中学時代、僕は野球部に所属していた。地元で野球教室が開かれ、なぜか板東英二が招かれた。80年代後半だったと思う。
とうの昔に現役を退き(そもそも現役時代を見たことがないし、甲子園の武勇伝も知らない)、
ちょうどドラマ『毎度おさわがせします』で、中山美穂の父であるスケベ親父役をやっていたころだった。
なぜ今さら板東英二なのか、僕らは首をかしげたものだ。地方の僻地だから、スケジュール的に板東しか空きがなかったのかとも邪推した。
ドラマの影響もあり、てっきりあのおちゃらけたキャラで、野球教室をやるのかと思っていた。
グラウンドに現れた板東は、ユニホームの上にウインドブレイカーをパリッと羽織り、レイバンのサングラスをかけたうえ、
眉間にしわを寄せ、威圧感たっぷりに登場相成った。
挨拶もそこそこに、さっそく僕たちにキャッチボールをしてみろとのたまった。
ボールをキャッチする際、グラブの網で取るな、痛くても必ず手の平の中心で取れ、と指導された。
板東英二は腕組みしたまま、各野球部の練習ぶりを見てまわる。怒号が飛ぶまで、5分とかからなかった。
「あれほどグラブの中心でキャッチしろと言ったのに、おまえは言いつけを守らなかった。罰としてグラウンドを、
おれがいいと言うまでランニングしてろ」
投手出身だけに、とくに投手の子には激烈に厳しく、すぐにグラウンドの外周には、大勢の中学生が回らされる羽目になった。
和気あいあいとなるものと思っていた野球教室は、たちまちピリピリした空気で張りつめた。
ついに、僕たち野球部のところに板東が歩いてきた。まるで獲物を狙う黒豹だ。レイバンの向こうの眼光は窺い知れない。
そのうち板東は、なんと僕のかたわらで止まり、僕がキャッチボールするところをしばし見た。
言われたとおり、ボールをキャッチするときはグラブの中心で捕球することは忘れない。
いらぬ妄想が沸く。まさか、僕の練習ぶりに問題があり、指摘されるのではないか。それとも元プロ選手ともなれば、
キャッチボールだけで相手の技量がわかるはず。もしや僕はプロになれる素養を秘めているのではあるまいか?
ふいに板東はこう言った。「ボールを投げるときは肩全体を使って投げろ。手投げになってるぞ」と、スローイングを指導してくれた。
そして去り際、「おまえはセカンド向きだな」と言った。
おっしゃるとおり、当時の僕はセカンドだった。
結局、その野球教室はキャッチボールに始まり、キャッチボールだけで終わった。
お開きになっても、板東は一瞬たりとも相好を崩さなかった。野球と勝負の厳しさを教わった気がした。
そしてああいう人は、ユニホームを着ると、たちまち人格が変わることも知った。そしてテレビでおちゃらけている彼のキャラクターは、
世を忍ぶ仮の姿なのだと思った。中学2年の暑い夏のできごとだった。
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