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続・怖い島・いわくつきの村


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040 2014/01/01(水) 01:13:01 ID:8MFQsRObqE
あけおめ〜、トシのせいか深夜起きてるのはキツイが、正月企画として特別に連投しちゃおう。新年早々、悲しくて陰惨な話とか〜!


     美しさゆえに死んだ悲劇の歌姫・カンツメ伝説 奄美大島宇検村

奄美大島では薩摩藩時代、役人や豪農の家では『ヤンチュ(家人)』と呼ばれる奄美独自の奴隷制度があった。
ヤンチュとは上納米や砂糖を納めきれない貧しい農家が、その代償として身売りをしていたのである。
身売り金は年3割という高利で、ヤンチュの立場になれば一生その家で暮らすしかなかった。
今から約180年前、カンツメは須古村から隣の名柄(宇検村)の豪農へと、ヤンチュとして売られていった。
元来、美人で器量もよく利発だったカンツメは同じヤンチュたちの中でも抜きん出ていた。それゆえ他のヤンチュたちから妬まれ、
よく嫌がらせを受けた。しかし主人は、カンツメの美貌に気をとめていたので、目のつくかぎり彼女をかばった。
もっぱら飯炊きや草刈りなどが彼女の仕事だったが、手抜きすることなくよく働いた。

ある日、久慈集落から岩加那(いわかな)が名柄の豪農の家を訪れた。岩加那もまた美青年であり、役所の書記をしている傍ら、
三味線と歌を得意としていた。
やがて宴が催された。カンツメも招かれ、岩加那の歌の相手をするようになったので、心をこめて歌った。
岩加那はたちまち彼女の歌声に惹かれ、歌い終えるころには2人の気持ちは通じ合っていた。
この日から2人は恋仲となり、仕事が終わると、久慈と名柄の境にする佐念山の小屋で、夜ごと逢瀬を重ねるようになった。

どんなに人知れず会っていたとしても、遅かれ早かれ2人の関係は目ざとい者に露見するものである。
やがて2人の仲がヤンチュ仲間に知れわたり、主人夫婦の耳にも入ってしまう。女主人は嫉妬深く、気性の激しい女だった。
ヤンチュの分際で泥坊猫のように恋愛するのは御法度。ましてや相手は役所の書記であり主人の知人。
カンツメは裸にむかれると鞭で打たれ、あれほど嫌がらせからかばってくれた主人に強姦されたうえ、
挙句の果てには陰部に焼け火箸を押し付けられた。酸鼻を極める折檻に、カンツメは悶絶し気を失った……。

女主人は彼女をボロ雑巾のように扱っておきながら、翌日にはたき木採りに山へ行かせた。
たき木を拾い終えた他のヤンチュたちが山を下りたあともカンツメは1人山に残り、岩加那と逢引していた佐念山の小屋に向かった。
小屋で身支度を整え、郷里に残した両親と、いまだ恋の炎が冷めやらぬ岩加那に感謝と別れの祈りを残し、自身の帯で首をくくって死んだ。

その夜、まさかカンツメが折檻にあい、自害したとは知らない岩加那は、三味線片手に佐念山へ行き、カンツメを待っていた。
カンツメはいつもより沈んだ顔で小屋にやってきた。それでも2人して楽しく歌っているうちに彼女は元気になっていった。
夜明け前、別れにカンツメはもう1曲歌った。「あかす世や暮れて汝きゃ夜や明けり、かふ節ぬあればまた見きょそ……」と、
歌い終わると、カンツメの姿は霞のようにすっと消えてしまった。
岩加那はあたりを探し回った。ふと頭上を見上げるなり絶叫した。カンツメの変わり果てた亡骸を見つけたのである。
その後、経緯を知った岩加那は、早く身請けをしてあげればよかったと悔いたが、すべては遅すぎた。

因果な話で、名柄の豪農夫婦はカンツメの亡霊に脅かされて変死を遂げ、家は没落したと伝えられている。
現在でもヒギャ(奄美大島南部)では、カンツメの霊が出るのを恐れて、夜半カンツメ節は歌わない習慣があるという。


あまみんちゅドットコム奄美人 悲恋のカンツメ物語
http://amaminchu.com/iroiro100ca/column/story02.htm...
みんなで楽しもう! 〜琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話〜 奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第66話。美人が出ない村
http://totoro820.ti-da.net/e3169870.htm...
宇検村の史跡・文化財・石碑 宇検村の史跡ギャラリー
http://www.synapse.ne.jp/hatashin/01ooshimahontou/06uke...

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