>>7 >その死後、化けて出てサンダーぶちかましたり、盛大に「呪ってやる」を地で行ったお方
原典は失われてるが『扶桑略記』などに引用が残ってる『道賢上人冥途記』によると、
臨死体験した道賢上人が地獄で日本太上威徳天を名乗る道真と出会い、
「諸仏諸神の力で天神の恨みは薄らぎ、崇りをなす気はないが、
眷属16万8000の悪神が崇りをなすのを制止することは出来ない」と、
災厄を齎しているのは天神ではなく眷属達であると説明されている。
で、『通りゃんせ』は川越城の城内にあった三芳野天神に、
子供が7歳になったお礼参りに来た親子と城の門番との掛け合いの歌で、
一般人が城内に入ることになるので、城内見取図など書き取って持ち出さぬよう、
門を出るときの改めが入る時よりも厳しかったという経緯があり、
門番が親子を威圧して脅かしてる様子を歌ったものだったかと・・・。
>>15 正確には三木露風の詞が童謡集「眞珠島」で発表されたのは大正10年で、
昭和2年に山田耕筰が曲をつけた。
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