>>87 前妻の子供、今31歳かあ・・
これら大量殺人の主犯である松永太は、1961年4月に小倉北区で生まれた。
父親は畳屋であったが、松永が7つの時、実父(松永にしてみれば祖父)の布団販売業を継ぐため一家で福岡県柳川市へ引っ越した。
松永の生い立ちについては特に語られるべきことがないのか、あまり情報がない。だが経済的に不自由はなく、母親と祖母にべたべたに甘やかされ、
ほとんど叱られることのない幼少期を過ごしたようだ。
高校2年の時、松永は家出少女を拾って自宅へ入れたことで退学となり、公立から私立の男子校へ転校。
2年まで在学していた公立高校には、のちのち彼の『相棒』ともなる緒方純子も在籍していた。
高校卒業後、松永は父親の営む布団販売業を手伝うかたわら、19歳で結婚し翌年には子供をもうけている。
さらにこの年、布団販売業の有限会社を設立し、代表取締役としておさまった。だが、
中身は粗悪品を訪問販売によって高値で売りつける詐欺まがいの会社であった。
松永は契約のとれない社員に暴力をふるって虐待し、信販会社のセンター長に「接待」と称して昼間から酒を飲ませ、その姿を写真に撮って脅した。これにより信販契約の審査を甘くさせ、
立替払金を着服するなどのメリットを狙ったのである。
なお、のちの一家殺害事件にも使われた「通電リンチ」(電気コードの電線を金属のクリップに付け、腕などにテープで固定して通電する)は、この頃からすでに社員への虐待方法として使用されている。
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