9人の女を餅つきの杵で撲殺・殺人祭『手杵祭』 小浜市矢代区 1
興味深い奇祭を見つけたので、強引に村ネタで1つ。重ねて言いますが、決して共同体を貶めるつもりではありません……。
福井県小浜市は畿内色の濃厚な港町で、律令時代より前から大和王権の日本海側の玄関口として盛えてきた歴史がある。
小京都と呼ばれることも多く、全国京都会議にも加盟しているほど。市内には国宝や国指定の重要文化財が数多く立地し、
『海のある奈良』と呼ばれる所以である。そして小浜といえば、オバマ大統領と……(以下略)。
ところで、その小浜市でも日本海岸の若狭湾を臨む集落の1つに矢代区がある。
矢代には不定期ながら4月3日に矢代観音で行われる祭りがある。それが『手杵祭』で、県無形民俗文化財に指定されている。
この祭の発祥が血なま臭くてムラムラしてしまいそうな垂涎ネタである。それがこんなお話。
天平宝字3(759)年、矢代の浜に、不思議な形状をした1艙の船が漂着した。
乗っていたのは見目麗しい9人の女たち。言葉は通じなかったが、どうやら唐の国から漂流してきたらしく、
王女を中心に付き添いの女靗衆8人を従えていた(※2人の船頭と6人の女靗衆との説もある)。
深い事情があり長い船旅を続けていたのだろう。食糧も底をつき、身も心も疲れ果れ、ただ憐れみを乞うばかりであった。
村人たちは物珍しそうに女たちを眺めていたが、ふと船内を覗くと、金銀財宝と神々しい観音像が積み込まれているではないか。
よからぬ悪心が働いた者がいた。つい金に目がくらみ、女たちを殺害してしまう。奇しくもその日は3月の節句の日。
村では家ごとに餅をついていたが、その杵で1人残らずつき殺してしまったのだ……。
その日を境に悪病が流行り出した。祈祷をしても病はますます猛威をふるい、死人が続出。村人たちは額を突き合わせて相談した。
「唐の国の女たちを殺したのがマズかったのだ。そういや、一緒に奪った観音像はどうした? まさか祟りじゃあるめえな?」
「そうじゃの。観音様にお詫びしなければなるまい」と言って、女たちが乗ってきた船を解体し、船材で堂を建てて観音像を祀った。
そのうち悪病も収まった。現在ある観音像は当時のままのもので、お堂も手を加えられていないと伝えられている。
この悲劇があってからというもの、村人は殺戮を戒め、女たちの霊を慰み、天罰を恐れて手杵祭を行なうようになった。
平安初期以来、不定期ながら途絶えることなく受け継いで行事を守ってきたという。
手杵祭をまとめる人物は大禰宜(おおねぎ)といって、正月元旦より水垢離と潔斎精進を重ね、この1年間を区の祭礼、物忌み、
宗教的諸事の責任者としてすごさねばならない。
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