終戦後、ぼくが武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)へ通うために、金がなくて、月島で魚屋をやっていたころの話である。
仲間に山野という男がいて、彼はぼくの顔を見るたびに、姑娘の話をするのだった。姑娘とは、
中国語で〝娘さん″というような意味だが、中国大陸で戦った兵隊にとっては、なんとなくなつ
かしい呼び名である。
ある日、山野氏が例によって姑娘の思い出を話しはじめた。
—そうやなあ、わしが分隊長で、ある村に行ったときのことや。村長の娘がえらいべッピンや
と聞いたもんやから、兵隊連れて、早速おしかけたんや。なにしろ、そのころは、娘探すのが仕
事みたいなもんやったからな。ところが、村長は「そんなもの、おらへん」といいはる。あたり
まえやな、いるちゅうと、日本兵は娘をつれていってしまうんやから。それから、どうされるか
は、いくらノンビリした中国人でもわかるわな。(中略)
せっかく来たのに手ぶらやなんて、おもろうないわな。ムシャクシャしてるので、倉の中に一
発ブッ放した。
そしたら、あんた、倉の箱の中で、コトッと音がしてだれか打るような気配がする。すぐ開け
させて調べたら、おった、おった、ものすごい美女がおるねん。どうやら村長の娘らしかったが、
広東の大学を出て帰ってきたところだったらしいわ。
村長以下、涙を流しながら〝連れていかんでくれ″いうとったが、俺も含めてみな若い。なに
いいくさる! てなもんで、引き連れて帰ってきた。
俺の部屋に一カ月くらいおったろうか、ある夜、妙に真剣な顔で、
〝あなたと、一度契ったからには、妻となり、どこへでもついていきます〃といいよる。
俺の中隊に出発命令が出たのに、
〝一度、日本人の男に抱かれた女は、帰る所がない〃
というて、俺の側から離れへん。(水木しげる自伝『水木しげるの不思議旅行』)
返信する