『猿の手』で甦った息子はどんな姿だったのか?


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001 2016/12/08(木) 19:41:34 ID:hCQ03tM4Nk
『猿の手』は1902年にイギリスの小説家W・W・ジェイコブズによって発表された短編ながら、怪奇小説の古典的名作。
星新一のショートショートで定番の、『3つの願いごとを叶えてくれる』系統の先駆けともいえる。
本作は古典的ホラー小説の1つに位置しており、多数のアンソロジーに収録されているほど人口に膾炙している。
以下、ネタバレ注意のあらすじ--。

老いたホワイト夫妻とその息子ハーバートは、インドの行者が作った猿の手のミイラを、知り合いのモリス曹長からもらい受けた。
モリス曹長が言うには、その猿の手には魔力が宿っていて、持ち主の望みを3つだけ叶える力があるらしい。
だがそれは、「定められた運命を無理に変えようとすれば災いが伴う」との教訓を示すためのものだ。
自分も悩まされたからと、曹長はホワイト家に渡すのを渋ったが、ホワイト氏は半ば強引に受け取る。
息子が冗談半分に、家のローンの残りを払うのに200ポンドが欲しいと言うので、ホワイト氏はそれを願ったが、
結局そのときはなにも起こらなかった。

翌日、1人息子のハーバートが勤務先の工場で機械に挟まれて死んだと知らせが届く。
会社は賠償を認めないが、日頃の勤労の報酬として金一封を夫妻に支払った。その金額は200ポンド。
老夫婦は息子の死を嘆き悲しんだ。
そしてある夜、どうしても諦めきれない妻は夫に、猿の手で死んだ息子を生き返らせてくれるようにと懇願する。
ホワイト氏は息子の凄惨な死体を見ていたので、懸命に妻をなだめるが、彼女は半狂乱になって訴える。
夫は断り切れず、2つ目の願いをかけた。しばしのあと、夫妻は家のドアを何者かがノックする音に気づく。
夫人は息子が帰ってきたのだと、狂喜して迎え入れようとしたが、その結果を想像して恐怖したホワイト氏は
猿の手に最後の願をかける。おそらく「息子を墓に戻せ」と言ったはず。とたんに激しいノックの音は途絶えた。
結局、平凡な日常にささやかな抵抗を試みたホワイト夫妻は、大きな代償を払って元の日常に戻ったのだった……。

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002 2016/12/08(木) 19:45:12 ID:hCQ03tM4Nk
[YouTubeで再生]
……実はこの名作の解釈について、かつてミステリー作家の有栖川有栖と北村薫の間で論争が起きている。
最後に家のドアの向こうにいたのは何だったか——。2人の見解には相違がある。
北村はそれを、「ゾンビのようなもの」だという。
死後1週間ほど経ってから母が、猿の手で息子が甦るかもしれないことに気づくのはなぜか?
「埋葬からの1週間は死体が傷むための1週間である」と北村は主張する。
これが一般的な『猿の手』理解で、大方の読者はこの意見に賛成するだろう。

それに対し、有栖川は異をとなえる。
「1週間というのは両親が悲しみのどん底まで沈んで、母親の心に魔が差すまでの期間であって、
死体がゾンビになるまでの期間ではない」と、指摘。ゆえにドアの外にいたのはゾンビではないと結論づける。
では何だったか? 元気なときのままの息子ハーバートである——と。
そこから有栖川は、死んだはずのハーバートが元気な姿で戻ってくるということは、実はハーバートは死んでいなかったのではないか、と持論をさらに発展させる。何しろ彼はこの論争を元に『猿の左手』(2008年7月、光文社刊、「妃は船を沈める」所収)
という推理小説を書いてしまったくらいである。

いずれ劣らぬ本格ミステリーの書き手だから、どちらの意見にも一理ある。
両者の見解の相違は、『猿の手』という作品の本質に迫っているようできわめて面白い。
確かに作者ジェイコブズは、超自然現象について一切描写していない。願いをかけるときに猿の手が動いた、というのも
ホワイト氏の主観に過ぎないし、最後にドアを叩いたのが果たしてゾンビなのか、元気な息子なのかも描かれていない。
そもそも本当にハーバートだったのかもわからない。
そして、あまりにも名作だからこれまで何の疑問も持たなかったのだが、実は最後の第3の願いがどんな内容であったのかも
書かれていないのである。
「間髪を入れず、老人は猿の手をさぐりあてた。そして狂乱のていで、3度目の最後の願いを祈った」の次は、
「とたんに、ノックの音がパッタリとやんだ」に続いている(平井呈一訳)。
ホワイト氏は果たして「息子を墓に戻せ」と言ったのだろうか?

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003 2016/12/08(木) 20:31:39 ID:6WWdppZ5jE
78年公開のゾンビの中では、フライボーイが最高!

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004 2016/12/08(木) 21:41:54 ID:p8yEJ5EjiE
願いなさい、願えばわかりますぅー

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005 2016/12/08(木) 22:24:51 ID:YqFAVF0B2o
原作には
「息子が死んで10日になる」
He has been dead ten days.
とあるが。

さらにホワイト氏は、
but--I could only recognize him by his clothing.
「服装でようやく息子だと見分けがついた」
と。

ようするに顔とかグッチャグチャ。

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006 2016/12/08(木) 22:31:58 ID:YqFAVF0B2o
もうひとつ解釈があると思うんだけど。

ホワイト氏は200ポンドと息子の死を「偶然だ」と言った。
実は聖なるfakirの呪文などウソで、猿の手に力などなかった。

つまりそもそも息子は生き返ってない。
ドアのノックは誰か浮浪者のイタズラ。

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007 2016/12/09(金) 00:13:07 ID:z/P6/qSBY.
もうひとつ解釈があると思うんだけど。

つまりそもそも息子は生き返ってない。
ドアのノックはNHKか、保険や宗教の勧誘の人。

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008 2016/12/09(金) 10:00:24 ID:V1oTqFwJOY
もうひとつ解釈があると思うんだけど。

これはただの小説ではないだろうか。

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009 2016/12/09(金) 12:54:53 ID:hp9Wkk/Dhk
初めてこの短編を読んだのは小学6年ぐらいのころだった。子供ながら想像力を喚起し、非常に完成されていると思った。
最初こそ小さなノックがするだけなんだけど、徐々に家中に響く連打音になるんだよね。
きっと息子は闇の向こうから濡れ雑巾を引きずるような音をたてて帰ってきたんだと思う。それは悪意をまとって。

定番だがやはり、歯車に挟まれてズタズタになった姿でやってきたんだ。
作中、ホワイト氏の3つ目の願掛けのセリフに言及されてないんだけど、おれは長年「帰ってくれ」と言ったと思っている。
もしも願掛けより早く、奥さんが扉を開けていたら、ガブリと噛みつかれたのかな〜。

この短編はあえて姿を見せなかったことが名著に至らしめている。
あえて姿を見せてしまったスタイルが、スティーヴン・キングの『ペット・セマタリー』だったわけで。

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010 2016/12/09(金) 13:24:29 ID:sL4KJgQ5h2
もうひとつ解釈があると思うんだけど。

みんな考え過ぎではなかろうか

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