
あの世に行けば、その素晴らしさにどんな悪党も改心する

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194 2019/05/08(水) 10:02:26 ID:AJFSESGJQI
あの世とは非物質的世界でありエネルギーの世界でもある

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195 2019/08/17(土) 14:21:01 ID:lG4xLUwgmI
あの世を頑なに否定する者は、死後、浮遊霊となってこの世を彷徨うであろう・・・

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196 2019/10/04(金) 12:50:40 ID:6/zKTKMRak
あの世とは
誠実に懸命に生きた人にとっては素晴らしい世界となる
不実で怠惰に生きた人にとっては荒廃した世界となる

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197 2019/12/01(日) 21:27:39 ID:oc7TgeO386
あの世も自然界の一部です

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198 2020/02/20(木) 08:21:57 ID:v64AblaUPs
新型コロナウィルスは感染して発症してしまうとあの世へ戻ることになる

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199 2022/05/22(日) 00:05:55 ID:0ZS59cHASs
●自閉症

自閉症の悲劇は、その症状そのものよりも、
周りの無知な人間たちから誤解されてきたことにある。

まず、「自閉症」という言葉が悪い。

たとえば、「自閉症の子供」という言葉を聞けば、どうしても、
「なにか精神的に辛いことがあって、ココロを閉ざしてしまった子供」
という印象を与えてしまう。

そして、実際、古くから、自閉症は「ココロの病気」とされ、
幼児期に母親から拒絶されるなどの「精神的ショック」から生じるもの
だと言われてきた。

そのため、自閉症の子供をかかえる親は、
「自分の育て方は悪かったばっかりに……」
「私の配慮が足りないばっかり……」
と自分を責める傾向にあった。

また、周りの人たちも、
「親がロクな教育しなかったから、あんなふうに育ったんじゃないの?」
「虐待でもしてたんじゃねぇーの?」
とその親を非難の目でみる傾向にあった。

しかし、近年の研究によれば、自閉症とは、「生まれつきの脳障害」であり、
親の育て方や、本人の性格とは、一切関係がないことがわかってきている。

以下は、自閉症についての認識を一変させた、有名な「サリーとアンの実験」である。

『2つの箱がありました。
 サリーは、右の箱Aに、リンゴを入れて、外に出かけました。
 意地悪なアンは、サリーがいない間に、箱Aからリンゴを取り出して、
 隣りの箱Bに移し変えました」

さて、この物語を見せたあと、自閉症の子供に次の質問をする。
「戻ってきたサリーは、リンゴを取り出すとき、 どちらの箱を開けるでしょう?」

ここで論理的に考えるなら、
「サリーは、リンゴが移し変えられたことを知らない」のだから、
『サリーは、まず、箱Aを探す』と当然答えるだろう。

しかし、多くの自閉症患者は、共通して「箱Bを探す」と答えてしまう。

なぜだろうか?

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200 2022/05/25(水) 09:12:55 ID:91DUA086bg
近年、それが調べられ、実は、
「自閉症患者の『脳』では、 他人の視点を想像して推論する機能が働いていない」
ということが分かったのである。
ここに、自閉症という語感特有の「ココロを閉ざしている、引っ込み思案」
などの性格的なものは一切ない。

単純に、脳に、その機能がないから、それができない、それだけの話だったのだ。

結局、脳みそという機械の問題なのであり、つまるところ、
「テレビや冷蔵庫の回路が壊れている」 → 「正常に機能しない」
ということと同じで、そこに「ココロ」がどうとか、そういう妄想は一切いらないのである。

それを「ココロの病気」などというわけのわからない言葉でごまかしていたために、
たくさんの誤解を生み、多くの人を苦しめてきた。

「サリーとアンの実験」で明らかになったのは、ワレワレが普段、
当たり前で自明で普遍的だと思ってきた「論理」も、実は、
「単に脳の機能として発生している」にすぎない、ということである。

この、一見、自明そうな「物語」ですら、それを解釈するための機能を持たない人にとっては、
まったく意味のわからないヨタ話にすぎないし、「そんなの当たり前だろ!」と思っている人たちだって、
脳のその部分を壊してしまえば、同じ物語が一瞬にして理解不可能なものに変わってしまうのだ。

ところで、一般的には、自分の「感性」や「性格」や「ものの考え方」というものを
「自分とは決して切り離せない必須要素」「自分を自分だと見なせる個性」
として捉えていることが多い。

そのため、もしも、仮に、タマシイやココロが存在するならば、肉体という物質が崩壊しても、
「今と、同じような感覚、感性」が、そっくりそのまま残るだろうと思いがちだが、
それはまったく不可能で絶望的なことである。

結局のところ、ワレワレが「これが自分だ」と思い込んでいる「感性、性格、ものの考え方」が
すべて肉体に依存していることは、明らかなのだから、ココロやタマシイやレイコンがあろうとなかろうと
死後もそれが継続するだろうという考えは、まったくのナンセンスなのだ。

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201 2022/05/27(金) 23:18:06 ID:nFCUPnHt6U
●丹波哲郎さんはなぜ、75歳で「大霊界」への没頭をやめたのか

丹波さんが人生の後半において、のめり込むように霊界の研究や紹介活動に没頭していった背景には、
彼が秘めてきた意外な一面があった。

義隆氏が語る。

「今になってみると、親父は自由奔放に遊ぶ一方で、実際は誰よりも臆病で、
『死』を怖がっていたんじゃないかと思うのです。
特に親父の母親、僕から見て祖母が亡くなったときくらいから、それが激しくなった。

それまで親父は、『あの世が本当の世で、この世は仮の世に過ぎない。
だから死んだら誕生日みたいにおめでとう、とケーキに蝋燭を立てて拍手してやらなければいけない』
なんてうそぶいていた。

ところがいざ自分の母親が死ぬと、親父は嗚咽して遺体にすがりついた。
とてもじゃないけど拍手して、おめでとうなんて言う余裕はなかった」

死への人一倍の関心と畏れ。
それは丹波さんが戦争を経験していたことと無縁ではないだろう。

丹波さんは中央大法学部2年だった'43年12月、学徒出陣をした。
態度が生意気と思われた丹波さんは、上官たちから連日のように殴られたという。
そして数多くいた同期たちは戦況悪化の中、次々と戦死していった。

航空隊の一員だった丹波さんは、特攻隊員になる可能性もあった。
極限状態の中、「死は怖くない」と自分に言い聞かせ続けなければ、正気を保つことはできなかった。
(中略)
戦争の経験と、病弱な愛妻を慈しんで生きた丹波さんは、自分にとって大切なものが何か、
そしてそれを失う恐怖と辛さを誰よりも知っていた。
だからこそ、丹波さんはことさらに、死後や霊界の研究へと傾倒していったのかもしれない。

'97年、丹波さんが75歳の時、それまで約50年連れ添った貞子さんが亡くなる。
義隆氏によれば、「親父は祖母が死んだとき以上に、人目もはばからず、わんわんと声を上げて泣いた」といい、
そしてそれ以降、霊界への言及はぴたりと止まった。

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