天然痘患者を隔離した悲嘆の島 下馬刀島(しもまてじま) 1
今回はまさに島マニアの探査能力の面目躍如である。まだまだsageるには早すぎるのだ、はにゃ〜ん♪
前スレではハンセン病患者を隔離した香川県の大島や岡山県の長島を扱ったが、驚くべきことに熊本には、
かつて天然痘患者を閉じ込めた孤島があったそうだ。エボラウイルスが懸念されている今日、ちょっとタイムリーなのだ。
天草諸島に属する牛深市深海町にある下馬刀島がソレだ。こう書いて『てもまてじま』と読む。
もしくは『まて島』とも呼んだらしい(地図によって『馬丁島』『的島』と表記名が異なる場合もある)。
『地名の探求・松尾俊郎・(新人物往来社)』によれば、海峡の中間の島に『馬』を当て字にすることは多く、
『まて島』とは『海峡の島』であることが明記され、『馬』は『間』が当てられていることも少なくないのだとか。
島はもと深海本郷地区と下平地区の区有財産であったが、大正12年11月2日、深海村へ寄付。昭和45年4月21日の合併により、現在の所有者は牛深市となった。
本来は無人島であった。そこへ天然痘に罹った者を島流しにしたというのだから、先人は非情なことをしたものだ。
我が国のこういう負の歴史を白日の下にさらしてしまうのは、いかがなものかと時々思うが、島マニアの探求心は遠慮というものを知らない。
そもそも天然痘とはどんな病気か?
痘瘡(とうそう)ウイルスを病原体とする感染症のことを指し、強い感染力をもち、罹患すれば全身に膿疱(水疱の内容物が膿の集合体)を生じる。
仮に治癒しても醜いあばたを残すことから、世界中で不治の病、悪魔の病気と恐れられてきた。同時に世界初の、撲滅に成功した感染症事例でもある。
爆発的な感染力、高い致死率(諸説があるが40%前後を誇った)のため、時に国や民族が滅ぶ要因となった。
天然痘に罹ればどんな顔面様相になるか、各自で画像検索されるがよい。画像を貼るのも憚られるほどひどいありさまとなる。
もともと痘瘡ウイルスは日本に存在しなかった。6世紀半ば、中国・朝鮮半島からの渡来人の移動が盛んになったときに、日本初の感染者が現れたとされている。
おりしも新羅から弥勒菩薩像が送られ、敏達天皇が仏教の普及を認めた矢先であったため、神道の神を蔑ろにした神罰ではないかという考えが広まり、
仏教を支持していた蘇我氏の影響力が低下したほどであった。皮肉にも585年、敏達天皇本人も天然痘で崩御したのではないかとも言われている。
『日本書紀』(完成は720年)にはこう記されている。「瘡(かさ)発(い)でて死(みまか)る者、身焼かれ、打たれ、砕かるるが如し」とあり、瘡を発し、
激しい苦痛と高熱を伴うという意味で、天然痘の初めての記録と考えられる。また奈良の大仏造営のきっかけの1つがこの天然痘流行であるとされている。
かの伊達政宗が隻眼なのも、幼少期に罹った天然痘のせいで失明したからだ。このように日本の歴史は、至るところに天然痘の暗い影を落としているのだ。
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