いまも5人の座頭の怨嗟が聞こえる……。 五人宗谷(ごにんぞわい) 1
個人的に、『板子一枚下は地獄』を体現する豪胆な漁師が、気味悪がって近寄らない島がいちばんソソられる。
コレに鑑みれば、前スレ
>>356の5人の座頭が海の藻屑と消えた伝説の『五人宗谷』(定義的に言えば、『島』ではなく『岩礁』なのだが)は理想的。
このたびググりまくった甲斐あって、五人宗谷に関する資料を見つけた。タイトルは『島の伝説』。著者・三宅勝太郎、出版社・著琴弾地海水浴場、
昭和11年出版。貴重な資料はとどめておくべきである。若干、前スレで書いた内容と異なる部分もあるが許せる範囲だ。平易な漢字で書きなおしてみた。
いまから5、600年ほど昔の話。安芸の国に按摩を生業としている5人の同業の盲人がいた(以後、『座頭』とする)。
その座頭たちは全国のあちこちから集まった年齢もバラバラの者だったが、同じ境遇であるがため、いつしか血をわけた肉親のように仲良くなった。
ある年の木枯しすさぶ正月、5人は一堂に会し、宴会を開いた。
酒の酔いが回るにつれ、よも山話に花が咲く。1人が、「どうだ、死ぬまで一度は信濃の善光寺さんへ、お詣りしてみたいものじゃな」と、言った。
他の4人の座頭も口をそろえて、「人の一心ほど強いものはない。諺に『精神一到何事か成らざらん』と言うではないか。盲(めしい)であっても、
善光寺さんへお詣りできないことはない。金さえあればどこへでも行けよう」
「そうとも、金だ。金があれば世間様に遠慮することはあるまい」「だったら貯めるべきだ。金があればどんな遠出だって許されよう」
こうして5人は相談の結果、座頭にとって一生の夢である、善光寺へ詣りに行くことを決めた。
それには信濃までの旅費や諸々の費用を蓄えねばならない。1年をそれに費やし、明くる年の正月の新年会でまた会おうと約束した。
昼夜のべつ幕なしに働いた。おかげで5人の親睦会も少なくなったが、夢を実現するには致し方ない。
こうして1年はめくるめく速さですぎ、翌年の正月がやってきた。
祝いの宴の前に、年長の座頭が音頭を取りながら「いかがですみなさん、お金は貯まりましたか。例の約束は果たせますかな?」と、言うと、
各人は自身の貯金額を発表した。
合わせると100両もの大金になる。5人は、「これだけあれば、充分善光寺詣りができるな!」と、小躍りして喜んだ。
その勢いで、正月3日の祝いをすませたら、さっそく出立することにした。
4日目、一般の帆船を雇った。5人の座頭はそれぞれ旅の用意を整えて船に乗り込んだ。
彼ら5人の喜びを乗せた船は、艪を漕ぐ音も勇ましく鞆の浦(現・福山市)の港を出帆。
風はベタ凪に近く快晴。まるで前途に対する不穏さは微塵もない。5人は早、善光寺に行ったような気持ちになり、子供のようにはしゃいだ。
そんな様子を船頭は異様な眼つきで見守り、苦笑をこぼしていた……。
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