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壷よりいでし和気姫、のちに神格化 興居島(ごごしま)
愛媛県松山港の沖合に浮かぶ有人島、興居島。島の南部の小高い山は、伊予小富士といい、気品ある佇まいを見せている。
地元では親しみをこめて小富士山(こふじさん)と呼んでいる。
興居島では祭神、和気比売(和気姫)を祀った船越和気比売神社が鎮座している。
その和気比売とはいかなる神なのか、興味を示さずにはいられない。発祥である『和気姫伝説』がこんな話だ。
昔、船越には和気五郎太夫という名の漁師が住んでいた。
ある日、沖に出て漁をしていると、大きな丸い物体が浮かんでいるのを発見する。
それは壷だった。拾い上げ磯の岩に打ち当てて砕いてみると、中から12、3才ぐらいの、見目麗しい女の子が出てきた。
五郎太夫はまさか子供が入っているとは夢にも思わなかったので、腰を抜かすほど驚いた。
「なんでまた、おまえは壷の中に閉じ込められていたんだ? どこから流されてきた?」
すると少女はこう答えた。「私は唐の国の者でございますが、訳あって壷に入れられ漂流してきたのでございます。私の名は和気姫」
「和気姫か。それにしてもめんこいのう。どうだ、宿無しなのなら、ウチに来るか。とりあえずメシでも食ってけ」
「壷から出てきたというのに、私のことを奇異に思わないとは寛大なお方。喜んでお言葉に甘えさせていただきます」
こんなトントン拍子で話が進み、五郎太夫はついに自身の娘として大切に育てることにした。五郎太夫はロリコンではなかったと信じたい。
立派に成人した和気姫。美しさは眩しすぎるほどであった。ある日、伊予皇子に見初められてしまう。世の常で権力者は手が早い。
これには歯ぎしりせずにはいられない五郎太夫であったが、娘をいつまでも手元に置いておくわけにはいかない。
やがて和気姫は伊予皇子の奥方となり、三つ子の男の子を授かった。
しかしながら当時は三つ子は忌み子として蔑まれた迷信があった。せっかく授かった命を小船に乗せて海へと流してしまう。
それでも三つ子は無事、それぞれ島に流れ着いた。第一子は伊豆の国に、第二子は備前児島、第三子は伊予の国三津浦にという具合。
しばらくすると各地の豪族として栄えたが、とりわけ第三子である小千御子(おちのみこ)は、伊予の大豪族・越智家の祖となったという。
のちに小千御子が、「母が住んでいた島」と言ったことから、この島を母子島(母居島)と呼んでいたが、元禄12年から、興居島へと変遷した。
和気姫の死後、和気姫を神格化させて船越社に祀り、後に船越八幡宮と改められ、明治期に船越和気比売(ヒメ)神社となった。
……壷が流れてきて、そこには子供が入っていたという話は、なんだか虚舟や桃太郎、かぐや姫を髣髴とさせておもしろい。
年端もいかぬ子供を罪人の流刑にしたというのは考えにくい。追っ手からかくまうため、壷に入れて流したのだろうか?
愛姫伝 ☆「姫の島」興居島へ NO1(霧の導き)
http://makild.exblog.jp/12830540... 興居島愛好会(ごごしま あいこうかい)
http://gogosima-ikou.nsf.jp/densetu/densetu.htm... YAHOO!知恵袋 双子が忌み子だと言われていた時代はあるのでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q103376813... ちるみぃでっどり− 【虚ろ舟=UFO】空っぽの鉄の舟,南蛮渡来の美女【宇宙人=人間】
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