【てるてる坊主】の発祥は?
岩井宏美(帝塚山大学名誉教授・民俗学)によると、てるてる坊主を吊るすのは平安時代に中国から伝わった風習で、「まじない」、「呪術」など
庶民に身近な仏教文化とともに入ってきたと考えられる。
中国では「掃晴娘」(そうせいじょう)と呼ばれるほうきを持った女の子の紙製人形を吊るし、晴天を祈ったと言われ、ほうきは福を引き寄せる力があるとされ、
女性は男性より霊力が強いと信じられていた。
しかし、日本では女の子ではなく僧侶を模した。かつての天気祭りをつかさどったのが、修験者や修行僧を意味する「聖」(日和り・ひじり)だったためと
考えられる。
柳田国男の著作全集に収められた一文で、江戸時代後期の随筆、喜多村著「嬉遊笑覧」に「てるてる坊主」が記されており、「昔の江戸などでは人形にわざと
目を入れず、天気になったら目を描いてやる宣言する例もあった」としている。願い事がかなえば墨を入れお祭りをするは、まさにダルマと同じ発想である。
「てるてる坊主」は以前、地域によっては「てれてれ法師」「てりてり坊主」「日和坊主」など呼ばれていたが、長野県池田町出身の作家浅原六郎氏の
童謡「てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ♪」の歌が広がってからは、おおむね「てるてる坊主」にそろってきたという。
Teruteru_1st_2山本宮司によると西日本地方では日和坊主といい、晴天祈願に白い坊主頭の人形を吊す風習とともに、逆に雨乞いの際には黒い坊主頭の人形を
吊るす風習があった。気象神社にも社殿横の絵馬掛け柱に、可愛らしいて「るてる坊主」が飾られている。
雨が降り続くと商売にも影響し、天気の回復を気象神社に祈願してくる人が多いという。
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